きょう、小佐々学さんが名誉団長として7月末に成田を出発する『天正遣欧
少年使節の足跡を訪ねる旅』もいよいよ現地との細かい打ち合わせが最終段階
にさしかかっていると電話がありました。
このツアーのハイライト、ローマ法王との謁見も具体化したようです。
天正少年使節がグレゴリオ13世に謁見を賜ったのは1585年3月23日
でしたから、なんと426年目に当たります。教皇グレゴリオ13世はその日
から3週間も経たない4月10日に逝去されてしまったのですが、そのわずか
な間に、使節たちはとても考えられないような厚遇を受けたのです。
以前にも、このブログでとりあげましたが教皇の厚遇がたちまち、ヨーロッ
パ中に伝わり、使節がまだ、滞在中に彼らが立ち寄ったイタリアのフィレンツ
ェ・ボロニア・ヴェネッツアなどの諸都市で彼らの動静を伝える小冊子が次々
に刊行されたのも驚きです。
イタリアだけではありません。フランスでもドイツでもオーストリアやベル
ギーでもその翻訳本がおびただしい数で出されております。さすがにグーテン
ベルクの活版印刷術発明から140年近く経っていましたから、ヨーロッパの
国々ならどこでも容易に翻訳・印刷・出版出来たのでしょう。
岡本良知さんが『キリシタンの時代』(八木書店)で「天正使節評判記の一
珍本」として1585年、つまり、使節がローマ法王の謁見を受けた年に、北
イタリアのレッジオという町でエルコリアノ・バルトーリという人が出版した
『天正遣欧使節記』について書いておられます。
私が属している神田川大曲塾という印刷文化史の研究サークルにも少年使節
に関心を寄せる人が多いのですが、その中のひとり、豫家さんが、先日、《東
京大学日本史学研究室紀要の第13号》に『ウルバーノ・モンテ年代記』にみ
る天正遣欧使節と織豊期の日本》の存在を教えてくださいました。明日にも国
会図書館にでも行って来ようかと思います。
少年使節の足跡を訪ねる旅』もいよいよ現地との細かい打ち合わせが最終段階
にさしかかっていると電話がありました。
このツアーのハイライト、ローマ法王との謁見も具体化したようです。
天正少年使節がグレゴリオ13世に謁見を賜ったのは1585年3月23日
でしたから、なんと426年目に当たります。教皇グレゴリオ13世はその日
から3週間も経たない4月10日に逝去されてしまったのですが、そのわずか
な間に、使節たちはとても考えられないような厚遇を受けたのです。
以前にも、このブログでとりあげましたが教皇の厚遇がたちまち、ヨーロッ
パ中に伝わり、使節がまだ、滞在中に彼らが立ち寄ったイタリアのフィレンツ
ェ・ボロニア・ヴェネッツアなどの諸都市で彼らの動静を伝える小冊子が次々
に刊行されたのも驚きです。
イタリアだけではありません。フランスでもドイツでもオーストリアやベル
ギーでもその翻訳本がおびただしい数で出されております。さすがにグーテン
ベルクの活版印刷術発明から140年近く経っていましたから、ヨーロッパの
国々ならどこでも容易に翻訳・印刷・出版出来たのでしょう。
岡本良知さんが『キリシタンの時代』(八木書店)で「天正使節評判記の一
珍本」として1585年、つまり、使節がローマ法王の謁見を受けた年に、北
イタリアのレッジオという町でエルコリアノ・バルトーリという人が出版した
『天正遣欧使節記』について書いておられます。
私が属している神田川大曲塾という印刷文化史の研究サークルにも少年使節
に関心を寄せる人が多いのですが、その中のひとり、豫家さんが、先日、《東
京大学日本史学研究室紀要の第13号》に『ウルバーノ・モンテ年代記』にみ
る天正遣欧使節と織豊期の日本》の存在を教えてくださいました。明日にも国
会図書館にでも行って来ようかと思います。