活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

戦争と印刷

2008-03-11 12:07:33 | 活版印刷のふるさと紀行
 前回の「博文館から共同印刷へ」の見出しは誤解を招いたようです。
 なぜなら、博文館は出版社で、印刷所の方は博文館印刷所と記さねば正確ではありませんでした。

 博文館-年配の方には懐かしい社名でしょうが、現在は博文館というと、日記帳を連想してしまいます。私なんか、伝通院のそばの玄関脇に日記帳の並んだショーケースがある現社屋が浮かびます。

 ところで、博文館印刷所の誕生には「日清戦役」という戦争が絡んでいます。
 戦争が終っていまでいう戦記ものガバカ売れしてホクホクの博文館は、経営革新を進めたのです。従来発行していた13種類の雑誌を全部廃刊にして、1895年に「太陽」・「少年世界」・「文芸倶楽部」の三誌を創刊したのです。余分なことですが、この頃樋口一葉が「文芸倶楽部」を舞台に活躍しだしました。

 戦争に勝って、自信をつけた国民に新しい教養を提供しようという心意気でした。そこで、博文館の経営者大橋佐平は今の銀座近くに博文館印刷所を興して、
自家出版物の専属印刷を始めたのです。
 戦争と印刷といえば、日露戦争のあとも同じように、印刷ブームが起きました。それについては、また、触れます。
 

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