日記帳の手書き文字は
いつのまにか落とし込まれる、
すべて平和という悲しい現場に。
青い翅の蝶のように、電子の通路で散文がはばをきかせている、この近未来では、山羊はいるけど山鹿は括弧でくくられている。日記帳の手書き文字はすべて平和という悲しい現場にいつのまにか落とし込まれる。ところが廃墟のあいだに残った水田跡にクリの苗木を植えたら鹿にぜんぶ鹿の子餅にして食べられた。緑の風が流れてきて、これでおあいこでしょ、といって舌を舐めた。みずみずしい新芽をひとりじめにしたいうちの山羊たちが頭突きしていったので、あっ、と鹿は跳んで逃げた。画像上ではすくなくとも消去された、背中に木漏れ日の保護色ドットつけたまま。絵日記の終わりにこう付け加えておこう。きっと慌ててたんだな、秋がそこまで来てるから、と。