梅も見ごろ。
馬屋に行くとき必ず左手に見える、あの明治的な西洋建築は何なんだろう?
いつも気になっていた。
廃校になった木造校舎のようだ。
Googleマップでこの位置を調べると「螢学舎」とある。
なんじゃ、こりゃ?
旧街道「美作往来」のそばで畑仕事をしているおばあさんに聞いてみた。
そこのふりぃ学校は何ですりゃあー?
そりゃ「高月小学校」じゃが。
高月山がたしかに背後に聳えている。
馬屋はむかし「高月駅屋(これを「まや」と読んでいた)」と呼ばれていた。
家に帰って調べてみる。
なんとこれは「誕生寺尋常高等小学校」にあった校舎そのものなのだ。
誕生寺はワシの生まれ故郷に近けぇが!
明治43年、久米南町里方村に「赤坂尋常高等小学校」の本棟として建設され、
その小学校が「誕生寺尋常高等小学校」と改称した。
そして昭和48年、そこが閉校になったとき、この場所に移築されたのである。
ということはワシが久米郡久米南町上神目におったときには、
この明治的西洋建造物は誕生寺にあったのだ。
記憶にはないが、急に親しみが湧いてきた。
一方、馬屋地区には、
明治8年7月、岩田小学創立。
明治26年4月、高月尋常小学校に改称。
大正3年4月、高月尋常高等小学校に改称。
昭和22年4月、高月小学校に改称
昭和45年4月、山陽小学校高月校舎に改称
おばあさんが娘さんのころはたしかに「高月小学校」と呼ばれていたのだ。
じゃあ、「螢学舎」って何なんだろう。
「AXCIS,INC.」という企業のホームぺージに次のように書いてあった。
「螢學舎は、100年前に建てられた小学校です、この校舎を1昨年、購入しました。この校舎を、誰もが使えるような、アトリエであり、つどう場に改装出来たらいいな・・・という思いで、実験的に、6者の面白い集合体に、集まってもらい、from west に出展しました。皆様もこの校舎の利用方法を、考えてみてください、赤磐市馬屋に建っています。」
しかしこの説明では、現在の所有者はわかるが、なぜ「螢学舎」と呼ばれているのか
その理由がはっきりしない。
新しく命名したのだろうか。
学校法人進研学園が所有していたこともあるらしい。
その時すでに「螢学舎」と呼んでいたのだろうか。
そもそも、なぜ「螢」なのか?
関係者の方で詳しい事情を御存じの方がいらしたら教えて下さい。
いま目立つのは、巨大なスズメバチの巣。
最近は、使われていないようだ。
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