馬屋記ーヤギとクリの詩育日誌

詩育日誌08.18朝日をモグモグ

きもちいい朝ですねぇ。
星の道を
モグモグしながら
タラった、ラった、ラった。
またお月さんで迷子になった
いまだに、助べえ。
で有名な
近所のオジイさんみたい
ポん、ポん、ポんっと
散歩している
月の草を
ワシらの足で踏んづけて
介助は、いらん。
タラった、ラった、ラった。
きょうもあしたも、よろしゅう。
大陸の狼
だったらしいしっかりもんが
ここは、どこじゃ。
ワシらの物語をわがもの顔で
ポん、ポん、ポんっと
彷徨している
「引き揚げ」*(1)の
生死をうらがえした
星の涙で
わき腹のうずまき模様をたどる
タラった、ラった、ラった。
前世紀からあった
とってもつらいことまで
甲板に載せて
船は舞鶴港*(2)にはいってきました
ポん、ポん、ポんっと
日の丸はなかったけど
ほんまもんのお日さんしたがえて
タラった、ラった、ラった。
きもちいい朝ですねぇ。
白い月の
オオカミさん、がんばって。
笑顔で
モグモグしながら

*(1)「引き揚げ」とは(福岡市ホームページより引用)
昭和20(1945)年8月15日、第二次世界大戦終戦を迎えたとき、多くの日本人が海外(特にアジア)に残されていました。その数は軍人・軍属が約330万人、一般国民が約330万人合計すると660万人を数えます。その後昭和21年年末までの約1年半の間に、約500万人の日本人が海外から帰ってきました。軍人・軍属や一般国民が遠い海外から日本へたどり着くことは、長い苦難の道のりでした。このかつてない民族大移動  -第二次世界大戦後、海外から日本人が帰国してきたこと- を「引き揚げ」といいます。→ http://hakatakouhikiage.city.fukuoka.lg.jp/

*(2)舞鶴港では(舞鶴引揚記念館ホームページより引用)
舞鶴では昭和20年(1945年)10月7日に最初の引揚船“雲仙丸”が入港してから昭和33年9月7日の最終引揚船“白山丸”の入港まで国内で唯一13年間にわたり約66万人もの引揚者・復員兵を迎え入れました。→ https://m-hikiage-museum.jp/about-us.html


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