馬屋記ーヤギとクリの詩育日誌

つらなりのほつれfray of sequence(16)ミロの石

あられもない日常が言語化される、

泥ぬまのように。

そこまで、行きたい。そしてもう少しだけ生きたい。

それは、ミロになる。空洞化がすすむと。奪い合う。愛も、アイスクリームも。人間の定義は、石よりも頑なで、未開を加速させる。養父の愛情を導いて、あられもない日常が言語化される。愛しています、泥ぬまのように。つまり欺くことで、情がでる。情があなたをうんざりさせることで明日が来る。それはきわめて、やさしい愛の営みであり、論的的に恐怖の糸を縦横に織り上げる行為である。そこまで、行きたい。そしてもう少しだけ生きたい。そう思うことは悪いことですか?対称軸で折りたたまれるように、あなたとその夜に従いたい。そうして石を拾う。と、それは単なる石のまま。ところが空腹が進んで、ミロが石を拾うと、それがミロの触角になる。


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