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弘前読書人倶楽部

弘前読書人倶楽部のオフィシャルBlogです。
「イベント情報」などを発信します☆

プレゼント

2013年12月24日 | インポート
 今日12月24日はクリスマスイブ、プレゼントを贈ったり、いただいたりと、世の中の人達はわくわくする一日だろう。

 私にも嬉しいプレゼントがあった。会員のKさんが、図書館が開くと同時に届けてれた。
 Kさんは倶楽部の顧問関様のご親友である。前にも書いたが今日は私の誕生日、それを奥様が覚えていて下さり、わざわざ届けて下さったのだ。その心遣いに感激し、外は凍えるような寒さだが、心がホットな誕生日になった。

クリスマスローズ

2013年12月20日 | インポート
  花言葉 いたわり

          


          

 他にも、クリスマスローズにつけられた花言葉は「追憶」・「私を忘れないで」「なぐさめ」などのように、心を癒し、遠く過ぎ去った過去に思いを巡らせるような言葉がちりばめられています。
 小首を傾け、冬の寒さに耐え、やがて来る春を待ち望んでいるような可憐で、かつ気品のある姿が大好きです。

 女性のアンケート調査で「貰って嬉しいもの」の上位は花だそうです。そういえば花を贈って下さった方のことは不思議と忘れないでいます。
 親しい人や恋人に、花に込められたメッセージと共に贈ったら、喜ばれること間違いなしですよ!!

 ちなみに私の誕生日は12月24日、クリスマスローズでも届いたらきっと最高のプレゼントになるのになぁ……

田邊奈津子さんブックトーク

2013年12月17日 | インポート
いよいよ、本格的な冬がやってきた。弘前読書人倶楽部入り口のガラスのサッシの向こう側でも、雪が狂ったように舞っている。ストーブを点けても、足元から寒さが駆け上がってくる。
 そんな悪天候の中だったが、読書人倶楽部12月例会、第5回ブックトークが、無事終了した。

              御着物姿が田邊奈津子さんです。








 今日は、田邊奈津子さんに、本についてお話をしていただいた。田邊さんは、「早春の翼」という小説で、昨年の東奥文学賞大賞を受賞された。一昨年は準大賞だった。当代随一の書き手の一人である。
 以前にもこのブログに書いたが、田邊さんは、かつて、弘前文学学校で学んでいた。僕の講義にも何回か出席してくれていた。「短編小説の書き方・読み方」というテーマで、志賀直哉の「剃刀」を題材にして講義をしたことがある。最初に、「この小説を読んだことがある人?」と生徒に尋ねたら、田邊さんが、「私、家が床屋なもんで」と言って、おずおずと手を挙げたことが印象に残っている。
 今から思えば、畏れ多い話である。楽天の田中投手にピッチングの仕方を教えてようなものだ。お恥ずかしい。でも、この先彼女が、もっと大きな文学賞でもとって、華々しく中央文壇にデビューでもしたら、僕の性格からいって、あちらこちらで、「僕は昔彼女に文学を教えたことがある」と、臆面も無くい言いふらしてまわりそうだ。
 今日は、田邉さんの読書体験をお話いただいた。柳田國男の「遠野物語」「遠野物語拾遺」、ジョージ・オーウェルズの「1984年」等々。
 中でも、市井の民俗学者 田中忠三郎先生のお話には熱が入っていた。田中先生は、風土に根差した農民衣服の収集家として有名である。その土地ならではの生活を衣服を通して研究をされていた。

 今日も、実際に、青森県南部地方に伝わる”まかない”と呼ばれる民俗衣装を、田邉さんは持ってこられ、当時の生活様式について、説明をされていた。
 そういえば、文学学校時代の彼女の作品を何作か読んだことがある。どれも皆、土の匂いがした。
 今年の7月からスタートしたブックトーク、順調に年内の分は終了した。年明けから、また再開する。講師には、同じく女流作家の古山和歌子さんを予定している。詳細は、このブログでも紹介するので、どうぞお楽しみに。

~母なる神を求めて~  遠藤周作の世界展 

2013年12月13日 | インポート
  この本は1995年5月1日に発行された 

 遠藤周作は大正12年、東京に生まれた。父の転勤に従って満州大連で幼年期を過ごしたあと、十歳の時に父母の離婚により帰国。十二歳で母や兄と共にキリスト教の洗礼を受けました。そのことが、生涯にわたって人間遠藤周作と彼の文学を決定づけることになりました。 
 日本人である自分にしっくりしないキリスト教という着物をきせられてしまった彼は、一生をかけて、文学という方法で自分の身体にしっくりとする着物に仕立て直す作業をし続けたともいえましょう。また、そうして信仰の問題を深く追い続けたことは、心の問題を様々に抱える今日の日本人に大きな示唆を与えることになり、その結果、キリスト教の枠を超えて多くの人々の共感を得、国民的作家の地位を獲得するまでになりました。


 「母なるもの」の世界

 遠藤周作の書斎は、<母の胎内>を思わせた。小さく閉じられた部屋は、いつも暗く、湿り気にみちていたという。

 
    「私はその小部屋で、むかしの時計職人のように背をまげて机に向かっている。聞こえるのは置時計の細や     かな音だけだが、それは胎内できいた母の心臓音を思い出させるのかもしれぬ」(「眠れぬ夜に読む本」より


    - 関 周 蔵書より -


遠藤周作の小説 『深い河』 を読み感銘を受け、その後もいろんな作品を読んだ。心に残る作品ばかりだった。
「女の一生」では、キクのあまりの清らかさに腹さえたったが、このように純真になりたいものだとも思ったものだ。

 
 
 
  
 

 

 

「ありがとう」っていえますか

2013年12月10日 | インポート
 「小さな親切」作文コンクールより

 ぼくがうけた「小さな親切」 小学校三年生 田所 純一

「小さなしんせつ」運動といわれても、ぼくは親切をうけるばっかりでわるいなぁ、と思います。それは、一年生のときに交通事故で右足をせつだんしてしまい、まつばずえで学校にかよって、みんなに親切にされてばかりいるからです。
 ぼくの教室は二かいなので、のぼりおりがいちばんつらいのです。朝、おかあさんが二かいまでおくってくるのですが、それから下校までひとりです。そのあいだ、かいだんをのぼりおりするときは、いつも学級の友だちがまつばずえをもってくれたり、おんぶしてくれたりします。また、名前の知らない上級生の人なども、ぼくのこまっているのを見ると、たのまなくてもおんぶしてくれます。でも、ぼくが重いから、おんぶする人はほんとうにたいへんです。それは、両足がある人をおんぶするのとちがって、重心がとれなくて、まるでやじろべいのように、ふらふらするからです。おしりにあてた手がはなれたときなど、ふたりでころびそうになります。でもわるい顔などしないで、にこにこしながら、いっしょうけんめいにおぶってくれます。
 ぼくはそんなとき、ふと入院している時に読んだ野口英世の本を思いだします。あの本だと、ふじゆうになった野口英世を、みんなしていじめていました。ぼくも学校で、あんなふうにいじめられるのではいやだなあ、と思っていました。しかし、ぜんぜんはんたいだったので、ほんとうによかったと思いました。
 僕の学校は先生が親切だから、みんなも親切なんだと思います。足がなくなっちゃったことは、かなしいけれど、「親切」ということのたいせつさを、みんなに教えてもらって、ほんとうによかったとおもっています。いつか、みんなからうけた親切を、ほかの人にかえしてやろうと思っています。

       
      - 関 周 蔵書より -

 この本は平成3年2月に発行され、これを書いた田所純一さんは、現在30歳すぎぐらいにはなっているはずです。当時の思いを忘れず、一生懸命生き、そして頑張っていることを願っています。