元句 月光や耳だけとなる琵琶法師 坂本 幽弦 (陸奥新報「日々燦句」2025・8・31)
もじり句 月光や目だけは今日もいきいきと
琵琶法師というと、多くの人の頭に浮かぶのは、小泉八雲の『耳なし芳一』の物語だろうと思います。
源平最後の戦いで、安徳天皇はじめ壇の浦の藻屑と消えた平家一門の供養のた めに建てられた寺に、芳一という盲人の琵琶法師がいた。
ある夜、芳一は、高貴な屋敷へ連れていかれて、壇の浦合戦の曲を演奏させら れた。そこに居た群臣たちは涙を流して聞き入り、毎晩聞かせてほしいと依頼さ れる。芳一の毎晩出掛けるのを怪しんだ寺の人たちが後をつけると、芳一は、安 徳天皇の墓の前で雨に濡れながら琵琶をかきならしていて、周りには人魂(ひとだま)が浮い ていた。これは平家の亡霊に違いないと芳一を連れ帰り、全身に経文を書き込ん で「今夜迎えが来ても返事をしてはいけない」と芳一に言い聞かせた。
その夜迎えにきた亡霊の目に映ったのは、芳一の耳だけだった。耳にだけ経文 が書かれていなかったのである。亡霊たちは、その耳を切り取って持ち帰った。
芳一はその後も琵琶の修練に励み、耳なし芳一と呼ばれ琵琶の名人と崇(あが)められた。 実在の琵琶の奏者には、昔は目の見えない人が多かったそうで、「琵琶法師」という言葉が「琵琶を弾く盲人」を意味して使われてもいたようです。
私はここ数年、心身のあらゆる機能が急速に低下していく状況を気にもせず、のんびりと暮らしているのですが、目だけは若い時とほとんど変わりなく働いてくれています。それは、中学生の時からお世話になっている近眼鏡に加えて、読み書き専用、遠近両用、パソコン用と、4種類の眼鏡のおかげです。
視力が弱くなっても、耳が研ぎ澄まされて月の光を美しく伝えてくれるという坂本氏の俳句と、耳を失った後も、ますます精進して琵琶の名手となった耳なし芳一の物語を読んで、文明の利器に寄り掛かって安直に生きる我が身を振り返ってみたことでした。