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弘前読書人倶楽部

弘前読書人倶楽部のオフィシャルBlogです。
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弘前読書人倶楽部休館日変更のお知らせ

2013年02月22日 | インポート
  突然だが、弘前読書人倶楽部の定休日の変更を発表する。
 開設以来、読書人倶楽部は、毎週火曜日を定休日として来た。これには、深い訳などない。
 当時は、市立図書館が毎週月曜日に休んでいた。だから、本を求める市民のためにも(大袈裟だなぁ)、月曜日でない方がいいだろうと、その程度の理由である。水曜日でも、木曜日でもよかったのだが、なんとなく火曜日定休となっていた。
 ところが、以前のブログでも書いたように、今年から、市の図書館は、月曜日も開館することになった。僕も休館日減を訴えてきただけに、この英断を高く評価している。
 さて、そうなると、読書人倶楽部を、月曜日に開ける必要はなくなる。ちなみに、現在、常駐スタッフは一人。そのスタッフは、定休日以外は日曜日を休みにして、週休2日としていた。だから、今までは、日曜日に休んで、月曜日に出勤し、又火曜日に休んでいたのだ。
 まぁ、よく考えるまでもなく、どうせ週に二日を休むのであれば、飛び飛びに休むより、連続してとった方が、いろいろと自分の時間を有効に使えよう。これまで、スタッフの好意に甘えて、変則的な休日にしてきたが、この機会に、働きやすい環境を整理することにしたのだ。
 休館日を変えるといっても、大した作業でもない。表の看板の、”火”の字を”月”に書き換えるだけだ。今日、看板屋さんには発注した。〇月からということではなく、看板が直り次第、月曜休業がスタートする。実にアバウトだ。
 日曜日は、これまで通り、僕が留守番だ。日曜日に限って、いろいろなイベントや会合のお誘いを受けることが多いが、極力お断りして、読書人倶楽部に居るようにしている。居て、特段、何かをしていることでもない。来館された方と談笑して、時には(???)ワインを酌み交わすだけだ。あるいは、日曜日にあわせて、ちょっとしたイベントを行う。
 今日、初めて来館された方が、会員になってくれた。その方には、「大人の隠れ家ですよ」と紹介したが、そんな感覚で利用していただきたい。

                             読書人倶楽部代表 今泉昌一 
 

市川団十郎を偲んで

2013年02月14日 | インポート
 以前NHKで放送された「市川団十郎」の再放送をみた。女性アナウンサーが色々質問し、それに答えるような番組内容だった。その中で特に印象に残ったことが二つあった。
 一つ目は、6歳で初舞台を努めるとき、母親から「お父様に舞台に出させてくださいとお願いしなさい」と言われたという。「じゃぁ 舞台に出たかったのですか?」とアナウンサーが聞くと、「出ることは予め決まっていた。でも、父から命令されて出るのと、自分からお願いして出るのとでは心構えが全然違うという、教育方針みたいなものだったと思います。」と。
 確かに命令だと反発も出てくる。しかし、お願いしたのであれば、どんなに厳しくとも途中で投げ出すことは出来ない。厳しい伝統を受け継ぐための心構えを小さい頃より身に着けさせられていたのだ。

 二つ目は、市川家の伝統芸能をまだ伝授されていないうちに父親が亡くなり、右も左も分からなかった。でも父親が残した大切なノートがあったので喜んでノートをみたら、「花道を通って後はいつもの通り、その次も、なになにの後はいつもの通り、それの繰り返しで、肝心の教えてほしかった事は何も書かれていなかったという。そのいつもの通りが知りたかったというのに。幸い、同じ歌舞伎世界の諸先輩たちの協力を得たり、後は自分で稽古に稽古を重ねたりして、少しずつではあるが、市川家の伝統に近づけた様な気がします。」と苦笑しながら言っておられた。その一言一言が非常に重く、心のあるものに感じました。
 そういう困難を乗り越え、日本人初のパリ「オペラ座」での歌舞伎公演を成し遂げ、日本の伝統文化を世界に知らしめた偉業には深い感銘を受けました。

 自らは、辛い白血病の治療にも耐え、そして乗り越え、息子も復帰し、これからという時だけに、非常に無念だったと思う。
 中村勘三郎さんが亡くなった時もそうだが、私たち日本人にとっても本当におしい方を失ったと思う。 

 でも、私は思う、偉業を成し遂げ、名声を残し、若くして亡くなった方々というのは、私のように平平凡凡と生きている1分1秒よりも、濃厚な時を過ごし、時間を有効に使いこなしたという点では、きっと後悔など無かったと思う。

 と、私は思いたい。  合掌。

最高の笑顔

2013年02月07日 | インポート
 本日の東奥日報一面に、第二回東奥文学賞大賞を受賞した田邊奈津子さんの満面の笑みがあった。彼女は弘前読書人倶楽部の会員でもある。初めて倶楽部においでになった時、物腰が柔らかで、明るく女性的な雰囲気のある方だという印象を受けた。
 今日の新聞24面に載っていたお顔は、とても落ち着いて、余裕すら感じさせた。長年の苦労が実り、認められた喜びでいっぱいの顔だった。仕事を抱えながら、こつこつと頑張ってきたことだろうと思う。その努力に脱帽である。

 小説を読んでいて、よく思うのだが、よくもまぁ次から次へと文章が浮かび、ましてや、人間の心理描写については体験も無いのになぜわかるの?と思うことばかりだ。それもこれも、本を読んだり、いろんな方たちのお話などを聞いたりして、自分のものにしているのかなぁ?と思うが、本当はわからない。
 
 あまり難しいことは考えないで、とにもかくにも今日は、最高の笑顔の田邊奈津子さんに乾杯!

 そして、今後の田邊さんに期待するばかりである!!

あうんの呼吸

2013年01月28日 | インポート
 1月26日の東奥日報「天地人」より

 「あうんの呼吸」という言葉がある。人と人がともに何かをするとき、何も言わずとも息がピッタリ合うことを言う。 (中略) 雪道には譲り合いという、あうんの呼吸がいる。道を譲るか、譲られるか。例えば、細くなった歩道でこちらが歩いて通り過ぎるまで、立ち止まって道を譲ってくれる人もいる。ささいなことだけれど、親切な人だと思う。イライラして先を急げば、譲る気持ちも失いがちだ。譲られた親切にも気づきにくくなる。北国で生きる者同士、小さな親切、あうんの呼吸を大切にしたい。

 ここまで読んで、30数年前の光景が鮮やかによみがえった。
 母親が赤ん坊を背負い、こども二人の手をつなぎ、雪道を歩いていた時、雪で道が細くなり、すれ違うのが困難だった。当然のことながら、向こうから来たおばさんが子供たちに道を譲って待っていてくれた。渡り終えた時、男の子が「ありがとうございます」とおばさんに言った。わずか4歳の子が言ったのだ。まさに「阿吽の呼吸」なのだ。当たり前のことなのだが、その時母親は、何と賢い子なのだと自分の息子に感激した。だから30数年を経た今でも、その時の光景がはっきりと心に残っているのだ。

 自慢になるが、その子は私の長男の幼かりし頃の事である。このまま、素直に、賢く、思いやりの心がわかる子に育って欲しいと願ったものだ。

 しかし、世の中はままならぬもの、その後の息子は中学生頃から素行が悪く、高校一年の時、退学させられる一歩手前までいった。が、残す2年間、何事も無く卒業はできた。
 後で担任から聞いた話によると、その時、ある同級生が「〇〇君を退学にしないでください」と生活指導担当の教頭先生まで直訴してくれたという。このことが後の息子を大きく変え、そして導いてくれていったのだと思っている。その友達に感謝しつつ、息子もまた、友達までは裏切っていなかったのだと思ったら、とても嬉しかった。その息子も今は一児の父親である。

 今、いじめが大きな社会問題になっている。親子、夫婦、友達、同僚同士が「あうんの呼吸」を持ちあい生活していけたら、きっと、きっと楽しい日々になるだろうになぁと思う。

 そして、願っている。


 

名言集

2013年01月25日 | インポート
 「ほとんどすべての人間は、もうこれ以上アイディアを考えるのは不可能だというところまで行きつき、そこでやる気をなくしてしまう。いよいよこれからだというのに。」

 これはかの有名な、トーマス・エジソンの名言である。

 この頃、このブログを書こうにも、何を書けばいいのか何も浮かんでこない。元々大した学も無く、最近は目のせいにして、読書もあまりしなくなった。これでは書けないのも当たり前である。だから、私にはもうこれ以上無理と、自分に都合が良い方に考えた。でも、努力だけはしようと改心し、「心を前向きにしてくれる偉人たちの名言集」をひらいてみたら、この言葉があった。そうだ、私もこれからだって、思うことにしよう。
 でも、今日はこれ以上は浮かんでこない。
辛い。
ごめんなさいとしか言葉がない……。