田中角栄は〝日本列島改造論〟や〝我田引鉄〟などで内政のイメージが強い政治家だが実は外交こそが、その本領だったという話を以前に耳にして、膝を叩いた覚えがある。本書はそれを証明したかのような良書。
1971年、52歳の通産大臣は就任するや否や、8年もの長きにわたって日米関係の最大の障害であった日米繊維交渉を僅か3ヶ月で決着させてしまう。
1972年には首相として日中国交正常化を実現する。前年にニクソンの電撃的訪中が世界を驚かせたとはいえ、当のアメリカはまだ国交を結んでいない時期にである。さらにアメリカ一極支配のエネルギー供給体制に風穴を開ける資源外交を展開する。
フランスのメスメル首相とは石油の海外での共同開発から、濃縮ウランの加工をフランスに委託するところまで踏み込む。後から考えれば、これがアメリカの虎の尾を踏んだと言う。
そして英国では北海油田の開発に食い込みを図る。しかし英国から日本まで運ぶにはコストがかかり過ぎる。そこで角栄は〝石油スワップ〟という奇策を捻り出す。まず日本が石油権益を譲り受け採掘する。この石油を国際石油資本のBPに渡してBPはこれをヨーロッパでさばく。その代わりにBPがアジアに権益の持つ鉱区で採掘された石油を日本に回してもらうという壮大なプランだ。日本は石油調達ルートの多角化に道が開け、英国は北海油田の開発に日本の技術と資金を呼び込める。しかしこの妙案も情報漏洩が原因で日の目を見なかった。
モスクワでは「領土問題は解決済み」というソ連の公式見解を突き崩す。「未解決の問題に北方領土問題は含まれる」「含まれるんだな」「そうだな」と迫る角栄にブレジネフ書記長は遂にダー(イエス)と答える。
午後6時~、午後7時~、午後8時~と自分はほとんど呑まず喰わずの宴会を3回こなし10時過ぎには就寝する。が、夜中の2時には起床して役所が用意した山のような資料を読み込んで頭に叩き込むことを毎日の日課としたという。
数字には抜群に強く、人に対する気配りは尋常でなく、人間的な迫力は物凄かったという。相手がアメリカ人であろうがロシア人であろうが、こういう人間の交渉力が通じないはずが無い。むしろ国内の縁故序列が通用しない、トップの才覚力量に大きく左右される外交の場でこそ角栄はその力を発揮しえたのではないか。この一代の風雲児の毀誉褒貶は尽きることがないが、ロッキード事件でアメリカに後ろから撃たれたという説には、ある程度の信憑性を感じざるを得ない。
本書は首相秘書官の小長啓一の証言を中心に日経の記者が綴ったものだが、一気に読める。ただエピローグとその直前のエピソードは、本文がリアリスティックで面白いだけに、少々残念だ。
〈前野雅弥 著 日本経済新聞出版社 2019年〉
田中久元