弘前読書人倶楽部の創立者の関周さんは、慶応大学の学生だった頃に、岡本太郎を講演者として招いて怒らせたという武勇伝がある。岡本太郎は村上善男先生が師と仰いだ方で、我が田に水を引けば、私の師匠筋に当たると言えないことも無い。その語録である。
「危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。ほんとうはそっちに進みたいんだ。危険だから生きる意味があるんだ」
「自分だけが独占している知識、それで威張ろうなんて卑しい」
心に引っかかる言葉を掲げてみると、自分の現在の心境を映す鏡のように思えてくる。秘書であり養女の岡本敏子が「普段の生活の中で、動きまわりながら、ふと洩らす言葉」を書き留めた1冊。師の言葉を弟子が書き留めたという意味で『歎異抄』あるいは『正法眼蔵随聞記』を思い出させるものがある。
〈株式会社イースト・プレス 岡本太郎著 2003年〉
田中久元