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弘前読書人倶楽部

弘前読書人倶楽部のオフィシャルBlogです。
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一月のブックトークを終えて

2023年01月31日 | 日記
 弘前読書人倶楽部の例会。今年第一回目となるブックトークを開催した。相変わらず例年にない寒さが続く中にも拘わらず、20人近い会員が集まってくれた。  
 講師は、既報の通り、建築士で日本大学客員研究員のOさん。建築物の風環境や温熱環境の調査研究を専門としている方だ。今日も「前川建築の環境的アプローチについて」という題でお話をいただいた。
 Oさんとは、昨年の、会派議会報告会の時に、初めてお会いした。Ta議員から、「面白い研究をしている人がいて、どこかで話をする場を作ってもらえないか」と紹介された。「だったら、読書人倶楽部のブックトークに来てもらえないかな」という会話から、今回実現した次第だ。  
 始まる前までは、基本的に文系人間が多い読書人倶楽部で、極端に建築の専門的な話になったら、聴いている方がついていけるかどうかと、一抹の不安はあった。
 でも、それは杞憂に終わった。「そもそも前川國男には環境的アプローチはあったのか」という歴史的な話から始まって、昨年夏に実際に旧市立病院で調査した結果を、写真や図表を使って説明してくれた。完全文系(非理科系・非体育系)の僕でも興味深く聞けたので、他の会員もきっと楽しんでもらえたことと思う。
 ブックトークの魅力は、小一時間の講話もそうだが、終わったあとの、講師を囲んだ懇親会にある。お弁当を食べながら、適度にアルコールも入って、打ち解けた会話に花が咲く。講話の最中に挙手をして質問はできなくても、懇親会の場だと、講師の隣に行って、率直な疑問や感想を伝えることもできる。そんな和やかな雰囲気があるから、10年間にわたり100回も続けてくることができたのだと思う。 
 ん? 100回? 記録をみたら、今日が101回目だった。しまった! 去年の12月に100回記念を盛大に行えばよかった。そうだ、春になったら、誰か大物講師に来ていただいて、「100回記念特別ブックトーク」でも開催しよう。・・・とはこれからの話。
 実は、その大切な、講師を囲んでの懇親会に僕は参加できなかった。というのは、講話が終了後に、高照神社の大規模改修の運営検討委員会に駆けつけなければならなかった。今日がその正式な設立総会なのだ。津軽厚志会の一員として、更には12月議会の一般質問でこの問題を採り上げたこともあって、僕も参画するようになった。
 ブックトーク懇親会の乾杯もそこそこに、後ろ髪を引かれる思いで読書人倶楽部を後にした。ただでさえ寂しくなった後頭部が、益々薄くなったような気がする。
 

名歌・名句 と わたし 第33回 佐 藤 き む (サトウキン)

2023年01月31日 | 日記

  初暦のどかに何を繰る事ぞ   矢田 挿雲  (『日本大歳時記』講談社)

 今年もまた、あちこちから暦をいただきました。月ごとに季節の岩木山が様々の姿で映っている教え子制作の暦は、亡夫からよく見えるように仏壇の正面に、予定を書き込んだ暦は、家事主任にも見易いように台所入口の壁にと、それなりに適材適所を考慮しているのですが、一番目に触れる機会の多い居間の真ん中に掛かっているのは、写真も絵も全くなし、でっかい数字が隣りの部屋からも見えるという、縦50㎝ほどの最も実用的な大きな暦です。今の私には全然需要のないアルコール類を販売している近所の對馬酒店さんから、毎年届けてもらっています。
 この暦には、いろいろなことが記されていて、年間通してお世話になっています。 一番ありがたいのは、旧暦が毎日記載されていること。私はベッドの中から月を見るのが大好きで、旧暦の数字と天候の様子とから就寝時刻を決めています。
 そのほか「農事暦」「健康メモ」などの欄もあって便利なことが書かれているのですが、私が楽しませてもらっているのは、「日本の行事」の欄です。
 日本の伝統的な行事の何と多いことか。私がそのことに驚いたのは、退職してゆとりのできた正月に、この暦を初めてのんびりと捲(めく)っていたときでした。
 そして、その時、初めて知ったのが11月11日の「世界平和記念日」でした。調べてみたら、第一次世界大戦でドイツが降伏して戦争が終わった日だそうです。私の机の上に常時載っている、長年使い慣れて手垢の付いた1997年発行『新明解国語辞典』第5版にも、巻末の「記念日・年中行事」一覧の中に記載されていました。 その後購入した「新明解・7版」からは巻末の一覧が消滅して、私の身近にある「世界平和記念日」の文字は、手垢の付いた「新明解」と居間に掛けてある暦だけになりました。ちなみに、8月15日の終戦記念日も、9月8日のサンフランシスコ平和条約調印記念日も、我が家にある暦の範囲内では見当たりません。
 初暦をのどかに眺めているうちに、いつしか様々の思いが脳裏を巡ります。

   もじり俳句 初暦のどかに繰るも感無量

名歌・名句 と わたし 第32回 佐 藤 き む (サトウキン)

2023年01月24日 | 日記

 山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば 源宗于(みなもとのむねゆき)・朝臣(あそん)
                          (『古今集 巻六』冬)
山里では、都と違って、冬はことにさびしさがまさって感ぜられることよ。人目も遠ざかり(人の来訪もなくなり)、草も枯れてしまうと思うと。

 山里ではなく普通の住宅街に住んでいても、老人にとっては「冬ぞさびしさまさりける」です。雪の季節は、私も滑ることの恐怖感から、ここ数年閉じこもりの生活で過ごしています。加えてコロナの襲来で、ますます外出の機会がなくなり足がめっきり弱ってしまいました。すぐ向かいがスーパーなので、娘は、納豆一つでも毎日買いにいくようにしたらと言いますが、買いに出掛けるくらいなら、私は食べないほうを選びたい。もともと私は、鼻先にぶら下がった人参をねらって走る馬と同じで、はっきりした目的がない限り動かないという怠けものです。
 幸せなことに、まだ手と目の健康な私が取れる所に、常に人参をぶら下げてもらっています。例えば、このブログです。昨年6月から毎週書かせていただいて今回で32回になりました。老人の繰り言を読んでくださった方に、そして、人参を提供してくださった読書人倶楽部に、深く感謝申し上げます。
 ウクライナの人たちは、暖房のままならぬ冬をどう過ごしているのでしょうか。戦時中の冬を体験している世代として、平和のぬくもりを、この冬はひときわ温かく感じています。このぬくもりを、今年はブログのうえにも表現するよう努めたいと思ってはいるのですが……。
  もじり歌 コロナ禍の冬はさびしさまされども人目に代わる平和の日差し



名歌・名句 と わたし 第31回 佐 藤 き む (サトウキン)

2023年01月17日 | 日記

  みんな帰りしあとの冷たきかるたかな   土師 清二 
                        (『日本大歳時記』講談社)
 この俳句を目にした時、本当!全くこの通りだったと、中学校に勤めていた頃の冬休みを、懐かしく思い出しました。
 松の内は卒業生の来訪が多いので、中学生は8日以後と決めていて、冬休み後半、我が家は中学生で大賑わいでした。「百人一首」に自信のある生徒たちが大勢集まって、連日腕くらべのカルタ会が行われていました。
 1首ごとに歓声が飛び交い、年間通して我が家に最も活気が充満する期間だったのですが、それだけに生徒たちが帰った後の寂しさは格別でした。今、この俳句の「冷たきかるた」という言葉に触れて、いかにもそうだったと、がらんとした座敷と、その真ん中に残されたカルタの箱を思い出しています。
 中学校で国語を教えていた時に、国語科のカリキュラムの中に、『小倉百人一首』を入れていました。入学直後から毎月少しずつ学習を続けて、3年間でほぼ全部の歌に触れさせ、半分の50首は暗唱させたいというのが目標でした。 
 例年、1年生は、4月下旬、〈いにしへの奈良の都の八重ざくらけふ九重ににほひぬるかな 伊勢大輔〉でスタートします。ちょうど弘前は桜まつり。『小倉百人一首』に桜の歌は、咲く桜、散る桜、それぞれ3首ずつあるのですが、咲く桜の中でも、この歌が一番明るく、詠んだ時の逸話もあって楽しめる歌です。そしてまた、歴史的仮名遣いが〈いにしへ〉〈やへざくら〉〈けふ〉〈ここのへ〉〈にほひ〉と、5か所にも使われていて、古典学習の入門に好都合というのも、最初に取り上げた理由でした。最初に出会ったこの歌だけは、ほとんど全員の生徒が暗唱してくれたものでしたが、今も覚えてくれているでしょうか。
 我が家のカルタは、もう30年も本棚の隅に積まれたままです。
  もじり俳句  箱のまま棚に冷たきかるたかな