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弘前読書人倶楽部

弘前読書人倶楽部のオフィシャルBlogです。
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蔵書の紹介

2023年06月21日 | 日記

『村上善男ノート』
 田中久元 編

 村上善男(1933~2006)の生誕90年に、美術家としてというよりも、詩人として、あるいは「人生の先達」としての面にスポットを当てた書籍。
「表現者にはある種の不幸が必要なんです」
「恐山は一回行って見た方がいい。それも晩秋に、出来れば一生を伴にする人と」
「天から難病をいただき、ようやく私も真の芸術家に近づきつつあります」
等の122の語録に状況解説が添えられている。
 詩人・橡木弘が美術家・村上善男であったことは公然の秘密であった。その詩は画家の余技をはるかに超えて評価の高いものであった。『林檎蜂起』抄と『鱈景』を掲載。解説は工藤正廣と船越素子。
「村上善男遠景」田中久元と「村上善男論《対位法的迷宮論》釘打圖の変遷とその憑依」鎌田紳爾の近親の者の評論と随想の三部構成になっている。
 実は評者が初めて編集した本で、弘前読書人俱楽部へ寄贈したもの。全国の書店に並ぶのは来月7月の予定なので、ご覧になりたい方は当倶楽部までどうぞお越しください。
2023年 用美社 刊行
田中久元




名歌・名句 と わたし 第42回  佐 藤 き む (サトウキン)

2023年04月25日 | 日記

 元歌 われらとはに戦はざらんかく誓ひ干戈(かんか)はすてつ人類のため  土岐(とき) 善麿(ぜんまろ)
(『昭和萬葉集 巻七 昭和二十年~二十二年』)
    *とはに=とわに 永久に  *干戈= 干(たて)と戈(ほこ) 武器
 5月3日は「憲法記念日」です。それまでの明治憲法とは全く違う、ひらがな・口語体の新しい憲法が発表されたのが終戦翌年の1946(昭和21)年4月、半年後の10月国会で成立して、11月3日公布。翌1947年5月3日現在の日本国憲法が施行されました。その年、4月から学校教育が6・3・3の新制度に移行し、旧制の女学校に入学した私は、同じ校舎で学びながら「青森県立弘前高等女学校併設中学校」という長い校名の3年生でした。
 新憲法が施行されて間もなく、全国の中学生全員に文部省から「あたらしい憲法のはなし」というテキストが配付されました。憲法を中学生にも理解できるように、分かりやすく確かな文章で解説したもので、今も名著として憲法に関心のある人たちの間で読まれていますが、当時はあまり活用されなかったようです。私もこれを使って特に授業を受けたことがなくて、普通の夜の読書と同じように軽い気持ちで自宅で読んだだけだったのですが、近年、復刻本を購入して開いた時に、一番先に「戦争の放棄」の章のカットが目に入って「あっ、そうだ、このカットだった」と、「戦争の放棄」の章を読んだ時のことを思い出しました。戦争放棄の箇所は、特別念入りに何回か読んでいたようです。私の心の中に、「六 戦争の放棄」を中核とする「あたらしい憲法のはなし」が、ずっと生き続けてくれていたことに、その時はじめて気が付きました。
 憲法が大事にしている考えの一つに「国際平和」があります。地球全体が不穏な空気に包まれている昨今、平和憲法の誇りを維持したいと、切に願います。
 もじり歌 われら永遠(とわ)に戦(いくさ)はせずと誓いしを確かめ合おう憲法記念日


名歌・名句 と わたし 第41回 佐 藤 き む (サトウキン)

2023年04月18日 | 日記
春の海ひねもすのたりのたりかな  与謝 蕪村  (『カラー図説 日本大歳時記 春』)

 中学生の頃、授業のどこかで出会う俳句です。
 私が中学校に勤務していた時に、ほかの教科は予習してきても、私の国語の授業には、新しい教材を前もって読んで授業に臨むなどという殊勝な生徒は、ほとんどいませんでした。そのことが意外と功を奏して、授業を盛り上げてくれることも多かったのです。
 この蕪村の俳句にも、そうした思い出があるのですが、
  春の海 ひねもすの たりの たりかな
と読んだ生徒がいて、そのことがきっかけとなり、「のたりのたり」からスタートして、楽しい話し合いの中で言葉の学習の幅を広げることができました。
「のたりのたり」については、どの国語辞典も「〔波などが〕ゆるくうねるようす」といった説明のあとに、使用例として蕪村のこの俳句が載っています。〔波などが〕の〔など〕が人間の様子を表す場合だと、どんな言葉があるか考えさせたら、「ゆったり」「ゆっくり」「のんびり」などが出ました。少し間をおいて、辞書をめくっていた生徒が「のほほんと」を発見しました。漢字にすれば「悠然」「悠々」「悠々閑々」という言葉があることを見つけた生徒もいました。 
 次は「ひねもす」ですが、今の言葉に置き換えれば、普通使われているのは「朝から晩まで」と「一日じゅう」で、書き言葉に使われているのが「終日」。そこまでは教室内が割合「のたりのたり」だったのですが、昔は、同じ意味の言葉に「ひめもす」「ひもすがら」というのもあって、対義語は「よもすがら」といったというあたりから「夜もすがら物思ふころは明けやらで閨のひまさへつれなかりけり」と『小倉百人一首』の歌が飛び出すなど、教室内が次第に賑やかになりました。
 さて、「春の海」ならぬ「春の老婆」は、目下こんな状態の日々です。

 もじり俳句  春の老婆ひねもすグダラグダラかな

名歌・名句 と わたし 第40回 佐 藤 き む (サトウキン)

2023年04月11日 | 日記

 水洟(みずばな)や鼻の先だけ暮れ残る   芥川 龍之介  (『カラー図説 日本大歳時記 冬』)

 3月13日、マスクをするのもしないのも、個人の判断に委ねられることになりました。季節はちょうど春。昨年に比べて、春を迎える気分も一段とうきうきしますが、私の身体の中でコロナ禍の暮らしが一番大変だったのは、長い間マスクをかぶせられていた鼻ではなかったかと思います。
 コロナ禍の前、顔の中で一番意識にのぼる機会の少ないのが、私の場合鼻でした。
 子供の時から近眼だった私の目を、朝起きた時から遠近両用の眼鏡が助けてくれますし、読み書きの時は老眼鏡が、パソコンの時はパソコン専用の眼鏡が、それぞれ助けてくれて、90歳の今も全く不自由ありません。わずか数本しか残っていない歯も、入歯のおかげで食べるのも話すのも一応無事です。耳も遠くはなっていますが、テレビの音量を大きくすれば好きな番組を楽しめます。それぞれ文明の利器に支えられて生きてきたわけですが、鼻だけは自力で間に合って、ついつい鼻の存在を忘れることが多かったようです。
 それが、マスクのおかげで呼吸がやたらに気になって、鼻を意識するようになりました。そして、『鼻』という小説を書いた芥川龍之介に鼻のことを詠んだ俳句もあったはずと、昔どこかで見たのをふと思い出して歳時記を開いてみました。そして見つけたのが、「水洟や」の句です。夕暮れの寒さの中で水洟が出て、そのために鼻先だけが無暗に気になる。その気持ちを、あたりは暗いのに鼻先だけが暮れ残っていると表現したのだろうと思います。マスクから解放されて喜んでいる私の鼻とは全く違って、季語は「洟水」、季節も「冬」でした。

 もじり俳句  マスク取れて鼻の先まで春が来た

名歌・名句 と わたし 第38回 佐 藤 き む (サトウキン)

2023年03月15日 | 日記
 
元歌 重臣閣僚殺戮(さつりく)されしと知れながら一行(いちぎょう)も触れぬ新聞をつくる  亀山(かめやま) 美明(みめい)
        (『昭和萬葉集 巻三 昭和九年~十一年』)

「重臣閣僚殺戮されし」というのは、〈1936(昭和11)年2月26日、陸軍の皇道派青年将校らが、国家改造・統制派打倒を目指し、約1,400名の部隊を率いて首相官邸などを襲撃したクーデター事件〉(『広辞苑』より)のことです。
「皇道派」というのは、天皇中心の国体至上主義を信奉する陸軍内の派閥で、「統制派」は、それと対立して、財閥・官僚と結んで軍部勢力の総力戦体制を目指し軍部内の統制を主張しました。
 この年2月、東京は雪が多く、この日も雪でした。雪の中の未明、皇道派率いる部隊は、首相官邸その他を襲撃、千代田区の当時建設中だった国会議事堂付近から首相官邸・警視庁など永田町一帯を占拠しましたが、28日戒厳令が発せられ、クーデターは鎮圧されました。旧憲法のもとには、戦時・事変に際し、立法・行政・司法の事務の全部または一部を軍の機関に委ねるという法令があり、戒厳令と言われたこの法令の適用で皇道派は消滅し、二・二六事件以後は統制派が軍部の主導権を握りました。元歌の作者は、当時毎日新聞に勤務していました。新聞もラジオも報道が厳しく規制されていたようです。
 事件のあった日から87年。今年の2月26日の私の目に触れた新聞の範囲には、規制されたわけではないのでしょうが、この昭和の大きな事件に触れた記事はありませんでした。東奥日報の「きょうの歴史」の欄には、「岡本太郎生まれる」と、大阪万博のシンボル「太陽の塔」の考案者の記事が載っていました。

もじり歌 重臣閣僚殺戮(さつりく)されし二・二六事件 知る人少なし昭和の史実