蕩減の真の意味

「償い」ではなく「赦し」

[資料] 「赦し」のキリスト教的英訳

2024年02月14日 | 資料

【1】新共同訳聖書辞典

赦し Forgiveness

旧約で「赦す」と訳されたヘブライ語「サーラハ」は、最も深い神学的な意味を持っており、この語は、神が民の罪を赦す場合についてのみ用いられている(出34:9、詩103:3、エレ31:34 他)。旧約では「赦し」は人間の美徳としてはあまり説かれていない。「目には目を」という同害報復法が規定され(出21:24)、血の復讐が近親者の義務とされていた社会状勢にとどまっていたからである。

そのような中でも、レビ記19:18以下は同胞イスラエルを赦すべことを暗黙に教えており、ヨセフが兄弟たちを赦した物語(創45章)が、模範として記されている。神は、常にそのように描かれているわけではないが(申29:20、ヨシュ24:19、王下24:4、エレ5:71)、罪を赦される方として描かれている(出34:7、ネヘ9:17、詩86:5、103:3、130:4、イザ55:7、エレ31:34、ダニ9:9、ミカ7:16~)。罪の赦しの前提条件は、悔い改めである(サム下12:13、王上8:35~、50、代下7:14、エレ36:3)。

新約では、主イエスは他を赦す義務を教えておられるが、それは神によって罪を赦されたという条件と密接に関連させられている(マタ6:15~、ルカ6:37、マコ11:25とコロ3:13を比較参照)。を赦すということは無制限の赦しでなくてはならない(マタ18:21~)。主イエスは御自身を十字架につける人々のために、罪の赦しを祈られた(ルカ23:34)。悔い改めと罪の告白とは、すでに洗礼者ヨハネが宣べ伝えたように(マコ1:4)、罪の赦される条件である(ルカ24:47、使2:38、一ヨハ1:9)。

しかし、聖霊を冒涜する罪は赦されない罪とされている。主イエスは罪を赦す権威を持っておられ(マコ2:10)、主の血は、罪の赦しのために流された(マタ26:28)。初代教会は主イエスによる罪の赦しの福音(使5:31、13:38、コロ1:14)、特に主の十字架の血による罪の赦しを宣べ伝えた(ロマ3:25、エフェ1:7とヘブル9:22を比較参照)。

 

【2】現代カトリック事典

(1)罪の赦し remission of sin

罪が現実に真に赦されること。大罪が赦された場合、その大罪に付随する永遠の罰は赦されるが、有限の罰は残る。小罪が赦された場合、罪責は取り除かれ、神の恩恵が与えられ、有限の罰は除かれる。


(2)罪の赦し absolution

悔悛の秘跡において、資格と必要な裁治権をもった司祭が、罪とその罪に対する罰を赦す行為。第二バチカン公会議以降の定められた罪の赦しのための定式文は次の通りである。「恵の父なる神は、御子の死と復活を通してこの世を神と和解させ、罪の赦しのために聖霊をこの世に送ってくださった。教会の勤めを通して神があなたに罪の赦しと平安を与えてくださいますように。私は父と子と聖霊の名によってあなたの罪を赦します」。

これに対して告白者は「アーメン」と応える。この定式文において不可欠な語句は「私はあなたの罪を赦す」である。何世紀にもわたって、教会は罪の赦しのために嘆願形式を使ってきた。たとえば「神があなたの罪を赦して下さるように」という形式である。しかし、この形式は、実際の意味においては宣言形式であった。このことは、罪の赦しを与える司祭が、自分の断定的判断を表現するために仮定法を使っていたが、実際に罪を赦す裁判官とみなされていたという古くからの伝統が明らかである。

(語源はラテン語のabsolvere「~から解放する、~を赦す、~を赦免する」)。


(3)赦し forgiveness

罪の赦し、容赦。カトリック教会は赦された罪はその人から実際に取り除かれると信じる(ヨハネ20章)。それはただ単にキリストの功績によっておおわれるだけではない。神だけが罪を赦すことができる。神だけが、大罪を犯しそれによって恩恵の状態を失った人に成聖の恩恵を再び与えることができるからである。神は、完全な痛悔によって心から罪を悔いている者には直接に、あるいは秘跡をとおして間接に、罪を赦す。一義的に罪の赦しのための秘跡は洗礼と悔悛であり、二義的には、ある条件のもとに、塗油の秘跡である。

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           【INDEX】

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