夢追人でありたい・・・自分だけの『深いい話』

2009-03-12 12:50:10 | Weblog
今日、本当にご無沙汰してしまっている演出家の池の本さんら手紙をいただいた。
中を開けてみると便箋と写真が。 文を読むにつれ懐かしさと感動が蘇って来た。
今日は少し長くなりますがお付き合いください。

1993年、5月15日、Jリーグが発足しグランドオープニングセレモニーが国立競技場で行なわれた。この記念すべき日のセレモニーイベントを総合演出したのが池の本さんなのです。皆さんも記憶のどこかにこのセレモニーの映像が残っている人も少なくないはずです。私が担当したのはセレモニー最後にバックスタンド前に設置された地球儀からJリーグのキャラクターが登場して来るという場面でした、もちろんバルーンです。当時を思い出しながらこんな裏話でも。このセレモニーの演出依頼が池の本さんのところに来たのがなんと!本番一ヶ月前、通常では考えられない制作依頼期間です。実は博報堂が頭を取ってこのプロジェクトが進んでいたのですが、川淵チェアマンの最後のダメ出しで、『こんなセレモニーではつまらない』と、やり直しを命じたのです。そこで急遽抜擢された演出家、池の本さんに話が来たという訳です。歴史に残る世紀のイベントであるこのセレモニーを一ヶ月で作れという無理な話を池の本さんは自分のブレーン10社に緊急召集をかけミーティングが行なわれた。池の本さんは目をつむり、俺がイメージする演出の流れを話して行く、こんな事も変だが、各専門分野の出来る事をどんどん言葉で盛り込んでくれ!と演出のイメージを話し出す。照明会社が、特殊効果の会社が、出来る事をどんどん告げていく。ピッチのゴール裏には巨大なJリーグのキャラクター「サッカーキング」がそびえ立ち、あ~~ちょっと待ってください、池の本さん、と私が口を挟む。

ただ、立っているだけですか?

・・・・何か出来るか?大曽根。

キャラクターのバルーンは1体でもバックスタンドのセンターに置いて、それも初めは地球儀しか無く、そのなかからむくむく立ち上がって最後にはキャラクターの指が天をさし、その先から、ハイビームのレーザーで天まで光線を飛ばす。

どうですか?

あのね~大曽根、そんな事、出来るのかよ!? 時間もないんだぞ! 

そしてミーティングが終わり池の本さんは私を呼んだ。

お前の今日の話、自分の中で自信度何%だ?

・・・・70%です。 

ん~~、70%か~、失敗したら一緒に心中だな。(笑)

明日、川淵チェアマンに俺はこの内容を話して来る。気に入ってもらったら明日にでも連絡するから。 内心、今日のミーティングは異常な雰囲気、雰囲気に飲み込まれてしまって、ついつい発言してしまった感もあった。けど、決まったら後には引けない、男、34才の決断でした。その後、池の本さんの演出プランがJリーグの川淵チェアマンに気に入ってもらえ、一ヶ月を切るタイトな時間の中、各社の制作が動き出した。間に合うか、間に合わないか、本番日が迫る中、最後には4日間一睡もしない連続徹夜で何とか完成、本番の日を迎えた。当日、国立競技場には5万5千人の観客、セレモニー前なのに異常な盛り上がりだった。グランドレベルにいた私たちスタッフはこの歓声が競技場内で渦を巻いているかのような妙な音にも聞こえた。バックスタンドチームは大曽根が各社をまとめ隊長となれとの指示で演出卓からのインカムをかぶる。

本番5分前

演出卓の池の本さんから連絡が入る。各チーム準備はどうですか?予定通りオンタイムでスタートします。

バックスタンドの大曽根君、どう?大丈夫?

・・・池さん、いまさら大丈夫?と言われても大丈夫、万全ですよ!と返す。

そして、オンタイム、競技場の照明が落とされた。観客の歓声は歓声を超えた悲鳴に変わった。曲が流れはじめ、客席には巨大フラッグが、ピッチ上ではチューブの春畑がギターを引く、会場の上空を照らす数十本のスカイトラッカー光の柱(サーチライトです)そして刻々と秒針は刻まれフィナーレの時間が迫って来る。

大曽根、後2分でバックスタンドだぞ!と池の本さんから。

了解です。  (この時点で心臓はドキドキ、バクバクを通り超してたぶん止まっていたでしょうね)

そして会場に流れる曲が変わりいよいよクライマックスのその時は来た!地球儀下から吹出すスモーク、地球儀は心臓の鼓動を表現するような明かりの作り込み。そしてキャラクターがむくむく顔を出し始める。もうここまで来たらなるようにしかならない。一瞬の出来事だったが見事立ち上がりキャラクターの指先からはレーザービームが天を突き刺していた。



大成功!回りのスタッフが私に駆け寄って来るので抱き合ってこの瞬間を喜んだ。14分にまとめられたオープニングセレモニーもパーフェクトに終わる事が出来た。このJリーグの発足という記念すべきセレモニーに携われた事は今でも忘れられない。

70%の自分の自信で何故やったのか?それは、まだ誰もやった事がないと言う事。
これも一つは自分への挑戦であった事は事実です。
こんな私の性格を読み、こんな大きなステージに採用してくれた池の本さん。
池の本さんのバルーンへのこだわり、要求はいつも異次元レベル。
いつも背伸びをしながらそれに答えようと頑張る気持ちがあったからこそ今の自分があると思う。
池の本さんの手紙の中に「過去を懐かしむ年寄りにはなりたくない、現在から未来に向けての夢を語りたいですね」
とあります。私も同じ、いくつになっても夢追人でありたい。

そして、今日の書込みの最初に戻ります。
いただいたお手紙ですが私のブログであるからこそ、ここに載せます。日記の1ページとして。




1993年 5月15日 セレモニー終了後に池の本さんと堅い握手を。34才の時でした。