>>そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来られ、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。
そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。
そして、天から声がした。
「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」
(マルコの福音書、第1章9~11節)
かなり昔、新聞で第二次世界大戦中、ヨーロッパのある公園で鳩が一羽もいなくなったことがあった……という記事を読んだことがあります。
つまり、戦争で食糧難となり、公園の鳩をみんな食べてしまったということなんですよね(^^;)
その後、戦争が終わり、再び公園がたくさんの鳩で満たされると――今度は鳩のフンとか、そうしたたくさんいすぎることの問題が生じたにしても、それは鳩が本当の意味で<平和の象徴>となったということでもある……といった、そうした記事だったと思います。
イギリス、あるいはヨーロッパのどこかの国の公園だったように記憶してるんですけど、名前をど忘れしちゃってたり(^^;)
ただ、戦争中はおそらく、そこの公園だけでなくどこの国でも事情は同じだったんじゃないかな……と思ったりもします。
以来、公園で鳩を見るたびにこのお話を思いだすのですが、と同時にキリスト教では聖霊を鳩として表現しています。絵画などでもよく聖霊さまが鳩として描かれているので、聖霊=鳩と思う方も多いかもしれません。
けれども、>>鳩のようにお下りになった(マルコの福音書、第1章10節)ということなので、聖霊さまが鳩そのものであるとか、鳩として常に現出されるといったようなことではないんですよね(^^;)
他に、イエスさまのお言葉に、
>>蛇のようにさとく、鳩のようなすなおでありなさい。
(マタイの福音書、第10章16節)
という箇所がありますが、これはちょっと相反する言葉で実践するのが難しいことであるように感じられます。
現代風に言うとしたら、<この世>に対応する、この世でうまく世渡りするには蛇のように賢く知恵を発揮して行動する必要があり、また、それと同時に信仰的な神さまに関することでは常に心を柔らかくし、素直でありなさいといったところでしょうか。
他に、ソロモンの雅歌に、
>>ああ、わが愛する者。
あなたはなんと美しいことよ。
なんと美しいことよ。
あなたの目は、顔おおいのうしろで鳩のようだ。
(ソロモンの雅歌、第4章1節)
といった表現もありますし、創世記のノアの箱舟の箇所では、大洪水で水が引いた時、ノアの放った鳩がオリーブの若葉をくわえて戻ってくる箇所があります。
>>それからなお七日待って、再び鳩を箱舟から放った。
鳩は夕方になって、彼のもとに帰って来た。すると見よ。むしり取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるではないか。それで、ノアは水が地から引いたのを知った。
(創世記、第8章10~11節)
なんとなく、漠然としたイメージとして、鳩がオリーブ、あるいは何かの緑の若葉をくわえているイラストなどをどこかで見たことがないでしょうか。
そこから、鳩=平和の象徴、そして鳩が緑の若葉をくわえている絵には<希望>といったメッセージがある気がします。
これからもどうか、世界が平和で、希望に満ちたものでありますように。。。
それではまた~!!
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