祈りを、うたにこめて

祈りうた(ウクライナ  平和を!「ご訪問ありがとうございます」)

ご訪問ありがとうございます。

 

ロシアによるウクライナ侵略に対し、一か月余り投稿をしてきました。私の考えた反戦の行動のつもりです。「一人デモ」とひそかに思いながら。

ここにまとめたものは、「あとがき」の形で書いたものです。時系列で並べました。どのような状況になるか分からないまま祈り続けてきました。

まだ、光は見えません。むしろ、闇がひろがり深まってさえいるようです。けれど、あきらめずに平和を求め続けたいと思います。

 

(2月21日)
戦争の脅威が伝わってきています。これは、よその国のことではありません。人間のかなしみ、いきどおり、不安、などなど、感情が入り乱れます。
このまま戦火が起こらないことを祈り続けています。
今こそ声を出したいと思います。

(2月23日)
原爆は私の大きなテーマの一つです。俳句の形で、川柳の形で、随筆の形で探りもとめ続けています。この世界から1発の原爆も無くなる日を祈りつつ。
ロシアによるウクライナ侵攻の報道が現実味を帯びてきました。危機感を強めています。
ひとりの為政者の愚かさが、多くのひとの命と暮らしを脅かそうとしています。この禍(わざわ)いが、拡大しないこと、そして収まることを祈ります。

(2月24日)*この日、ロシアの侵略が始まってしまいました。
ロシアの軍隊がウクライナへ向けて動き始めたというニュースが報じられています。事実は分かりませんが、この数日、不穏な時間が刻まれています。
ひとりの愚かな指示命令で、若者たちの命が犠牲にならないこと、大勢の国民が難民となってしまわないことを!

(2月26日)
戦争映画を見せられているような、おぞましい侵略が起こってしまいました。悪人は悪いことをたくらむ、という聖書の言葉を思い出しながら、憤りがわきつづけます。「平和を!」と叫び、祈ります。

(2月27日)
ロシアの侵攻が止まりません。けれど、世界の各地で、「ノー!」と叫ぶ声があがっています。自由は暴力に勝てると信じて。
わたしも、か細い声をあげたいと思います。目を天に向けて。
御霊(みたま)も……弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
                   (新約聖書「ローマ人への手紙」8章26節)

(2月28日)
停戦のための会談が始まったというニュースが流れました。困難な会談になるかもしれませんが、わたしも祈りで強く支援したいと思います。

(3月1日)
たくさんの方々が、ロシア・プーチン大統領の暴挙に対して発言されています。このgooブログだけでも、大きな反戦の声になると思います。「ひとりより ふたり」、「ふたりより さんにん」のその声が集まれば、一人ひとりの声はか細くても、きっと大きく強い「声」になると信じます。

わが神。どうか私が恥を見ないようにしてください。私の敵が私に勝ち誇らないようにしてください。(旧約聖書「詩篇」25篇2節。「私」を「ウクライナ国民」とも「わたしたち」とも置き換えて読みました)

(3月4日)
国民の犠牲が増え続けています。むごいことです。プーチン大統領の心が壊れているのではと思う気持ちが湧きます。祈り続けたいと思います。

峠三吉の別の詩に、このような叫びがあります。私自身の声でもあります。

  何故こんな目に遭わねばならぬのか
  なぜこんなめにあわねばならぬのか
  何の為に
  なんのために
    (峠三吉「仮繃帯所にて」より、青空文庫)
         *青空文庫は、インターネットで読める無料の文庫です。
(3月5日)
 この2年あまり、「みえない敵」であるコロナウイルスに責められ続けてきました。疲れ切った世界に、今度は「みえる敵」が立ち現れました。なんというおぞましさでしょう!
 ロシアの国内外から「戦争やめろ!」の声が上がっています。兵士たちからも上がることを、願っています。特にこども、お年寄り、障がいのあるひとたち、そのひとたちに手をかける者たちの荒れた心を、優しいこころで上書きしてくださいと、祈り続けています。
「荒れた風」が消える事、それを切望しています。

(3月6日)
毎日、重い心で床につき、重いこころで目覚めます。けれど、ロシア国内の反戦の動きが高まってきていることに期待を寄せてもいます。
こころをいためている人たちとの祈りの鎖ができることを願います。


わたしのこころと

あなたのこころと
よりあわさって
いのりの
いっぽんの糸と
なりますように

(3月4日)
しあわせを求めて暮らしてきたその生活を、一人の暴力が壊し続けています。
gooブログでの「ノー」と叫ぶ声が増してきています。
希望をもち、あきらめないで祈ろうと思います。

(3月7日)
 信頼の鎖 
んらいの鎖には 怖れを超える力がある
いを圧(お)しころせる暴力などないのだ
たしの手は君の手を握る 君の手は私の手を握り返す
かいの平和への鎖 それはきっと天へつながる

(3月8日)
わたしの所属する教会で、牧師が「平和のために祈りましょう」と呼びかけています。教会員の一人ひとりが、その呼びかけに応えています。貧しい者の、か細い祈りでも、きっと天に届くと信じています。

(3月9日)
 ヨーロッパの国の戦争が、世界中のいたみになっています。戦場の様子、避難するひとたちの様子が、生々しく伝えられています。特に子どもと老人の様子は、胸に迫ります。よそごと・ひとごとなどではありません。
 ただ、障がいのあるひとたちのことがあまり報道されていない気がします。地下や列車のなかでどうしているのでしょうか。とても気になります。

(3月10日)
避難するひとたちのコロナへの感染も気がかりです。いちどきに襲い掛かって来た不幸のように見えて、心がほんとうに苦しくなります。
けれど諦めません。諦めたら、そこでおしまいになってしまうからです。

(3月11日)
今日は3月11日、東日本大震災11年の日です。当事者の方々にとって、つらい一日であるかもしれません。
報道が減ってきました。けれど、忘れたくありません。覚え続けていようと思います。

(3月12日)
ロシアの暴挙に対して、祈る毎日です。想像を超えたような悪がはびこっています。神さま、何とかしてください、時を延ばさず、平和の世へ戻してください、と。

(3月13日)
この出来事は、わたしが高校生の時にでくわしたことです。ロシアの暴挙(もう「侵略」と呼ぶべきでしょうか)を前にして、記憶から呼び戻されました。
他者の心・時間・持ち物、そして住まいや命など、平気な顔をして奪い取ろうとする行為を良しとはできません。
平和を求める祈りの輪が広がることをこころから願います。

 かみさまといっしょに

 ひとりより
ふたりがいい

ふたりより
さんにんがいい

さんにんのまんなかに
かみさまがいてくださったら
もっといい

かみさまといっしょに
みんなでいのりあえたら
もっともっと いい

(3月14日)
 2月26日に「死んだラザロのバラード」という詩を投稿しました。「もどって きて/家族は叫ぶ/戦場で」と書きました。いま、この叫び・嘆きが、兵士の家族の声と重なります。兵士だけでなく、ロシア軍に殺されたウクライナ市民の、その遺族の声とも。
 胸が苦しくなる日々が続いています。

(3月15日)
 ロシア軍の犠牲者、ウクライナ軍の犠牲者、ウクライナ市民の犠牲者、なんという数にのぼるでしょう。悪は正義に勝てないと、プーチン大統領にはっきり分かるまで。
 「ウクライナ」というカテゴリーでの投稿が、20を超えました。わたしの、ほんとうにささやかな抗議です。
 ウクライナ国民に、日常の「行ってらっしゃい、気をつけて」「ただいま」「おかえりなさい」が、どうかどうか早くもどりますように。

(3月16日)
 いくつもの国々に避難したウクライナ国民、国内にとどまっているウクライナ国民、そのつらさをテレビの画面越しでしか知るすべがありません。
 また、多数の死者となったロシア兵やウクライナ兵のことは、もっと分かりません。
 町が壊され、家族が引き裂かれるこの厳しさ、傷を負い、命さえ奪われるこのむごさ、早くはやく終わることを!

(3月17日)
うつくしい国旗が血で染まっています。
停戦の声も聞かれています。それが実現することを祈っています。

(3月18日)
 ウクライナ兵士のことばをニュースでききました。心の気高さ・こころの優しさにうたれました。
 他国へ避難するウクライナ国民。そのなかの一人の親が、我が子に、「電車を乗り継いでいくゲームをしているんだよ」と説明したそうです。「『戦争』で逃げるとは言いません」と。子どもの心を守ろうとするつよさにうたれました。

(3月20日)
 日本に住むウクライナ人が、このような状況だからこそポジティブに考える、希望をもって考える、というようなことを言っていました。
 もし言葉に力があるとすれば、このような状況だからこそ希望を描くことだと、その人から教えられた気がします。あきらめずに、しんぼうづよく。

(3月21日)
 子どもたち、老人、障がいのある人など、弱いひとびとに銃を向ける人間がいることを、いまわたしは知らされています。穴に投げられていく市民の遺体、それも知らされます。
 アウシュビッツで行ったヒトラーの残虐行為を重ねます。
 一方、独裁者・暴虐者の末路がどのようなものであったか、それも調べています。悪の歴史はくりかえされているように見えますが、それが皆あわれな最期に終わったことも、また反復されているようです。

(3月22日)
 ウクライナの看護師の女性が、「五日ほど病院に泊まり込んで働いています。これは私の任務です」ーそんなことを淡々と語っていました。
 一人ひとり何ができるか、何をするか、私にも迫ってくることばです。

(3月23日)
3月23日、ロシアの侵略が始まって1ヶ月になります。市民の犠牲者が増すばかりです。早くはやくこの侵略が終わりますように。

(3月24日)
 2022年3月23日、ウクライナのゼレンスキー大統領の国会演説が行われました。12分間の中で語られたことばは深いものだと思いました。優しい温かい心が、日本への感謝のことばとなって伝えられたと受け止めました。一方、不屈の闘志も、助けてほしいという悲痛な思いも、淡々としたことばから伝わってきたのです。
 私は約一か月、ウクライナをテーマにして投稿してきました。「命」と「平和」が、ずっと続いてきた中心的な思いです。
 ロシアの侵略はまだ止みません。それどころか、核兵器の使用を口にさえしています。人の心のすさみかたにやりきれない気持ちです。
 けれど、「復興」への視点をもった大統領のことばも、私は聞きました。希望のことばだと思いました。困難のなかにあって、いえ、だからこそ次の時間を見ていく志が要るのだろうと思いました。
 今回、「生ましめんかな」の詩を通じて考えたこと、それは「復興」であり、「希望」です。

  生ましめんかな  栗原貞子

  こわれたビルデングの地下室の夜だった。
  原子爆弾の負傷者たちは
  ローソク一本ない暗い地下室を
  うずめて、いっぱいだった。
  生ぐさい血の臭い、死臭。
  汗くさい人いきれ、うめきごえ。
  その中から不思議な声がきこえて来た。
  「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
  この地獄の底のような地下室で
  今、若い女が産気づいているのだ。
  マッチ一本ないくらがりで
  どうしたらいいのだろう
  人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
  と、「私が産婆です。わたしが生ませましょう」
  と言ったのは
  さっきまでうめいていた重傷者だ。
  かくてくらがりの地獄の底で
  新しい生命は生まれた。
  かくてあかつきを待たず産婆は
  血まみれのまま死んだ。
  生ましめんかな
  生ましめんかな
  己が命捨つとも


(3月25日)
 文中、詩のような形のものは私があらすじをまとめたものです。本も、ひらがなで書かれた短文からできていますが、その短文は名訳だと思います。愛情と切なさとが伝わってきます。
 今回あらためてこの本を読み、まさに「青と黄色の国」その国に起きている悲劇を思いました。この本自体は悲劇を書いたものではなく、ハッピーエンドで終わるのですが、今読むわたしに、「切なさ」「なみだ」がひびいてきたのです。

(3月26日)
小川未明は、児童文学作家です。けれど、このような辛い作品も書いています。詩でも、子どもの傷を描いています。戦争の悲惨さが伝わってきます。
避難する方々の思いをほんの少しでも想像しようと、自分に言い聞かせています。

 戦争はぼくをおとなにした(抜粋) 小川未明

「戦争が悪いのだ!」
 かれの口から、しぜんに、この言葉が、ついて出ました。かれは、空想にふけりながらあちこちと、道を曲がって歩くうち、いつしか電車の通る、幅の広い路へ出たのでありました。
 あの夜、ここを通ったのだ、かれは、逃げた日のことを思い出しました。小さな弟を負っている母に手をひかれて、燃え狂う、火に追われながら、この道を、通ったのでした。
 やはり、町から郊外へのがれる、人々の群れとまじって、逃げたのでした。
「もう、ここまでくれば、だいじょうぶだ。」
 小高い丘のようなところへたどりつくと、みんなは、こういって休みました。
 一方では、火のむちで打たれて、狂うように、烈しい風が、暗く、青ざめた、夜の空を苦しそうな叫びをあげて、吹いていました。風は、すこしの間、一息いれると、その後は、かえって、すさまじい勢力をあらわしました。そのたびに、たんぼのむぎや、まわりにしげる木立の枝が、いまにもちぎれて、闇の中へさらわれそうにみもだえしたのです。焼けくずれる町では、花火のごとく、火の粉が高く舞い上がり、ぴかりぴかりとして、凱歌(がいか)を上げるごとく、ほこらしげにおどっていました。
 人々は、あちらの木の下に、一かたまり、こちらのやぶ蔭に、一かたまり、いずれも押しだまって、ただ目だけを、赤く焼ける町の方へ向けて、おそろしいありさまを見守っていました。そのうちひとりが、ちがったところを指すと、みんなが、その方を向きました。へびの舌のように、紅い炎が、ちろちろと、黒い建物の間から、上がりはじめたばかりです。
 と思ううち、見る見るすそをひろげて、一方の火と合し、たちまち、あたりは火の海となってしまいました。
「もう、さっきから、どれほど焼けたろう。」
「さぞ、人がたくさん死んだろうな。」
 こんな話し声がきこえました。清吉は、いくらがまんしても、からだがふるえて、ぞくぞく寒けがしました。かれは、こんないくじのないことでどうしようと、自分をはげましました。

 

●ご訪問ありがとうございます。
 約一カ月の「あとがき」をまとめて、読み返しました。諦めるなと、自分に言い聞かせてきたようです。神さまを仰ぎながら。

 ウクライナだけでなく、ミャンマーでの非道も報じられています。ほかに知らない暴虐が、この世に起こっているのでしょう。
 けれど、希望を失いません。祈り続けます。

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