ちまたでは応援ソングが流行ったり、応援すること、されることに関する日常的な言説は今さら言うまでもなく数多ある。震災の被災者を応援する言説、五輪で先週たちを応援したり、逆に彼らの活躍に勇気づけられたり、等々。これらはもちろん、善意の表現、自己成長への願望として至極まっとうなものではある。
その一方で同情が少ないと言うのはどの場面で見られるか。1つは隣近所との付き合いが薄れていること。今の時代、お互いのプライバシーが重要と言うことになっているが、テレビの中の被災者やスポーツ選手に共感しておきながら、近所の人たちの日常にほとんど共感しない現実はなんとも奇異だ。
あるいは学校でのいじめ。いじめる側はいじめられる子を「いじられキャラ」と言う呼び方をして偽善的な共感を演出するが、その中身は冷酷極まりない。
今の時代、応援する対象は、応援されるにふさわしい“キャラ”が成立して初めて応援する、されるの関係ができるのではないだろうか。そこには何か本質からはずれた条件が存在するのではないか。
とりあえず、私は自分より貧しい人や不幸な人に同情したり共感したりする。逆に、スポーツ選手のようなヒーロー、ヒロインには、遠い存在として共感はあまりしない。多くの人たちにはホームレスのような人々は自分とは違う人種で共感の輪の外側にいて、むしろ自分たちの視界から排除したいと考える訳だが、僕にとってはオリンピックでメダルを取るような聖人君子のような人よりよっぽど自分の共感の輪の中にいる。これを単なる考え方の違いくらいで片付けられるのであれば良いが、日本全体に蔓延する閉塞感がどこから来ているのが、この記事を読んでいる方1人ひとりで考えてもらいたくて、あえて書いてみる(押し付けがましいと言うなかれ、遊びや趣味の話題ではなく、世の中を良くするための個々人の振舞いについて訴えているのだ)。
それなりに齢を重ねた方にお聞きしたい、昭和枯れすすきがヒットし、女にフラれて毎晩酒に溺れるような歌詞の演歌が当たり前のようにヒットしていた時代、あなたは誰に共感したり同情したりしていましたか?その頃は今より女々しくまた不幸でしたか?
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