いろいろとやることはあれど、どうしても(面白いから)宝探しがやめられぬ~(^人^)
今日は杉並木からちょっとはずれて今市宿↓まず報徳さんのニ宮神社へ。

資料によればこの近辺に首の無い「蔵助地蔵」というのがあるはず。どこだどこだ~!参道から境内くまなく行ったり来たり首を突っ込んでみるが、それらしいのはどこにも無い。
たまたま神社から関係者らしいおじさんが出てきたので訊いてみるが・・「オレもよく知らんが、そういえば向うの方に古い墓地があるけど、そこかも」
ということで↓行ってみたら大当たり~


参道入口左側にある、首の欠けたお地蔵さまは、戦国時代の大工「蔵助」が建てたものです。移動のため掘り起こしたら、旧今市村に残存する地蔵菩薩の中で、最古(1557年作)であることが判明したという↓貴重なお地蔵さんでした。



まぁこんな感じで目立たない道路際にね↑東武日光線下今市駅の目と鼻の先でありました、灯台元暗し(笑)

雨しとど打つや紫陽花まどかなり 空見屋 (ポスト 並)
それにしても、古いお宝が人知れず存在することが凄いと思います。
地元のおじさんらしき人までが大した関心もない風なのに驚きました。
「蔵助地蔵」で検索すると簡単な説明がありました。
これほどのものを簡単に扱うところが流石の「日光市」です。
札幌で見つければ大変な騒ぎになると思います。
このお地蔵は土に埋まっていたらしいんですね、それを掘り起こしたら文字が見えた、とか。
日光では首が無いとか、腕が無いとか、そんな地蔵はけっこう多いです。
春に小百の旧家の庭に見た、首fだけのお地蔵と、この首の無い蔵助さんがワタシの頭の中で結びつきました。ホンのいい加減なイメージですけど(汗)
関心がないといえばです、先日の植栽以前の「大沢の古杉」ですが、近くに住んでいる人も案外知らないらしいんですね。PPさんが日光を歩いたら、そこら古いものばかりですから、きっとクラクラしますよ(笑)
建物が何時代のものか、というのはよく出てきますが、石仏が何時代のものか、という情報はあまり記されていないので注目していませんでした。
木彫りや銅の仏像なら、ずいぶんと古いものがあるのに、石仏というのは名も知れぬ作者のものが多いから、でしょうかね。
石仏とか、まったく知らないんですが、日光では最古だよといわれると、へ~!となります。
四国とか奈良、京都、鎌倉あたりなら普通に見られるんでしょうが、このお地蔵は長く土に埋まっていたというし、なにやら珍しいと思いました。
ごめんなさい。こういう理屈っぽいコメントするのはわたしです。
鎌倉あたりでも、石仏となると由来のよくわからないものが転がっているという感じで、作者名と制作年代がわかっているのはめずらしいです。
名前が無くてもディックさんだろうなぁ、と見当が付いていました(笑)
1557年は弘治3年だそうです。調べてみるとはてしない昔に作られたんだなぁこの地蔵さん、と感心しました。