チベットの子どもたちの希望の星 チベット声楽家 バイマーヤンジン
2010年02月01日(Mon) 安斉辰哉
バイマーヤンジン(Bema Yangjan)
1967年チベット生まれ。四川音楽大学を卒業、同校講師を務めた後に結婚して来日。全国でコンサートや講演を行う。 チベットの子どもたちに教育の場をと、今までに10の小中学校を建てた。
大学に行けば 故郷のために何かできる
「私の両親も学校に行けなかったので、字が読めません。それで悔しい思いをしたことを、いつも話してくれました。 特に『土地革命』の時、中国政府の役人が持ってきた文書に、説明を信じて拇印を押したら、翌日から先祖代々の土地の3分の2を政府に取り上げられてしまったことを、『心臓が破れるくらい悔しかった』と語りました」
ヤンジンの両親は、子どもには違う人生を歩んでほしい、だから教育を受けさせようと、小学校のある町に移住した。10代半ばだったヤンジンの長兄が「僕が草原に残って放牧をするから、妹と弟を学校に行かせてあげて」と家計を支えることを申し出た。
「食べ物がない時も、まず両親が、それから3人の姉が、我慢して私に食べさせてくれました。 兄は苦労して、私の父と間違われるくらい老けこんでまで、自分の幸せをすべて妹弟にわけてくれました。」
300キロ離れた高校に入学し、下宿生活を送った。 22時消灯で、公衆トイレだけ夜通し明かりが灯っていた。 本とノートを持ってトイレに籠り、氷点下何十度にもなる冬は、かじかむ手を口の中に入れて温めながら勉強した。
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無知であれば、自らと、いわんやその愛する魂や故郷をも守ることはできない。
どれだけ善を好んでも、醜悪な侵略に遭ってしまう。 悪辣に立ち向かう為には、智を得て、血を流しながら、倒れても立ち上がって歩き続けるしかない。
四川省大地震救援のため、ご協力お願いいたします
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被災地復興で中国政府が狙う棚ボタって
2010年05月12日(Wed) 有本 香
4月末の上海万博の開幕と共に、日本のメディアは「中国の今」を盛んに伝え始めた。その裏ですっかり忘れられた存在がある。 万博開幕の2週間前に、上海から遠く離れた青海省玉樹(チベット名:ケグドゥ)で大震災に遭った人々だ。 震災から約1カ月がたった今、被災者たちはどうしているのか? 復旧活動は進んでいるのか?
雪に埋もれるテントで暮らす被災者たち
海抜3800mの被災地では4月末でも雪が降る。雪に埋もれたテントで暮らす被災者の写真がインターネットを通じ世界に公開されたのは、ちょうど日本のメディアが、「上海万博開幕まであと数日」と盛り上がっていた頃である。
たとえが適切ではないかもしれないが、今にも雪に押しつぶされそうな被災者のテントは、日本の雪国の「かまくら」のようだ。突然の災害で家、家族、家畜、家財の一切合財を失った被災者が暮らす環境とは到底信じられず、見ていると胸が詰まる。
現在被災者はテント生活を余儀なくされているが、テントにも住めない人も多く、各地の親せきの家に居候しているという。 多くが牧畜等で生計を立てていた人々であったため、家畜を失ったために生活の糧を得るすべさえ失い、今後の見通しは立ってない。
震災1週間後の「エコ高原リゾート化宣言」とは
(略)震災からわずか1週間後には、地元青海省政府が「近い将来、被災地を、『エコ高原リゾート』として生まれ変わらせる計画をもって復興にあたる」との宣言をしたと報じられていたのだ。
瓦礫の下にはまだ生存者がいる可能性もある時期に、この手の宣言をする不謹慎、無神経さに憤りを感じると同時に、ある不安が頭をよぎった。同じ不安は内外の多くのチベット人も抱いていたようだ。
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2010年02月01日(Mon) 安斉辰哉
バイマーヤンジン(Bema Yangjan)
1967年チベット生まれ。四川音楽大学を卒業、同校講師を務めた後に結婚して来日。全国でコンサートや講演を行う。 チベットの子どもたちに教育の場をと、今までに10の小中学校を建てた。
大学に行けば 故郷のために何かできる
「私の両親も学校に行けなかったので、字が読めません。それで悔しい思いをしたことを、いつも話してくれました。 特に『土地革命』の時、中国政府の役人が持ってきた文書に、説明を信じて拇印を押したら、翌日から先祖代々の土地の3分の2を政府に取り上げられてしまったことを、『心臓が破れるくらい悔しかった』と語りました」
ヤンジンの両親は、子どもには違う人生を歩んでほしい、だから教育を受けさせようと、小学校のある町に移住した。10代半ばだったヤンジンの長兄が「僕が草原に残って放牧をするから、妹と弟を学校に行かせてあげて」と家計を支えることを申し出た。
「食べ物がない時も、まず両親が、それから3人の姉が、我慢して私に食べさせてくれました。 兄は苦労して、私の父と間違われるくらい老けこんでまで、自分の幸せをすべて妹弟にわけてくれました。」
300キロ離れた高校に入学し、下宿生活を送った。 22時消灯で、公衆トイレだけ夜通し明かりが灯っていた。 本とノートを持ってトイレに籠り、氷点下何十度にもなる冬は、かじかむ手を口の中に入れて温めながら勉強した。
無知であれば、自らと、いわんやその愛する魂や故郷をも守ることはできない。
どれだけ善を好んでも、醜悪な侵略に遭ってしまう。 悪辣に立ち向かう為には、智を得て、血を流しながら、倒れても立ち上がって歩き続けるしかない。
四川省大地震救援のため、ご協力お願いいたします
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被災地復興で中国政府が狙う棚ボタって
2010年05月12日(Wed) 有本 香
4月末の上海万博の開幕と共に、日本のメディアは「中国の今」を盛んに伝え始めた。その裏ですっかり忘れられた存在がある。 万博開幕の2週間前に、上海から遠く離れた青海省玉樹(チベット名:ケグドゥ)で大震災に遭った人々だ。 震災から約1カ月がたった今、被災者たちはどうしているのか? 復旧活動は進んでいるのか?
雪に埋もれるテントで暮らす被災者たち
海抜3800mの被災地では4月末でも雪が降る。雪に埋もれたテントで暮らす被災者の写真がインターネットを通じ世界に公開されたのは、ちょうど日本のメディアが、「上海万博開幕まであと数日」と盛り上がっていた頃である。
たとえが適切ではないかもしれないが、今にも雪に押しつぶされそうな被災者のテントは、日本の雪国の「かまくら」のようだ。突然の災害で家、家族、家畜、家財の一切合財を失った被災者が暮らす環境とは到底信じられず、見ていると胸が詰まる。
現在被災者はテント生活を余儀なくされているが、テントにも住めない人も多く、各地の親せきの家に居候しているという。 多くが牧畜等で生計を立てていた人々であったため、家畜を失ったために生活の糧を得るすべさえ失い、今後の見通しは立ってない。
震災1週間後の「エコ高原リゾート化宣言」とは
(略)震災からわずか1週間後には、地元青海省政府が「近い将来、被災地を、『エコ高原リゾート』として生まれ変わらせる計画をもって復興にあたる」との宣言をしたと報じられていたのだ。
瓦礫の下にはまだ生存者がいる可能性もある時期に、この手の宣言をする不謹慎、無神経さに憤りを感じると同時に、ある不安が頭をよぎった。同じ不安は内外の多くのチベット人も抱いていたようだ。
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日本が、チベットなどの様な中国の属国になるか、今踏ん張らねばならない時ですね。
一旦、攻勢を緩めてはいますが、長期戦略の元に引き続き波状攻勢がありますね。
わが国も、長期の安全保障戦略の確立が望まれます。
>チベット人同士による子孫の出生を断ち切ろうとしていると話題になったことが
そんなもんじゃあ あ~~~りませんよ
今この瞬間、彼らが何をされているのか。 たとえばですね。小学生の女の子が、学校でちょっとチベット語を漏らしたとしましょう。
そこで中国人教師から、往復ビンタやら蹴りやらされるんですからね。
(これは想像ですが、これ以上のことが報告されています) これは、中国語を学ばないと出世できないから、「教えてあげている」
のだそうです。
彼らの言い分は、解放してあげる、と言いつつ侵略し、教育してあげる、と言い洗脳し、粛正してあげる、と言い虐殺しているのです。
面白い理屈です。
成人男性は テロリストとして監禁、拷問され、釘の刺さった板で叩かれ、肉を引き裂かれる。
そして、屍のようになって死ぬ間際に釈放され、1年以内に死ぬ。
詳しくはこちらです。
http://blog.goo.ne.jp/deception_2010/e/9525c4f4c09289285a799be8b40c96e6