欺瞞的善人の悲哀

欺瞞は汚いので消します。カレーはポークです。 この世の「最良の精神たち」よ さあ共に闘おう!

米国の毒饅頭:TPPで日本懐国へ

2012-01-24 14:12:56 | 日 本
米国の毒饅頭:TPPで日本懐国:Japan breaks with Poisonous Dumpling named the TPP.



11/15未明、NYの公園にて、反格差社会デモで逮捕者200人 米国が世界の中でも理想的な社会経済システムを誇る国ならば、百歩譲ってTPP参加による米国化も良いかもしれない しかし米国の現状は、金融破綻多重債務貧困格差国家である

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考えてみよう!TPPのこと 日本の食と暮らし・いのちを守るネットワーク 
サルでもわかるTPP
日本農業新聞 e農ネット - TPP報道 
TPP反対派の急先鋒・中野剛志「メディアが報じない米国の本音。やはり日本は狙われている」 
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∴TPPとは?

TPP:Trans-Pacific Partnership(環太平洋経済連携協定)とは、2006年5月に1.シンガポール、2.ブルネイ、3.チリ、4.ニュージーランド の4カ国加盟で発効した経済連携協定である。 TPPの最大の問題は米国の参加表明にある。米国はASEAN(東南アジア諸国連合)主導の自由貿易圏構想に入っていない。そこで、その対抗策として米国が打ち出したのがTPPへの参加と言える。 TPPの元々の目的は「小国同士が経済で連携することで世界市場で戦えるようにしよう」というものだったが、2010年には、5.米国、6.オーストラリア、7.ペルー、8.ベトナム、9.マレーシア が参加し、TPPの意義は大きく変質することになる。 その目的は、10年以内に「関税の撤廃」「各国の通商ルールの統一」を実現する、つまり、国境を越えて自由な通商を可能にし、医療や雇用や投資など 24分野に関して「ルールを統一する」というものである。そしてそのルールは米国の都合で決められる。 通商協定には、これまでにも FTA(自由貿易協定)や、EPA(経済連携協定)があったが、その場合は交渉により部分的に対象から除外するなどカスタマイズ可能だが、TPPでは例外は一切認められない。 TPPは農業問題である。というのは、現政権とマスコミの誤魔化しでしかない。




∴米国「輸出2倍戦略」のためのTPP

2008年のリーマン・ショック以降、かつての世界恐慌のように各国とも生き残りのために手段を選ばない状況となっている。 最大のターゲットは、世界で最も美味しい市場、日本である。 特に住宅バブルの崩壊で国内経済がズタボロのオバマ政権は、経済回復と支持率稼ぎのために、TPPによって、米国の「輸出拡大と自国内における雇用の創出」を目的とする。 「5年で輸出を2倍にする」ことを国是に掲げ、日本の関税や非関税障壁(貿易における関税以外の障壁)を撤廃させ、同時にドル安(円高)に誘導して日本企業の輸出競争力を奪おうと画策する。 さらに、そこに仕込まれた「ISD条項」は、「日本の主権を奪う毒饅頭」として機能する。 一方、日米以外の8カ国は、「モノを大量に買うような経済力は持っておらず」いずれも「低コスト労働力輸出国」である。人的な交流も全て参加国間で「無条件」で「無制限」に「完全自由化」を、「全ての経済分野」で行なうのがTPPである。 これは、「移民の数億人計画」と言える。彼らが自由化によって日本に入ってくれば、日本人の雇用率はどれだけ下がるか。「失うものが何もない国」と「競争すれば絶対に勝つ国」には良い協定。日本はその中で、自由競争を押し付けられ、国内法を変えられ、総てを搾取される対象となる。 日本として経済協定を結ぶのであれば、丸裸にされる今の「多国間TPP」ではなく、米国との2国間で、入念に吟味された「FTA」を結ぶべきであり、それが主権国家としての当たり前の選択。 更に米国とは切り分けての他の諸国とのFTAをすべきだが、現在の政権にはその力も知恵も無く、国民の声もまだまだ小さいままである。

∴通商協定機関・交渉名

○ASEAN(東南アジア諸国連合 1967-) 東南アジア10ヶ国の経済・社会・政治・安全保障・文化での地域協力機構 原加盟国はタイ、インドネシア、シンガポール、フィリピン、マレーシアの5ヶ国 欧州連合 (EU)、北米自由貿易協定 (NAFTA)、中国、インドと比肩する経済規模になりつつある
○ウルグアイ・ラウンド(1986-1995) 世界貿易上の障壁をなくし、貿易の自由化や多角的貿易を促進するために行なわれた通商交渉
○NAFTA(北米自由貿易協定 1994-) 米国、カナダ、メキシコの3国で結ばれた自由貿易協定
○WTO(世界貿易機関 1995-) 自由貿易促進を主たる目的として創設された国際機関 GATTウルグアイ・ラウンドにおける合意によって成立 物品貿易だけでなく金融、情報通信、知的財産権やサービス貿易も含めた包括的な国際通商ルールを協議する機関
○FTA(自由貿易協定) 自由貿易地域の結成を目的とした、2国間以上の国際協定 2国間協定が多いが、NAFTA(北米自由貿易協定)等の多国間協定もある
○EPA(経済連携協定) ただ単に通商上の障壁を取り除くだけでなく、両経済領域での連携強化・協力の促進等をも含めたもの 従来のFTA・EPAは、その上位理念にWTO協定があったため重要品目の除外・例外が認められていたが、TPPは関税の完全撤廃をめざす
○APEC(アジア太平洋経済協力 1989-) 環太平洋地域における多国間経済協力を進めるための非公式なフォーラム 日本や米国など及びASEAN加盟6か国の計12か国で発足、21の国と地域に拡大 開かれた地域協力によって経済のブロック化を抑え、世界貿易機関(WTO)のもとでの多角的自由貿易体制を維持・発展することを目的としてきた APECは非公式なフォーラムであって、メンバーを法的に拘束しない緩やかな協力の枠組という性格を持つため、名称に「会議」を含めることは適当ではない 先進国は2010年まで、途上国は2020年までに貿易・投資の自由化達成を目標とした
○FTAAP(アジア太平洋自由貿易圏構想) APECの加盟国全域(21カ国)において、自由貿易圏を構築する構想の名称 この構想が実現した場合に形成される貿易自由化された経済圏の規模は、世界人口の約4割、世界の国内総生産(GDP)の全体の約6割に達する 具体的な経済的枠組みとしてはTPP、ASEAN+3(EAFTA)、ASEAN+6(CEPEA)などがある
○AFTA(ASEAN自由貿易地域 1992-) 東南アジアにおける地域経済協力 EUや北米自由貿易協定(NAFTA)などの地域経済圏への対抗を図っている
○ASEAN+3(EAFTA 1997-) ASEANに日中韓を加えた13カ国で経済協力などを進める枠組み
○ドーハラウンド(2001-) 貿易障壁をとり除くことを目的として世界貿易機関(WTO)が主催する多角的貿易交渉
○ACFTA(中国×ASEAN加盟6カ国との自由貿易協定 2010-) タイ、インドネシア、ブルネイ、マレーシア、フィリピン、シンガポール と中国の間で貿易される品目の9割について関税を撤廃する
○ASEAN+6(CEPEA 2005-) 日本が提唱。ASEAN+3にインド、豪州、ニュージーランドを加えた16カ国で主にアジア地域の経済連携などをめざす


∴「平成の壊国」

参加国の関係の中で関税が撤廃されれば、輸出国が輸入国に支払う関税が掛からないから「日本の得意とする工業製品を売り易くなる」という意見があるが、かつて前原外務大臣(当時)は「農林水産業のGDP比はわずか 1.5%。この1.5%を関税で守るために、残りの98.5%を犠牲にしていいのか」という発言をした。 そもそも日本の2010年における日本の輸出依存度は、GDP比 たったの14% であるので、正しくは、「農林水産業の1.5%を関税で守るために、残りの12.5%を犠牲にしていいのか」となる。 しかも、その中で「家電や自動車の輸出GDP比はわずか 1.7%」。農林水産業とそれほど変わらない値である。 国内でのサービス業(GDP比20.8%)や卸売・小売業(同13.1%)の方が、日本経済で大きな比重を占めている。 つまり日本は、輸出よりも内需で持っている、自給自足に近い国であり、その低い輸出依存における関税率は、TV=2.5%、自動車=5%でしかない。 勝手な思い付き発言や無意味なパフォーマンス、北朝鮮への献金などで知られる“空き缶”菅元総理は、「TPP参加は平成の開国だ」と表現したが、そもそも、既に日本は、全貿易において世界でも最高水準で開かれている。 農産物平均関税率は12%であり、6%の米国よりは高いものの、20%のEU、35%のブラジル、60%を超える韓国と比べてもかなり低い水準であり、ゆえに関税撤廃の利点など無いに等しい。微かな利点があったとしても、米国がちょっとドル安政策を進めれば消える程度のものだ。 そして、先日のタイでの洪水災害からも分かるように、既に日本製品が多く海外で生産されている。これでは関税撤廃はまったく無関係となる。 日本を代表する車メーカといえばトヨタだが、その営業利益は、そもそも関税とまったく無関係な要因でダイナミックに変動している。トヨタ1社だけで自動車業界全体が支払ったと称する関税の金額より大きな幅で毎年変動している。しかも営業利益の変動は販売実績の増減とも連動していない。 輸出を伸ばしたいなら、円安政策すればよい。元大蔵省官僚の高橋洋一氏によれば、かつて高橋是清がやったように、「円を刷りまくればよい、70兆円を増刷すれば良い」とのこと。それを、震災復興や企業の救済などに充て景気を回復させる。TPPによる僅かな関税撤廃などまったく不要、むしろ意味が不明である。 そしてそのために「後述の多くのリスク」を受諾しなければならない。 徳川幕府の「鎖国」とは、一定の諸外国との通商契約状態を指し、国を保護していたわけであって、その後、日米修好通商条約(1858)を初めとする不平等条約が続々と締結され、「鎖国」は崩壊した-この不平等条約を解消するために日本政府は半世紀を費やした。 その意味で、まさにTPPは「平成の壊国」である。 過去の不平等条約と同じく、関税自主権を奪われ、さらには「自由貿易」という美名のもと、米国製のスタンダードを押し付けられ、日本国内ルール(法)は無効化されてしまう。 国内法というのは、言わずもがな「日本国が安泰に運用されるための原則」であるが、それが、TPPによって、米国に牛耳られる。 これは、米国のご提案による「経済侵略」であり、この協定を結んだが最後、日本は主権を奪われ、米国の植民地と化す。

※GDP(国内総生産):一定期間に「国内で」生産された財貨・サービスの価値額の合計。GNP(国民総生産)は、海外での所得も含むが、GNPとGDPは、日本の場合はほとんど同額で、若干GNPの方が多い。

∴またも賛成派の誤魔化し「バスに乗り遅れるな」

米国:オバマ大統領は、2011.9.21の日米首脳会談で、TPPへの加盟を野田首相に要求した。 米国に媚びたい政府は、「自らの政権の保身のため」この毒饅頭を受け入れようとする。 そしてマスコミもまた野田政権を庇護する。彼らは、社会正義より「自分たちの節税」に熱心である。大新聞は「新聞代は消費税免除に」と陳情し、野田内閣はそれを認める方向であり、TV局は総務省と手を組み、「震災時に十分に対処できなかったため」という理由で新たな通信インフラ投資の大減税と、それら施設の固定資産税免除を主張している。震災まで節税のネタにしようという不埒な工作である。 彼らは十分な情報を開示せぬまま、「日本に有利な条件を得るため早い参加が必要、『ライバルの韓国が米韓FTAに合意したのだから、日本もそのバスに乗り遅れるな』と連呼していた。 しかしながらマスコミのこの誤魔化し扇動には無理があった。 野田首相が、11/12、APEC(アジア太平洋経済協力)にて参加意思を表明したが、来夏にまとまる予定のルール策定作業には実質的に加われない。交渉参加できるのは、早くて来夏前。9カ国は来夏までの合意を目指している。日本が加わった段階ではルールの細部まで議論が終了している。 そして、さらにマスコミはミスリードを続ける。

産経新聞:「経済効果2.7兆円」民主党経済連携PT総会で政府試算 2011.10.25 21:21 TPP交渉への参加について話し合う民主党の経済連携プロジェクトチームが9回目の総会を開いた。この中で政府側は、TPP参加によって日本の国内総生産(GDP)が2.7兆円押し上げられるとの試算を明らかにした。 この産経を含む各誌、またTV各局では、おしなべて「経済効果2.7兆円」と報道。 しかも、それが日本のGDPの何%なのか(実は10年かかってやっと0.54%増にすぎない)という数字さえ、紹介していない。 これが、日本マスコミの実態である。

∴交渉後 参加しないと 言える国? (北原通音美・63歳・和歌山県)

米国の年次改革要望書は、既に1994年から出されている。 TPP賛成派は、「主権国家なんだから要望を相手に飲ませればいい、メリットは双方にある」などと言うが、交渉に参加するにおいて、USTR(米国通商代表部)は、日本に対し「前提条件無しで参加する」ように要請している。つまり、日本側は「関税や国内法に対する規制除外要望は持ち込まない」ように言われている。 相手側は「要望は持ち込むな」と言っているのだから「交渉参加=要求を呑む」と解釈されるので、提言したとしてもそれが交渉において認められる可能性はゼロに近い。 そして、交渉参加というのは、国際常識では婚約である。参加が結婚で、交渉参加は参加を前提としたお付き合いである。 それで婚約を破棄すればどうなるか。もう後戻りはできない。 理屈ではいつでも離脱できるが、国際政治の慣習の上では離脱は難しい。 あとは米国側の要求を鵜呑みにするだけである。「すべての国民が怒りをぶつけ地響きが鳴るような反対運動」でも起きない限り、政府の“暴走”は止まらない。 そして、普通の人間なら、それが信用できるバスなのか行き先は何処か事前に確認するのは当たり前だが、野田首相はそのバスの毒性を知らなかった事実が、なんと国会の生中継で露呈してしまった。

∴ドジョウ野田、「ISD条項」を知らず!「ネガティブリスト」の暴論

野田首相は、TPPの最重要項目である「ISD条項」さえ知らなかった。 「ISD条項」(投資家対国家の紛争解決条項)は、米国とカナダとメキシコの自由貿易協定である NAFTA(北米自由貿易協定)においてはじめて導入された。本来、法整備の整っていない発展途上国と先進国との間で、「企業を保護するための措置」として設置されたが、近年、米国は先進国同士の協定においてもISDを持ち込んできた。 TPPによる自由貿易が実現すれば、そこに仕込まれた『ISD条項』により、企業の主張、権利が保障される。「日本への参入を図った米国の投資企業が、日本の政策によってなんらかの被害を受けた場合に日本を訴えることができる」というもの。 即ち、「米企業が儲ける為に障害となる規定は何であろうと撤廃され」てしまう。たとえ、それが「日本国民の安全や健康のため」であっても、TPPにより自由化された経済システムの中で、「企業が損害を受けたかどうかのみ審査される」しかもそれを審査するのは「ワシントンにある国際機関」である。 日本国が敗訴した場合、多額の賠償金を支払わされ、その上国内法は無効化されてしまう。 しかもここでの審理は「原則非公開」で行なわれ、下された判定に不服があっても日本政府は控訴できない。いわば、ISD条項を受け入れるということは、日本が主権を放棄して米国に渡す「主権譲渡」である。 そして仮に、自由化せず保護したい例外としての産業や国内法がある場合は、『ネガティブリスト』方式で対応される。 これは、自由化「したくない部分」をリクエストするものであって、そこから漏れた部分は「すべてが」原則自由化されてしまう。

野田:「基本的には我が国の守ってきた法律で対応できるように・・・」

 

TPPに仕込まれた毒素条項「ISD条項」が発動すれば、我々の国内法では対処できない。 NAFTAのISD条項を受け入れたことによって、カナダはとんでもない横暴を受け入れさせられた。 カナダでは、ある神経性有害物質のガソリンへの添加を禁止していた。 この有害物質の添加への規制は、じつはアメリカ国内の殆どの州にもある規制である。 ところが、米国の石油企業が、カナダのこの規制のために不利益を被ったとして、ISD条項に基づいてカナダ政府を訴えた。 そして、この審査でカナダ政府は敗訴 3億5千万ドルという巨額の賠償金を支払った上に、この規制を撤廃させられることになる。 TPPに仕込まれた「ISD条項」は、米国にとって最高のツールである。




∴政府と経団連は何故、そしてモンサント社の毒

では、具体的に賛成派とは何者か。何が目的なのか。 賛成派の筆頭は「経団連(日本経済団体連合会)」という団体だ。 経団連は日本の大企業の集まりで、その会長 米倉弘昌(よねくら ひろまさ)は、いわば財界のボスのようなもの。大企業に都合のいい政策を取るように政府に働きかけるのが役割だ。その経団連が「日本は加盟するべきだ」と執拗に政府に迫っている。TPP加盟によって、彼らは「安価な原材料や労働力を輸入できる」そこには彼らにとって、真に美味しい話があるからである。 一方、米倉は農業界に対してどう言っているか。『農業従事者自らが努力しろ』だそうである。。。 そして米倉は、住友化学の会長でもある。この会社は、名前に「化学」とついているように、化学薬品、農薬、殺虫剤などを作っている、そして住友化学は、米国大手バイオケミカル企業「モンサント社」と業務提携をしている。 モンサントは、「遺伝子組み換え」に力を入れており、凄い品種を人為的に作り出している。たとえば、『モンサント製の作物を使い、モンサント製の除草剤を撒けば、作物を枯らさないまま雑草だけを駆除できる』そんな農家にとっては夢のような作物&除草剤を作った。しかし、その「人為的に捻じ曲げられた遺伝子組み換え商品」には、毒が盛られてあった。

ある農家がそれを使用しなくても、それを使用した近隣の農家からその花粉や種が飛び受粉することになれば、その作物はモンサント製と認証され、なんと訴訟を起こされてしまう。そして、何が何やら分からないままに、敗訴させられてしまう。 結果:その農家は、育てた作物を根こそぎ持っていかれ、賠償金を取られた上、これまで長年かけて少しずつ生産性を向上させ、害虫対策を考え、その作物の遺伝子を大切に継承してきた日本農業は、その作物も全てモンサント遺伝子に“汚染”され、しかもその種苗は「発芽しない」ので、その後その農家は、モンサントから種や苗を買うしかなくなる。 日本の消費者は、「遺伝子組換え」という表示を見て自ら判断することで守られている。TPP加盟によって、日本でも「遺伝子組み換え食品」の表示はされなくなる。それは米企業にとって、邪魔な制度だからだ。このような筋書きが、米国主導のTPPによって成されようとしている。


写真:米国がTPPに参加表明後、投資と金融分野が交渉分野に追加された。その結果どうなるか、投資の自由化は、大企業の利益を伸ばす反面、庶民の搾取につながっていく。 日本の郵貯と簡保(350兆円)、農協共済(45兆円)など、莫大な資産も食い物にされる。 これらの資産は、倉庫で眠らせて置くわけではなく、投資などで運用されているが、その投資先が海外になってしまえば、日本のためにならないので、国内法で保護されている。 TPPによってその障壁は取り除かれてしまい、一般市民には何の得にもならないが、日米の大企業だけが得をすることになる。 そのいい例が、カナダの食品加工会社だ 米国とカナダは1989年に協定を結んで投資を自由化した。 その結果、10年も経たないうちに、カナダの食品加工業界は米国に乗っ取られた。 協定を結んでから、カナダからの農産物輸出は3倍に増えた。 しかし、逆に農家の収入は24%も減ってしまった。 結局儲かるのは大金持ちの投資家ばかりで、庶民はお金を搾り取られて、結局貧乏になっていく。

∴それでも韓国はTPPではなくFTAを選んだ 各国の現状と対処

米韓FTAは、予定されていた本会議の2日前に、韓国与党が出し抜き強行採決し、来年1月から発効される見通しとなっている。 TPPは韓国では「毒素条項」と呼ばれている。韓国は今後、国内法より米韓FTAを優先適用しなければならなくなる。 本来、FTAの精神は、相互互恵の自由貿易条約のはずだが、しかしこれはまさに韓国を植民地扱いにしている協定となっている。例えば「米国企業が期待した利益を得られなかった場合、韓国がFTAに違反していなくても韓国を提訴できる」「米国企業・米国人に対しては、韓国の法律より米国・韓国FTAを優先適用する」など。 それでも韓国はTPPではなく米国との二国間FTAを選んだ。 TPPが、日韓をターゲットにし、米国の「絶対標準」を受け入れさせるものだと知ったからだ。 カナダはNAFTAで懲りて、米国主導のTTPへの参加を取り止めた。



写真:ソウル 米韓FTA締結に抗議する人々 韓国の愛国議員が暴れるも虚しく可決されてしまった

韓国は、米国が韓国の自動車市場に参入しやすくなるよう、排ガス診断装置の装着や安全基準認証などの義務に関して、米国から輸入される自動車は免除するという“例外”を飲まされた。さらに、日本と同じく国内ニーズが高い小型車に優遇税制を設けていたが、これも米国の要求で大型車に有利な税制に変えさせられた。そしてFTAによる関税撤廃で急伸した韓国産自動車の輸出が米国の自動車産業を脅かすようなら“関税を復活する”という規定も加えさせられた。郵便局も3年以内に解体させられることになった。 手段を選ばない米国のこうした攻勢が、TPP参加後は日本に及ぶことになる。 実際に、カナダやメキシコで政府が提訴され多額の賠償金を支払う事例が起きている。 オーストラリアはかつて、米国とのFTAでISD条項を拒否している。最初、ISDが入りそうになったが、途中から、「オーストラリアの国民がその危険性に気付いて大騒ぎ」をした。 政府は、その国民の反対運動に屈してISD条項を受け入れなかったが、しかし、危なかった状況だった。


今回、日本が交渉表明したことで、「カナダ」と「メキシコ」も参加表明したが、それは、カナダがTPP参加を躊躇していた原因に、米国と「木材・乳製品」で揉めていたことからである。カナダとメキシコの思惑は、「米国との間でのマイナス分は、日本がTPPに参加するのであれば補えることができる」と判断してのことである。こうして日本は「草刈り場」にされる。

∴世界最高と言われている日本の医療制度は

米豪FTA、米韓FTAでも公的医療制度はターゲットにされた。 米豪FTAでオーストラリアで何が起こったのか。オーストラリアには、「国民を守るために薬価を低く抑える制度=RBS」があった。しかし米豪FTAの結果、2007年度にオーストラリアの医薬制度の改革が行われた。両国の協議の結果、市場価格並みの高い価格が設定されるよう制度を見直した。 韓国政府は「公的医療制度はTPPでの議論の対象にはなっていない」とずっと主張してきた。しかし、米国政府はこの9月「医薬品へのアクセス強化のためのTPPでの目標」という文書を公表し、韓国政府が決めた医薬品の認可や価格に対して米国系製薬会社が「薬価が安すぎる」といった不服がある場合、決定の見直しを求める機関を設置した。 その結果、韓国は、医薬品制度において、ほとんど米国の要求を丸呑みした。



写真:2011.12.05.12′10″TVタックル より 米国ニューヨーク州では、盲腸の手術が1泊2日で約250万円、日本の場合は、無保険の場合、6泊7日で30-35万、有保険の場合はその1/3、もちろん抜糸して帰宅できる 米国では、手術後出て行かざるを得ない、高額のため、管が入ったまま退院し、近くのホテルで待機することになる

そして我が日本政府も誤魔化し作戦を展開中だ。 TPP交渉で公的医療保険の運用に関し自由化を求める米国政府の文書を確認していたにもかかわらず、日本政府が国民向けに作った概略版資料で「公的医療保険制度は交渉の対象外」と説明していた。 小宮山洋子厚生労働相は10/27、「医薬品の保険手続きに関する透明性の確保が論議の対象になる可能性は、分厚い説明資料で説明した」と述べた。 概略版で実態を明らかにせず、国民の目に触れにくい「分厚い資料」だけで医療自由化の可能性を示していた、ここまでして政府は国民を欺こうとしている。 米国が世界の中でも理想的な社会経済システムを誇る国ならば、百歩譲ってTPP参加による米国化も良いかもしれない。しかし米国の現状は、金融破綻多重債務貧困格差国家である。 その結果、名目失業率は10%近く、実質25%とも言われる。医療では国民皆保険制度は無く、高い医療保健に加入しなければならない。そして、貧困層は拡大を続け、ついに人口の15%、約4600万人もの人たちがフードスタンプ(米国で低所得者向けに行われている食料費補助対策の金券)で食い繋いでいる。また、抜歯料金も高いため、米国のホームセンターではセルフ抜歯セットが売っている。米国民へのアンケートでは、約10%の国民が「自分で抜歯セットを使って麻酔無しで歯を抜いたことがある」と答えている。 米国で今の日本の皆保険と同等の保険に入ろうとすると、月10万円ほどの保険料となってしまう。ゆえに、TPP締結後、日本の中流以下の世帯では、カバー範囲の狭い保険に入り、補償範囲外の場合は全額自己負担となってしまう可能性がある。 日本の、世界最高と言われている医療制度はこうして崩壊させられる。



写真:入院費が支払えないため、骨折しているにも関わらず病院に捨てられた女性 日本の医療が狙われている



写真:自分で傷口を縫う米国民

TPPという毒饅頭は米国の侵略行為。破綻寸前の世界経済の中で米国もまた風前の灯。平和で美しい日本が、取りまれ弄(なぶ)り啜(すす)われようとしている。日本をる日本の法規制は米国の勝手で変更させられる。世界にる日本の医療制度、日本の伝統文化、美しい農村、そうしたものがわれる。これはジャイアンとのび太の関係である。このままレイプを受け入れるのか日本。大和民族。朝鮮人政権・民主党は、震災からの復興も意図して進ませず、今度は自らの保身のために日本を丸ごと売ろうとしている。られてるか。

* * * * *

TPPは、一度参加すれば離脱はかなり難しい。正式な交渉の前に、現政権を倒さなければならない。しかし、最大野党の自民党も、もはや形骸化し腰砕けになっている。 故に日本は、このままTPPという海に沈むことになる。 しかし、現政府が総てを決めてしまっても、最期、国会の批准が無ければTPPは発効しない。それまでに、最短で2年ある。 その間に我々国民が声を上げることで、何かができるかもしれない。

   
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初出:2011-12-07 13:15:14
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東日本大震災 声 : Japan Earthquake Voice

2012-01-09 01:40:25 | 日 本
初出:2011-03-15 00:46:11


東日本大震災 津波の瞬間 自衛隊 被災地 津波 瞬間
 2011/3/11 14°46′18″





東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた南三陸町でしゃがみ込む女性 = 宮城県.2011.3.14 AM.7.47、長谷川直亮撮影



内田裕也が 3月19日(土)15:00より東京・渋谷ハチ公前にて ゲリラ募金ライブ「HELP!」を実施する。

内田は、東日本大震災の被災状況を受けて「今ROCKがヤレルコト! 言葉よりアクション!」と考え、このゲリラ募金ライブ開催を決断。当日は電力不足を考慮しハンドマイクと生ギターでライブを行うほか、賛同者とともに街頭募金を呼びかける。

2011年3月19日(土)東京都 渋谷ハチ公前 START 15:00







それを「希望」と名づけよう

街が揺れた夜、君はひとり無断で、市営プールに潜りこみ、身体を水に浸した
そして暗がりの中、瞑想した

人は時に、光に水に、雨に風に、感謝し、人は時に、光に水に、雨に風に、屈服する
この闇の向こうに震えるのは 誰か、嘆きの声

同胞の不在は確かに不可解だ それはそうだ しかしどうだろう
君は「偽善の涙」など流さないと誓ってくれ
「決まりきったお悔やみ」など無用だと言ってくれ

夜が明けて、そこにいつもどおりの太陽が照り、草木は首をもたげ、鳥たちは空を往く
あぁ、美しくも残酷なクリシェ!

一方で、君の身体の細胞ひとつひとつに染みいる光はどうだ
傷だらけではあるが依然雄々しいその筋肉はどうだ

そうさ、君は同胞の不在を気にかけているんだろうが、たとえば、偶然にも生き残った君の生を讃えてみてはどうだ?
たとえば、生き残ったことへの幸運を噛みしめてみてはどうだ?

不謹慎だとわめく偽善者を後に残し 君が光を放つことで、友を弔うんだ
それを「希望」と名づけていいんだよ  余震は続く

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2011年 誕生日に寄せて 佐野元春

Name it “Hope”

On the night when the town jolted,  You sneaked in the municipal swimming pool and submerged yourself in the water,and meditated in the dark.

At times, people are grateful for lights, water, rain, and winds. At times people yield and bend their knees to lights, water, rain, and winds.
You hear someone’s mourning, trembling in the darkness.

I know, for you it is incomprehensible that your fellows and friends are missing and not with you any longer: I understand what you feel.
But just try to think; Do promise me that you won’t waste your tears just to be hypocritic.
Do say that you don’t need or want someone to offer his/her routine condolences.

When it dawns, there shines the sun just like before. There you find the thick growth of plants and trees.  Birds fly over the sky.

Behold, this beautiful yet cruel clich! On the other hand, How do you feel the lights penetrating every single cell of your body? How do you feel your vigorous muscles even though they are all covered with scars?

I know, you are much concerned and crushed with the absence of your friends, But let us try to celebrate your life who luckily survived. How about to relish pleasures that you are lucky enough to live on?

Don’t give a damn to the hypocrites yelling that you’re being unscrupulous. By giving rays of hope to the worlds, you console the spirit of your friends.
You can name it “hope.”  Aftershocks still keep coming.

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One my birthday, 2011 Motoharu Sano 翻訳:山内あゆ子 English translation by Ayuko Yamauchi



“Operation Tomodachi” 米軍による救済活動名



東日本大震災:連帯示し、100人が追悼集会 独ベルリン
 「じっとしていられない」-。ベルリン中心部の市庁舎前広場で13日、東日本大震災の被災者に連帯を示す集会が開かれた。約100人が赤、白のシャツで日の丸の形に並び、犠牲になった人々を追悼した。 主催者のニコラス・ヤコービさん(38)によると、フェイスブックでの議論がきっかけ。「1人1人の力は小さいが、力を合わせれば助けになれることを示したい」という提案に次々に賛同者が現れ、地元ラジオも参加を呼び掛けた。 参加者の1人、元ジャーナリストのアンネマリ・タマンナイさん(60)は「復興支援や献金で力になれる。私たちは日本の味方だ」と話していた。

ソウル新聞が1面に異例の日本語で「深い哀悼の意を表します」2011.3.14 02:27  韓国紙のソウル新聞は14日付早版で、東日本大震災を受け、1面に韓国語とともに、あえて日本語で「深い哀悼の意を表します」との見出しを掲載、記事で早期の復興を「心から祈っている」と激励した。韓国紙が1面に日本語でこうした文章を掲載するのは極めて異例。 韓国が過去に「日本から忘れることができない傷を受けた」としながらも、日韓交流が活発になったことを歓迎。「苦しいときの友こそ真の友だ」と強調した。(共同)

「真珠湾の報い」とツイッター 米女子バスケ選手が謝罪 2011.3.15 14:53 バスケットボールの米女子プロリーグWNBAのニューヨーク・リバティに所属するキャピー・ポンデクスター選手(28)が短文投稿サイト「ツイッター」に、日本が東日本大震災に見舞われ、多数の犠牲者が出たのは、真珠湾攻撃に対する報いと書き込み、その後、謝罪していたことが14日分かった。 ポンデクスター選手は大震災後の12日「真珠湾攻撃に対する報い」とつぶやいた。発言に抗議したとみられる人に対しては、日本人の蔑称を使って「あなたはジャップ?」と記した。 同選手は14日「この悲劇の最中に、傷つけたかもしれない人に謝りたい」と述べた。 同選手はオールスター戦に3回出場、昨季の総得点はリーグ1位の有力選手。(共同)

日本の設計は「安全より経済優先」ロシア人原発専門家が批判 2011.3.16 12:38 東日本大震災に伴う福島第1原発の4号機で起きた火災について、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故で汚染除去作業に当たったロシア人原発事故専門家は15日、「経済的利益を安全より優先させたことを示す具体例」だと批判した。 この専門家は、旧ソ連時代に政府機関の責任者を務め、原発事故の汚染除去を担ったアンドレエフ氏。(共同)

石原知事「津波で我欲洗い落とせ」「天罰だ」2011.3.14 21:37 東京都の石原慎太郎知事は14日、東日本大震災への国民の対応について記者団に問われ、「我欲で縛られた政治もポピュリズムでやっている。それを一気に押し流す。津波をうまく利用して、我欲をやっぱり一回洗い落とす必要がある。積年にたまった日本人の垢をね。やっぱり天罰だと思う。被災者の方々は可哀相ですよ」と述べた。 知事は一連の発言の前に、持論を展開して「日本人のアイデンティティーは我欲になっちゃった。アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等だ。日本はそんなもんない。我欲だよ。物欲、金銭欲」と語っていた。 同日、この後に開いた記者会見で「天罰」の意味について「日本に対する天罰だ」と釈明。「大きな反省の一つのよすがになるんじゃないか。それしなかったら犠牲者たちは浮かばれない」と話した。

インドで追悼式典「日本は親友だ」2011.3.14 00:52 【ニューデリー=田北真樹子】「日本は立ち上がる。これまでも立ち上がってきた」。インドの国会議員や有識者、高僧など約40人が13日、ニューデリー市内の日本大使館前で、東日本大震災の犠牲者を追悼し、日本との連帯をアピールする式典を開いた。 呼びかけ人の野党インド人民党下院議員、タルン・ビジェイ氏(53)は15年来の親日家で、「日本はインドの親友だ。集会を開くことで、私たちの気持ちが日本とともにあることを示したかった」と語った。 アスラニ元駐日大使は涙ぐみながら、「インド人は今回の事態を自国の出来事のように受け止めている。日本は今回の大災害にも立ち向かう不屈の精神、回復力を持っている」などと挨拶した。 震災が発生してからインド国内では追悼集会が各地で行われている。

怒号もけんかもない「強い国」と越メディア 2011.3.13 22:29 「怒鳴り合いもけんかもない」「本当に強い国だけがこうした対応ができる」。ベトナムのメディアは、東日本大震災での日本人の冷静な対応ぶりを、在日ベトナム人らが驚き称賛する声を伝えた。 「防災訓練を受けていても怖いはずなのに、誰もパニックに陥る人はいない。自分の仕事に集中し、連絡を取り合っていた」。日本で働くある女性はインターネット新聞に「われわれが学ぶべき多くのことが分かった」と語った。 ある留学生は、長い列をつくってバスや公衆電話を我慢強く待つ光景などを挙げ「皆が冷静に秩序だって行動していた」と称賛。別の留学生は、教師が子どもたちを誘導する姿など、行政当局者から民間人までの素早い対応ぶりに驚いたという。 さらに「こうした強さゆえに、日本人は世界で最も厳しい条件の国土で生き抜き、米国に並ぶ経済レベルを達成できたのだ」と讃える声も伝えられた。(共同)

社会秩序、助け合いを称賛 復興に期待も、海外報道 2011.3.13 22:18  海外では、東日本大震災の甚大な被害にもかかわらず、社会的秩序を保って互いに助け合う日本人の姿を称賛したり、日本の復興を願うメディア報道が相次いだ。 米紙ウォールストリート・ジャーナルは12日付で「不屈の日本」と題する社説を掲載、「大自然からの打撃に遭っても生き延びるための備えを、日本人がどれほどきちんとしているか指摘せずにいられない」と防災システムや建物の耐震設計をたたえた。 ロシア・タス通信のゴロブニン東京支局長は「日本には最も困難な試練に立ち向かうことを可能にする『人間の連帯』が今も存在している」と称賛。「ほかの国ならこうした状況下で簡単に起こり得る混乱や暴力、略奪などの報道がいまだに1件もない」などとした。 13日付の英紙インディペンデント・オン・サンデーは1面トップで日の丸の赤い円の中に「がんばれ、日本。がんばれ、東北。」と日本語で大見出し。「日本は津波の被害から立ち上がろうと闘っている」と報じた。(共同)

雲南地震も報道せよ 中国、国内メディアに指示 2011.3.15 20:10 中国共産党宣伝部が国内メディアに対し、東日本大震災だけではなく、中国雲南省で10日発生した地震についても積極的に報道するよう指示したことが分かった。中国メディア関係者が15日明らかにした。 関係者によると、宣伝部から通知があったのは12日。雲南省の地震について特に政府の救援活動を重点的に報道するように指示があった。東日本大震災で日本政府の被災者対策が注目される中、中国当局の被災者重視の姿勢をアピールする狙いがある。

天皇陛下に宛て見舞い電報 中国の胡主席 2011.3.14 20:48 【北京=川越一】中国の楊潔●外相は14日、北京の外務省に丹羽宇一郎駐中国大使を呼び、天皇陛下に宛てた胡錦濤国家主席の見舞い電報の内容を伝えた。 電報の中で胡主席は「東北、関東地域において大きな地震と津波の災害が発生し、大勢の負傷者、巨大な財産の損失が出ましたことを伺い、中国政府、人民を謹んで代表し、日本国民のみなさんに心からお見舞いを申し上げ、犠牲者の方々に深い哀悼の意を表します」と述べた。 胡主席はさらに、「日本国民のみなさんが、1日も早く困難を克服し、復興することをお祈り致します」と述べ、継続的な救援・復興支援を申し出た。

ガンジスのほとりで 大量のお見舞いと激励 2011.3.14 03:01  東日本大震災が発生してから数多くのお見舞いと激励の言葉をインドの知人、友人から受け取っている。なかには最近、名刺交換をしたばかりの人もいて、そういう人たちでさえ連絡をくれることに驚きを覚えている。また、インド人がここまで日本に思いを馳せてくれることに感動した。 インドでこうした体験をしているのは私だけでない。ほかの日本人に聞いたら、日本にいる家族の安否の問い合わせや、お見舞いの言葉をたくさん受け取っていると言っていた。インド以外の海外で暮らす日本人も、きっと同じような体験をしていることだろう。 あらゆる情報伝達手段を通じて私に伝えられるのは、インドにいる彼ら、彼女らが日本で起きた震災に衝撃を受け、悲嘆に暮れていることだ。その言葉や文面に儀礼的な雰囲気はない。 「支援してくれる日本が苦しむ姿を見るのは胸が痛い。できることがあったら何でも言ってほしい」「日本は必ず再生を果たすと信じている」 だが、どの言葉よりも多かったのは、「亡くなられた方のご冥福をお祈りします」だった。(田北真樹子)

台湾の対日強硬派も応援 2011.3.15 20:12  【台北=山本勲】台湾の著名評論家、南方朔(本名・王杏慶)氏は15日付の台湾紙「中国時報」のコラムで、未曽有の大震災に見舞われた日本の国民や各界の対応を絶賛、「武士道精神の日本が災難に打ち負かされることはない」と最大限のエールを送った。中国時報は親中派紙で、南方朔氏も「保釣(尖閣諸島防衛)」の強固な主張者だが、こうしたメディア、評論家も今回はおしなべて日本を応援している。 台湾では一般的に戦前から台湾に居住する台湾人が親日的な一方、戦後中国大陸から渡来した外省人が日本に厳しい傾向がある。 南方朔氏は後者の代表的評論家だが、「超大地震と津波に見舞われた日本で(米ニューヨーク大停電やカトリーナ災害時のような)商店略奪も起きず、すべてに秩序が保たれている」ことを称賛。「日本独特の栄誉を重んじ、恥を知り、礼を重んずる特性」の原点を新渡戸稲造が指摘した武士道精神に求めている。 「ぐらつく菅直人政権も責任逃れせず」「官僚体制も的確に機能し、メディアも冷静客観的に報道責任を果たしている」と評価し、「日本はいま、全世界のかわりに最も尊い試練に立ち向かっている」と述べている。

露、毛布など人道物資を輸送 2011.3.15 23:50  インタファクス通信によると、ロシア非常事態省は15日、東日本大震災の被災者向け人道支援物資として毛布8600枚(17トン)を同省のイリューシン76型輸送機で日本に発送する。日本側から毛布とマットレスそれぞれ1万点の援助要請があったのを受けたもので、近く追加分の輸送も計画されているという。 ロシアからは同省の救助部隊第1陣の54人がすでに仙台で活動を始めている。(モスクワ 遠藤良介)

「隣国・日本」ロシアが最大級の支援へ 【モスクワ田中洋之】ロシアは最近、メドベージェフ大統領はじめ政府高官が北方領土を相次ぎ訪問するなど強硬な対日外交を展開していたが、東日本大震災では人道的な観点から「隣国・日本」への最大級の支援策を打ち出している。 プーチン首相は12日、原発停止で電力供給不足が見込まれる日本に対し、極東サハリン沖の石油・天然ガス開発事業「サハリン2」で生産される液化天然ガス(LNG)など発電用資源の供給量を増やすよう関係閣僚らに指示した。セチン副首相によると、日本から既に資源供給増の要請が来ており、ロシアとしては最大15万トンのLNGを早急に供給することが可能で、石炭についても300万~400万トンの追加供給を検討する。さらに海底ケーブル経由で電力を日本に送ることもできるという。 プーチン首相は「日本は親しい隣国。(北方領土など)さまざまな問題はあるが、我々は信頼できるパートナーであるべきで、エネルギー資源の供給支援に全力を尽くす必要がある」と述べた。非常事態省は13日、救助隊2班(計約75人)の日本派遣を決定。国営原子力企業ロスアトムも原発事故の技術支援に乗り出した。 北方領土では、94年の北海道東方沖地震で四島が被災した際に日本から支援を受けたこともあり、住民の間で義援金を日本に送る動きが出ている。

中国、日本人の冷静さを絶賛 「マナー世界一」の声も 2011.3.12 19:07  地震多発国で東日本大震災への関心が高い中国では12日、非常事態にもかかわらず日本人は「冷静で礼儀正しい」と絶賛する声がインターネットの書き込みなどに相次いでいる。短文投稿サイト「ツイッター」の中国版「微博」では、ビルの中で足止めされた通勤客が階段で、通行の妨げにならないよう両脇に座り、中央に通路を確保している写真が11日夜、投稿された。 「(こうしたマナーの良さは)教育の結果。(日中の順位が逆転した)国内総生産(GDP)の規模だけで得られるものではない」との説明が付いた。 この「つぶやき」は7万回以上も転載。「中国は50年後でも実現できない」「とても感動的」「われわれも学ぶべきだ」との反響の声があふれた。大震災を1面で報じた12日付の中国紙、環球時報も「日本人の冷静さに世界が感心」との見出しで報じた。(共同)


中国紙「破壊度は四川の20倍」詳報 ネットの喜ぶコメントに「中国人の恥」批判殺到 2011.3.12 12:20  東日本を襲った今回の大地震について、地震多発国の中国も関心が強く、中国紙、新京報(電子版)は「強い地震と大津波が日本を襲う。破壊度は四川大地震の20倍」と詳しく報じた。 中国メディアは特に原発被害への関心が高い。中国の核安全問題専門家の分析を掲載したメディアもある。「中国の緊急救助チームはすでに準備完了し、出発命令を待っている」と中国国内の支援態勢を伝えるメディアもある。 日本批判の書き込みが多いことで知られる中国のインターネットには、地震の被災者を気遣うコメントが多く寄せられている。「四川大地震のときに日本は支援してくれた。今回は中国の番だ」「かんばれ、日本人」「みんなで力を合わせて天災に打ち勝とう」と激励している。 日本の災害を喜ぶコメントもあるが、「おまえは中国人の恥だ」と批判が殺到している。

「試練乗り越えられる」=国連総長、日本語で哀悼-大地震 【ニューヨーク時事】国連の潘基文事務総長は11日、記者団に対し、三陸沖を震源とする大地震に関し、「日本政府と国民に心から哀悼の意を表します。日本がこの重大な試練を乗り越えられると確信しています」と日本語で声明を読み上げた。 潘事務総長は、日本は世界で助けを必要としている人たちに対する最大の支援国の一つだと述べた上で、「この極めて困難な時に、国連は日本国民と共にある。われわれは(日本のために)全力を尽くすだろう」と強調した。(2011/03/12-00:01)

あらゆる支援提供の用意 NZ首相が哀悼の意 2011.3.12 11:47 先月22日に大規模地震に見舞われたニュージーランドのキー首相は12日、津波などで甚大な被害が出ている東日本大震災について哀悼の意を示し、「私たちの惨事に対し日本は多大な支援をしてくれた。友人である日本国民のために、今度は私たちが必要なあらゆる支援を提供する用意がある」と強調した。 ニュージーランド・クライストチャーチ市の地震では、日本人を含む多数が犠牲となり、日本の国際緊急援助隊は発生2日後に被災地で活動を開始。今月11日まで地元の救助隊らとともに、捜索活動を続けた。(共同)

Operation Tomodachi 米先遣隊が日本に到着 救援活動支援が本格化 2011.03.13 Sun posted at: 11:31 JST  米国の原子力規制委員会(NRC)は12日、福島第一原発1号機で炉心溶融が危惧されることを受けて、災害発生を防ぐ目的で沸騰水型原子炉の専門家2人を同地に派遣した。原子力開発分野で世界有数の専門家を有するNRC当局は、日本に最大限協力する意向を明らかにしている。 米軍の声明によれば、これらの米軍による被災者救援活動は「友達作戦(Operation Tomodachi)」と名づけられているという。

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東日本大震災 こんな日本を 世界が助ける
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大日本帝国 はアジアの解放者である。 日本は、アジア共同体-大東亜共栄圍を夢想し、大東亜戦争(太平洋戦争)という「自衛戦争」を戦い、そして敗れたが、多くのアジア諸国を 植民地支配から解放するという奇跡を為して終わった。 ちなみに大日本が支配した植民地または併合地(韓国 台湾 パラオ マレーシアなど)は搾取されるどころか、大日本の血税が注ぎ込まれたがために、戦後発展している。

大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。 戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。 日本は戦争に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、「聖なる戦争」であった。 二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。(1967年10月 韓国 韓日文化研究所 朴 鉄柱氏)

しかし、現在の日本はどうか。 戦後GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって、日本国民は、二度と逆らうことのないように去勢された。 天皇は「人間宣言」させられ、情報操作が為され、悪名高き「東京裁判」が実施された。そこではなんと、「裁判官全員が米軍人」という異常ぶりだった。


戦後、我々は、経済復興という2個目の奇跡を為したが、戦後の GHQによって、また中国共産党や朝鮮などによって、日本人に、戦争責任や自虐史観が刷り込まれて来た。 人が良く馬鹿な日本人は、それを鵜呑みに受け入れ、結果として 経済的/精神的に搾取されて来た。その彼らの工作によって、日本は今や堕落し、斜陽となり、多くの国民が、国と祖先が血を流して守った誇り高き自国を「侵略国家だ」と言うほど愚かな国になってしまった。
 大東亜戦争開戦の契機である「真珠湾奇襲攻撃」に関しての真実は、「現地時間13時に渡さなければならない文書を14時に渡してしまった手違い」によるものである。これが「手違いだ」と分かっているからこそ、真珠湾攻撃に関しては東京裁判でも告訴されていない。 そして、共産主義の与党・民主党・現首相は、英霊が眠る靖国神社に参拝せず、なんと「国旗国家法案」にも反対している。 その施政方針においても、票取りとパフォーマンスに終始する まさに素人そのものであり、諸外国から呆れられている。 このような状態では、どれだけ過去に偉業があっても、今後に及んで「助けてください」などと言うことは出来ない。にも関わらず、この震災に 世界から多くの支援の手が差し伸べられる。

韓国は、日本の投資と援助により経済発展した。援助は、戦後も続いた。 韓国政府はその恩を国民に「隠し」日本を「侵略国家」とでっち上げて発展して来た。 その韓国の、今回のまっさらで真摯な発言は、日本と韓国だけではなく、人類にとっての至宝である。 また、北方領土領有権で揉めるロシアのプーチン首相からも、莫大なエネルギー補助の申し出がある。 「しょうもない外交をやって領土を取られる」のはロシアの占領政策の為、というよりも、ひとえに日本の自業自得である。 そして、中国の胡錦濤はチベット虐殺の張本人だが、恐れ多くも 天皇陛下に宛て見舞い電報を送ったようだ。しかし、中国の一般民衆からの声には暖かいものが多数ある。彼らは、政府に操られ反日運動をしているだけだからだ。 本当の和とは。本当の敵とは。 日本はこの度、多くの国家の暖かい支援を得ている。 今後、我々は、この震災からの復興だけではなく、アジアと世界に向けて「大和魂」を発揮しなければならない。





Japan Earthquake: before and after 日本東日本大震災: 前後対比写真
東日本大震災 都市伝説 sengoku38 GHQ 在日 蓮舫 中国共産党 侵略 チベット ウイグル 民主党 口蹄疫 虐殺 尖閣諸島 テロ AKB48 福島原発 ぺ・ヨンジュン
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初出:2011-03-15 00:46:11
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奇跡の国 満州

2011-10-25 22:45:52 | 日 本
満州国(1932-1945)は、清朝(しんちょう)(1644-1912)滅亡後は中華民国の領土となったが、政情は安定せず、1931(昭和6)、柳条湖事件に端を発した満州事変が勃発、関東軍(大日本帝国陸軍)により満洲全土が占領された。関東軍の主導のもと同地域は中華民国からの独立を宣言し、1932年(昭和7年)、満洲国の建国に至った。



「満州」とは、地域名であり、もともと中国に清朝をうち建てた満州族(ツングース系民族・女真族)の故郷であり「清朝」は満州族がつくった最後の統一王朝であって、漢族は被支配民族だった。異民族である満洲族の支配を漢民族が比較的容易に受け入れた背景には、清が武力によって漢族の前王朝「明」を制圧したのではなく、あくまで「明」の後を継いだことを前面に出していた事が考えられる。1689年以降は国際的にも満州全域が正式に清朝の国土と定められ、1740年以降は漢民族が移入することを禁じた。 伝統的に、中国(当時の清朝)は東アジアにおいて覇権を握っており、「中華思想」に基づいて、歴代王朝の皇帝が天下を支配し、冊封体制の下で東アジアの国際秩序を維持するものと考えていた。 しかし、18世紀後半になると、西欧列強が次々とアジア諸国に手を伸ばし「植民地化」を進めた。「主人は白人で、黄色人種は召使いとなる」という「白人至上主義」がアジアを覆っていた。キリスト教宣教師たちは、宗教的信念と戦勝国に属しているという傲岸さが入り交じった姿勢で中国社会に臨み、現地を支配して行った。 1839年には、英国が大量のアヘンを清国に売りつけようとしたことが発端となり、それを清国が拒むと圧倒的な軍事力をもって清国を叩いた(阿片戦争 1840-1842)。 1899年、反西洋・反キリスト教を掲げる「義和団」が蜂起し、西欧勢力を攻撃しつつ北京に進撃すると、翌1900年、皇母西太后はこれに乗せられて列強に宣戦布告したが、「八カ国連合軍」に北京を占領され、外国軍隊の北京駐留を認める「北京議定書」を結ばされた。 一方、ロシアもアジアに対し膨張主義をとっていた。共産主義革命を経たロシアは、さらに「世界革命」を目指し、全世界を「赤化」(共産主義化)しようと、「南下政策」すなわち侵略を続けていた。ロシアはそのどさくさにまぎれて満州を不法に占領し、そこに居座った。満州にロシアが居座ることは日本にとっても脅威だったので、日本はロシアを追い出すために、日露戦争(1904-1905)を戦う。 日本は日露戦争に勝利し、満州からロシアを追放すると共に、満州を清朝に返還する。日本はこのとき、満州における鉄道の権利と、遼東半島の租借権を獲得する。それは清朝からのお礼の意味もあった。

革命家の「孫文(そんぶん)」は、「日本と連携して近代的な独立国家の中国をつくろう」と意図し、1911年、「辛亥革命」を起こし、翌12年、中華民国(現在の台湾)を樹立、清朝が打倒された。 中華民国は、そのまま清朝領土の継承を宣言するが、実態は「各地域の軍閥による群雄割拠の状態」であり、新政府の弱体さに悩んでいた孫文は、やむなく「袁世凱(えんせいがい)」に大総統の地位を譲ってしまった。 満州には、「張作霖(ちょうさくりん)」の一家が統治者として支配していたが、そこには、国際条約のもと、権益を守るために日本の「関東軍」が駐留していた。 関東軍は当初、この統治者と共同路線を歩もうとするが、張親子は、条約を無視して満州の経済権益を日本から奪い取ろうとするなど、露骨な背信行為に出てきた。 それを目の当たりにした関東軍は、軍事行動を起こし、張の軍隊を満州から駆逐する。



孫文

張の軍閥政権は、まさに現在の北朝鮮のように「軍費を捻出するために広大肥沃な満州の土地を荒らし、民衆の膏血の7、8割は軍費に充てられ、商民の3割はついに破産した」と言われたほど酷い搾取を行なっていたので、日本軍による張の軍隊の駆逐をみた満州全土の民衆は歓喜した。 米国の新聞記者、ウォルター・リップマンも、「日本は激しい挑発に直面しながら、通常の国際的基準からすればきわめて忍耐強かった」と記述している。当時のイギリス陸軍の元師も、「彼ら(日本)はひどい挑発を受けてきた。……彼らが満州で地歩を固めれば、それは共産主義の侵略に対する真の防壁となる」と述べた。満州国では、皇帝が満州人であるだけでなく、大臣もひとり残らず満州人か清朝の遺臣だった。満州国はまだひとり立ちできる状態ではなかったので、日本はその建国をバックアップした。 しかし、当時の国際連盟加盟国の多くは、「満洲地域は中華民国の主権下にあるべき」とする中華民国の立場を支持して日本政府を非難した。このことが、1933(昭和8)に日本が国際連盟から脱退する主要な原因となる。 日本の願いは、自立した近代的民主国家となった中国と共同して、この東アジアに、共存共栄の経済圏をつくり出すことだった。また共に、西欧やロシアによるアジア侵略に対する防波堤となることだった。

満州国は、わずか13年間の王国だったが、世界史上、奇跡の国だった。 満州の総面積は、現在の日本の領土の約3倍。 かつて盗賊的な軍閥に支配され、搾取にあえいでいたこの地に、日本人は、鉄道、道路、港湾、空港のほか、上下水道、治山治水、電力供給など、様々な国土開発計画を実施した。 首都・新京は、じつに先進的な100万人都市として建設された。路面はすべて舗装され、東京にもなかった「下水道」が敷かれ、「水洗便所」が使用された。また、以前は鍋・釜しか製造できなかった満州は、やがて自動車や飛行機まで製造する一大産業国家に変身した。 治安がみごとに確立され、つぎには近代的な司法制度、法律が完備され、賄賂の悪習も追放された。 貨幣の統一もわずか2年間で達成された。日本人以外は字も読めない人々がほとんどであり、教育もなく、国家の理念すら理解されていなかったが、日本はそこに学校を建て、教育を普及させるとともに、病院を建て、風土病、伝染病を駆逐していった。 満州国では「五族協和」を掲げていた。いろいろな民族の人々が、満州国の平和と繁栄にあこがれ、自分もそれにあやかりたいと競ってやって来た。そして彼らにより、この何もない原始的だった地が、きわめて短期間のうちに近代的な法治国家として成長した。 そこは搾取や略奪のない、生命・財産の保護される平和郷であり、周辺地域から比べれば非常に優れたアジア人の王道楽土となっていた。 建国以降、年間100万人を超える人々がなだれ込んだ。1932年の建国時に約3000万人だった満州の人口は、終戦時の1945年には、4500万人以上にも増えていた。現在の日本の人口の約半分もの人々が、そこに暮らしていた。 もし今日の中国人が言うように、「当時の満州が略奪と虐殺の地獄だったなら」このような現象はみられなかったはずである。 ヨーロッパの大思想家カントやモンテスキューは、哲学や法学の大著の中で、「中国人は嘘つき」と説く。中国共産党は現在も、たとえば「日本軍による南京大虐殺」という「かつて自分たちが中国民間人に対して行なった殺戮」を、すべて日本軍のしわざと、厚顔無恥に叫び続けている。 なぜなら、去勢され、日本人としての気概を失ってしまった大和民族は、何を言っても謝らせ、搾り取ることが出来るからである。



満州国の新京・日本橋町。満州国は、周囲からみると別天地であり、
様々な民族が年間100万人以上なだれ込み、共に国造りに励んだ。



尖閣諸島領有権を巡って日中関係が烈しく揺れていた昨年の 9.18、瀋陽市で開かれた式典に中国全土の視線が注がれた。 79年前、この場所で起きた9.18事件、いわゆる「満州事変」を想い起こそうという集会である。 そこには、今なお日本国に突き付けられる憎悪と不信がある。しかしこれは、中国共産党による失笑の国民扇動手法の一環 であり、「無知ほど怖いものは無い」という実例である。






もし日本が敗戦することなく満州国が存続していたら、満州国は間違いなくその後のアジアにおいて巨大な発展を遂げ、アジアの平和と繁栄に寄与する重要な国家となっていただろう。 1945(昭和20)、赤軍(ソビエト連邦軍)による侵攻を受け、日本降伏により満州国は崩壊。ソ連の支配下となり、次いで中華民国に返還された。その後の国共内戦における国民政府の敗北により、現在は中華人民共和国の領土となっている。  黄文雄氏はこう述べている。「大日本帝国は、80年にして人類史に計り知れない貢献を行ない、遺産をもたらした。負の遺産はほとんどない。『過去の一時期』に問題があるとすれば、それはただ、日米戦争に負けたことだ」 そして日本がそこに残した遺産は、その後の中国の重工業の90%を支え、中国の経済的基礎となった。 戦後の中国は、この満州国の遺産で食い繋いだ。豊満ダム完成後見学に来たフィリピン外相は「フィリピンはスペイン植民地として350年、アメリカ支配下で40年が経過、住民の生活向上に役立つものは一つも造っていない。満州は建国わずか10年にしてこのような建設をしたのか」と語った。


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東トルキスタンから誘拐され、中国人にスリをさせられる子供達

2011-10-16 01:52:20 | 中国共産党





https://www.nicovideo.jp/watch/sm22403580


ようやるわ  この子が何をした?逆に何が出来る。せいぜい「スリ」くらいだろう。 そしてこの扱いか。どれほどの恐怖だ。だいたいこんな小さな子が窃盗するとして、そりゃ生活苦か、やらされてるかどっちかだろう。それくらい分からないのだろうか。 指折られてますね。この映像は中国で撮影されたことは確かなようである。まあ、中国人の得意とするところは、「嘘吐きやパクリや誤魔化しや虐殺や人食い」なので、こんな映像は取るに足らないものかもしれない。 中国では、政府が「貧乏人の腕や足を斬り落とし、身障者を作り、物乞い組織を運営している」そうだ。 この場合は、「子供をさらい、『新疆泥棒』を作成して、同時に、ウイグル人を悪者に仕立て上げよう」という作戦か。さすが中国。 体格的にも圧倒的に劣る子供をみんなで囲んでリンチする。いつまでも。 やれやれ、本当に素晴らしい民族だよ中華人どもは。自分たちは嘘を吐きまくって泥棒し続けているくせに。 そして、こいつらの千年子分が朝鮮民族である。 そして、まさかあなた方日本人さんたち。 この映像を見て何も対処しない、動かない、お笑い番組を見ていたほうが良い、なんて方はいらっしゃらないですよね。まさかね。 笑ってもいいとも!

現在、「新疆(しんきょう)ウイグル自治区」とされているところは、「東トルキスタンという国家だった」ところである。 「新疆」というのも地名ではなく、「新しく支配した辺境」という意味である。 さて、1949年、中華人民共和国建国と同時にチベットとともに東トルキスタンも侵略された。その後、主に中国の犯罪者や入植部隊がその地に投入され、いまではその侵略によって、人口比率は逆転している。 そして部隊は、ロシアとの国境付近に集中的に配置され、そこにある天山山脈は、豊かな水源地帯でもある。 つまり、中共は、ロシアへの防備を固めると同時に、東トルキスタンの水源を制圧することを目的としている。 『漢人を大量に送り込み、都市と水源を確保する』 これこそが、中国がわずか60年で、東トルキスタンを掌握した作戦の要諦である。(WiLL 2011/10号 P90)



・「計画生育」という名目で数百万の赤ちゃんの強制中絶を行い(麻酔無し)
・ 45回の核実験と核廃棄物の投棄により、多くの人々が放射能中毒で犠牲になり
・「政治犯」として数万人単位の人々の拷問と処刑が執行されている

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中国内地におけるウイグル族ストリートチルドレンの生存状況調査
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1.アニワルの帰宅  もし姉が彼に祖母の家の電話番号を無理に覚えさせていなかったら、アニワルはたぶん永遠に母に会えなかっただろう。 アニワル、ウイグル族、新疆カシュガル地区カルギリク県出身。2歳のときに両親が離婚し、ずっと祖母に育てられた。 小学生のアニワルはとても聞きわけが良く、成績はいつもクラスの3番以内で、級長にも選ばれた。 2005年4月27日午後、悪夢がおきた。1台のタクシーが下校中のアニワルの前に止まり、1人の中年男がおりてきて、アニワルにチョコレートを渡して、温かい声をかけた。チョコレートを食べたアニワルは知らず知らずにタクシーに乗り、その後さらに白いワンボックスカーに乗り換えさせられた。アニワルが目覚めたとき、すでに蘭州に連れてこられていた。 その後、アニワルは故郷から5000キロ以上離れた広州に連れて行かれた。粗末な部屋でアニワルともう2人の最近連れてこられた男の子は厳しい監視下に置かれた。彼らを連れだした男は、彼を「親分」と呼ぶよう子供たちに命じた。 次の日、「親分」は3人の男の子を「実習」のためにマーケットに連れて行った。アニワルははじめて自分の仕事が「泥棒」だということを知った。アニワルはそれが違法であり、アッラーも泥棒を罰していることを知っていた。「親分」は盗みをしたがらないアニワルを情け容赦なく殴りつけた。 アニワルの最初の「実習」は全然うまくいかなかった。マーケットの中で、一人の男の子が盗んだ携帯電話をアニワルに渡し、早く逃げろと言った。携帯を受け取ったアニワルは数10メートル走ると足がもつれた。 持ち主はアニワルを捕まえ、彼を派出所に連れて行こうとした。その時、ずっと脇にいた「親分」が姿を現し、アニワルを「奪い」かえした。 住処に戻ると、「親分」はアニワルが逃げ切れなかったことを責めて、手ひどく往復ビンタを食らわした。「実習」1週間後、「親分」はアニワルに正式に仕事を始めるよう命じた。彼が応じないと、「親分」はベルトで思い切り彼の太ももを鞭打ち、「実習期間」を1週間延ばした。 2週間の実習が終わって、アニワルは仕事を始めた。彼はもう盗みは怖くなかった。怖いのは盗みに失敗して殴られることだった。 あるスーパーの出入り口で、1人の女性が食べながら歩いていた。アニワルは彼女の後をつけ、女性のショルダーバッグのファスナーを開けて財布をすり取った。しきたりに従い、アニワルは財布の中の650元と銀行カードを「親分」に渡すために13歳の男の子に差し出した。これはアニワルが広州に来て15日目で、最初の単独窃盗の成功だった。 アニワルはすぐに新しい生活に適応した。彼は彼を捕まえた警官に家に戻りたいという願いを伝えたこともあったが、彼を引き取りに来たのはやはり「親分」だった。

アニワルは「親分」に連れられて多くの南方の都市を「転戦」した。もう何回盗んだのか覚えていなかった。 一番多いときは、6人の財布、2400元を盗んだ。その時は、「親分」は機嫌よく彼に200元の小遣いをくれた。彼は喜んで100元で服を一式買い、残りの100元で遊園地で遊んだ。 アニワルは警察に捕まることは怖くなかった。彼はすでに何回派出所に捕まったのかよく覚えていない。彼はほとんどいつも派出所の入り口近くに彼の「親分」が待っているのが見えた。「親分」は最初から、彼らは未成年だから、漢語が分からないふりをしていれば、警察はいつまでも拘留しておくわけにもいかないし、もし警察が本気だったら、自傷行為で警察を脅せばおとなしく釈放すると教えていた。 アニワルが怖いのは持ち主に殴られることだ。警察はウイグル族ストリートチルドレンの泥棒には気兼ねするので、盗まれた持ち主はしばしばこの子たちに当たり散らす。アニワルは持ち主にも殴られ、「親分」にも殴られた。 流血は全身傷だらけのアニワルにとってはもうありふれたことだ。何日か前の、最後の失敗の時にも、「親分」に高々と持ち上げられたあと、地面に叩き付けられた。

2006年7月22日昼、アニワルは再び捕まった。今回は若いウイグル人の警官ウラムジャンに会った。ウラムジャンは優しく尋問し、食べ物や飲み物も買い与えてくれた。そして弟に接するように彼を自分の宿舎に連れ帰った。 アニワルに「生きたい」という願いが燃え上がり、突然ウラムジャンの前にひざまずき、家に帰らせてくれと頼み込んだ。 「アニワル、まだ生きていたのかい?」。祖母は電話口で泣きだした。 夜中の1時半、アニワルの母は飛行機に乗って派出所に駆けつけ、失踪して1年以上になる息子と対面した。 

2.子供一人5000元  新疆社会科学院のレポートによると、中国内地を放浪するウイグル族児童のうち9割が誘拐された子供だった。しかもほとんどの子が、近接する南疆(なんきょう)の出身だった。 03年1月から05年12月までに、保護され自治区に戻った3660人のストリートチルドレンのうち、9割以上が南疆のウイグル族だった。これは何を意味するか。 「私の住んでいるところに一棟の豪邸があるが、それは人さらいの家だ。一部の親は生活に行き詰まって、やくざ者に子供をケバブ売りとして渡してしまう」。アクスの何人かの子供を救助したことのある人はそう語っていた。 「3歳から16歳までいる。多いのは10歳から13歳だ。小さな子が抱きついて人の注意をそらし、大きな子が盗む」。

「僕の窃盗団は16人の大人と4人の子供がいて、見つけられにくいところに住んでいた。2人の大人と2人の子供が一部屋にいた。4人の大人が一人の子供が盗むのを監視していた。大人はナイフを持っていて、僕たちが盗むときに声を上げようとする人を脅した。 大人たちは僕に沸騰するお湯の中からコインを取らせ、もし取れなかったらベルトで殴った。僕と一緒に住んでいた男の子は11歳で、僕より1カ月早く誘拐されてここに連れてこられた。彼は1度逃げたが、捕まって連れ戻されたとき、ひどく殴られて死にかけた」。救助されたダルハンは、誘拐されて泥棒をさせられる子供たちにはみなつらい「実習期間」があると語っていた。 「親分」は子供たちに毎日の上納ノルマ(500~2000元)を課し、ノルマを達成できなかったり逃げようとしたりする子供は袋叩きにされる。もっと徹底して彼らを統制するために、一部の「親分」は子供たちに薬物やとばくに手を染めさせ、女の子は通例性的虐待を受ける。そして逃げた子供は「親分」から逃げ切っても、しばしば別の「親分」の手中に落ちる。 ウイグル族ストリートチルドレン救助組織が一番頭が痛いのは、救出された子どもたちの多くが年齢が低すぎて自分の家がどこだか分からないことだ。「3人の子を保護したが、小さい子は3歳、大きい子でも8歳だった。こういう小さい子は自分の家の前に駄菓子屋があったことは覚えていても、住所は覚えていない」。アクスのこの熱心なボランティアも仕方なしに子供を救助所に送り返した。 このボランティアの話によると、漢族のストリートチルドレンは養子にもらわれることもあるが、家を探し出せないウイグル族のストリートチルドレンは顔立ちが漢族と異なるので、漢族が養子として引き取ることはない。収容救助は過渡的な行為に過ぎない。つまり、もし政府がウイグル族ストリートチルドレンに適切な処遇をしなければ、彼らを待っているのは放浪――窃盗を続けることだけだ。

「その後、3人の子供たちはみな養子にもらわれた。来た連中は養うと主張し、値付けまでしてきたから、私たちも人買いと分かったが、他に誰が養うんだ? あの子たちにはみんな値が付いていた。人買いの間には横の連絡があって、名の知れた、盗みのうまい子は5000元で売れる。普通の子でも1000元の値がつくんだ」。

3.お願いだから子供たちをあまりひどく殴らないでくれ  新疆のストリートチルドレンを収容すると、ハラル(イスラム教の教えに則った食品)の飲食を提供しなければならず、子供たちとの意思疎通もできないので、管理は非常な難題となる。送還費用も高い。言葉が通じないので、内地の警察は犯罪だと分かっていても証言を得られず、黒幕を特定できない。 結局、いろいろな部門は手を引き、新疆の児童は収容されず、もしくはだれかが引き取りに来たら、すぐに釈放される。こうして、新疆のストリートチルドレンは派出所に捕まっても、すぐに出て盗みを続ける。 「私がアニワルを連れ帰った次の日、彼らの「親分」は私の携帯番号を調べ出して、電話で私を脅しながら、金銭交渉を持ちかけてきた」。ウラムジャンは腹立たしそうにため息をついた。「やつらはそこまで大胆になっている!」。

当局のウイグル族ストリートチルドレン問題での無能によって、住民は怒りをウイグル族ストリートチルドレンに向けている。インターネット上では、「ウイグル泥棒」を非難する感情が噴き出し、民間の反スリ運動家は市民にむけて暴力による反スリ戦闘開始の檄文を発表し、捕まったウイグル族ストリートチルドレンが市民の暴力で血まみれになっている。 佳泉は、2歳の娘がいる河南省安陽市の教員だ。2005年末、泥棒が街中で堂々とスリをしていることに我慢ならず、安陽反スリ連盟を結成した。  同じ子供が1週間のうちに反スリ隊に何度も捕まり、「捕まえるのが恥ずかしくなるほどだ」。 最初は見ず知らずだったが、今ではこの子供たちと知り合いになった。 彼らに、「ご飯食べたか?」と聞くと、盗んだものを渡さないと食べさせてもらえないとか、殴られるという。ある新米の子供は、盗みがすごく下手で、しょっちゅう我々に捕まり、そして、しょっちゅう「親分」に殴られている。彼の父親は死んで、母親は交通事故にあった。人さらいに「遊びに行こう」と連れ出されたそうだ。 最初に捕まえた時は、彼は本当のことを話した。だがその後は、本当のことは言わなくなった。あるとき小さな子4人と大きな子1人を捕まえた。多分その中に「親分」の親戚と子供がいて、監視されていたんだろう。だから何も話さなかった。 5回目に捕まえた時も、いつものジャージで、それがすっかり破れてひどく汚れていた。 佳泉は、反スリ連盟結成当初はスリに暴力をふるったと話した。だが、今この子たちの話をするときは、彼の口調は父親のような愛に満ちていた。

佳泉と同じく、一部の民間人は、両親の手元から引き離されたウイグル族の「泥棒」たちに心を痛めている。 「一人のウイグル族の子供が売られて上海で泥棒をしていた。3年間やったあと、警察に送り返された。捕まったとき、誰かが手を上げると、彼は泣きだして隅に隠れた。いつもナンを持っていて、お腹の減った時に少しずつかじっていた。警察が送り返すために、買った服に着替えさせた時、警官までが泣きだしてしまった。10歳にもならないこの子の全身には200か所もの傷跡があったんだ。 このウイグル人の子の家は大金持ちで、その家の老人はそんなふうになってしまった子供を見て、涙を流して一言も言葉が出ず、噛みしめた唇から血を流していた。この老人は最後に、「君たちに100万元やるから、私に直接この子を誘拐した人さらいを殺させてくれ」と頼んだ。 ある新疆の漢族のネットユーザーは内地の反スリグループに暴力を乱用しないように絶え間なく呼びかけている。彼は、多くの人に「新疆泥棒」の悲惨な運命について知ってほしいと願っている。

4.どの子もみな国の宝だ  「彼らは最大の被害者だ」と、サイト管理者の1人タイハンは語る。多くのウイグル人大学生が内地で勉強を始めるとき、泥棒の問題でしばしば差別を受けている。 「家でおとなしくしていないで、のこのこ出てきて民族の名を汚している」。当時タイハンは彼らウイグル泥棒をひどく恨んだ。だが、何人かの子供を救ってから1人ひとりの子供がみな悲惨な物語を背負っていることを知り、全力で彼らを救おうと決めた。「助けられるだけ助けよう」。 現在、桂林、重慶の反スリ組織も子供たちの帰郷を助け始めた。一部の漢族のウイグル族に対する誤解も徐々に解けつつある。 「どの子もみな国の宝なのだから、みんなが明るい未来を持つべきだ。彼らは子供のうちに家庭を失い、生活のための技能もない。もし盗みを続けていたら、いつまでも泥棒のままで、大きくなったら自分のときのように他の子供を誘拐して泥棒をさせるだろう。そうなったら、被害者が完全に加害者になってしまう」とイリハムは語った。 佳泉が最初にウイグルオンラインと連絡を取ったのは、ウイグル族が一体ストリートチルドレンの盗みをどう見ているのかを知ろうとしてだった。彼は、ある新疆のBBSに「我々は新疆泥棒にどう対処すればいいのだろう」と題した投稿をした。「本当にウイグル族ストリートチルドレンの運命に関心を寄せているサイトがあったんだ!」。 「私は漢族で、河南省安陽に住んでいます。私は反スリ隊員です。私は教育労働者です。私は新疆を愛しています。私たちはみな中国人です。民族の団結のため、新疆ストリートチルドレンのため、私は命を含め、自分の一切を奉げるつもりです。この子たちの明日のために、手を携えて努力しましょう! 連絡をください」。 佳泉のウイグルオンラインへの投稿は多くの人の気持ちを動かした。だが、1年前には彼もウイグル泥棒を激しく憎む市民の1人だった。

5.ヌルグルを救う  少女ヌルグルは12歳。誘拐され売られて1年、彼女にとっては365個の悪夢だけでなく、心の底に一生埋め込まれた恥辱もあるだろう。2007年の初め、運命は彼女に悲劇からの脱出の機会を与えた――佳泉が最近行った反スリ行動で、彼女は捕まったのだ。 警察で制限時間が来たら放免され、ふたたび窃盗集団の親分の手に落ちるのを防ぐため、ヌルグルはただちに救助所に送られた。反スリチームは一方で救助所にすぐにヌルグルを家に送ると約束し、もう一方ですぐにイリハム・トフティと連絡を取った。 反スリチームの監護の下で、ヌルグルはイリハムと電話で話した。ヌルグルは、自分の家はアクスで、ママは自動車事故で死に、継父がアクスに住んでいると語った。イリハムは少女に、本当のことを言えば、すぐに継父が迎えに来ると告げた。 少女が親分の脅しでウソをついていることははっきり分かったが、イリハムは救助所に留まらせるために彼女が誘拐された証拠を示すことができない。彼は必死になって自分の新疆の関係を通じてヌルグルの親戚関係を探し、もう一方で佳泉に救助所に働き掛け、決して彼女を出さないように頼んだ。 あちこち訪ね回って、イリハムはヌルグルの最初の話しの通り、彼女の継父がアクスに住んでいることをつかんだ。北京に戻ったイリハムは佳泉が送ってきたヌルグルの写真を見て、「この子は本当に苦労してきたんだ。私はこれまでにこんなに老けて、まなざしに恨みがこもっている12歳の子供を見たことがない」と語った。 「彼ら(人さらい)は君に触らなかったかい?」イリハムは怒りを抑えつつ聞いた。彼は多くのストリートチルドレンの少女が性的虐待を受けていることを知っている。

3日目、新疆の一人の警察職員がヌルグルの継父を電話の前に連れてきた。彼は電話でイリハムと言い争いを始めた。ヌルグルの継父は「他人が余計な口出しをするな、おれには交通費もないし、その子を養うこともできない」。イリハムは怒って言った「私たちが金を出すんだったら子供を迎えに来るだろう?」。ヌルグルの継父は「今忙しいから、後で電話してくれ」と言って電話を切った。その後いくら電話してもこの男は出てこなかった。


   

この重篤な悲劇に、我々日本人はどう対処するのか。 まずは知ることから。そして
東トルキスタン支援Tシャツ 3,938円 (税込)




日本ウイグル協会 東トルキスタンに平和と自由を ウイグルホットライン



しかし皆さん、ご安心下さい。このような中国共産党の力は、今後、益々日本にも及びます。 中共は、チベットやウイグルから奪った資源を「軍事費や開発費」に廻して、経済的にも世界覇権を得る。 債務危機に苦しむギリシャでも、古くから地中海交易の中心・アテネの外港として栄えてきたビレウス港は、既に2年前から中国資本となっている。しかも、その技術は、日本の技術者が支えている。 奴らは、空と海の拠点確保に向け、着実に布石を打っており、日本はあらゆる面で勝てない。たとえば、今後話題の 太陽光発電は、日本はコスト面での太刀打ちができずに太陽電池の生産を縮小しており、それとは対照的に、中国は貪欲なエネルギーソースの開発を行っていて、国家的政策により太陽光システムの生産量を拡大している。 日本がこの先、急激に太陽光発電に向けて舵を切った場合も、システムの供給を中国に依存することになる。もし、政治レベルでこのような舵が切られることになれば、中国が受ける経済的利益は、これはとんでもなく大きい。そして日本は飲み込まれる。冒頭の映像の子供の姿が、将来の日本の姿そのものとなる。 それを手助けするのが、与党・民主党や、孫正義さんらである。  昨日のチベット、今日のウイグル、明日の台湾、そして明後日の日本。



東日本大震災 都市伝説 sengoku38 GHQ 在日 蓮舫 中国共産党 侵略 チベット ウイグル 民主党 口蹄疫 虐殺 尖閣諸島 テロ AKB48 福島原発 ぺ・ヨンジュン
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Comments (8)
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中国3000年極醜の歴史・世界の中心で何をやっとる

2011-09-27 22:34:02 | 中国共産党
中国は 3000年以上に亘り、血で血を洗う戦乱を繰り返して来た。その度に、敗残兵は相手の「食料」にされ、敗者の歴史を根絶やしにして勝者の歴史が新たに始まるので、そこに成熟はなく、「接木の歴史」であると言える。ゆえに中国の歴史は、4000年どころかせいぜい100年程度である。 漢族の王朝・明が滅亡後、満州人(ツングース系民族)の王朝・清 が最後の王朝になった。 そもそも中国大陸には近代まで「国」という概念はなく、皇帝は中華思想のもと自らを地上で唯一の王だと考えた。 しかし、18世紀後半になると、ヨーロッパ諸国が産業革命と海運業によりアジアに進出していった。



偉人・毛沢東さん

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中国近代史年表
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1368-1644 明朝 万里の長城以南の中国は明に統一される 江南から誕生した王朝が中国を統一したのは明が唯一である
1644-1912 清国 満州族がつくった中国を支配した最後の統一王朝
1840-1842 アヘン戦争
1850-1864 太平天国 このころ、ヨーロッパ諸国が産業革命と海運業によりアジアに進出していった
1872    日本の琉球処分により冊封国「琉球」を失う
1894    日清戦争 朝鮮半島領有権をめぐる戦争
1895    下関条約締結 日清戦争に勝利し下関条約で朝鮮の独立を認めさせた
1900    義和団の乱
1904    日露戦争 朝鮮半島領有権をめぐる戦争
1910-1945 日韓併合時代
1911    辛亥革命 翌12年、中華民国(現在の台湾)が樹立、清朝が打倒される
1921    中国共産党結成 
1931    満州事変 翌年、満洲国建国
1936    西安事件
1937    盧溝橋事件(中共軍が国民党軍と日本軍を戦わせるために日本軍を攻撃した)
1937-1945 大東亜戦争(太平洋戦争)
1941-1945 日中戦争
1948    韓国/北朝鮮建国(朝鮮分裂)
1949    中華人民共和国建国
1950-1953 朝鮮戦争 朝鮮半島の主権を巡って共産圏側が軍事境界線を越えて韓国に侵攻
1958-1960 大躍進政策
1965-1975 文化大革命
1972    田中角栄が、日中国交正常化に調印
1976    毛沢東が死去 同年、その妻・江青が逮捕される

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アヘン戦争
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当時のイギリスは、茶、陶磁器、絹を清から大量に輸入していたが、中国に輸出する商品を欠いており、毎年大幅な貿易赤字となっていた。これに対しイギリスは、アメリカ独立戦争の戦費調達や産業革命の資本蓄積のため、銀の国外流出を抑制する必要があり、インドの植民地で栽培した麻薬アヘンを中国に輸出することで三角貿易を成立させた。 清は1796年にアヘンの輸入を禁止したが、アヘン密貿易は年々拡大し、中国社会でのアヘンの蔓延は清朝政府にとって無視できないほどになった。 アヘン密輸によって莫大な利益を得ていたイギリスはこの機会に武力でアヘン密貿易の維持と開国をさせる決意を固め、翌1840年、清国沿岸に侵入しアヘン戦争を起こした。

1850 太平天国の乱
 キリスト教の信仰を紐帯とした組織「太平天国」によって起こされ、内乱終結時には史上最も犠牲者の多い内乱として記録された。 アヘン戦争の余波により、多くの匪賊が横行し、これらを太平天国が吸収した。 太平天国とは、中国の歴史の上で初めて理想的な共産主義社会を実現した国家である。 共産主義国家であるため、太平天国の国民は私有財産を持たず、婚姻などという封建的な制度も存在しなかった。 軍は流賊的ではあったが、匪賊を吸収しても軍内の規律は厳正で高いモラルを有していた。勝手に民家に侵入することすら禁止され、「右足を民家に入れた者は右足を切る」といった厳罰主義でもって規律維持に当たったといわれる。一方で清朝軍の方が賊軍らしく不正略奪行為を行なっていたという。 太平天国は中国のほぼ半分を占領、ついには南京を天京と改称して首都としたが、1864、湘軍(清朝の武装集団)の猛烈な攻撃の下で天京城は攻め落とされ、太平天国は滅亡した。僅か13年間の栄華だった。

その後植民地化が始まり、日清戦争(1894-1895)で日本に敗れたことにより列強による植民地化が進行する。これを契機に、満州人の支配に対する漢族の革命運動が各地で起こり、その結果、1911年の辛亥革命を契機として翌1912年に中華民国が成立(直後に清朝は消滅)した。

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清国の滅亡
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まず1854年、冊封国暹羅が朝貢を廃止し勝手に開国した。1872年、日本の琉球処分により冊封国「琉球」を失った。1884年、インドシナ半島の植民地化を進めるフランスに対抗し対「越南」(ベトナム)宗主権を維持しようとして起こした清仏戦争(- 1885)によって冊封国「越南」を失い、「緬甸」(ミャンマー)はイギリスにより英緬戦争で併合された。朝鮮に対しては宗主国として内政に干渉していたが、日清戦争(1894-1895)で敗北し、下関条約によって、朝鮮が「自主国」であることを承認させられ、建国以来もっていた冊封国「朝鮮」に対する影響力も失った。まさに「惨め」である。

1899年、反西洋・反キリスト教を掲げる「義和団」が蜂起し、「扶清滅洋」をスローガンに掲げて外国人を攻撃しつつ北京に進撃した。翌1900年、西太后はこれに乗せられて列強に宣戦布告したが、八カ国連合軍に北京を占領され、外国軍隊の北京駐留を認める北京議定書を結ばされた。こうして清の半植民地化はますます進んだ。

その後、義和団の乱の影響もあって清朝政府はついに近代化改革に踏み切り、1908年、憲法発布・議院開設を約束し、1911年5月には軍機処を廃止して内閣を置いたが、慶親王内閣が「皇族内閣」と批判され清朝は求心力を失い、漢民族の孫文らの革命勢力が中国などにおいて次第に清朝打倒運動を広げていた。10月、辛亥革命が起こり、モンゴルにおいても、12月に独立運動がおこった。 翌1912年、中国の南京で「中華民国」が樹立され、ここに清は276年の歴史に幕を閉じ、完全に滅亡した。

※ 冊封国(さくほうこく)とは、前近代の東アジアで中国王朝を中心とした冊封体制の下で、中国王朝を宗主国とした従属国のこと。朝貢国、藩属国、服属国、附庸国などとも言う。

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中華民国の誕生 
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1911年、清朝が打倒されて古代より続いた君主制が廃止され、共和制国家である中華民国(現在の台湾)が樹立された。 臨時大総統に革命家の孫文(そんぶん)が就任する。 しかし、それが中国全土を統治していたわけではなく、実際は他に幾つもの自称「政府」が乱立していた。そしてその「政府」たちは、互いに他を「偽政府」と罵り合い、内戦を繰り返していた。 孫文は「日本と連携して近代的な独立国家の中国をつくろうとした」が、清朝の軍人、袁世凱(えんせいがい)の陰謀により、新政府は乗っ取られる。 中国の歴史は、李登輝・台湾元総統の言葉を借りれば、常に「騙す者と、騙される者」の歴史である。中国『六韜』(りくとう)と呼ばれる歴史書が有名で、これは一言でいえば、「いかにして人を騙すか」ということが趣旨になっている。

袁世凱は、崩壊寸前の清朝から孫文を討つために遣わされて来たが、こともなげに清朝を裏切り、新政府の乗っ取りを謀った。新政府の弱体さに悩んでいた孫文は、やむなく袁世凱に大総統の地位を譲ってしまった(1912)。 かつて日本の明治維新の推進者たちは、私利私欲では決して動かず、大局を観て、国家の未来だけを想っていた。しかし中国では「利害次第でどうにでも動く人々」が大勢を占めていた。 あの関東軍の石原莞爾も、孫文の中華民国政府が誕生し心から喜んだ一人だったが、孫文の袁世凱への政権委譲を聞いて落胆し、「漢民族に近代国家を建設するのは不可能だ」と語った。この時、中国での維新を目指し「中国人による中国人のための近代的中国」をつくろうとしてきた日本の「大東亜共栄圍構想」は、実質的に「頓挫」した。こうして、近代中国の独裁政権による歴史が開始された。



孫文

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中国の手口
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袁世凱は、中国の伝統的手法「夷(い)をもって夷を制す」(敵勢力同士を対立させ戦わせて力をそぎ、自己の延命をはかること)を実践し、西欧列強と日本を対立させ、さらに嘘とデマゴーグにより反日運動を展開する。 さらにそこには「中華思想」(中国は世界の中心であり最高であるという根拠無き独善的思想)があり、西洋人に対するテロや、焼き討ち、虐殺といった事件が多数起こされた。  しかし、中国人のそうした排外運動は、やがて西洋人よりも、「とくに日本人に対して」向けられるようになる。なぜなら、西洋が排外運動を強圧的に封じ込めたのに対し、日本はそれをしなかったからである。 台湾の歴史家 黄文雄氏は「自分の敵わない相手とみるや、とことん従順になるのが中国人の特性である」と語っている。 1926年には、反英運動が広まるなかイギリスの商船が中国側に拿捕されたが、その時イギリスは、砲艦二隻を派遣し、砲撃の末、町を徹底的に破壊した。 これにより反英運動は消滅した。

日本の中国での行動は、暴虐な西洋諸国に比べると、あまりに誠実だった。 西欧列強の軍隊が占領した地域では「白人至上主義」により、住民への略奪、暴行、殺人が繰り返されていたが、日本軍の占領地域では、ほぼ完璧なまでに治安が維持され、住民の救済も周到に行なわれていた。日本には、「弱きを助け強きをくじく」という伝統的美徳があるが、中国人にはこれが理解できず「単に弱者は弱味があるから弱者である」と解釈する。 中国の文豪・魯迅(1881-1936)も、「中国人は、相手が弱いとみるや、その弱みにつけこむ民族だ」と嘆いている。 中国にとって米国は昔も今も大きな敵であるが、米国は日本のように「理由も無く謝り引き下がらない」ので、中国で反米運動は燃え上がらない。
 そして反日運動を利用して「国内の不満を外に向け」中国政府への不満のガス抜きをする。

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中国共産党の歴史
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1921 中国共産党結成 コミンテルン(ソ連の共産主義革命組織)の主導により、毛沢東らが各地で結成していた共産主義組織を糾合する形で結成された。 中華民国の統治期には、中国国民党と時に協力し(1924年の第一次国共合作)、時に敵対した(1927年の蒋介石による上海クーデターにより国共分裂)。

孫文の作った「中国国民党」は、孫文亡き後、蒋介石(しょうかいせき)が継いだが、国民党もひどい内戦を繰り返し、分裂していく。しかしそこから分かれた汪兆銘(おうちょうめい)が、中国の未来を考え、1940年親日政権(南京政府)を樹立した。 汪兆銘は、当初は反日家だったが、国民党内では蒋介石より人望があり、孫文の「三民主義」を継承し、日本と中国の協力により東アジアに平和と安定と繁栄を築けると信じていた。 日中戦争(1937-1945)は、大東亜戦争終結までの8年間と言われているが、実際には日中の戦闘は1年半あまりで終結し、日本軍はそれ以上進攻せず、占領地域でのインフラ建設や、経済建設に集中した。 その支配地域では、経済、財政、物価、治安が安定し、鉄道も作られ、民衆の生活は他と比べると天国と地獄ほどの差があった。  

毛沢東は一農村に拠点を置いて活動していた。これは、当時の中国の人口の圧倒的多数を占めるのは農民であり、農民の支持なくして革命の実現はありえなかったためである。また、都市部が国民党に押さえられていたため、共産党の活動拠点は山奥の華中や華南の農山村地域にならざるをえなかった。1931年、毛沢東らは江西省瑞金において「中華ソビエト共和国臨時政府」を樹立した。 しかし共産党軍は、中国国民党軍の包囲攻撃に抵抗することができず、1934年には中央根拠地を放棄して逃避行を始めた。

日中戦争・大東亜戦争 における日本の敗戦は、毛沢東率いる「中国共産党」の謀略によるところが大きい。日中戦争は、当初日本軍優位に進み、日本軍は多くの都市を占領したが、各拠点支配はできても、広大な中国において面での支配はできず、これを利用した国民党軍・共産党軍ともに 各地でゲリラ戦を行い日本軍を疲弊させた。 国民党政府は連合国側に所属し、アメリカやイギリスなどから豊富な援助を受けることとなった(援蒋ルート)。そのため、日本は、長期間にわたり100万以上の兵力を中国大陸に貼り付けて置かねばならなかった。 中共軍の実態と言えば、全く、匪賊、山賊のような存在であり、蒋介石の国民党軍によって山奥に追いやられていたが、しかしいつもスルリと逃げられていた。それは、蒋介石の軍事顧問となっていたドイツ軍人の中に、実は共産党コミンテルンのソ連スパイが紛れ込んでおり、上海に居るリヒャルト・ゾルゲに情報を流していたためだと言われている。その手足になっていたのが、日本人・尾崎秀積や中西功らの「中共諜報団」だった。(WiLL 2011/3号 P31)

1927 南京事件 蒋介石の国民革命軍が南京を占領した際に起きた日本を含む外国領事館と居留民に対する襲撃事件。 反帝国主義を叫ぶ軍人や民衆の一部が外国の領事館や居留地などを襲撃して暴行・掠奪・破壊などを行い、日本領事館も襲撃され、暴行や掠奪、領事夫人が陵辱されるという事態となった。この事件はあえて外国の干渉をさそって蒋介石を倒す共産党側の計画的策謀といわれている。

1945年に日本が第二次世界大戦で敗北すると、それまでの中国国民党との妥協的態度から、ソ連の後押しで国民政府打倒共産党政権設立に動いた。 満州を占領したソ連の後押しで東北から南下して国民党軍を圧倒し、最終的には国民政府を倒して中華人民共和国を建国した。国民党政府は台湾へ遷都した。

蒋介石は当初、日本と戦う気は無かったが、西安にて潜んでいた際 中共兵に捕らえられ捕虜となってしまう(西安事件・1936)。 そこに、ソ連のモスクワにある「コミンテルン」(国際共産主義運動)本部から、「蒋介石を殺さず日本軍と戦わせよ」との指令が下された。 中共軍は、中国の伝統的手法「夷(い)をもって夷を制す」を実践し、生き残りを謀った。 毛沢東は蒋介石に、「命を助けてやるから、お前は日本軍と戦え」と告げると、蒋介石は「ならば共産軍も国民党軍と一緒に日本と戦え」と告げる。こうして、いわゆる「国共合作」が実現した。

蒋介石が、敵を中共軍から日本軍に変更したことは、彼の人生において最大の過ちといっていいだろう。 なぜならば、そのために彼は後に共産軍に負け、中国大陸から逃げ出して、泣きながら「台湾」に渡らねばならないはめになったからである。 また、これは単に彼の過ちだったというだけでなく、中国の歴史にとって極めて不幸なことだった。「国共合作」といっても実際は共産軍はほとんど何もせず、日本軍と戦ったのは(米国に手引きされた)蒋介石だけだった。一方で日本軍は、中国で多くの戦力を釘付けにされるなど、苦しい状況に落ち込まされた。 国民党軍が日本と戦っている間に、中共軍は力を回復し、やがて日本が中国大陸から去った後に国民党軍を打ち負かすことになる。 その結果、中国は近代的国家になるどころか、ついに独裁的な共産国家となってしまった。



蒋介石

1949 中華人民共和国建国 が北京で宣言されたが、党内部では路線闘争、権力闘争は絶えず、安定的に発展することはできなかった。 当初、ソ連をモデルとして社会主義建設が始まったものの、1956年のスターリン批判以降はソ連共産党との関係が悪化、武力衝突までに至った。 建国直後にはチベットを侵略、その後そこで核実験を繰り返し、チベットの純朴な民と美しい郷里を破壊した。その民族壊滅作戦は現在も継続されており、強制連行、強制労働、過労死、拷問死させることにより、数十年後にはチベットとその文化と民族は完全に消滅する。

1958-1960 大躍進政策 数年間で経済的に米英を追い越すことを目的に、毛沢東が施行した農工業の大増産政策。農村の現状を無視した強引なノルマを課し、推計2000万人から2億人ともいわれる餓死者を出し大失敗に終わり、その結果、毛沢東は自己批判を行って国家主席を辞任した。 その内容はこれ失笑以外の何物にも換え難い。 鉄鋼の増産が要とされ、農民までもが駆り出され、労力は鉄作りに費やされる。原始的な溶鉱炉で、薪や藁が燃やされ、「鍋や鋏」まで溶かされた。 これではご飯も作れないし髪も何も切れない。生活用品まで溶かせば生活できなくなるのは当たり前だ。 農地は共有され、労働意欲も失われた。しかし共産党からの絶対命令だからやらないわけには行かない。その結果、田畑は荒廃し、鉄製品をみんな駄目にして、さらに良い結果を報告しなければならないから、多くの畑で取れた収穫物を一箇所に集め、収穫高を多く見せかけた。 これでは皆さんが餓死してしまうのも当然だ。 それを「党の命令は失敗だった」などと言えば反乱分子と見做されて粛正される。 これが、毛沢東さんの大躍進政策の実態である。 失笑。



労力は鉄作りに費やされ、田畑は荒廃し、多くの餓死者を出した。

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文化大革命という笑劇
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1965-1975 文化大革命 党内から冷遇されながらもそれに耐えていた毛沢東はついに紅衛兵※を味方に党に牙を剥いた。「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という名目で行われた改革運動。 しかしその実態は、大躍進政策の大失敗から失脚した毛沢東が、「劉少奇(りゅうしょうき)からの政権奪還を目的として自らの実権を回復するために発動した」反政府運動。 毛の指示に基づいて林彪(りんぴょう)が主導して開始されたとされている。これが大衆を巻き込んだ大粛清へと発展、「国内の主要な文化の破壊と経済活動の長期停滞をもたらす」国家的大惨劇となった。 これまで政治的な発言が制限されてきた民衆の欝憤が一気に爆発した。当初は事業家などの資本家層が、さらに学者、医師、弁護士などの知識人等が弾圧の対象となった。多くの人材や文化財などが破壊された。





文化大革命による行方不明者を含めた犠牲者数は、推計で1000万以上と言われ、これらの政策によって中華人民共和国の経済発展は、30年遅れたと言われている。 その後、林彪と毛沢東の間に対立が生まれ、1971年、毛沢東後継者と憲法にまで規定された林彪らは毛沢東暗殺を画策するも失敗し(林彪事件)、林彪は飛行機でソ連へ逃亡途中、モンゴルで暗殺される。この事件を切欠として考え始める者もあらわれたが、その後も「四人組」を中心として、毛沢東思想にもとづく独自の社会主義国家建設を目指し、文革は進められた。 犠牲者数については、大躍進政策等と合わせて3000万人程度となった(餓死者除く)とされている。 毛沢東批判さえしなければ、共産党ですら批判してもよいということになり、大躍進の失敗後、国家主席として経済の調整に取り組んできた劉少奇(リュウショウキ・しかも彼の政策により、国家は確実に快方へと向かっていた)がこの混乱期に紅衛兵に捕えられ、毛沢東による長い拷問の末、獄死。 劉を手助けした鄧小平(とうしょうへい)も失脚させられ、地方で労役に従事させられた(1973年に復帰)。


※ 紅衛兵(こうえいへい)は、中華人民共和国の文化大革命時期に台頭した全国的な青年学生運動。 1950年代の人民公社政策や大躍進運動の失敗によって実権を失っていた毛沢東は 1965年から実権派に対する奪権を目指し、文化大革命を計画。1966年には各中学の学生が秘密学生組織を相次いで設立した。

紅衛兵の告白: 毛主席を見た紅衛兵たちは興奮して天安門に殺到した 怖かったよ もし転んでいたら、大勢に踏まれて死んでいただろう 文革は崇高な世界をつくるためだと思った 我々は文革に積極的に参加して、命がけで悪者を退治すると誓った 偉大な事業に身を捧げることはずっと憧れだった やっとその時が来たんだともう夢中になった 毛主席に従うことこそ、正しい道であり、生甲斐だった 最初に手を出したのは王さんだ あの頑丈な軍用ベルトで、殴るたびにもの凄い音を立てていた 打たれた背中は血まみれになっていた 市のトップたちが腕をねじ上げられていた コートを逆に着せられて看板を首に吊るされた トラックで市内を引き回されていた 最初は棒や石で戦っていたが、そのうち銃や機関銃などの武器を使うようになった 遺体展示会が開かれた 壁新聞は国家主席を妖怪だ、と書いた 何を信じていいか分からなくなった 劉少奇は最大の走資派で、鄧小平は2番目だ、と書いてあった 「人民日報」は党の新聞だから、それが正しいことだと信じていた 捕虜が殴られるのを見た 固く縛り上げられて鉄の棒で殴られていた そして銃殺された 殴り殺された人が道に転がっていた でもみんな怖くてどうにもできない 手を出せば敵と見做されて銃撃される 建物の中に入ってみると身の毛が弥立つようだった 最上階は監獄だった 人1人がやっと横になれるくらいの場所に監禁されていた 茶碗には食事が残されていたがただのゴミにしか見えなかった



望みをかけて育てた子に密告される親 も多数あった 江青は劉少奇打倒を呼び掛け、破壊的路線は加速した

「紅五類」(労働者、貧農・下層中農、革命幹部、革命軍人、革命烈士、およびその子女)であり紅衛兵団体の加入認証を得た者が紅衛兵となる。対して地主、富豪、反動分子、悪質分子、右派分子、およびその子女は「黒五類」とされ、出身のみの理由で吊るし上げの対象となった。親が黒五類であることを告発・糾弾して、出身にも関わらず紅衛兵となった例もあった。

北京の紅衛兵は「破四旧」(旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣の打破)を叫んで街頭へ繰り出し、毛沢東語録を手に劉少奇や鄧小平に代表される実権派、反革命分子を攻撃した。 ジーンズをはいた若者を取り囲んで服を切り刻んだり、老舗の商店や、仏像など、貴重な文化財を片っぱしから破壊し、果ては多くの人々に暴行を加え死傷させた。主席毛沢東は「造反有理(造反にこそ道理あり)」として支持を表明した。のちにこの言葉に「革命無罪(革命に罪なし)」が付随した。

毛沢東は、全国から上京してきた紅衛兵延べ1,000万人と北京の天安門広場で会見し、紅衛兵運動は全国に拡大する。しかし、紅衛兵運動は派閥に分裂し、大規模な武闘を繰り返すようになり、毛沢東にも統制できなくなった。 最終的には毛沢東の父が富農だったことを批判する壁新聞まで出現し、もはや毛沢東すら紅衛兵をコントロールできない事が明らかになってしまった。 1968-1969年、「知識青年上山下郷運動」(下放)が展開され、その後、1968年からおよそ10年間に渡り農村支援の名目のもとに約1600万の中学卒業生が農村や辺境に追放された。

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新たな謀略・下放
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劉少奇の自由化政策によって経済は持ち直したが、毛沢東と江青は紅衛兵を利用して劉を獄死させ、権力を奪還した。 しかしその結果、都市の混乱は極限に達し、もはや誰にも紅衛兵をコントロールすることはできなかった。 そこで毛沢東は、「下放」という新たな策略を打ち出す。 「若者よ農村へ行け、そこで貧しい農民に学べ」そして再び惨劇は起った。 1600万人ともいわれる青年の多くは、「毛主席に奉仕するため」として熱狂的に「下放」に応じた。それは、戸籍も都市から農村へと移される、片道切符の旅立ちだった。 「都市と農村の格差撤廃という共産主義のスローガンの影響と、都市部の就職難を改善させる目的」から、半強制的な性格かつ永住を強制する措置として行われ、「頭上にはバナナ、足元にはパイナップルが実っている、牛乳は飲み切れず入浴に使う」と聞かされた。 やがて若者たちは、想像とはかけ離れた現実に直面する。「こんなところに一生暮らすのか」みんな黙りこんでしまった。 農業の専門家でもないのに農法や政治思想について農民たちにあれこれ指示しようとした学生たちは、識字率も低く古くからの意識や因習を残す農村の人々の反発を受け、現地になじむことはできなかった。農村には都市のような娯楽も高等教育もなく、家族や都市を懐かしみ脱走しても、強制送還された。



下放される青年たち 汽笛が鳴ると、あちこちで泣き声が上がった もちろん泣いたよ、永遠の別れだと思ったから
しかし記録映画では喜んでいるようにしか見えない

この政策によって、中華人民共和国では大学が1972年ごろまで閉鎖され、多くの青年層が教育の機会を失った。また、大学再開後も入学試験は行われず、青年層は農村に下放されたため専門知識を持つ人材の育成は大きく遅れた。このために、中国の教育システムならびに学術研究分野は後継者を育てることができず崩壊し、下放を受けた世代は無学歴・低学歴という状況が顕在化した。また、この政策によって中国の経済発展がいちじるしく停滞したと言われている。 この政策により都市における失業や就業圧力は一時的に緩和したが、紅衛兵とそれに続く「貧困農村での再教育」は多くの若者の精神を荒廃させ、無数の家庭を離散させた。

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離陸した中国は世界制覇へ
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「内部問題とソ連との敵対関係」で危機感を強めた政権は、1972年アメリカ合衆国大統領ニクソンの訪中を受け入れた。 しかし、ニクソン訪中の真の目的は単に中ソ戦略にあり、そんなことは外から見ていれば20代の若者でもすぐに分かることだった。しかしそこで日本は「日本抜きの米中接近が図られるのではないか」と勝手に勘違いし、慌てて中国へと向かった。 同年、田中角栄が、日中国交正常化 に調印。同時に台湾との国交を断絶。戦後台湾と築いてきたものを一瞬にしてどぶに捨て、一方的に中国共産党の延命に協力することになった。(WiLL 2011/3号 P33)

1976年 最高権力者・毛沢東が死去すると、文化大革命推進派は力を失い、毛沢東の妻・江青など文革派の「四人組」は逮捕され、華国鋒体制が成立し、1977年には文革の終結が宣言された。



1981 4人組裁判 江青らは晴れて死刑に 民衆はパレードをもって歴史的瓦解を祝った

中華人民共和国は、毛沢東時代(1949-1978)と鄧小平時代(1978年-)に分類される。 1978年第11期三中全会で鄧小平が政権を握った。 鄧小平は、政治体制は共産党一党独裁を堅持しつつ、資本主義経済導入などの「改革開放政策」を取り、近代化を進めた。この結果、香港ほか日米欧などの外資の流入が開始され、中国経済は離陸を始めた。 1989年には北京で、1980年代の改革開放政策を進めながら、抗議者からの異議を寛大に取り扱っていたために失脚していた胡耀邦(こようほう)の死を悼み、民主化を求める学生や市民の百万人規模のデモ(天安門事件)が起きたが、これは政府により武力鎮圧された。その犠牲者数は、数百人から数万人に上るといわれている。 引退した中国の核心的ブレーンや複数の共産党幹部は「動乱は必ず起こる。そう遠くない将来にだ」と発言したとされ、体制内の人間たちも現在の中国に危機感を抱いていることが明らかとなった。 

2002年の第16回党大会では、公式に胡錦濤(こきんとう)体制への転換が完了した。 胡錦濤は、鄧小平(とうしょうへい)によって49歳の若さで党中央政治局常務委員に抜擢され、チベット民族虐殺・侵略の首謀者として知られる。鄧小平は、天安門事件で民主化を望む民衆を戦車で轢き殺した。 中国共産党次期総書記は、ウイグル・ウルムチ虐殺事件の責任者とされている、習近平(しゅうきんぺい)である。 彼は、2009年に外遊先のメキシコで、「腹がいっぱいになって暇になった外国人がわれわれの欠点をあれこれあげつらっている」、「中国は革命も輸出せず、飢餓や貧困も輸出せず、外国に悪さもしない。これ以上いいことがあるか」と述べた。 つまり、「欧米に飴を与えてサービスしているのだからとやかく言うな」 と言うわけである。 しかし、その飴は、ウイグルチベット民族の血と涙から出来ているので、良いわけは無い。

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昨日のチベット、今日のウイグル、明日の台湾、明後日の日本
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今世紀、まもなく中国は、確実に世界の覇権を握るだろう。 そして既に、あらゆる面で日本は搾取されている。たとえば、中国は、国益のため廃液を垂れ流し、国土を汚し、大気を汚し、河川を汚している。 そして今後懸念される世界的な「水不足」対策の為に 北海道や紀伊山地の原生林をバンバン買い漁っている。 さらには、中国大使館が南麻布の一等地を落札し、自衛隊基地を一望できる高台などを狙っている。 こうした事態の予兆とも言うべき動きが、東北唯一の政令指定都市、仙台で繰り広げられた。 市内の国鉄跡地15000平米の再開発事業に、中国直系のファンドが買収の名乗りを挙げた。 仙台市は当初、この構想に乗り気だった。しかし当時の市長、梅原克彦氏がこれを却下するという英断を下したため事無きを得たが、これを仙台は理解できず、梅原氏はついに再選に打って出ることができなかった。

現在、「新疆(しんきょう)ウイグル自治区」とされているところは、「東トルキスタンという国家だった」ところである。 「新疆」というのも地名ではなく、「新しく支配した辺境」という意味である。 「東トルキスタン」は、ごく短期間、清朝の末期(明治15年)に支配されたことがあるが、清朝滅亡後の1933年には、独立を回復した。しかも、清朝は漢人の王朝ではない満州人の王朝であるので、「東トルキスタン」は、中国の一部ではない。 さて、1949年、中華人民共和国建国と同時にチベットとともに東トルキスタンも侵略された。その後、主に中国の犯罪者や入植部隊がその地に投入され、いまではその侵略によって、人口比率は逆転している。 入植者には、良好な土地が優先的に配分され!独占的な地位を保証されている。 そして部隊は、ロシアとの国境付近に集中的に配置され、そこにある天山山脈は、豊かな水源地帯でもある。 つまり、中共は、ロシアへの防備を固めると同時に、東トルキスタンの水源を制圧することを目的としている。 『漢人を大量に送り込み、都市と水源を確保する』 これこそが、中国がわずか60年で、東トルキスタンを掌握した作戦の要諦である。(WiLL 2011/10号 P90)

菅直人は、辞任直前の8/10、中国向け観光ビザの発給に関しさらなる緩和措置を発表した。 従来はそこに所得制限があったが、それを撤廃するうえに、滞在可能期間も延長させた。辞職を目前に控えたドサクサを狙った政治手法はほとほと姑息かつ悪辣で、中国の子分、朝鮮人の人間性が滲み出ている。 そもそも民主党というのは「日本を切り売りして中韓朝が権益を得ることを目的とする売国政権」である。 中国が、というよりも、「与党・民主党の陰謀に我々日本国民が気付かず騙されてしまうこと」が問題なのだ。 ある者は「日本は既に米国に支配されている、中国に支配されても大家が変更されるだけだ」と笑うが、中華食人欺瞞国とその人民の実態をぜんぜん知らないで言っているので、ゲンナリする。 すべてが万事この調子で、今後、我々大和民族は、更に落ちぶれ チベット、ウイグル、モンゴル、台湾に続いて、こいつら中国の下僕となる予定である。


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