欺瞞的善人の悲哀

欺瞞は汚いので消します。カレーはポークです。 この世の「最良の精神たち」よ さあ共に闘おう!

北方領土への道 さらば 日本領土 さらば 北方4島

2011-05-14 17:33:28 | 日 本
日本の領土 でありながら、日本人が立ち入ることが出来ない島。 北方領土。
自然に恵まれた豊かな島々- 北方領土の島々には、キタキツネ、ゴマフアザラシ、オットセイ、トドなどの他、国後島、択捉島は森林資源に恵まれていて、ヒグマも住んでいる。また、エトピリカ、エゾライチョウ、オジロワシなどのめずらしい鳥も多い。 周辺の海は暖流と寒流が交わっていて、世界の三大漁場のひとつに数えられる。 特にサケ、マス、タラ、タラバガニ、ハナサキガニ、昆布、ナマコ、エビ、ホッキ貝、ホタテなどの宝庫である。S14年の漁獲高は 215,865トンに達し、金額で今の価格に直すと100億円を越える。 冬は北海道内陸部より暖かく、夏は涼しい- 北方領土というと厳しい寒さを想像するかもしれないが、海流の影響を受けるため、2月の平均気温がマイナス6度前後と、北海道の内陸部より暖かく、雪も少ない。 夏には海霧(ガス)がかかって日照時間が少ないことや、オホーツク海から冷たい空気が入ってくるので、いちばん暑い8月でも平均16度である。






素晴らしい自然でしょう 出生率も増加 休みはいつもこれさ






∴NHKスペシャル 北方領土 解決の道 はあるのか
北方領土返還交渉…かつてない厳しい状況下で日本外交が動き始めた。 ロシア政府の投資で島は潤い、かつて日本の援助に頼った貧しい姿はすでにそこにはなかった。 そして去年11月。メドベ-ジェフ大統領が国後島を訪問、実効支配への強い国家意思を見せつけた。 占領から66年、返還実現の最大のチャンスは、ソビエト崩壊で島の疲弊が進んだ時代だった。しかし、歴史の正義を求める思いと、ロシアを動かす現実的な外交戦略との間で日本は揺れ動き、交渉は毎回暗礁に乗り上げた。そして現在。ロシアは自国経済の躍進とともに日本への関心を低下させ、北方領土問題解決の意欲も遠のきつつあると言われる。 日本に、まだチャンスはあるのか? 民主党・前原外相がロシア訪問を計画するなど、政府は“メドべ-ジェフ・ショック”を機に再び動き始めた。 島を追われた元島民はすでに平均年齢77歳。残された時間が少なくなる中で“固有の領土”返還を求める日本にどんな戦略が必要なのか?


私自身があの島で生まれ育った者ですから、なんとしても帰る



お互いが知恵を出して  もっと良好な雰囲気の中で話したかった



元外務審議官(1997-1999)丹波 實(たんば みのる)

領土問題というのは「国家の柱」ですよ!「国家の座標軸」ですよ!これを簡単に手放す国というのは!軽蔑される!
北方4島は、父祖伝来の地でだよ!いままでどっこの国も領有したことの無い、日本固有の領土ですよ!
平和条約の中に!
今でも!ロシアは!日本は!北方4島に!主権を持っていると!書くんですよ!






∴北方4島 略史
1798 近藤重蔵が最上徳内とともに択捉島に渡り、択捉島に「大日本恵登呂府(だいにっぽんえとろふ)」と書いた標柱を建てる
1867 江戸幕府が滅び、明治政府が誕生
1855 日露通交条約締結 択捉島とウルップ島の間に国境線が引かれる 樺太においては国境を設けず、これまでどおり両国民の混住の地とすると決められる
1875 ロシア政府との間に「樺太・千島交換条約」が締結される 樺太全島をロシアに渡し、「千島列島および北方領土の全部が日本の領土」となることが平和的に確定
1880 色丹島・国後島・択捉島に村役場が置かれ、行政組織も確立される
1904 日露戦争 朝鮮半島領有権をめぐる戦争に勝利
1905 ポーツマス条約 日本はロシアから樺太(サハリン)の北緯50度以南の部分を譲り受ける
1941 日ソ中立条約締結 相互不可侵および、一方が第三国の軍事行動の対象になった場合の他方の中立などを定めた全4条の条約
1945 大東亜戦争終結後 ソビエト軍が、戦後のドサクサに紛れ「日ソ中立条約を無視し」樺太(サハリン)及び千島列島に侵攻、北方4島も含め占領される 日本軍の約60万人が捕虜として捕らえられ、「シベリアに抑留」され、その後この約60万人はソビエト連邦によって過酷な環境で重労働をさせられ、6万人を超える死者を出した 日本は、欧州戦線でソ連と戦闘中の同盟国(三国同盟)ドイツからソ連を背後から攻撃するよう強く要請されていたが、「かたくなに日ソ中立条約を遵守して」ドイツの要請に応じなかった それに対しソ連の対日攻撃は自ら批准した日ソ中立条約を無視した暴挙であった ソ連軍は、「米軍が来ていないかどうか、住民に聞きながら侵攻した」という
1947 樺太(サハリン)、北方4島の残る住民すべてが強制的に日本本土に引き揚げさせられる → 樺太(サハリン)、千島列島と北方領土が一方的にソ連に編入される
1951 日本が「サンフランシスコ平和条約」に調印し、樺太(サハリン)、千島列島を放棄 しかし、ソビエト側はこの条約に署名していない
1956 日ソ共同宣言 日ソ間で平和条約が締結されず、歯舞/色丹に関して、将来平和条約が締結された時に引き渡す宣言が為される
1960 日米安保条約締結 ソビエトはそれに反発、日ソ共同宣言は無効化され、返還交渉は頓挫する






戦後のドサクサに紛れ ソビエト軍が、樺太(サハリン)、千島列島、及び北方4島 に侵攻↑
↓赤い部分が、樺太・千島交換条約後の日本領




∴ロシアに 北方4島は不要 である
かつて、北方4島には、17,291名もの日本人が暮らしていた  しかし、ソビエトの占領により、島を追われ、それから60年余り、元島民たちは今も故郷を想い続けている。 1991年のソビエト崩壊後、ロシアは深刻な経済危機に見舞われていた。 北方領土では人口が激減、その生活をようやく支えたのは日本からの人道支援物資だった。 人々の間では、日本への返還に賛成する声さえ上がるようになった。





そして 1998年の橋本×エリツィン会談にて、日本は4島一括返還に最も近付いたと言われる。 橋本政権は、「経済協力と引き換えに」返還の時期には拘らず「4島一括の日本の主権をまずロシアに認めさせ」一方でロシアによる統治を認めた。 エリツィン大統領は身を乗り出し、「非常に興味がある」と述べ、日本は譲歩しながらも主権の所有を貫いたが、当時の側近は、「4島を返却すれば、国内での対立が深まり、当時の政権が危機的な状況になることを予測」し、エリツィンに思い留まらせる。 結果、経済危機に瀕するロシアに対しても、返還には至れなかった。

∴北方領土への道 4島追うもの、1島も得ず
日本は1950年代、2島返還で決着を計ろうとしたことがあった。 それに対しソビエトは、歯舞と色丹のすべての住民を転出し無人島にしたが、東西冷戦の中で日ソの接近を危惧した米国が「それなら沖縄を日本に還さない」との意思を表明し、それ以後日本は米国の意向を汲み、4島一括返還の姿勢を保持することになる。

その後、外務省欧亜局長(1999-2001)東郷和彦氏と鈴木宗男氏が、「日ソ共同宣言に基づき」4島一括という枠組みから脱することで局面を打開しようと試みる。 何をテコにしてロシアを動かすか。「自分が不愉快だ」って気持ちだけ言ったら、永久に北方領土は還って来ない。 国民の世論が、いつまで4島一括返還を追い続けてくれるか、なんで自国領土の返還を、不正義を犯した国に対して頭を下げて頼む必要があるのか、その気持ちを持つのは当然だが、その気持ちをぶつけて領土は還って来るのか、その時の国力や情勢を鑑みて考えなければならない。 空想的なことを何度言っても進展は無い。ロシアは「段階的な話し合いには応ずる」というのだから、まずは、2島返還を推し進め、加えて国後/択捉に関しての交渉を行い、最終的に4島返還を目指す「並行協議案」を推すべきである。 さすが、策士・鈴木である。

2001年当時、プーチン大統領は、日本の経済支援に期待していた。「日ソ共同宣言の遵守は、ロシアにとっての義務だ」とまで言っている。 「ロシアが2島返還の意思を表明」これはきわめて異例な態度であったが、日本の政権及び世論は、「4島一括返還案からちょっとでも離れると国後/択捉を全部失う」という恐怖感に支配された。 それは逆に言えば「一括返還案から離れても交渉が出来る」という「想像力の欠如」だった。 2002年 鈴木宗男氏が斡旋収賄の疑いで逮捕 東郷氏も「外交を混乱させた」との理由で免職となり、並行協議案は挫折した。 この事態にロシア側は「呆れ」交渉しようという意欲を失った。

「日本側には真剣味が無い。 日本は 最善の結果が約束されていないと交渉すら始めない」

日本国民は幼稚な国民である。こんな国家は相手にされない。 その後、ロシアは着々と国力を整え、一方日本は、総理大臣も外務大臣も次々に交代していくという政治状況が続く。 そして2004年以降、プーチン前大統領は、北方4島を戦略的重要地域と認識し、加えて膨大な地下資源、海産資源も有することから実効支配強化に努め、2007年から「クリル社会経済発展計画」を実施、人口2万にも満たない北方領土におよそ「500億円もの」投入を行った。





∴ロシアによる 拉致 は継続される
ロシアは北方領土を我が物として、日本の漁船が近づくと、領海侵犯と密漁の疑いで拿捕(だほ)する。 1997年まで拿捕された漁船の数は1,306隻、拿捕された人は延べ9,274人を数えている。 拿捕されると、短くて3ヵ月、長い時は4年の刑罰を受け、船体、漁具、漁獲物の一切を取り上げられ抑留される。 残された家族も収入が途絶え、文字通り、家族の生活は崩壊する。 それに対し、日本政府は何の対処もせず、被害者はどんどん増加していく。 これは、明確な拉致被害である。

∴領土問題 解決
ロシアは他国との間にも領土問題を抱えている。 そしてこの10年で、少なくとも8カ国と国境線の確定で合意している。 特に中国とは、ソビエト崩壊後、国境の確定作業が本格化していた。 1969年 中ソ国境紛争。中ソは領有権を巡り烈しく武力衝突し、戦争への危惧が高まった。 かつて、ロシアと中国との間には、不信感しか無かった。しかし、中国が「軍事的、経済的に大国化する中で」手を結ぶまでに至った。 国境を確定してからロシアと中国は合同で軍事演習を行うまでになった。領土問題解決によって、ロシアはアジア地域での安定を手に入れ、経済的な結び付きも、かつて無く強まっている。 両国の貿易額は、2004年以降、5倍に膨れ上がっており、ロシアから中国に輸出される原油は、今年一気に倍増する。 中国の富国強兵策の成功が、両国の協調に役立ったわけだが、では「日本の富国強兵策」は進展しているのか。 与党・民主党・共産勢力が、「科学技術費の削減やバラマキ政策をはじめ国益に反する政策」を次々と実施しているのはもう国民も気付き始めている。



中国に最優先で売ります 中国抜きでは生活が成り立たない 中国人と安心して付き合えるわ



中露合同軍事演習での胡錦濤とプーチン 胡錦濤は、チベット民族虐殺・侵略の首謀者として知られる

∴日本に 打開策は あるのか
昨年11月、「ロシア投資促進会議」が開かれた。 これは、極東への投資を呼びかける国際会議であり、そこに14社が招かれ、日本からは、最も多い5社が招かれていた。 ロシア側はこれまでも「政治ではなく経済からはじめて行こう」と繰り返し述べて来た。まずは、主張の隔たりが少ない分野から協力関係を築くべきである。というのは正論である。しかも、実際に、ロシアは日本の技術を求めている現状がある。打開策はあるが、それを生かすことが出来ない稚拙な日本政府のこの現状。  そして、大日本帝国の大和魂が失われた、「骨抜きの経済的にも斜陽の日本国が」他国に相手にされず領土を奪われるのは真に当然である。 では、何故、大和はここまで落ちぶれたのか。それは、そのように仕向けた国家と勢力が暗躍しているからである。その「工作」を封じない限り、日本は今後益々堕ちて行く。  戦後66年、元島民たちは、「私たちには時間が無い こんどこそ」との想いを秘めるが、他国の躍進の前に、相対的に日本の存在感は薄れている。 故に、「北方領土上陸/アザラシと遊ぼう3泊4日ツアー」は、永遠に実現することは無いだろう。

大和魂は消滅した。 さらば 日本領土。 さらば 北方4島。
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8 Comments

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Unknown (Unknown)
2011-05-14 17:40:51
田中角栄が机をがんがん叩いたからこそ成立した日ソ共同声明
http://www.news-postseven.com/archives/20100918_818.html

「コンピューター付きブルドーザー」「今太閤」など数々のあだ名を持つ昭和の名宰相・田中角栄。強引な手法とは裏腹に、ニコニコ笑顔のイメージが強い田中だが、怒鳴ると怖かったそうだ。

 これは1973年、日ソ共同声明に関する交渉の席でのエピソード。机をがんがん叩きながら、ブレジネフ書記長を相手に迫る田中が「『未解決の諸問題』に北方四島の返還問題が含まれるか」と尋ねると、ブレジネフは「ヤー・ズナーユ(そう理解する)」。と返答。しかし、曖昧さを許さない田中が、「含まれるのか、含まれないのか。イエスか、ノーか、ご返事いただきたい」と迫ると、ブレジネフは渋々、「ダァー(イエス)」。

 こうして日ソ共同声明は発表となったのだった。

※週刊ポスト2010年9月17日号

田中角栄 北方四島交渉でソ連に「イエスかノーか?」と強気
2010.12.19 17:00  http://www.news-postseven.com/archives/20101219_8410.html

高等教育を受けずに首相まで上り詰め、「今太閤」として絶大な人気を誇った田中角栄。その交渉力についてジャーナリストの松田賢弥氏が解説する。

* * *
1973年、角栄は首相としてモスクワを訪れ、ソ連共産党中央委員会書記長・ブレジネフとの会談に臨んだ。席上では会談後に発表される日ソ共同声明の文言が検討されていた。その中に<第二次世界大戦の時からの未解決の諸問題>との言葉があった。

当時、外務省東欧第一課長として会談に同席していた新井弘一の著書などによれば、角栄は、「この<諸問題>に北方四島の返還問題は含まれるのか?」とブレジネフに舌鋒鋭く迫ったという。

領土問題の存在をソ連に認めさせようとしたのだ。

4本の指を突き立てた角栄に対し、ブレジネフは、「ヤー、ズナーユ(私は知っている)」と曖昧な答えで逃げを打つ。角栄はそこでたたみかけるように、「含まれるのか、含まれないのか。イエスかノーか?」と机を叩いて迫り、ブレジネフはついに「ダー(イエス、その通り)」と応じた。

相手が誰であろうが、言うべきことは言う。角栄が交渉で物怖じしなかったのは、背負っているものの「重さ」を感じていたからだろう。故郷・新潟をはじめ、貧しい生活、不遇に苛まれる国民たちの声なき声。角栄は政治家になる過程で、最も大切にすべきものは何かを、自身の肌で、体で、学んでいた。だからこそ退かなかった。退くことなどできなかったのだ。

※SAPIO2011年1月6日号
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ご苦労様です (a)
2011-05-15 02:21:54
労作をご苦労様です。
作者ご自身があちらこちらにリンクを張っておられるということは、この作品はかなりの自信作ということでしょうか?

上の地図はいつの地図でしょうか?
ソ連が日本領に侵攻したときは南樺太も正式に日本領だったはずですが。  2011-05-14 23:42:44
返信する
Unknown (一般人)
2011-05-15 02:29:34
ありがとうございます (少し訂正させていただきました)

>上の地図はいつの地図でしょうか?

★ 北方4島略史 に、 1875 ロシア政府との間に「樺太・千島交換条約」が締結される
樺太全島をロシアに渡し、「千島列島および北方領土の全部が日本の領土」となることが平和的に確定

と書きましたから、そのころの地図だと思われます。

リンクは毎回貼ってます。 自信作かどうか、私としては、頑張って良く出来た方だと思います。
今後もご助言よろしくお願い致します。
返信する
a (ご苦労様です)
2011-05-16 03:12:27
追加されたとのこと。
しかし、私にはどうもあの地図がソ連侵攻のところに載っているので、当時樺太全土がソ連領土だったとの誤解を読む者に与えてしまうのではないかと恐れます。

「ttp://www.mofa.go.jp/mofaj/comment/faq/mofa/hp.html#05」によると、以下に掲載されている地図は「外務省ホームページから引用」と出典を明記すれば利用可能とのことです。

ttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo_keii.html

他にも利用可能な地図がネット上に出回っているかもしれません。自分で地図を加工してみるのも一つの手です。

あるいは今使用されている載せてある地図をそのまま利用されたいなら、樺太千島交換条約の下あたりへ移したほうが良いような気がします。

なんやかんや注文つけて申し訳ありません。
力作であることは認めております。

返信する
Unknown (一般人)
2011-05-16 23:28:42
ありがとうございます。

直しましたが まだ不足があるかもしれません。
返信する
日露の領土問題 (遊爺)
2011-05-17 15:50:20
一般人さん、こんにちは。TBをありがとうございました。しつものことながら、大作には頭が下がります。
ロシアは、自衛隊の手薄なこの時期に、複数回偵察機をよこしていましたが、今回(15日)は、3度目になるイワノフ副首相の北方領土訪問を実施しましたね。支援もありますが、ドサクサに付け込むDNAは変わらない様子ですし、4島の実効支配強化の歴史的方針変更は、変わらないと言うことですね。お手すきの時にでも、以下をご参照ください。
 http://blog.goo.ne.jp/yuujii_1946/e/5560abe1e8dac19cc3537f3666955c27

 樺太の半分と千島列島が日本の領土と表示された地図は、子供のころに見た鮮明な記憶があります。日本の領土はこんなにあった時代があるのだと子供ごころに深く印象が刻まれたのでしょう。娯楽で日清・日露戦争の映画をよく見ていたものです。
 ご承知の通り、千島列島は、徳川幕府時代からもめていた両国の領土問題を、1975年5月に大日本帝国とロシア帝国の間で「樺太・千島交換条約」を結び、日本のものと定められたのでしたね。(条約の4島の定義で今日の4島の扱いに議論を呼んでいるところもある。)
 その後、日露戦争で樺太を占領した日本ですが、「ポーツマス条約」で樺太の半分をロシアに返した。
 以後、太平洋戦争後の「サンフランシスコ講和条約」で日本が権利放棄するまでこの状態が続いていたのでしたね。「サンフランシスコ講和条約」にソ連は調印していませんから、いまだに未定だとの説もないことはないですが。
 「樺太・千島交換条約」「サンフランシスコ講和条約」のフランス語などの正式文書での千島列島の表現が、4島の扱いに諸説ある様ですね。

 ロシアの大統領選挙とは関係なく、4島への実効支配強化は進むでしょうが、のんきに構え無為無策の日本の民主党政権は、国土を簡単に譲渡するのでしょうか。
 資源の切れ目が金の切れ目。主力ガス田の枯渇に伴う高コストでの開発を余儀なくされているロシアの台所事情をしっかり見据えての外交交渉が待たれますね。

 
返信する
Unknown (一般人)
2011-05-18 00:23:11
遊爺さまこんばんは。
>その後、日露戦争で樺太を占領した日本ですが、「ポーツマス条約」で樺太の半分をロシアに返した。
このあたりの事情があやふやですが、なんとか調べて書いています。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo_keii.html
によれば、
>(3)ポーツマス条約(1905年)日露戦争後のポーツマス条約において、日本はロシアから樺太(サハリン)の北緯50度以南の部分を譲り受けました。
とのことです。 結局、「大戦後に、樺太と千島列島と北方領土が取られた」ということでいいでしょうか。

ロシアの、震災に対する対応は それはそれで当然評価します。しかし彼らの侵略行為はそれこそ別問題で対応すべき。
ここで疑問が出たのですが、
民主政権が、中韓に対し柳腰ではなく弱腰なのは、彼らが中韓と癒着しているから。
では、ロシアに対してはどうか。

結局、「中韓を特別対応に見せないようにするため」どこに対しても同じスタンスで、ということでしょうか。
竹島でもおんなじ構図ですが、「ロシアが支配を強める必要がある」ということは
法的に「北方領土は日本国土」である、ということになります。 そもそもがロシア領ならば、このような事態にならないからです。

その上で、「このように攻められる日本が悪い」と考えます。 その意味で、中露韓の対応は まことに当然。

対策としては、日本が富国強兵し、ロシアが交換条件に応ずるように仕向ければ良いのですが、
そもそも現与党は、なんと、「国益を損なうことを目的としている」し、
それ以前に 共産圏のファンクラブであり、政治の素人集団ですので、日本はこんなに真っ暗になっています。

蛇足になりましたが、つまりは我々国民が、目覚めなければならない。
返信する
Unknown (Unknown)
2012-03-04 00:06:56
プーチン首相、北方領土最終決着に意欲 妥協点探る
2012/3/2 23:44
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C9381959FE2E0E2E5E78DE2E0E2E1E0E2E3E09C9CEAE2E2E2;at=DGXZZO0195570008122009000000

【モスクワ=石川陽平】ロシアのプーチン首相は1日、海外の一部メディアと会見し、日ロ間の最大の懸案である北方領土問題について「日本との領土問題を最終的に決着させたい」と述べ、解決に意欲を示した。両国の国民が「受け入れ可能な形で」領土問題の解決を目指す方針も表明。経済などの分野で関係を強めつつ妥協点を探る考えを強調した。

 会見内容の全文を首相の公式ホームページに掲載した。発言はこれまでのロシア政府の対日方針を踏襲した。ただ、プーチン氏は4日投票の大統領選で4年ぶりの返り咲きが確実視されており、5月の政権復帰後をにらんだ対日外交の指針として注目される。

 柔道家としても知られる首相は会見で、北方領土問題の解決への道筋について「引き分け」という日本語を使いながら「(双方が)勝利し、負けないために勇気ある行動を取らなければならない」と指摘。その上で「受け入れ可能な妥協を達成すべきだ」と述べた。

 首相は平和条約の締結後に北方四島(国後、択捉、歯舞群島、色丹)のうち歯舞・色丹の2島を日本に引き渡すと明記した1956年の日ソ共同宣言にも触れた。2001年3月に東シベリアのイルクーツクで当時の森喜朗首相と会談した際には「56年の日ソ共同宣言に戻る用意があった」と語り、日本側が四島の返還を求めたため「すべては再びスタート地点に戻った」と指摘した。

 首相は大統領だった00年9月の訪日でロシアの最高指導者として初めて2島の引き渡しを明記した56年宣言の有効性を認める発言をした。 1日の会見でも「日本の議会とソ連最高会議によって批准された」などと言及。2島の引き渡しで決着させたい考えもにじませた。 日ロ関係はエネルギーやハイテク、自動車生産など経済面で急速に強まっていると評価した。
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