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バタアン旅行

2006-12-26 | フィリピン



●パターン半島へ行くことになりました●


旅行に行ったのはバタアン。パターン半島にあります。パターン半島といえば,死の行進で有名な半島。


待ち合わせは24日朝の5時。私も彼女も時間にはうるさいので,もちろん時間通りに待ち合わせ場所へ行きました。ところが,なかなかこないのです。メールがきて,同行者である彼女の友人の準備が遅れているとのこと。1時間ほど待ち,いらいらがつのってきました。頭に来て「行くのやめ。」とメールをうとうとしたら,彼女たちが到着しました。

一般的にフィリピン人は時間にルーズだといわれています。しかし,私の周りの人たちは時間に正確な人が多い。待ち合わせをすると,10分前にはきているような人たちばかりです。彼女に限らず,デートをする時にも理由なく遅れてくるようなことはありませんでした。

しかし,これが集団で待ち合わせしようか,という話になるととたんにフィリピンタイムになります。1時間ほどは余裕を見る必要がでてくるのです。

私も私の彼女も遅刻にはうるさいタイプです。ただ,私が彼女たちが遅れてきたことに子供っぽく腹をたてていたのは何も遅れてきたからだけではありません。バタアンの彼女の実家に行くことに若干の不安があったのです。

ネットではフィリピンへ行ったら家族や近隣の人たちからたかられた話がよくでてきます。彼女と彼女のお姉さんはそういうマテリアルな人たちではありませんので,多分家族の人たちも質素であろうとは思っていました。しかし,隣近所の人たちはどうだかわかりません。いろいろな風習もあるでしょう。

これについてはまったく杞憂でした。行く前にそんな不安をいだいていた私が恥ずかしい。マニラに一人で住んでいると,必要以上に警戒心が強くなります。これを読んでいる方は嫌なおやじ,と感じられたことでしょう。

ところで,待ち合わせ場所へ向かう途中いくつか教会の前を通り過ぎたのですが,早朝だというのに人だかりが!年末にお寺に集まる日本人のようなものでしょうか。クリスマスはフィリピン最大の行事。ひょっとすると,世界でもっとも信心深いキリスト教徒といわれるのがフィリピン人です。


●バスで一路パタアンへ●


Dホセ駅(LRT)近くにあるバス発着場からバスは出発します。出発したのは7時でした。クリスマスというので,バスの運行に若干の支障がでているようでした。私はむくれていたのと眠いのとで駄々ッ子のように不機嫌でしたが,彼女とべたべたしていたらすぐ収まりました。

ハイウェイにのり一路北へ。10分ほど走れば風景が一変します。見渡す限りの住宅街から田園風景になるのです。



マニラからの高速道路は北と南へ向かうのが一つずつあります。南へ向かう高速道路は日本のODAでできたものです。日比友好道路とかそんなような名前でも呼ばれています。ただ,メンテナンスがひどく,道はがたがたです。

それに比べると北へ向かう高速道路は新しいせいか南のと比べると鏡面のような滑らかさです。

とはいっても,道にうねりがあるのかバスの足回りがおかしいのか,周期的なうねりを繰り返しながらバスは進みます。おそらくアクセルベタ踏み。120kmくらいは出ています。前車を追い越すときは大きく左右にローリングします。

朝が早いせいか,渋滞はありません。時間帯や日にちを間違えるとおそらく大渋滞していると思います。


●パターン半島へ●


途中で寝てしまい,気が付いたら一般道を走っていました。

フィリピン地図がないので,どこを走っているのかわかりませんでしたが,多分パターン半島に入りました。急に山が目立つようになってきたのです。パターン半島は山がちなところです。彼女が「あれ写真とって」というのであわてて撮ったのが次のです。

彼女には特別な意図はなかったと思います。単に有名なところという意味だったのでしょう。仮に責めるような意図があれば内向するのがフィリピン人の性格です。


「DEATH MARCH 68km」と刻まれています。


パターン死の行進については次を参照してください。
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08d02.html


●バタアン到着?●


しばらく,まとまった街がありませんでしたが,ようやく街と呼べる場所で降りることになりました。といってもマクドナルドがあるだけで,他に著名なチェーン店は見当たりません。こんなもんだろうなあ,と思いつつ,いわれるままトライシケルに乗りました。

通常,トライシケルといえばせいざい2kmくらいの距離を移動するための乗り物です。そこに女性二人の大量の荷物(かばん6つ)と大人3人が乗り込むのです。ちょっとの辛抱。そう思いつつトライシケルの後部シートにしがみついていました。



これに最大5人乗ることがあります。バイクに二人。サイドカーに3人。
なぜか圧倒的にカワサキのバイクを使っています。


町並みをはずれ,かなり時間がたつのにまるで到着する気配がありません。すでに集落はなくなり,辺りは草原になっていました。小さな山を3つ越え,30分ほど走り,手もお尻もいい加減痛くなったころ,ようやく集落らしきところに到着しました。

そこは,山が海に面しているようなところにできた町でした。多分人口3千人くらいでしょう。小さな市場がひとつ,小さなレストランが二つ,小学校と高校,小さな役場その位でしょうか。遠くに立派な工場がありました。セメント工場のように見えたので聞いてみたら「そうだ」とのことでした。この工場ゆえに町が発展したのかもしれません。

町の名前はLAMAO。どうやらこの辺りの中心的な場所のようです。マニラでは多くの人がこの町をしっていました。


●彼女の家へ●


彼女の家は山腹の一角にありました。2LDK+離れに家族7人が暮らしています。お父さんはUAEに出稼ぎにいっています。姉妹3人,兄弟二人。母親一人。

私の彼女は19歳です。お姉さんの家に同居しつつ,モニュメントのマックで働いていました。かなりかわいい子でしたので,その子目当てに毎日通っていたら仲良くなることができたのでした。

私とは親子ほどの年齢差があります。実際,彼女の父親は48歳,母親は40歳。私の年齢はその間。

ところが,フィリピン人はさほど年齢差を気にしません。私の友人で元タレントは60歳くらいの日本人と付き合っています。彼女は強制送還されてしまったので,毎日泣いています。擬似ではありません。金目当てでもありません。リアルラブなのです。彼女の友人もそういっています。私は時々彼女たちの家で雑魚寝するような仲です。嘘をいっているとは思えません。

フィリピン女性の19歳は日本の19歳とは違います。日本で19歳といえば,外観はともかく,中身はまるで子供です。ところが,フィリピン女性は貧困或いは大家族ゆえか,精神的には相当しっかりした人が多いと思います。というか,生活力があります。23歳あたりですでにおばさん臭さが出てきます。

また,フィリピン男性は年をとると急速に劣化していきます。食生活,気候のせいでしょうか。50歳を越えればすでにロロ(おじいさん)。

私は童顔で日本でも若く見られることが多いのですが,それでも10歳以上のさばを読むことは出来ません。ところが,フィリピンでは私は30歳前後に見られるのです。若作りのせいもありますし,私の体型が10代の頃とほとんど同じスリムなせいもあります。しかし,一般的に日本人はフィリピン人より若く見られると思います。それは年齢がかさばるほど大きくなります。

そんなわけで彼女との2ショット写真を見てもさほど違和感はありません。ちょっと私の顔が大きいのが気になりますが。

もっとも私は若い子が好き,というわけではありません。日本人なら30~35歳,フィリピン人なら23~28歳程度の女性が好みです。

ただ,日本のおやじたちがフィリピン女性にはまる理由の一端がよく理解できます。私が30代の頃は20代の女性と付き合っていても違和感はありませんでしたが,この年になると,お互いに恋愛の対象からはずれてくるのを実感します。ところがフィリピンでは10代の女性とでもちゃんと恋愛が成立するのです。

なお,私が日本人だからだろう,と揶揄される方がいらっしゃると思います。それは否定いたしません。私が日本人だということで近寄ってくる女性はたくさんいます。特にクラブへいけば,すぐ「日本へ行きたい」「あれ欲しい」です。また,上級の女性は遠まわしに自分の欲しいものを告げる人もいますし,わざと控えめな態度をとる人もいます。そういうやり口は私の友人であるタレントからさんざん聞かされています。日本のおやじをだます方法。

そのせいもあり,私は下心を感じた女性には近寄らないようにしています。むしろ,クリポット(けち)であることを印象づけようとしています。日本人は気前がいいもの,という評判はどこでも聞きますが,「俺は違うぞ。1ペソでも惜しい」とことあるごとに表明し,それを実行しています。私はフィリピンに来てからマテリアルな人間を蛇蠍のように嫌うようになりました。何度も嫌な目にあっているからです。

現在の彼女は私がけちであることをよく知っています。それにもともと欲求の薄い女性で,自分のものより他人の心配をするようなタイプです。これもフィリピンには良く見られる気質です。大家族ゆえかキリスト教の教えゆえか他人への気配りのできる人が多いと思います。マテリアルな部分はほとんど感じられない女性です。

そのことを私は彼女の家族や彼らの友人と会うことでよく理解することができました。マニラでは喧騒や物欲がうずめいており,時々辟易することがあります。ここバタアンはマニラとはまったく違う顔をもっていました。よく,マニラはフィリピンではない,ということが言われます。それが納得できるのがバタアンでした。とにかく,みんなシャイなのです。みんな英語が得意でないのでコミュニケーションがとりづらいこともあったでしょう。多分,私への接し方がわからなかったのだろうと思います。ただ,歓迎してくれているのはわかりました。非常に素朴な人たちでした。それは私の警戒心をとくのに十分なものでした。


●集落を観光●


私が所在なさそうにしていましたので,気を使って彼女の兄弟やら友人やらが集落を案内してくれました。とは言うものの,小さな市場が一つ,小さなレストランが二つ,小学校,高校,小さな役場・・・あっという間に案内はおわります。しかし,こんな小さな集落でも教会は立派なのでした。


ちょっといいな,と思ったのは海に面していることでしょうか。



向こう側に見える緑の部分は漁師の集落です。私が魚を見たいといったら,連れて行ってくれました。



左が私を案内してくれた友人です。その隣の赤色は彼の友達。漁師です。その後,彼らとカラオケをしにいきました。


●カラオケと思ったらカラオケクラブだった●


カラオケなんか歌いたくないけど・・・と思っていたのですが,連れて行かれたのはKTVでした。人口数千人程度の町ですが,ちょっと離れたところにKTVが10くらいあるのでした。この町が周辺の中心地であることが理解できました。その一つに入りました。

私を歓待しようという気持ちの表れだろうと思います。例えば,最初は私にタバコをせがんでいましたが,タバコがなくなると,サリサリストア等でタバコを買うたびに(ばら売りしている)私の分も買ってくれるのでした。そういうやり取りは私には心地よいものでした。仮にたかろうという気持ちがあったにせよ,そのレベルは著しく素朴なものなのでした。本当に遊びなれていない若者たちなのです。女性の待機所をのぞくだけで顔を赤らめるようなジェントルマンなのでした。

女性をテーブルにつかせるわけでもなく,カラオケを歌い,ビール数本干したところで彼らがここにきた大きな理由がわかりました。どうやら赤服の漁師がここのタレントが好きなようなのです。ところが彼女は彼を敬遠しているようで,近寄ってきません。私がテーブルにつかせようとしても断られました。残念!



あまり楽しみのない町ですが,どうもドラッグが日常的にはやっているようでした。町でマリファナ吸っている若者がラリっていました。ここのカラオケ屋でも写真のはしゃいでいる男はロレツが回りませんでした。少し彼と話をしましたが,間違いなく頭がお花畑でした。

ただし,この町に危ない雰囲気は皆無です。他人に害悪を加えようという雰囲気がこの町にはないのです。マリファナについてもほとんど違法性を認識していないでしょう。酒やタバコと同等のものという認識が彼らにはあるようでした。(実際,マリファナはさほど毒性の強いものではないと言われています。)

彼らは英語が十分でなく,ほとんどタガログ語で会話をしました。といっても私のタガログ語は中1終了程度。それも出来の良い生徒ではありません。言葉の断片で言っていることを推測しながら,英語とタガログ語交じりで返答していましたが,結構会話が成立していました。いったん,家に帰り,彼女や家族を引き連れて再度カラオケ屋にいくことにしました。

私は再度この店に来て,漁師の好きな子をテーブルにつかせようと思ったのですが,さすがに女性のいるような店はまずいようで,レストラン兼カラオケ屋に落ち着いたのでした。まあ,私にとってはどっちでもいいのですが。2時間ほど飲んで食べて歌ってで,7人で1500p程度。実にリーズナブル。

9時頃家に戻り,家族と雑魚寝しました。私だけは翌日早朝マニラに戻ることにしていました。あらかじめ予防線を張っておいたためでした。少し,不安があったからなのと,他の友人にクリスマスパーティーに誘われていたからでした。

朝3半時のバスにのり,マニラについたのは6時。なんだかあわただしい一日でした。



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