2019年の記録
廃品回収業のロマ族の母子
タシケント、ブハラ、シャフリサブス、サマルカンドと移動してきたが、ウズベキスタン全土でみると、南東をウロチョロしているにすぎない。
サマルカンドのホテルは、旧市街でも、新市街でもなく、空港近くの新しく建設されている街にある。路地裏探検には、ちょっと物足りないが、それはそれで、サマルカンドの今を垣間見ることができるのかもしれない。
サマルカンドの観光地は、比較的コンパクトにまとまっているが、市域は広い。蛇足ながらいすゞ自動車出資のサマルカンド・オートモビール・ファクトリーがある。
早朝のためか、あまり人通りはない。すれ違った兄妹のスナップを撮らせてもらい笑顔で別れようとしたところ、妹の方が、「お金ちょうだい!」と言って手を差し出したのである。「エッ?」である。とても物乞いをするような身なりでもない。僕は、「No money!」と言ったが、彼女は、何度か繰り返した。救いは、「やめな!」と、兄がたしなめたことだ。きっと、妹は過去にスナップを撮られたときにチップを貰ったことがあったのだろう。彼らにとって、スナップ=チップだとしたら兄も一緒になって、お金、お金とせがむに違いない。
お金を貰ってスナップの被写体になることが悪だとは思わない。しかし、僕がお金を払って撮影したら、それはモデル撮影であり、日常の一瞬ではなくなるので、そんな写真を撮りたいとは思わない。あえて、お金を渡してスナップを撮るとしたら、手を伸ばしてお金を無心するリアルな物乞いの写真だ。しかし、本人、その国の人のためにも、その類の屈辱的な記録を残すべきなのか迷いがある。
朝からちょっとブルーな気持ちになったものの、その次、そのまた次にスナップを撮らせてくれたサマルカンドの人たちは、みな最高の笑顔で写真に納まり、僕が「ラフマット!(ありがとう)」とお礼を言うと、「アルズマイディ、ハイル!(どういたしまして、バイバイ!)」とにこやかに去った。
空港の方から来た人たちは、夜勤明けの人なのかもしれない。
どことなく日本のトラックに似たフロントマスク。そうです、日本のいすゞ自動車提携のミニバス。ウズベキスタンの路線バスで、圧倒的なシェアを誇る。
しばらく歩くと、コンビニエンスストアがあった、その前には、仕事に向かう人のクルマが停まっていて、買い物を済ませると、皆が慌ただしく走り去っていく。日本とあまり違わない日常があった。もし、違いを見いだすとしたら、ソ連時代のクルマが走っていることと、誰もがフレンドリーで、気持ちに余裕があることだ。
出勤途中のクルマ、まだ、まだ、ソ連時代のラダ健在。
建設中の住宅、旧市街とは違った“今”がある。
ロバ車で廃品を回収するロマ族の親子のスナップを撮らせてもらった。彼らは、金品を無心することもなく笑顔を返してくれた。どう見たって、彼らは、裕福には見えないが、ちゃんと働いている彼らの目は、力があり、生き生きとしていた。物乞いも1つの職業なのかもしれないし、職業に貴賤はないかもしれない。しかし、あえて線を引くとしたら社会から必要とされている仕事か、否かだと思う。
ロマ族と一括りにすることが、偏見の始まりなのかもしれないが、偏見と差別が就業を阻害し、貧困、子弟の教育欠如、犯罪、差別へと絡みあいながら負のスパイラルに堕ちた民族だと思う。ロマ族はユダヤ人同様ナチスドイツのホロコーストの標的にされながら、その事実さえ忘れ去られている。
彼らの目は、生き生きとしていたし、ウズベク人同様にフレンドリーだった。
旅は続く