Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

Go to West ! 第12回 / タシケントへ

2021-02-27 23:35:38 | 旅行

2019年の記録

 

中国と違って、車掌は男性。気持ちよく迎えてくれた。

 

タシケント~(飛行機)~ブハラ~(バス)~シャフリサーブス~(バス)~サマルカンド~(高速鉄道)~タシケントへと周遊した。

 

朝、まだ暗い時刻にホテルを出発。高速鉄道でタシケントへ移動し、その日の夜のフライトでウズベキスタンを離れる。

 

かなり早めに駅に到着、駅構内を探検、おしゃれなステンドグラスを見てまわった。駅は、ヨーロッパの雰囲気だ。(とは言っても、ヨーロッパには行ったことがない。フランスやイタリア企業と取引しているが、訪問するのは、いつも中国工場。)

 

ウズベキスタンの高速鉄道(アフラシャブ号)は、タシケント~サマルカンド~ブハラ間を運航している。最高速度は250km/hで、日本の新幹線に遜色ないものの僅か1日2往復。需要がないのだろうか? 一般人には、手がでない高額なのか?いずれにしても、国家のメンツで作っちゃった感が、なくもない。

 

日の出直後にアフラシャブ号が入線。オンタイムならば、9時前にタシケントへ到着する。(所要約2時間半)

 

3等の車内は綺麗だが、椅子は堅い(JRの在来線と同じ程度)、コーヒー1杯のサービスがあった。車内は静かで、乗客は3等でもハイソ感があり、PCで仕事をしているとか・・・。中国で高速鉄道ができた当初の頃(2008年頃)の雰囲気。

 

 

旅は続く


Go to West ! 第11回 / サマルカンド

2021-02-26 21:57:11 | 旅行

2019年の記録

 

ウズベキスタン国内の団体旅行客、基本的に男女別行動。声を掛けると、みんなカメラを見てくれた。

 

ビビハニム・モスクからシャーヒズィンダ廟群に向かう途中にあるシヨブ・バザールは、休業日だった、残念!

 

ビビハニム・モスクは、ティムールが自らの権勢を誇示するために建設したイスラム世界最大のモスクである。ティムール自らが現場に出向くほど力を入れて建設を急いだ。その結果、落成直後からレンガの落下が続き、礼拝するものがいなくなり、廃墟となってしまった。崩壊の原因は、建設を急がされたための手抜き工事と、あまりに巨大であったための構造的な問題らしい。その後の度重なる地震で、完全に廃墟となっていたが、近年、完全に修復が完了した。

 

アフラシャブの丘の南麓にあるシャーヒズィンダ廟群は、歴史的なグリ(廟)から現在の墓地までがなだらかな坂に連なる。歴史的なグリは、ある種の無機質さがあり、建築物として楽しめば良い。一方、現在の墓地は、そこまで無機質ではない。最近のウズベキスタンの風習なのだろうか、東トルキスタン(中国・ウイグル自治区)で馴染みのあるイスラム墓地と違って、墓石に個人の肖像が描かれている。もちろん、それなりの経済的な負担になるだろうから、富裕層でないとできないのだと思う。青空の下で眺める分には、悪くないが、月明り下で眺めるとかなり怖いと思う。

 

観光地をぶらぶらしている人の多くは、地方からの観光客で、基本的に気分は上々。(飲酒する人はいないので、酔っぱらいはいない。) ウズベキスタンの人は、みんな写真好きで、スマホで自撮りしている。そんな中に物見遊山の東洋人がウロウロしていると何が起きるか? 僕と2ショット写真を撮らせてくれ、というおじさんの列ができたのである。(さすがにイスラムの影響で、僕と2ショットを希望するおばさんはいない、おばさんたちは、外国人女性の前に列を作っていた。) 生まれてはじめての経験、そもそも、モデルになったことすらない。大袈裟でなく、数えきれないウズベキスタンのおじさんと肩を組んで、撮られた僕は、ウズベキスタンのSNSで、「いいね!」をいくつ獲得したのだろうか?

 

お姉ちゃんに抱っこされる妹の耳にもイヤリング、嫌味のない自然なおしゃれ

 

 

旅は続く


Go to West ! 第10回 / サマルカンド

2021-02-25 21:52:32 | 旅行

2019年の記録

中央アジアを代表する有名観光地となったレギスタンス広場

 

サマルカンドは、グリ・アミールからレギスタンス広場、ビビハニム・モスク、シャーヒズィンダ廟群と観光地が数珠つなぎになっている。

 

サマルカンドは、タシケントに次ぐウズベキスタン第二の都市であるとともにウズベキスタン最大の観光都市でもある。ウズベキスタンがインバウンドに力を入れ始めたとはいっても、外国人観光客が大挙して押し寄せている訳ではないので、国内観光客が圧倒手的に多い。

 

ウズベキスタンの観光地の多くは、歴史的イスラム建築だ。イスラム建築というと、モスクを連想する人も多いし、僕も、そうだった。しかし、モスクは、観光名所である以前にリアルな祈りの場であり、観光名所になっているモスクは意外にも少ない。観光名所の多くは、メドレセ(神学校)やグリ(廟)である。

 

グリ・アミール(アミール・ティムール廟)は、その名の通りティムール帝国支配者一族の霊廟。内壁の装飾には、多くの金が使われている。日本の金箔のように金を極薄に延ばす技術がなく、見た目以上の金が多く使われているのだと思う。

 

通訳のアジさん、彼は半年以内に結婚すると言っていて、実際に結婚した。僕は結婚式に招待されていたが、仕事があって参列できなかった。(残念!) 結婚後、奥さんを連れて日本に留学することになっていたが、まさか、まさかのコロナ禍で、留学を無期延期することになってしまった。

 

3つのメドレセに囲まれたレギスタンス広場は、ウズベキスタン観光の目玉。僕には、建築物の歴史的な真の価値を理解できないが、1度は見るに値するイスラム建築だと思う。僕の駄文を読むよりも青を基調にした美しい文様を見て欲しい。

 

上段からシェルドル・メドレセ、ティラカリ・メドレセ、ウルグベク・メドレセ。シェルドル・メドレセには、

 

ブハラのナディール・ディヴァンベキ・メドレセと同様にイスラム教のタブーである偶像(虎に見えるライオンの背に人面を帯びた日輪)が描かれている。言うまでもなく、支配者が自分の権力を誇示しようとしたためだ。古今東西、人間は愚かな生物なのである。

 

青の都・サマルカンドの由来となった青を基調にしたイスラム文様をご堪能いただましたでしょうか?

 

半屋外のおしゃれなレストラン。美味しそうなトマト、と書きたいところだが、僕はトマトはじめ生の瓜類の青臭さが苦手で、食べられない。サソリはもちろん虫類(アリ、カイコ、カナブン・・・・)でも平気で食べるのに・・・・・。好物のポロは、羊肉ではなく牛肉のようだ。

 

 

旅は続く


Go to West ! 第9回 / サマルカンド

2021-02-21 20:48:13 | 旅行

2019年の記録

廃品回収業のロマ族の母子

 

タシケント、ブハラ、シャフリサブス、サマルカンドと移動してきたが、ウズベキスタン全土でみると、南東をウロチョロしているにすぎない。

 

サマルカンドのホテルは、旧市街でも、新市街でもなく、空港近くの新しく建設されている街にある。路地裏探検には、ちょっと物足りないが、それはそれで、サマルカンドの今を垣間見ることができるのかもしれない。

 

サマルカンドの観光地は、比較的コンパクトにまとまっているが、市域は広い。蛇足ながらいすゞ自動車出資のサマルカンド・オートモビール・ファクトリーがある。

 

早朝のためか、あまり人通りはない。すれ違った兄妹のスナップを撮らせてもらい笑顔で別れようとしたところ、妹の方が、「お金ちょうだい!」と言って手を差し出したのである。「エッ?」である。とても物乞いをするような身なりでもない。僕は、「No money!」と言ったが、彼女は、何度か繰り返した。救いは、「やめな!」と、兄がたしなめたことだ。きっと、妹は過去にスナップを撮られたときにチップを貰ったことがあったのだろう。彼らにとって、スナップ=チップだとしたら兄も一緒になって、お金、お金とせがむに違いない。

お金を貰ってスナップの被写体になることが悪だとは思わない。しかし、僕がお金を払って撮影したら、それはモデル撮影であり、日常の一瞬ではなくなるので、そんな写真を撮りたいとは思わない。あえて、お金を渡してスナップを撮るとしたら、手を伸ばしてお金を無心するリアルな物乞いの写真だ。しかし、本人、その国の人のためにも、その類の屈辱的な記録を残すべきなのか迷いがある。

朝からちょっとブルーな気持ちになったものの、その次、そのまた次にスナップを撮らせてくれたサマルカンドの人たちは、みな最高の笑顔で写真に納まり、僕が「ラフマット!(ありがとう)」とお礼を言うと、「アルズマイディ、ハイル!(どういたしまして、バイバイ!)」とにこやかに去った。

空港の方から来た人たちは、夜勤明けの人なのかもしれない。

 

どことなく日本のトラックに似たフロントマスク。そうです、日本のいすゞ自動車提携のミニバス。ウズベキスタンの路線バスで、圧倒的なシェアを誇る。

 

しばらく歩くと、コンビニエンスストアがあった、その前には、仕事に向かう人のクルマが停まっていて、買い物を済ませると、皆が慌ただしく走り去っていく。日本とあまり違わない日常があった。もし、違いを見いだすとしたら、ソ連時代のクルマが走っていることと、誰もがフレンドリーで、気持ちに余裕があることだ。

出勤途中のクルマ、まだ、まだ、ソ連時代のラダ健在。

 

建設中の住宅、旧市街とは違った“今”がある。

 

ロバ車で廃品を回収するロマ族の親子のスナップを撮らせてもらった。彼らは、金品を無心することもなく笑顔を返してくれた。どう見たって、彼らは、裕福には見えないが、ちゃんと働いている彼らの目は、力があり、生き生きとしていた。物乞いも1つの職業なのかもしれないし、職業に貴賤はないかもしれない。しかし、あえて線を引くとしたら社会から必要とされている仕事か、否かだと思う。

ロマ族と一括りにすることが、偏見の始まりなのかもしれないが、偏見と差別が就業を阻害し、貧困、子弟の教育欠如、犯罪、差別へと絡みあいながら負のスパイラルに堕ちた民族だと思う。ロマ族はユダヤ人同様ナチスドイツのホロコーストの標的にされながら、その事実さえ忘れ去られている。

彼らの目は、生き生きとしていたし、ウズベク人同様にフレンドリーだった。

 

 

旅は続く


Go to West ! 第8回 / サマルカンドへ

2021-02-20 17:37:46 | 旅行

2019年の記録

ライトアップされたアミール・ティムール廟(グリ・アミール)

 

シャフリサーブスから再びバスに乗り、サマルカンドへ向かう。「峠を越える山道を通るよ」と聞かされていたので、どん悪路なのかと、少々ワクワクしていたが、ブハラからシャフリサーブスまでの平坦な道と比べると起伏があるものの、なだらかな丘を越える程度で、ちょっとガッカリ。

 

シャフリサーブスを出発してしばらくは、川があり、青々とした畑が続いた。次第に起伏に富んだ丘陵地帯に入り、黄土色の大地が目立つようになってきた。

 

沿道の畑では、農作業する人がちらほらいて、一服のタイミングに遭遇するとバスにも手を振ってくれるほどフレンドリーな人たちだった。次に来るときは、絶対にクルマをチャータして、彼らの笑顔を写真に収めるんだ、といった気持ちになった。

 

サマルカンドは、大都会でピカピカのシボレーの大渋滞。ブハラやシャフリサーブスとは、趣きがだいぶ違う。

 

サマルカンドに到着、ライトアップされたアミール・ティムール廟(グリ・アミール)、レギスタン広場に行った。確かにライトアップされたメドレセ(神学校)は、視覚的には美しいが、ライトアップされ観光客が右往左往するレギスタン広場に建つメドレセは、宗教施設ではなく観光施設で、重々しさを失ってしまったように思う。歴史的な価値はなくとも、人々が祈りに集うモスク、イスラームを学べるメドレセに魅かれる。

 

レギスタン広場は、サマルカンド、ウズベキスタン、中央アジアを代表する観光地。ウズベキスタン国内の観光客も大挙して来ている。

 

メドレセの入り口に立って、若い警察官が警備をしていた。(なかなかのイケメン) 警察官単独の撮影はNGだが、SNSにアップしないことを条件に一緒に記念写真を撮るのはOKとのこと。共産主義国といっても、中国より緩いというか、平和なんだなぁ。

 

 

旅は続く