Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

重慶の街角から 第3回(重慶)

2020-12-26 23:47:47 | 旅行

2019年の記録

洪崖洞は、嘉陵江沿いの斜面に作られた吊脚楼と呼ばれる重慶の伝統建築を利用した商業施設で、台湾の九份に加えて、千と千尋の神隠しのもう一つの舞台と言われている。

吊脚楼:斜面に長い柱を建てて高低差をなくし床を作る建築様式で、山と谷の多い重慶ではかつて多く見られた。

 

日が落ちたので、昼間に行った洪崖洞へタクシーで向かう。(昼間は徒歩で往復した。) 如何にも中国といった電飾を見るためだ。さすがに有名観光地、人、人、人だ。最上階から1階までは、エレベータがあるが、常時満員、ほぼ利用できない。圧倒的に利用者が多いからなのであるが、そこには、中国ならではの事情がある。

 

例えば、6階建てのビルの3階から1階に行くとき、昇りのエレベータが来ても乗らないで、降りのエレベータが来るのを待つ。これが日本人の標準的な行動だと思う。しかし、これだと中国では永遠にエレベータには乗れない。6階に一度上昇して下降してきたエレベータは、たいてい満員だからだ。エレベータに乗りたければ、昇りでも降りでも乗り込める隙間があれば、まず乗って自分のスペースを確保し、終着階まで行き、そのまま降りずに戻ってくるしかない。エレベータに限らず、圧倒的に需要に比較して供給が少ない中国人民の生き抜く知恵だ。(ちょっと大袈裟か?) 但し、ホテルの朝のチェックアウトやオフィスの退勤時間帯のように人の流れが一方向のときは、それはそれで良いのだが、上昇、下降とも、乗りたい人が多いと、どうにもならなくなる。つまり、一旦昇るないしは降って、昇る、降るを誰もがやると必要以上にエレベータに乗っている時間が増え、輸送効率が下がる。些細なことのようだが、中国人の行動原理が、個人レベルでは、合理的でも、全体で見ると、とんでもなく非効率なことの象徴だ。もちろん、中国人を非難するつもりは毛頭ない。むしろ、そのような行動に至る原因、モノが絶対的に不足した貧しかった過去があったことを理解して欲しいと思う。

洪崖洞脇を流れる嘉陵江に映る夜景

 

光の館と呼びたくなる洪崖洞、前々回の昼間の写真と比較してください。

 

電飾の話にスイッチしよう。電飾の凄まじさは日本の比ではない。僕がはじめて上海に行ったとき(省エネの概念のなかった2000)、人民公園前の歩道橋から南京西路(上海一の繁華街)を見ると光の川に見えた。実際、南京西路には、街灯がなくてもネオンの照明で充分に明るかった。ともかく中国人は電飾が大好きで、ちょっと大きな鉄道の駅は、大きく〇〇站と赤のネオンを掲げているし、鍾乳洞は、派手な色のネオンで飾られている。日本人には、趣味の悪い毒々しい色使いとか、自然景観が台無しとかとあまり評判は良くないが・・・。色彩感覚の国民性は、中国の写真展に行くと良くわかる。圧倒的にコントラストの効いた写真が多く、中国山水画のような淡い色使いの作品を見ることは少ない。

繁華街がネオンで染められるのは日本も同じだけど、日本より強烈に感じる。

 

 

旅は続く