Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

上海の街角から 第4回 / 教会巡礼

2021-03-22 22:17:31 | 旅行

2019年の記録

礼拝者でごったがえす教会は久しぶりだ。(沐恩堂)

 

前回の塩城から飛行機で一気に南下して浙江省の寧波へ行き一泊、4時間ほどのフライト遅延で寧波に着いたのは21時近く、慌ただしく取引先の副総経理(副社長)と会食、翌日寧波の工場に寄り、さらに南の台州の新工場を訪問、夕方に高鉄(中国版新幹線)で、一気に北上して、再び江蘇省徐州へ。翌日、徐州の取引先を訪問した後、高鉄で4日振りに上海へ戻ったところで、待望の週末を迎えた。(翌週は再び泰安まで北上、仕事じゃなかったらこんな移動の仕方はしないだろう)

 

今まで2度ほど紹介しているホテル前の徐家匯聖イグナチオ大聖堂。何度訪問しても飽きない美しい教会だ。しかし、僕が教会を巡礼するのは、単なる美しいもの見たさだけの好奇心ではない。ともかく教会に行くと、心が穏やかになるのである。この感覚は、とても言葉では説明できないし、こればっかりは、感性の領域なので、むやみやたらに人に勧められるものでもない。そもそも、バイヤーという守銭奴みたいな仕事をしている僕が口にすると、どうにも胡散臭くなってしまうのだが、僕の純粋な気持ちだ。蛇足ながら、心の平安は、イスラームの宗教施設でも同様に感じるが、神社仏閣には、無反応なので、口の悪い友人は、非国民と茶化す。

 

上海図書館徐家匯蔵書楼は、イエズス会宣教師の学習の場としてスタートしているので、宗教施設と言っても良いのかもしれない。高層ビルに囲まれた今も、静寂を保っている。

 

地下鉄で黄浦区の沐恩堂に行く。信者でなくてもミサ中も入場できる開かれた教会だった。誰でも、いつでも入ることができるのが、本来の教会だ。しかし、今は、日本でも中国でも、様々な理由で閉ざされている教会が多い。防犯の問題もあれば、神聖な祈りの場を観光名所と誤解する観光客、さらには中国政府の宗教規制と。

 

沐恩堂から洋涇浜聖ヨゼフ教会堂は、タクシーを使った。中国のタクシーは、日中の物価差を考慮しても安いと思う。上海で初乗り(3kmまで)14元(約230円) 上海市内では、アプリを使えば、とても便利だが、道路の混雑で時間がまったく読めないのと、繁忙時は、アプリを使っても、なかなかゲットできないことだ。クルマに乗ってしまえば、中国語を話せなくとも行き先のメモを渡せば、ほぼ問題なく連れて行ってくれるし、余ほど運が悪くない限り、ボられることはない。(地方だと、けっこうボられる。) 少々運転が荒いのと、日本のようにドアは自動じゃないので、自分でドアを開けて乗車、特に降車時は、ドアを閉めるのを忘れないよう注意することが肝要だ。

 

洋涇浜聖ヨゼフ教会堂は、小学校の奥にあり、門は施錠されいていることもある。今回も施錠されていたが、何度も訪問しているので、敢えてインターフォンで、見学のお願いはしなかった。

 

洋涇浜聖ヨゼフ教会堂の後は、天気も良くぶらぶらと歩いて、真っ昼間の外難に行った。夜景が有名な外難だが、近代建築を眺めていると、昼には昼の良さがあるとあらためて感じた。

 

明日、早朝には、北京オリンピックの前後に住んでいた山東省泰安に10年ぶりに“帰郷”する。中国の10年は、日本の30年ぐらいに相当すると思う。すっかり発展した“故郷”を見るのが楽しみだ。

 

 

旅は続く