今日、突然、遊びながらチビオが
イー、ア~ル、サン、スー
と、中国語で1から10まで数えました!
お風呂の中で、まだ浴槽入り始めたばかりの3ヶ月の頃から、最後に10数えてからお風呂を
上がっていて、それを中国語で数えてました。
でも、言葉が分かるようになってきた1歳半位から、中国語を嫌がるようになりました。多分、これはいつも話す言葉と違うとわかってきたのかな?と思い、嫌がるならと日本語で数えてました。
でも、また2歳半位から、嫌がらなくなり、英語も交えて色んな数え方で数えていました。
で、最近は自分で日本語で数を数えようとしてるけど、1、2、4、6、8…みたいに大抵飛び飛びで、まだ日本語で数えられません。
なのに!突然、ブツブツと、全く正しい順番で、正しい声調で、数えたのです!数えたと言うか、話したと言うか、歌ったと言うか…物の数を数えてた訳じゃないから、ただ言ってみただけだったのかも。
あまりの感激に、もう一回!と、今度はチビコも誘ってみんなで。
チビコは途中あやふやだったけど、でも大体言えてた。チビオは、特に5以降の声調が完璧で、歌のように覚えたのかも。発音は、元が私の発音だから、あまり良くないけどね…
でも、中国語は発音より声調が大事って私はいつも思っていて。そして、私自身、最初に勉強した時、敢えてテキスト見ないでCDを聴き続けて覚えてました。特に数字は。
そう言えばもっと赤ちゃんだった頃、中国語で数えると笑った事もよくあったなー。
きっと中国語って声調がある分、歌みたいに、音で覚えやすいんだわーと再確認。それは子供でも大人でも。
私は子供の外国語学習に興味がない。意味が感じられない。理由は、言葉はコミュニケーションに利用出来て初めて意味があると思うから。その外国語を話す場面があるなら是非習ったらいいと思うけど、ないなら、興味あるならやればいいけど、特になければ他にやる事あるかなーと。もっと大きくなって、他にその外国語を勉強したい理由が出てきたら、その時すればいいと思う。
私は学生時代、英語とフランス語を勉強したけど、どちらも使うチャンスがほとんどなく、特にフランス語は今は勉強した形跡すら感じられない悲しさ。
そして、転勤で住んだ国の言葉、インドネシア語と中国語を勉強したけど、今度は毎日触れるから、そして必要だったから、かなりの速さで使えるようになりました。でも…帰国したら、それはそれは無情な程のスピードで忘れてしまう…だから、私にとっては言葉は使い捨てでもあります…
そんな訳で、早期英才教育を目指したわけじゃなく、ただ中国語が懐かしくて、毎日数えていたらこうなったので、だからこその感激なのでした。
イー、ア~ル、サン、スー
と、中国語で1から10まで数えました!
お風呂の中で、まだ浴槽入り始めたばかりの3ヶ月の頃から、最後に10数えてからお風呂を
上がっていて、それを中国語で数えてました。
でも、言葉が分かるようになってきた1歳半位から、中国語を嫌がるようになりました。多分、これはいつも話す言葉と違うとわかってきたのかな?と思い、嫌がるならと日本語で数えてました。
でも、また2歳半位から、嫌がらなくなり、英語も交えて色んな数え方で数えていました。
で、最近は自分で日本語で数を数えようとしてるけど、1、2、4、6、8…みたいに大抵飛び飛びで、まだ日本語で数えられません。
なのに!突然、ブツブツと、全く正しい順番で、正しい声調で、数えたのです!数えたと言うか、話したと言うか、歌ったと言うか…物の数を数えてた訳じゃないから、ただ言ってみただけだったのかも。
あまりの感激に、もう一回!と、今度はチビコも誘ってみんなで。
チビコは途中あやふやだったけど、でも大体言えてた。チビオは、特に5以降の声調が完璧で、歌のように覚えたのかも。発音は、元が私の発音だから、あまり良くないけどね…
でも、中国語は発音より声調が大事って私はいつも思っていて。そして、私自身、最初に勉強した時、敢えてテキスト見ないでCDを聴き続けて覚えてました。特に数字は。
そう言えばもっと赤ちゃんだった頃、中国語で数えると笑った事もよくあったなー。
きっと中国語って声調がある分、歌みたいに、音で覚えやすいんだわーと再確認。それは子供でも大人でも。
私は子供の外国語学習に興味がない。意味が感じられない。理由は、言葉はコミュニケーションに利用出来て初めて意味があると思うから。その外国語を話す場面があるなら是非習ったらいいと思うけど、ないなら、興味あるならやればいいけど、特になければ他にやる事あるかなーと。もっと大きくなって、他にその外国語を勉強したい理由が出てきたら、その時すればいいと思う。
私は学生時代、英語とフランス語を勉強したけど、どちらも使うチャンスがほとんどなく、特にフランス語は今は勉強した形跡すら感じられない悲しさ。
そして、転勤で住んだ国の言葉、インドネシア語と中国語を勉強したけど、今度は毎日触れるから、そして必要だったから、かなりの速さで使えるようになりました。でも…帰国したら、それはそれは無情な程のスピードで忘れてしまう…だから、私にとっては言葉は使い捨てでもあります…
そんな訳で、早期英才教育を目指したわけじゃなく、ただ中国語が懐かしくて、毎日数えていたらこうなったので、だからこその感激なのでした。