砂蜥蜴と空鴉

ひきこもり はじめました

記憶屋

2004年05月06日 | ログ

一時間二百円

それがここ、記憶屋の相場

様々な街の裏路地に同時並行的に存在するこの三畳半のスペースで人の思い出は売買される

客層と売っていく記憶は実に多種多様

五分程前に出て行ったサラリーマンは消費者金融で借りた記憶を売っていった

その前の主婦は不倫相手の記憶、3年分をまとめて売却

ここ一ヶ月で一番の取引は今年三浪で有名私立に合格した大学生だ

浪人時代の記憶を全て売った

一切合財、もう全て忘れたいのだと疲れた眼で彼は言った

勉強時間、予備校でのささやかな恋、失恋後の血の滲むような努力、そして挫折、エトセトラエトセトラ

全てを失った彼は来た時には想像も出来なかったいい笑顔でこの店を後にした

別に珍しい反応ではない

記憶を売った客の反応は概して二通り

自分を縛っていたと そう思われる『何か』を失ったことを喜ぶ人

そしてもう一つは先ほどのサラリーマンのような『具体化されない違和感』を感じる人

まぁいずれにしろ『不幸』であることは間違いない

『喪失」の中に『幸福』はない

確かにサラリーマンは自分の記憶を売り、そして『都合の悪い記憶』を失った

だが世界と彼を取り巻く人の記憶は何ら変わっていないのだ

都合の悪い世界は当然のように都合の悪いまま存在している

人間とは所詮環境という世界に寄生して生きる生き物だ

だから何かを変えるとすればその改革は必ず自らを中心としない

自分が変わりたければまず世界を変えなければならないのだ

近いうちに彼は必ず苦しむだろう

自らの知る世界と『自らが知っていた世界』とのギャップに・・・・

そして浪人生

彼は現時点では今現在、間違いなく幸せで自由を感じているだろう

だがそれは麻薬のように一時の間だ

彼は自分の嫌だった世界を消した

しかし彼は『現在の世界』だけを見ていて忘れている

その嫌だった世界は『過去の一部分だけを切り離せば開放されるもの』ではないことを

生まれた瞬間から

高校時代 中学 小学校 幼稚園

それら全ての時間の行動が彼の『浪人生活』を生み出したことを

彼はまたこの店を訪れるはずだ

そして売っていく パーツごとに浮かび上がってくる『嫌な世界の構成時間たちを』

次は高校時代の記憶 更にその次は中学 更に更にその次は・・・・

そうして彼は「現在」以外の記憶を全て捨ててしまうだろう

そして全てを失い無垢の笑顔を浮かべる彼は『もはや彼だった彼ではない』

記憶の奴隷 空白時間の生産者だ

今日の稼ぎは締めて1875時間48分56秒也

売られた記憶はその日の内に残らず砕かれ『夢』と『デジャヴ』を形成する建築材料となる



~世界の裏側より~記憶屋という仕事