砂蜥蜴と空鴉

ひきこもり はじめました

孤独零友考

2005年09月30日 | ログ

私は過程でなく結果に嫉妬する

つまりは彼らが友人達と何をして交友を深めるかではなく

結果として彼らが友情という幸福を掴む事に嫉妬する

この形式の救い難い点は

私は彼らの過程

酒宴や饗宴に誘われたとしても断るだろうに

それに興じる彼ら自体は憎くて仕方がない事実にある


相対幸福関数

2005年09月28日 | ログ

飢えて死ぬ人間がいて
乾いて死ぬ人間がいて
言葉も知らぬ人間がいて
芸術も知らぬ人間がいて
戦争する人間がいて
戦争される人間がいて
この世にはあらゆる経験外の不幸に満ちていて
その事実を踏まえて私は言おう

私はとても不幸です。

シュール

2005年09月27日 | ログ

韓流ブームに溺れる妻に向って

「ヨン様ヨン様って!!そんなに好きならヨン様と結婚しろ!!」

と怒鳴り、翌日の新聞の一面

「ペ・ヨンジュン。日本人妻と婚約」

を発見して唖然とする夫の表情。


理由を下さい

2005年09月24日 | ログ

人の死を無条件に悲しめとかいうな。

対価をよこせ。背景を。歴史を。物語を。

人が死ぬから悲しいのではありません。

一つの道が閉ざされる事が悲しいのです。

一つの物語が終わるのが悲しいのです。

僕らは可能性に飢えている。

だから同胞の死を悲しむのです。

共感可能な一冊の本の終焉を。

理由を下さい。

貴方が生きた物語。

僕はそれを糧に涙を流します。

予言による安全保障

2005年09月22日 | ログ

ノストラダムスの失策は1996年の世界を保障してくれたが

それ以降の世界について関知していない

彼の預言者は自殺志願者の信仰対象でもあった

少なくとも彼らは終末を信じて死ぬことが出来た

大多数が平等に傷つく夢を許された

2005年9月22日現在

僕らは一様にノストラダムスの死んだ時代を生きている

1996年の終末は虚言に過ぎなかった

だがその事実は2005年9月23日未来の終末を否定する要素を一片も含有していない




ゲーム残虐考

2005年09月19日 | ログ

ゲームショウに合わせてか日本テレビで
「ゲームの中の戦い」というテーマで特集があったのでちょっちゲームの話を。


蜥蜴は一連のゲーム残酷報道を「理由なき殺人への恐怖」だと思っています。
やっぱり理由もなく殺したりする人間は怖いじゃないですか。
それは理由なく殺される恐怖もあるでしょうけど何よりも。
「理由無く自分も殺人者になってしまうかもしれない」可能性への恐怖だと思います。
蜥蜴は実際理由なき殺人はあると思っています。
いや、理由は分析すればあるんでしょうけど
ごく些細かつ日常的なものだったり、刹那的すぎる理由だったり。
そのスケープゴートとしてゲームは最適だったと言えます。
当然ゲームを殺人の直接、間接原因とする論旨も間違いではないと思いますけど。
ただゲームを含めた「殺人や暴力の原因」と呼ばれる存在を全て世界から排除して
それでも殺人や暴力が増え続けてしまったとしたら。
規制や撲滅の運動を続けてきた人は狂ってしまうのではないかなぁ。




幸福の在り処

2005年09月17日 | ログ

非文明国に冷蔵庫があったとしても無用の長物である。
何故ならば彼らは電気を知らず電気を扱えず電気を所有していない。

人間にとっての幸福もまた同様である。

彼らは幸福の何たるかを知らず幸福を自由に扱えず
幸福を所有することすら出来ない

よって我々は2015年より人間に対する幸福の供給を停止し
その余剰幸福をスリッパに与えることをここに宣言する。

『天使の議事録』より

無題

2005年09月15日 | ログ

冷たい言葉が銃弾に似ているとするなら
詩人の言葉は散弾銃のそれだった

唄う言葉は遠い日の後悔
響くカスタネットは懺悔と贖罪の音程

誰もそんな歌は望まない
けれど詩人は歌い続けた

友人が問うた
君は美しい声で どうして誰も望まない歌を歌うのだと

詩人は答えた
僕は自分の声で 自分の望んだ歌を歌いからだと

重ねて友人は言葉を重ねる
それは間違いだよ 悲劇の主役気取りの芸術家さん

小説は誰かに読まれる為に書かれる

演劇は誰かに鑑賞される為に演じられる

そして音楽は誰かに聞かせる為にある

君の声は美しい
僕らの望む歌を歌ってくれよ

そうすれば誰もが幸せになる
僕らは君の歌声を楽しみ
君も今のように飢えて小金の都合に奔走しなくてもすむ

さぁ そうしよう我が友よ

詩人はとても楽しそうに笑って答えた

ありがとう僕の大切な友達
だけど僕は悲しい歌を歌い続けるよ

僕はこの世界に無駄なものはないと思っている
この世界に意味のないものなんてないと思っている

悲しい言葉があるということは
人に悲しむ意味があるということだ

人を傷つける言葉があるということは
人を傷つけるに足る意味があるということだ

僕の歌は人々を傷つけるだろう
僕の歌は忘れていた痛みを思い出させるだろう

僕はこうして歌い続け
そして遠からず飢えと貧困で死ぬだろう

だけどね
僕はその生涯に意味があると信じたい

それは他人から見れば滑稽な一生に思えるかもしれないけど
神が与えてくれたこの声で
人々を悲しませる歌を歌い続けたことに意味があると信じたい

君の優しさと友情に感謝します 僕の友達

僕は遠からず死ぬだろう
だから最後のお願いだ

僕の死んだあと
人々は僕に同情と哀れみをよこすだろう

それは仕方がないことだ
人々にとってそれは自然なことなのだし
事実 飢えと空腹で終わる人生というのは綺麗なものじゃない

だからね 僕の大切な友達
君はそんな彼らに伝えて欲しい

―――それでも僕は、笑っていたと




それはむかしむかしの物語。
誰も望まない歌を歌い続け死んだ愚か者の物語。
それでも笑って死んだ男の 何処にでもある男の物語。



殺戮言語永久機関

2005年09月13日 | ログ

廻る廻る。言葉は廻る。

死んでしまえ。

放たれた言葉の弾丸。

くるりくるり。

ブーメランのように。

黒い手紙のように。

くるりくるり。

廻って落ちる。

たくさんの血を流して。

死んでしまえ。

廻る廻る。悪意は廻る。

憎しみは慈愛の自転回数を超えて。

今日も僕らの廻りを周回している。

くるりくるり。

壊れたはさみのように。

くるりくるり。

潰された猫のように。

汚れた臭いを撒き続ける。

くるり。くるり。




電波塔

2005年09月05日 | ログ

世界に波打たせるために

 電波塔は存在している

僕らに伝えるべき言葉はないけれど

 電子は空へと広がっていく

不可視の感情の波は

 よろこびあるいはかなしみをひろげていく

コミニュケイションの光は

 やがてこの星を隙間なく覆うだろう