砂蜥蜴と空鴉

ひきこもり はじめました

♯138 願い

2006年08月20日 | ログ

ある日のこと。

神様は幸せな人々の下を訪れた。

神様は尋ねた。

何か望みはあるかね、と。

彼らは何も望まなかった。

何故なら彼らはもう、幸せだったから。



またある日のこと。

神様は幸せではない人々の下を訪れた。

神様は尋ねた。

何か望みはあるかね、と。

彼らは望み、口々に声を上げた。

「私達を幸せにして下さい」と。

神様は承知し、その上で尋ねた。

「幸せとは何かね」

金か。愛か。名声か。

彼らの誰もが明確な答えを持っていなかった。

何故なら彼らは幸せではなかったから。

資産家は金など貰っても仕方ないと言い

著名な芸術家は名声など沢山だと言う。

それらは幸せの一つの形かもしれないが、決して幸せではないのだと。

不幸な資産家と芸術家、愛される事に疲れた者たちはそう人々に告げた。

そんな中、頭の良い男が言った。

「私にいい考えがあります」

その考えを人々は聞き、素晴らしいアイデアだと口々に称えた。

全員一致で神様への願いは決まり

その考えを思いついた男はこう、願った。



※最後の一行はコメント欄に。
 果たして男はどんな願いを神様へと託したのでしょう。
 自分なりの答えを考えた後にコメント欄を見ては如何でしょう。
 書かれていた言葉をズバリ当てた貴方は爬虫類並の脳みその持ち主です。

♯137 その日は嫌な一日であった

2006年08月13日 | ログ

その日は嫌な一日であった。

間違いなく、人生最悪の日。

何故か。

今日は萌えないゴミの日である。

先週の日曜に三十路を迎えた私は必死の努力にも関わらず分別され

路上に転がり車を待つ。

萌えないゴミの廃品回収車。

道行く人々は誰も私に関心を払わない。

ゴミがゴミ置き場に置かれている事に異を唱えるのは変態のする事だ。

車はゆっくりと近づいてくる。

平凡+15点程度の私ではリイサクルセンター行きはないだろう。

資源は大切に。

可能なものはリサイクル。

不可能ならば・・・・夢の島。

埋め立てられる未来が近づいてくる。

私は発狂する精神の狭間、祈り、呪った。

「ヤツ」らを蔑視し、迫害し、嘲笑し、ゴミのように扱う世界がありますように、と。




※鴉が冒頭の一行だけ考えて蜥蜴が何か書く作品。コミケ開催中の夏より。

♯136 そろそろコミケの季節ですね

2006年08月11日 | ログ

今回もブログフレンズが発行されるようなので

興味のある方々はどーぞです。

ちなみに砂蜥蜴は1ミリも関わっておりません。

コミケ自体に興味はあれど

そこまで行くのが面倒いという地方参加者に殺されかねない理由で(神奈川で遠いとか言うな)

今年もイベントとは縁がなさそうです。

ひぐらし買う為に新宿までは行きそうだけれど(精一杯の外出です)

ブログフレンズ 公式ページ


♯134 海賊

2006年08月01日 | ログ

パイレーツ・オブ・カリビアン見てきました。

小粋なジェットコースターストーリー。

おすすめです。

スタッフロールが流れ終わって最後のワンシーンは古典的だけど面白いよなぁ。

ビースト・ウォーズでも見た気がする。


♯133 2分30秒の春

2006年08月01日 | ログ

どんな人間でも一生に二回、愛される時期があるらしい。

俺、稲垣京介にも2分と30秒の短さではあったが高校、思春期の文化祭の折にそれは訪れた。

「好きな人、いますか」

こんな社交辞令の一言で愛されてると思う程、馬鹿じゃない。

だが彼女の言葉は好意とか期待とかを感じさせない

ただ、ただ、答えを欲しがる懸命さに溢れていて

彼女が自分を好きなのだと、その声だけで悟った。

好きな人はいない。

俺は答えた。

それは事実だったし、嘘のない言葉だった。

口づけたい人はいる。

抱きしめたい人はいる。

けれど、その感情の生まれる場所は性欲にすら劣る、寂しさという感情であることに

当時の俺は気づいていた。

「私はあなたが好きです」

心の底から沸いた感情は安堵だった。

嬉しいとは違う、初めてこの世界に生まれてきたことを許されたような、そんな気分。

誰かに必要とされる自分。

誰かが欲してくれる自分。

お前はここにいていいのだと、初めて言われた、そんな気分。

俺は心の底から彼女に感謝した。

そこに幸いはあった。

気の迷い、錯覚、あるいは好意という感情に何の意味がないとしても

彼女は自分に光を見出してくれた。

そこに幸いはあったのだ。





2分30秒後。

俺は彼女に謝罪の言葉を投げつけた。




あれから五年が経った。

俺は大学に進学して卒業して、就職した。

その間にも何度か自分を好きになってくれた人との出会いがあったが

俺はその全てを断った。

嫌いではなかった。

だが彼女達の言葉には、あの時彼女が俺にくれた懸命さはなく

そんな言葉になびく自分は、光をくれた彼女に対して酷く失礼だろうと考えたものだ。



好意を拒絶する自分を好きになる人は減り

その数がゼロになった時、みっともなく俺は愛を欲し始めた。

風のない夜、布団に包まれ、何故か泣く日が増えた。



自分はあの時、どうして彼女の気持ちに応えなかったのか。

どうして応えられなかったのか。

不釣合いの天秤。空っぽの自分。

やがて訪れる終わりへの悲観。

周囲の目。

殻を壊される怯え。

どれもが正解であり間違いなのだろう。



半年後、彼女は別の男の告白を受け付き合い始めた。

彼女の心を占めていたはずの自分が別のものに置き換えられるのに

半年という時間は短いのか、長いのか。




どんな人間でも一生に二回、愛される時期があるらしい。

次に愛される時が来て、自分はそれに応えられる人間になっているだろうか。

いつか来る未来。

それを春と呼ぶのなら、俺は懸命に咲き誇る花々に俺は何かを贈れるだろうか。


あの日の2分30秒は未だ俺に問い続けている。