2007年11月15日、三度目の入院となりました。
この日は、重要な仕事が入っていました。当時、担当している国選刑事弁護事件がありました。事件は、強盗事件であり、しかも、被告人は暴力団員ということで、その1ヶ月ほど前、新聞を見て、「大変な事件だなあ」と思っていたところ、その事件の弁護が私にたまたま回ってきました。 国選弁護事件はその事件に民事関係の代理等で関わっている等特別なことがない限り、裁判所からの依頼を拒否することはできません。体調のこともあり、正直あまり気乗りがしませんでしたが引き受けました。
実際に警察署に拘禁されている被告人と面会してみると、新聞報道の凶悪な印象とはかなり違って(行なった犯行は凶悪ですが)、まだ若く、前科も少なく、暴力団との関係も実質的に切れており、仕事をまじめにしていた時期もあり、無口ながら素直でやり直しの意欲もかなりあるのがわかりました。また、年老いた両親もわが子を何とか立ち直らせたいと必死でした。
そのような状況から、何とか執行猶予によって刑務所行きを回避できないものかと考え、それまでこのような被告人の就職を何回かお願いしたことのある土木関係の会社に住み込みでの就職をお願いしていたところでした。就職先が決まっているということは、それだけ、経済的、社会的に、そして被告人の心理面でも安定した生活のめどがあるということで、裁判所が刑罰を決める際、特に執行猶予を付けるかどうかを判断する際に、大きな意味を持ちます。
その会社も就職の受け入れを前向きに検討してくれるということになり、この入院の日である11月15日に、両親とともに、自動車で一時間弱のその会社に行って、社長と面談し、事件内容や被告人の経歴や人柄等を直接説明し、そして何より両親の必死さを見てもらって最終的な就職の承諾をもらうつもりでした。このようないわば犯罪者の就職、まして凶悪犯の就職は、紹介する弁護士に対する信頼があってうまくいくものですから、私が顔を出さないわけには行きません。
それで、何とかこれだけはやらなければと思ってキャンセルせずにいましたが、発熱等で前日になって遂に断念せざるを得なくなりました。なお、この仕事は別の弁護士が弁護人について引き継いでもらうことになりました。
こうして、11月15日に、「まさか入院になることはあるまい」と淡い期待をしつつ、ふうふう言いながら病院に行ったところ、そのまま入院ということになったのです。
医師から「入院ですね」と告げられ、「あー、どうしょう、また事務所の他の弁護士や事務員を始め、いろいろな人に迷惑をかけてしまう。」という重い気持ちと、「これで、これ以上無理をしなくてすむ」というホッとした気持ちとが交錯し、外来待合室のベッドで点滴を受けながら、体の力がすーっと抜けていくのを感じました。
(以下、次号につづく)