楽しい人生!

日々の出来事

やっと抜け出た感じ

2019年02月03日 | 日記

 新しい年が始まったので、夫への重苦しい思いから

抜け出すことに決めました。私だって、もうどれほど

残されているかわからないのに、時間を無駄にしては

もったいないはずです。

 1月21日夜、プール友達、男3人女3人で岩国の

居酒屋で飲み会をやりました。凄く楽しくて、家に

帰ると時計が1時間も進んでいると錯覚したくらいです。

男の人達は、ここまで言うのと思うくらい本音をぶちまけて

いました。

 1月26日には、女友達2人を我が家へ招待しました。牡蠣の

時期なので、牡蠣フライパーティーです。

夫のもとには、1日も欠かさず行っています。肩を揉んでもらって

います。後は目いっぱい楽しんでいます。29日に会った大切な友が

「活動的な様子にビックリ」と言ってくれたので、嬉しく思いました。

                    


長い十字架の始まり?

2019年01月03日 | 日記

  昨年、6月20日に夫(76)が脊椎梗塞を発症しました。

半年、あらゆる治療を受けました。よくなりませんでした。

一番辛かったのは、夫の絶望を見ていることです。

彼はとても強い人で、愚痴は言いません。「オレは

何か悪いことをしてきたかな?人間って、自分は正しいと

思って生きているからな。」と言っています。

 自宅から歩いて15分のところの病院に転院することが

できました。月~金までマン~マンで毎日、1時間リハビリを

受けています。予想外の事で喜んでいます。私は、近いので

ウオーキングを兼ねて毎日通っています。6か月も入院していたのに、

夫は頭はとてもクリア―なので、話しがいがあります。

 

両手は大丈夫なので、行く都度、手のマッサージをしてくれます。

娘は肩をもんでもらっています。弟達は同情しますが、私にとっては

夫は大きな存在なので、いつまでも、共にいてほしいです。

                    


脊椎梗塞 3

2018年10月27日 | 日記

 6月20日に夫が脊椎梗塞になって、4か月が過ぎました。

家族はみんな、必死で祈って奇跡が起こることを信じていました。

医療機関のスタッフの方たちは、これ以上は望めないくらい

真剣に取り組んで下さいました。感謝の申し上げようもないくらいです。

 でも、夫は脊椎の8番目がマヒしているので、本人も死に物狂いで

頑張っているのに、殆ど歩けません。私は、病院に行って、その様子を

みているだけで、何度もウツになりそうでした。

 1か月前から、リハビリ病院に言われて、退院後に入る施設を捜して

います。近くに住んでいる弟が、車で10か所以上は連れて行ってくれ

ました。申し込みはしましたが、いつ入れると言ってくれるところは

ありません。介護施設がこれほど困難であることを、初めて知りました。

 夫は体格がよく、私は小柄です。夫自身も私が共倒れすることを全然

望んでいません。弟達も3人の義妹も親戚も家での介護は、反対です。

 義妹や友達は、誰かが毎晩、おかずを持って来てくれて、1時間位

おしゃべりして帰ります。

 私は英語を趣味にしているので、毎日広島の病院の帰りに、JRの中で

外国からの観光客に話しかけて、喜ばれ、自分も楽しんでいます。スマホを持っているので

写真も撮らせてもらっています。大喜びで撮らせてくれます。夫と娘にラインで送ります。

 今日の外国の人は、オーストラリアからです、日本での観光は2週間の予定。結婚とか

離婚の話まで本音で話せて、とてもエキサイティングでした。

 失ったものを嘆いても誰も助けてはくれません。夫は娘と私が生きがいだと言います。

 私の明るい顔がとても素敵だったと。今日の事です。   

 

 

 


脊椎梗塞 2

2018年08月08日 | 日記

 

  夫(76)が6月20日に脊椎梗塞になって、今日でちょうど50日に

なります。当たり前の事ですが、多くの人が普通に歩いている姿が、とても

まぶしくまるで奇跡を見ているようでした。私はと言うと、食べ物が喉を通

らず、おかずを作る気力もなく、スーパーで出き合いの物を買って来て、お茶ずけ

にして流し込む生活を、1か月続けました。それまで色んな本を読んで、人にも

偉そうに立派なことを言ってきましたが、全部偽物でした。自分がこれほど弱く

情けない人間だったなんて、初めて知りました。私自身も20年前と21年前には

脳の手術など、結構大きな病気を経験しました。ただ、確かに完治が予想された病

気でしたので、気持ちが全然違いました。ストレスとは怖いもので、私は1か月の間

10分おきに喉が渇き、水を飲んでも飲んでも渇きが癒えず、やはり10分おきに

トイレに行きたくなり、外でも同じでした。夫の発病後2週間は、毎日下痢が続きました。

 1か月目に娘が東京から帰ってきてくれ、病院通いから、ご飯の支度、愚痴の聞き役など

精力的に助けてくれました。私はやっとエネルギーをもらって、5割がた回復しました。

 料理を作って食べるようになり、早朝5時のウオーキングを再開し、病いで苦しんでいる人に

御見舞いを送り、本来の自分に戻りつつあります。夫の分も含めて、自分にできる奉仕は

今までよりもっと心を込めて、して行きたいと思っています。神が私に元気をもどしてくださ

ったのは、そのためだと思えるからです。夫はリハビリ病院に転院して頑張っています。

 脊椎の損傷なので、まだどうなるかはわかりません。奇跡を信じるのみです。


脊椎梗塞

2018年07月04日 | 日記

 

  6月20日、76歳の夫は普通に朝食をとり、自室で

くつろいでいた。軽い糖尿はあるものの、いたって健康体。

173センチ、73キロ。午前8時15分、突然背中に激痛が走り

あっという間に左足が、次いで右足が完全にマヒしてしまった。

 救急車をよび、JA病院でCT,MRIを取って、1日中

かかった。地元の医療センターに神経内科医が3人おられるので

介護タクシーで転送された。そこで午後6時に、脊椎梗塞だと

告げられた。初めて聞く病名。今日で15日になる。目に見えて

よくなっているようでもない。医師や看護師さんは、必死で

やってくださっている。夫を家に帰してあげたい。奇跡が

起こってほしい。