la princesse au bois dormant

~いくつになってもお姫様 眠い姫の独り言~

また劣等生だ。

2007年05月30日 | 眠り姫の独り言
 社会保険労務士試験勉強も終盤にさしかかり、今は学校行くたびに模擬テストです。
 全然点数取れません。比較的得意の労働基準法でも半分くらいしか取れません。
 覚えたそばから全部忘れます。
 税理士試験のときほどではありませんが(たぶん)、また劣等生です。
 別にいいんです。もう慣れたもん。
 今年はとりあえず、基本事項のうちの重要事項のみ全部頭に叩き込んで、それで受かればラッキー、受からなくてもまあいいやでいこうと思ってるんですが、重要事項さえ覚えられそうにありません。
 ま、どんなにできなくても、やらないよりはマシってことで。



 ところで全然話違いますが、こないだ朝の星占いで「第一印象で誤解されそう」とありました。
 いつもの話だ。

 も一つ話違いますが、今日、バイト帰りにエレベーターに乗ったら、のり合わせたおじさんが「an‐an」を立ち読みしていました。
 おじさんが「an‐an」を読んではいけない理由はありませんが、ちょっと驚きました。だってこれは……おどろくよな。うん。

 愚痴ばっかりもいやだったので、ちょっと話付け足してみました。

癒しアイテム

2007年05月19日 | 眠り姫の独り言
 昨日、バイト先でけっこうベテランの人がやめていきました。
 けっこうものをはっきり言う人だったから、最初はとっつきにくいかなとも思ったんだけど、面倒見のいい、いい人でした。

 で、その人が、帰りがけに、責任者の人に挨拶ついでに、私にも声をかけてくれて、こう言ってくれました。
「癒しアイテムでした。」
 隣にいた責任者の人も
「あー私もそう思ってた。」
 と言ってくれて、私はいったいどれだけ人を騙して生きてるんだと思いつつ、うれしかったです。

 が、その直後くらい、仕事で使うプリントを整理しているうちに何がなんだかわからなくなり、「あれ?なんだっけ?これはどっちにしまうんだっけ?」とぶつぶつ言いつつやっていたら、先ほど私が癒しアイテムだという言葉に同意した責任者の人が、
「そういうところが『癒し』なんだよねー」
 ……と。
 癒しは癒しでもそれは私の人柄とか言動とかによるものではなく、単に私がぬけてるとかおっちょこちょいとかボケてるとか、そういうこと(それも人柄や言動の一部といえばそうだが)によるものであったらしいと判明しがっくり。
 考えてみればテレビとかで「癒し系」って言われてる人って、みんな優しいとかいうよりは単に天然キャラだし。
 まぁそれで他人様に癒しを提供できたんだから良しと言えば言えなくもないんですが。





 思い返してみれば、私はもともと「優しくて奥ゆかしくて人に癒しを与えて…」というような人になりたかったのです。が、「そんなんじゃ誰も何も守れない」と、17歳か18歳くらいのときに気づき、優しさとか思いやりとか、そういうのはすべて放棄して生きてきました。(あと気が利かない性質だから、優しくしようとしてもけっこう空回りして意味ないってのもある。)
 でも本当はやっぱり癒し系になりたかったのかなぁ、それでそういう人になっちゃったのかなぁ、と思いました。

 情けないな。

ピンクと水色

2007年05月16日 | 眠り姫の独り言
 このごろちょいと疲れがぬけなくなってたところに、なんか通ってるジムで今月来月限定で「クリスタルオーラセラピー」なるものをやってるというので、ものは試しで行ってみました。

 私のオーラカラーはピンクと水色だそうです。
 そんでその人いわくピンクというのは優しさを示していて、かつ人として成熟している(言葉違ったけどそんな感じ)ということらしいです。
 私は優しくて人として成熟しているんだそうですよ。(強調)
 で、水色は変化を意味するそうです。
 その他言われたこと
 ・変わっている(もうこれ言われ飽きた)
 ・ここ1~2年以内で結婚しそう(独身主義なのに)
 ・何か悩んでいるというよりは迷っている(そりゃいつだって両極に揺れてますから)
 ・おなかのところでエネルギーがよどんで動かない
 ・胃が弱い
 ・左足に負担がかかってる
 ・二面性がある・状況によって自分を変えられる(それは誰でもやってることでは?)
 ・あまり怒らない(マスコミや社会に向かってはしょっちゅう怒ってますが)
 ・ストレスがたまりやすい
 ・「難しいなー。こういうオーラの人見たことないなー。」(そう言われても…)

 ……といったかんじで、まぁ面白かったんですが、それより何より面白かったのが、そのみてくれた人、同じ流派の空手経験者でした。しかも元指導局(つまり偉い人たち……か?あの組織いまいちわからん)。
 ………唯物弁証法はどこへ行ったんですか?
 当人も「唯物論から観念論に行ってしまった」と言ってましたが。
 おかげでオーラの話より空手の話ばかりしてしまいました。
 しかしどうして私は「大学空手部を4年間続けられた」だけで感心されてしまうのでしょうか
 やっぱり存在自体がギャグだったからか……

すしと焼きそばとチャーハン

2007年05月11日 | 成年てんかん日記
 今日は久しぶりに夜家で留守番だったので、夜ご飯をつくりました。
 にんじんとキャベツと豚肉の焼きそば。
 なんか具が多い気がしたので、具を半分くらいにわけ、半分は残ってた冷ご飯と一緒に炒めてチャーハンにしました。
 チャーハンはバターで炒めてしょうゆで味付けして(私はこの味付けが大好きだ)、アンチョビソースなんか入れてみたりして(これは初挑戦)、ちょっとオリジナルな感じで、「ふっふっふ。明日の朝はこれだわっ」と思っていました。
 そしたら焼きそばつくり途中で母が帰ってきて、しかもお寿司を土産にしてて、
「あんた焼きそばは明日にして、これ食べなさい。」

 なんでこういうタイミングで明日の朝ごはんまで作っちゃうかね私は

 しかし焼きそば・チャーハン<<<<<寿司(しかもトロと赤身と穴子)
 もちろん寿司を食べました。おいしかったです。トロ~穴子~赤身~
 チャーハンは予定通り明日の朝食べます。せっかく好みの味付けにしたんだし。
 焼きそばは母が食べてくれることと思います。


 それにしても、鬱がひどかった(というかてんかんのせいでうつ症状がでまくってた)頃は料理なんか全然出来なかったので、やっぱり私は回復したなぁと思います。回復というか薬がよく効いてるというか。
 しかも今日なんか、てんかんの禁止事項全部無視してた日ごろの悪行がたたって、朝からずっとだるくて頭も痛くて歩くのも辛いくらいだったのに。
 巷では「うつ病」の症状としてわかりやすいサインは「死にたくなる」だとよく言われますが、あまりそれはあてにならないんじゃないかなぁと私は思います。どんな人でも死にたくなるくらいいやな思いはしばしばするものだと思うので。人にもよるでしょうが、少なくともうつ病の人だけではないんじゃないかと。
 今日偶然聞いたラジオで、どこかの調査によると最近の日本の中学生(か、中高生か忘れた)の25%は「死にたくなる」などのうつ症状があって、うつ病の臨界点くらいにはいると言ってて、それを聞いた山田五郎が
 「でも僕も『死にたい』なんてしょっちゅう思ってたし、一人ぼっちの気がするなんてしょっちゅうだし、それをうつ病と言われてもねぇ。」
 というような発言をしていましたが、「よく言った!」と思いました。初めてだ、マスコミのコメンテーターのあんなにうなずいたのなんか。
 中学生や高校生の思春期なんか特に、感受性も一番敏感になってるし、そもそも悩み多き時期だし、悩みすぎて思いつめたり、感情の揺れが激しくなったり、ゆううつになったり、自殺願望や発狂願望が芽生えたりしたってそれは普通のことなんじゃないかと。
 普通のことだから放置していいとは全然思いませんが、心のケアなり何なりは必要だと思いますが、「うつ病だ」と騒ぐのは何か違うかな、と。
 それよりもむしろうつを疑った方がいいのは、「やりたいはずのこともやるべきことも生活上必要なことも、何にも手がつけられなくなる」とか「このままではいけないと焦るけど焦るだけで何もできない」とか「何でも自分が悪いと思う」とか、そっちじゃないでしょうか。
 ずっと頭でぐるぐる考えて、自分を責めて、何かしなきゃと焦るけれど、もう考えて自分を責めまくってるのでそれだけで疲れてしまっているので何もできなくて、それでよけい自分をだめだと責めて……という悪循環で、そのせいで「死にたい」とかいう願望も芽生えるのであって、「死にたくなるくらい憂鬱」とか「悩んでてもう死にたいと思うほどになった」とかは、大変な状況ではあると思うけれど、別にうつ「病」ではないと思うのです。

 巷でよくやられているうつ病チェックテストの類は、別に嘘でもいい加減でもないと思います。
 が、あれでうつ病を測るのは危険です。
 たぶんああいうテストは、うつ病の患者が訴えてきた主な症状をリストアップしてきたものでしょう。
 だから、確かに自分のうつ症状がひどかった頃を思い出しても、「言葉で説明するとしたらそういう症状ではあったな」とは思います。
 が、何か違うのです。
 同じ「気分が暗い」「憂鬱」「泣きたくなる」「死にたいと思うことがある」でも、うつ症状がひどかった時のそれと今のそれは違うのです。
 今だってしょっちゅう気分は暗くなるし憂鬱にもなるし泣きたいことも死にたくなることもしょっちゅうです。でもそれは、うつ症状でそうなってたときとは全然違います。
 でも「何が違うか」を言葉で説明できません。
 たぶん言葉で説明できたら、私は精神医学会に貴重な一石を投じられるのではないかと思いますが。
 抗てんかん剤を飲み始めて2~3ヶ月したある日、道を歩いていた私は「あれ?」と思いました。
 「世界はこんなに明るかったっけ?」と。
 つまりうつ症状がひどかった頃は、世界そのものがものすごくどろりと暗く見えていたわけですが、かといってうつ病チェックリストに「世界がどろりと暗く見える」という項目はあまりに詩的であいまいすぎて載せられないでしょう。
 だから今あるチェックテストの類は、あれはあれでいいのだと思いますが、あれに頼って「うつ病の疑いのある人が多い!」などと騒ぐのは違うような気がします。
 あれは個人的に「自分は今うつ病じゃないだろうか」と心配になったときに調べてみて、得点があまりに高いようなら自分の判断で病院に行ってみる、という、あくまで個人的な、病院に行くべきかどうかの判断の助け程度に利用するべきものだと思います。
 あと、「死にたくなる」よりは「焦り」とか「罪悪感」のほうが、うつ病かどうかを判断するときは重要なんじゃないかなと、私は思ってます。どんなに憂鬱でも、何もやる気がしなくても、それを人のせいや環境のせいにしている人はうつ病ではないです。「責め」のベクトルがすべて自分に向くのがうつ病。


 とりあえず、チャーハンと焼きそばを作れちゃう私は、「もはやうつ病ではない」です。
 でも書類上はうつ病(と、てんかん)。

無視

2007年05月10日 | 成年てんかん日記
 仕事内容が変わって1ヶ月ちょっと。
 なんだかんだで性には合っているらしく、最近はあまり仕事が苦にならない。
 でも精神的に苦にならないだけで、脳みそ的には苦になるらしく、毎日仕事終わりごろにはなんか発作がきそうな嫌な感じがする。
 でも私はやめない。そう私は無茶しっ子。
 今日も結局残業したし。

 残業も、前のように「お金のため」というよりは「仕事がたまっているのが嫌だから」「とりあえずこの日付のまでは終わらせておきたいから」などの理由になっているので、発作起きそうな嫌な感じがしてても無視(実際発作起こしたら困るので深呼吸だけはしているが、別に深呼吸に発作を抑える効果があるという話は聞いたことがない)。
 だから帰りはもう、歩くのもしんどいくらいふらふらふら。

 おかげで週に1度のスポーツジムでは、社交笑いとかちょっとのあいさつとかも出来なくなってしまった。
 疲れていると、「とりあえずの笑顔」とか「知らない人としゃべる」とか「人と目を合わせる」とか、そういう「ちょっとした人付き合いには大事なこと」が全部出来なくなる。別に友達づくりとかのために行ってるわけではないのでいいんだけど。
 きっと私は感じの悪い会員なんだろうと思うけど、それも無視。

 そのほか「てんかん患者の禁止事項」も、ぜんぶ無視。
 睡眠不足もお酒もやめてない。
 ストレスためない努力もしてない。

 いつか罰が当たるんじゃなかろうかと思うけど、それさえも無視しそうな気がする。