ヴァンゲリスを知ってますか?
ギリシャ出身のシンセサイザー奏者です。
しかしその壮大な音楽性は、とても一言では言い表せません。
とくにブレードランナーは今でもコアなファンがたくさんいる、SF映画の名作です。
私はまだ映画音楽でブレイクする前、シンセサイザーからアプローチして彼にたどり着いていました。
冨田勲、喜多郎、ジャン・ミッシェル・ジャール・・・その先にいたのがヴァンゲリスです。
ああ、この曲を聴くと宇宙に夢を馳せていた中学生時代がよみがえります。
いい時代だったなあ。
私が一番衝撃を受けたアルバムは「天国と地獄」(Heaven and Hell)です。
美しすぎるジャケットに、クラシックを越えた音楽が詰まっているのです。
このアルバムのB面の曲『So long ago, So clear』はイエスのボーカル、ジョン・アンダースンをフィーチャーしていますが、これが極上のバラードで、魂が大気圏外にトリップしてしまいます。
彼のデビューは1968年、パリでギリシャ出身の仲間3人と造った「アフロディテス・チャイルド」名義です。もう半世紀以上活動を続けているのですね。
当時の『イッツ・ファイブ・オクロック』(1969年)のレコードを私、持ってます。青森県の中古レコード店で見つけました。
さて、世界的なアーティストではありながら、日本ではあまり話題になりません。謎に包まれた彼を珍しく取りあげた番組を見つけ、録画しておいた SONG TO SOUL 「炎のランナー」(BS-TBS)を見ました。
<番組内容>
1981年、1本のイギリス映画が公開された。
オリンピックに出場した実在のランナーたちをモデルに、彼らの周囲との葛藤や自己との闘いを格調高く描いたヒューマンドラマ。
映画の名は『炎のランナー』。映画は大ヒットとなり、アカデミー賞4部門に輝いた。
オリジナル作曲賞を受賞したテーマ曲もヒットし、ビルボードのシングル、アルバムチャートでそれぞれNo.1を獲得。
この曲を書いたのは、ギリシャ生まれの音楽家、ヴァンゲリス。以後、『ブレードランナー』や『南極物語』など、数々の名作で忘れがたい音楽を送り出している。
1981年、1本のイギリス映画が公開された。
オリンピックに出場した実在のランナーたちをモデルに、彼らの周囲との葛藤や自己との闘いを格調高く描いたヒューマンドラマ。
映画の名は『炎のランナー』。映画は大ヒットとなり、アカデミー賞4部門に輝いた。
オリジナル作曲賞を受賞したテーマ曲もヒットし、ビルボードのシングル、アルバムチャートでそれぞれNo.1を獲得。
この曲を書いたのは、ギリシャ生まれの音楽家、ヴァンゲリス。以後、『ブレードランナー』や『南極物語』など、数々の名作で忘れがたい音楽を送り出している。
作曲からアレンジ、演奏までをたった1人で行う彼は、シンセサイザー音楽の旗手として、一部のファンの間では以前から大きな人気を集めていた。
やがて映像作品の音楽を手がけるようになり、ついにこの映画で世界的な人気と名声を得ることになったヴァンゲリス。
名画と名作曲家は、いつ、どのように出会ったのか…
そして、彼のサウンドづくりの実態は…
番組では、『炎のランナー』の監督ヒュー・ハドソンや、ヴァンゲリスのレコーディングをサポートしたエンジニアのラファエル・プレストンらを訪ね、名曲誕生の経緯を探っていく。
やがて映像作品の音楽を手がけるようになり、ついにこの映画で世界的な人気と名声を得ることになったヴァンゲリス。
名画と名作曲家は、いつ、どのように出会ったのか…
そして、彼のサウンドづくりの実態は…
番組では、『炎のランナー』の監督ヒュー・ハドソンや、ヴァンゲリスのレコーディングをサポートしたエンジニアのラファエル・プレストンらを訪ね、名曲誕生の経緯を探っていく。
本人はあまり出てきませんでしたが、周囲の人々のインタビューから彼のサウンド作りが垣間見えました。
彼は楽譜を用意することなく、インスピレーションでアドリブで曲を作る天才肌。
映画音楽も、映像を見ながら即興で作曲するので、上記の映画も彼の音楽と共にイメージされるのですね。
元イエスのリック・ウェイクマンのインタビューでは、リックがジョン・アンダーソン(イエスのボーカル)からヴァンゲリスを紹介され、リックが脱退した後に後任としてグループに誘った事実があるそうです。
ただ、ヴァンゲリスは自分ひとりで音楽を構築していくスタイルであり、イエスというバンドはバンドのメンバーがみんなで音楽を緻密にくみ上げていくスタイル、合わないのではないかとの予感が的中して、ヴァンゲリスは誘いを断りました。
あ、ジョン・アンダーソンとは、アルバム『Short Stories』も作っていますね。
ヴェンゲリスノ父はオリンピック選手(五種)であり画家、母は音楽家と紹介されていました。
映画「炎のランナー」の監督は、テーマ曲としてヴェンゲリスの既成の曲を予定していましたが、ヴァンゲリスは「新しい曲を作る」ことにこだわり、紆余曲折を経てできあがったのがあの有名なテーマ曲です。
父親へ捧げた楽曲かもしれない、という監督のコメントが心に残りました。