クロイドンノース

メルボルン郊外のクロイドンノースでの主婦の生活。
息子の言語発達遅滞のことやクロッシェの記録も。

7月の日本行き5 実家で

2016年09月02日 | 旅行


実家に滞在中、一日だけ30度を超す日があったので、早速地元の浜へ!
泳げたらいいなと思って一応水着を持ってきてたんです。


LHもGも、その父も、由緒正しいカナヅチです。
私は、海のそばで育ってる子が泳げないとか下手くそとかは恥!という環境で育ってるし、
LHには自由にスイスイ泳げる楽しみを知ってほしくて(月謝高いけど)水泳教室に通わせています。
が、地獄谷の温泉の猿たちのように、父親Gと一緒に海に浸かってるだけのカナヅチ親子…。
しまいには、Gが「砂に足が沈む」って言い出して、
もういいって言って一人でアイスクリームを買いに行ってしまったのです。

普通、泳ぐと足は沈まないもんですが…。

こんな究極レベルの豪州産カナヅチ二人と
海へ行ってはしゃぐ気でいた私がかわいそうでなりません。



これも伊勢志摩地方のもの。母が作ってくれたてこね寿司。


実家へ帰るといつも一度はいくラーメン屋さんで、いつものチャーシュー。
これはあんまりラーメンファンじゃないGも好きです。


ばーちゃんの手伝い?をするLH。
背がずいぶん高く見えますが、うちの母が小さいのです(笑
キッチンも背が低い人用です。

LHは日本語はもうほとんどダメですね。
3歳半の時、言語発達障害の診断を受けてから、英語に集中したかったので、
私が家で日本語を話すのをやめてしまいました。
でもなんとかかんとか、母やいとことコミュニケーション取って、
一緒に過ごす時間を楽しんでます。

今回は私もGも国際免許証を取るのを後回し後回しにしたせいで取れず、持って行きませんでした。
70歳の母の運転に頼ることになり、
しかも日中出かけずに家でグータラしてる私達にイライラ感がつのる母。
お盆とかホリデーシーズンじゃないし、平日だったので私も友人達とも会えず。
5泊の滞在でお互い十分でした。

LHが生まれてからは特に、実家に帰ると子供時代に返った気分になるというよりは、
子供時代の遠い記憶が懐かしくて切なく感じるようになってきました。
もう実家とは言えど、自分の部屋もとっくの昔になくなってるし
究極の過疎化により村自体の存亡も怪しい。
あんなに大事に机のひきだしにしまってあった甘い香りがする消しゴムとか
そういう細々したものも、ただの記憶の欠片。
もうやってない村のお店や毎年行われていた行事。
取り壊されてしまった保育園や小学校。
故郷は帰りたい場所ではなく、寂しい場所となってしまいました。


何もできない罪悪感と日本の田舎をこうなるまで放置してきた日本の政治に苛立ちを覚えながら
メルボルンに帰るために東京に向かいました。

 

当初、帰りの東京宿泊は1泊だけの予定でしたが、Gがダーツバーにお別れを言うことができず、
メルボルン行きの便を変更…。5泊となりました…。
1泊目はメルボルンから到着した時にも泊まったセルリアンタワー東急をもう予約してあったのでそこに。

セルリアンタワー東急、再び…

でもあと4泊は高いので、良心的な値段の渋谷ホテルえんに移動しました。
部屋が狭くて夜景とか見れないというだけで、きれいだしサービスもすごく良かったです。

Gは残りの東京滞在はただひたすらダーツと食事でした。
私とLHはもうスーツケース入らない~と言いながらもブラブラとショッピング。
今回はキッザニアもディズニーももういいって言ってたし、特に行きたいところもありませんでした。

もうどこで何食べたのかほとんど覚えてません。

LHの希望で最後においしいうなぎを食べておこうと、デパートのうなぎ屋さんに行きました。
老舗のような感じがしたのですが、おいしくありませんでした。
それとも名古屋のひつまぶしが良かったからかな?

渋谷のどっかのレストラン・バーに入り、東京で最後の夕食。
もうお腹いっぱいだったけど、記念にデザートもいっときました。

日本の飲食店は圧倒的に喫煙が多いのが残念ですね。


これで今回の里帰り旅行も終わり。

メルボルンへの帰り道はスムーズにいきました。
メルボルンのめちゃくちゃ段取りが悪かった入国審査も
数年前と比べてそこそこスムーズにいくようになりました。

3学期が始まってすでに1週間経っていましたが、LHはまた元気に登校。
ホリデーの写真を15枚ほど現像して、LHはShow & Tellでみんなに見せていました。

私も、また主婦の日常生活に戻りました。



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