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2016年09月16日 | 
龍馬という男

土佐の坂本龍馬を知らない歴史人はいないぜよ!
日本の歴史に登場する人物の中でも一際人気のある坂本龍馬。人気があったのは現代だけではなく彼が生きていた血なまぐさい幕末動乱期も変わらなかった。

特にここ近年では大河ドラマ「龍馬伝」で今まで以上に人気が出た幕末志士ではないでしょうか。そこに福山雅治が主役となり追い打ちをかけましたね。

上士と郷士
そんな龍馬は土佐郷士の出身。土佐は身分制度に厳しい藩でした。
元々土佐は長曾我部氏が収めていた土地でした。最近ではゲームの影響もあり知っている人も多い長曾我部元親など。しかしながら関ヶ原で長曾我部氏は西軍に組みしてしまう。その後家督を継いだ長曾我部盛親は捕えられ斬首。代わって掛川城の大名、山内一豊が土佐一国をもらい幕末に至る。山内一豊は本人より奥方の方が有名で内助の功と言われていますね。土佐は大河ドラマ「功名が辻」に続いて2回目の大河ドラマの主舞台です。
藩祖は地味すぎますが、幕末の藩主山内容堂はそれなりに有名で大政奉還後の政ごとには参議として名を連ねます。
この土佐での上士というのは山内家が掛川から移った時に一緒に移動した元々山内配下の武士。郷士とは長曾我部時代から土佐にいた武士。もちろん上士の方が身分は上で、道端ですれ違う時は道を譲り頭を下げねばなりませんでした。そして何かと身分にこだわる上士と虐げられてきた郷士が意気投合する事などありえない時代でした。

仁王様
坂本の仁王様といえばご存じ龍馬の姉である乙女姉さんを指します。
当時女性の平均身長が147センチと言われていた時代に175センチ!どんだけデカいんだ!幕末の男性平均ですら157センチと言われています。龍馬と慎重が変わらなかったというエピソード。龍馬が間違えて乙女姉さんの着物を着てしまったが寸法が同じで違和感が無かったという記録が残っているほど。今でいう190センチ以上あるバレー選手なみでしょうか。目立ったでしょうね。もちろんこの姉さん。体格だけではなく性格も男勝りで幼い時気弱な龍馬少年をかなりしごいたという。

そんな龍馬少年も青年になり脱藩。
江戸で千葉道場にて千葉周作の妹「さな」と出会ってしまう。いろいろなエピソードがあったようでしたが結局「さな」とは結ばれず。

龍馬の場合、女性に限らず男性からも好かれるタイプだったようで、幕臣勝海舟や長州藩士「高杉晋作」や薩摩藩「西郷隆盛」。他藩の逸材と交流していたのはこの時代では龍馬くらいではないでしょうか。この龍馬ネットワークからいろいろな人物が繋がります。相関図がないと分からなくなってしまうくらい。しまいには山内容堂や敵視していた「後藤象二郎」や「福岡孝弟」とも交流し建白書を出したりしています。藩内の敵だった人物まで魅了してしまうこの魅力ってなんだったのでしょう。

そんな龍馬もこのお龍にはかないません。
京都で見回り組に追われていた頃であったとされております。楢崎龍子 写真が現存されておりますがかなり美人です。名前の漢字が同じだったり男勝りな性格などに惚れ込んだようです。二人は結婚し初めて一緒に度に出掛けます。これが日本の最初の新婚旅行だったといわれています。九州を巡ったとされています。

そんな龍馬夫妻にも不幸が。
ご存知のように龍馬は暗殺されてしまいます。その後お龍は龍馬が懇意としていた明治新政府の要人たち(西郷や木戸)たちを頼りますが門前払い。かつての盟友だった海援隊の仲間に会いに行きますがここでも門前払い。どうやらこの男勝りな性格が災いして龍馬の仲間たちからは嫌われていたようです。
結局、横須賀にたどり着くのですが…事の顛末はこの本で確かめて下さいね!