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新撰組顛末記

2016年09月15日 | 
新撰組顛末

新撰組結成時から参加、副長助勤となり後に二番隊組長を兼任した長倉新八。時には近藤勇と共に池田屋に飛び込み数人で長州派の志士たちと斬り合い、新撰組随一の剣の使いてとして幾多の戦闘で名を馳せた大幹部の中で数少ない生き残りの1人である。
 北海道小樽に移り住んだ永倉新八は、孫たちを相手に新撰組の懐旧談を語り記録に綴る晩年を送る事までは広く知られているだろう。近藤勇や土方歳三らとの交友、池田屋の乱闘、仲間の粛清、鳥羽伏見での騒乱。修羅場を潜り抜けてきた男の生々しい証言が語られている。新撰組ファンなら一度は読んだことのある本だとは思いますが、この中でドラマや映画にあまり描かれていない場面を掻い摘んで紹介。詳細は改めてこの本を読んで会得して欲しいと思う重要歴史証言の本である。


近藤と別れてから。
新撰組を語る上で近藤が幕臣に取り建てられてから新撰組のメンバーに対して家臣のような扱いをする事からなど永倉新八や原田佐之助などの初期メンバーが去って行ってしまう。
ここで新撰組のドラマや映画では、残った近藤や土方の終焉までを描く。当たり前のことかもしれないが。ところが、去った永倉新八がどのような行動を取ったのか詳細が証言されているのはこの本だけだろう。そりゃ本人の証言談をまとめた本だし。
ここで描かれているのは近藤と別れた後に靖兵隊を作って薩長率いる新政府軍に反抗していた。近藤と別れた後、深川冬木にある弁天社内に居住していたかつての仲間である芳賀宣道を訪ね一緒に蜂起する事で話がまとまり靖兵隊を結成した。これには元新選組隊士たちも呼応し林信太郎、前野五郎、中条常八郎、松本喜三郎なども集まった。また諸藩を脱藩した者や幕臣たちも集まり総勢五十人ほどになった。五十人にもなり剣士の部隊となれば新撰組に匹敵するだろう。ここまでに膨れ上がったので当時和田倉門にあった会津藩跡地に駐屯し幕府歩兵隊の米田圭三郎と合流。深川を引き払って毎日フランス式の訓練を行っていたのである。

江戸城無血開城
事実上徳川幕府が消滅してしまうので靖兵隊は江戸明け渡しの前日に水戸街道から会津を目指したが、原田佐之助は江戸に残した妻子に別れを告げに行くがすでに江戸は新政府軍に囲まれていたので叶わず、彰義隊に加わり上野戦争で戦死した。
靖兵隊は岩井宿を経て小山の新政府軍と衝突したが勝利し鹿沼宿へ到達。そこで幕府伝習隊を率いる大鳥圭介や土方歳三率いる新撰組、会津藩などと合流し宇都宮城攻めに参加。押し寄せる壬生藩を退ける活躍を見せた。この時宇都宮城で奪った三千両のうち二千両を大鳥圭介に渡し千両は靖兵隊の軍用金とした。
ところが、兵の他武器弾薬の補充が豊富の新政府軍は鳥羽伏見経験者の土佐藩兵を中心とした主力部隊を宇都宮に差し向け旧幕府軍は敗走。一路会津を目指した。

敗戦後の足取り
宇都宮敗走し会津に行くがここでも敗走。米沢を得て江戸に戻った永倉にまっていた運命は如何に。なぜこのあと北海道に渡る事になったのか。また盟友近藤勇の墓を板橋に建立した経緯などはしっかりとこの本を読んでスッキリとして欲しいです。今回は永倉新八のあまり描かれなかった部分だけ紹介させてもらいました。