---------------------------------------------------
No143) 『 お袋に感謝! 』
---------------------------------------------------
■ 北島やりましたね~!
昨日の夜は、バレーボール女子が
熱戦をしたいたお陰で、DMを袋詰め
する手が、途中何度も停まってしまいました。
頑張っている姿を見ると、こちらも元気に成って
来るので不思議ですね。
■ さて、今日はお盆特集2日目で、
亡きお袋に関しての話をします。
___________________________________________________
■目次
【1】仕事に子育て、
【2】多趣味
【3】ストレートな性格
★ 今だけのキャンペーン
____________________________________________________
-----------------------------------------------
【1】仕事に子育て、
-----------------------------------------------
■ お袋は、電電公社に勤めていました。
交換手をしていました。
今の若い人は知らないでしょうが、
昔は、電話を電話局の中の交換手が、
相手先に接続してくれました。
一旦、交換手が取り次ぐと言う方式でした。
ですから、交換手は電話がかかって来るのに
対応しないといけないので、昼も夜も仕事を
する必要が有りました。
お袋も、週に1回の泊まりと、夜勤が有りました。
そんな関係で、兄と私は伯母夫婦の家に、預けられて
居ました。
■ 務めている時のお袋は、元気一杯と言う感じでした。
私の記憶にある母は、おデブでした。
若い時は、細かったようですが、出産したら太るもの!
と威張って、太っていました。
ウォーキングをしたり、水泳をしたりして、痩せようと
努力してましたが、最後、癌で痩せるまでは、ダイエットには
成功した姿は見る事が出来ませんでした。
働きながら、私たち兄弟を育ててくれました。
ただ、料理は決して上手い方では無かったです。
良くお袋の味と言いますが、私にとっては、伯母の料理が
そんなイメージです。
お袋の得意料理は、2つだけありました。
「カニ玉どんぶり」「ミンチどんぶり」
この2つです。
この2品だけは旨かったです!
「カニ玉どんぶり」は冷凍のカニの肉を卵でとじて、
それを、ご飯の上にかけると言うものでした。
「ミンチどんぶり」はほうれん草・ニンジンを茹でて
ご飯の上に飾って、卵の薄焼きをスライスしたものを
その隣に飾り、醤油とみりんで味付けしたミンチを上に
かけたどんぶりものです。
この2品だけは、お袋の自慢料理でした。
■ お袋は、参観日には必ず着物を着飾って来ていました。
それだけが、妙に印象に残ってます。
その着物姿が綺麗な感じがしてチョット自慢でした。
たぶん、男の子にとって、母親は特別な存在なのでしょう。
私は、親父の方が好きだと思っていましたし、親父っ子だと
周囲も思っていた筈ですが、
お袋が亡くなったのは、未だに、辛いです。
孝行もしてやれないまま、寂しく逝ってしまった!
そんな、思いがします。
■ 母が、電話局で勤めていた時に、良く局内に
遊びに行きました。
まさか、将来、自分がNTTの電話機を販売するとは
その時には、思いもしなかったです。
子供ながらに、親の同僚や、上司と会うのは親の
知らない側面が見えて良いことだと思います。
私は、お袋の仕事着や、上司の人に声をかかられて、
「いつもお母さんは頑張っているよ!」
と言われた一言が、結構、嬉しかった記憶があります。
たぶん、お袋も、本当は家で子育てをしたかったのでは
無いかと思いますが、まあ、家事が得意では無かったので、
仕事をしていて正解だったと思います。
それが、お袋には合っていたように思います。
■ 電電公社で33年働いて、NTTに成る前の年に、
退職しました。
その方が退職金が良かったらしいです。
私が、NTTが民営化した翌年から、電話機の
販売を開始してますので、2年の差です。
たぶん大学2年の時ぐらいに、退職した筈です。
-----------------------------------------------
【2】多趣味
-----------------------------------------------
■ 非常に多趣味な人でした。
お茶・お花・着物・人形・日本画・詩吟など
いろんなことをやっていました。
興味を持つとすぐにやり始めるタイプです。
手先が器用で、編み物や、人形を作ったりも
器用にこなしていました。
親父は、酒大好きで、酒でストレスを解消していた。
お袋は、多趣味で、趣味を通して、人との交流を
楽しんでストレスを解消したようです。
■ もう一つ、病気のような趣味が買い物です。
物を買うのが大好きです!
これは、死ぬまで治らなかった!!
亡くなってから、着物屋さんや、宝石店の請求の
多さに、義姉はビックリしていました。
自分の亡くなった時に着る着物まで、買い揃えて
ありました。
準備万端と言う感じもしますが、その着物の他に、
真新しい着物も一緒に購入していたようで、
それを、売る業者の気持ちが理解出来ません。
だって、明らかに、癌で見た目も弱っている人が
死に装束を買いに来ているのに、新しい高額な
着物を普通は売り付けないでしょう?
そう思いますが、薦められると、買ってしまう、
お袋だったようです。
■ 凄い巻物を買ったと、昔、見せてくれたことが有りました。
100万円したそうですが、どう見ても量販されている、
無価値の軸です。
セールスマンから買ったようです。
その他宝石類もたくさん買っていましたが、クレジットは
お袋の為に有る制度では無いかと、思えるぐらいに、
目一杯買っていました。
そうすることが、唯一のストレス解消だったのかも
しれません。
■ 親父が亡くなって以降は、相手も居なくて寂しかったようです。
テレビで映画を見るのが好きだったようですが、その他は
詩吟の友達と詩吟をするのにハマっていたようです。
親が一生懸命働いて、子供を育てても、
子供は親元を去って、都会で暮らす!
自分のことながら、やり切れない気持ちに成ります。
島根の方田舎では、働く場所もありませんし、
面白みが無い!
どうしても、都会で働く道を選んでいました。
親が、癌に成っても、付きっ切りと言う事は出来ずに、
死に目にも会えなかった。
役員会の最中に、危篤に成ったと言う連絡を受けましたが、
その時間では、移動手段も無かったです。
父、母、ともに死に目には会えない、
親不孝者です。
-----------------------------------------------
【3】ストレートな性格
-----------------------------------------------
■ お袋の性格は、非常にストレートです。
嫌なものは嫌、
嫌いなものは嫌い、
好きなものは好き!
ハッキリし過ぎるぐらいにハッキリしてます。
ですから、感情の起伏をそのまま相手にぶつけるので、
酔っぱらった、親父とやり合えたのでしょう。
凄まじい、口喧嘩を毎晩のように繰り返していました。
■ まあ、我儘な性格なので、人に好かれない性格だった
かも知れません。特に、肉親には、そんな感じでした。
流石に、長く外で働いていたので、外面は良いようで、
それなりに友達も多かったようです。
■ 兄貴が、脳梗塞で倒れて、言葉を話せなくなった時に、
一緒に、脳梗塞に成ったお袋でした。
伯母が異変に気が付いて、すぐに病院に言ったお陰で、
大事には至らなくて良かったのですが、
お袋は、非常に心配していたようでした。
お袋は、兄貴を出産する時、非常に難産で最後は
帝王切開したようです。2人目は流産して、3番目が
私で、その時も帝王切開だったようです。
帝王切開で、輸血をした。
そのせいで、肝硬変に成って、それが癌に成ったようです。
一昨年の今頃の時に、病院に母と一緒に行って、
肝臓に有る癌の映像を見たのですが、10cm近さの大きさで、
薬で、小さくして、手術をすると言う方法が良いと、
先生に任せました。
私は、知り合いにいろいろ聞いて、薬を買って飲ませたり
しましたが、効果は無かったです。
結局、癌はドンドン大きくなって、どうしようも無いところまで
来てしまっていました。
最後は、緩和治療で痛みを取って、逝くのを待つ感じでした。
何もしてやれませんでした。
■ 最後にお袋と食べたのは、うどんでした。
山陰地方は、そばも有名ですが、お袋はうどんが好きでした。
一緒にお店に行って、うどんと加薬ご飯のセットを、
ゆっくり、ゆっくり食べていました。
「この加薬ご飯は不味い!」
と、お袋らしく、文句を言いながら食べていました。
最後は、亡くなる2週間前に、病院に私が泊まり込みで看病
した時です。病室に簡易ベットを置いて、看病しました。
デブだった体が、随分細く成っていました。
頭や、背中を撫ぜてやりました。
考えてみると、親の頭を撫ぜる事って、初めてのような
気がしました。お袋は、痛いのか、笑顔を出すことはもう
無かったです。
■ 「良い子が生まれると良いね!」
最後に、そう言ってくれました。
赤ん坊を見たかったようです。
丁度、妻が妊娠していました。
もうすぐ、初めての子供が生まれそうでした。
お袋は、子供好きだったので、子供が生まれるのを
非常に楽しみにしていました。
でも、余命は秒読み状態だと言われていました。
その状態での、この言葉は、忘れられない言葉に成りました。
■ お袋が亡くなって、4ヶ月後に、
無事に、長男が生まれました。
生まれたばかりの顔が、お袋の顔にそっくりでした!
思わず、「お袋が出ててしまった!」と
嫁と、話しをしたほどでした。
ありがたい事に今は、もう似てませんが、…。
お袋は、74歳の生涯を、忙しく生きた人でした。
悪口が大好きでしたが、そんなお袋が、
どうしてか好きでした。
以上です。
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メルマガ http://www.mag2.com/m/0000257207.html
【 経営編:こんな時代だから経営理念を 】
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■ 北島やりましたね~!
昨日の夜は、バレーボール女子が
熱戦をしたいたお陰で、DMを袋詰め
する手が、途中何度も停まってしまいました。
頑張っている姿を見ると、こちらも元気に成って
来るので不思議ですね。
■ さて、今日はお盆特集2日目で、
亡きお袋に関しての話をします。
___________________________________________________
■目次
【1】仕事に子育て、
【2】多趣味
【3】ストレートな性格
★ 今だけのキャンペーン
____________________________________________________
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【1】仕事に子育て、
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■ お袋は、電電公社に勤めていました。
交換手をしていました。
今の若い人は知らないでしょうが、
昔は、電話を電話局の中の交換手が、
相手先に接続してくれました。
一旦、交換手が取り次ぐと言う方式でした。
ですから、交換手は電話がかかって来るのに
対応しないといけないので、昼も夜も仕事を
する必要が有りました。
お袋も、週に1回の泊まりと、夜勤が有りました。
そんな関係で、兄と私は伯母夫婦の家に、預けられて
居ました。
■ 務めている時のお袋は、元気一杯と言う感じでした。
私の記憶にある母は、おデブでした。
若い時は、細かったようですが、出産したら太るもの!
と威張って、太っていました。
ウォーキングをしたり、水泳をしたりして、痩せようと
努力してましたが、最後、癌で痩せるまでは、ダイエットには
成功した姿は見る事が出来ませんでした。
働きながら、私たち兄弟を育ててくれました。
ただ、料理は決して上手い方では無かったです。
良くお袋の味と言いますが、私にとっては、伯母の料理が
そんなイメージです。
お袋の得意料理は、2つだけありました。
「カニ玉どんぶり」「ミンチどんぶり」
この2つです。
この2品だけは旨かったです!
「カニ玉どんぶり」は冷凍のカニの肉を卵でとじて、
それを、ご飯の上にかけると言うものでした。
「ミンチどんぶり」はほうれん草・ニンジンを茹でて
ご飯の上に飾って、卵の薄焼きをスライスしたものを
その隣に飾り、醤油とみりんで味付けしたミンチを上に
かけたどんぶりものです。
この2品だけは、お袋の自慢料理でした。
■ お袋は、参観日には必ず着物を着飾って来ていました。
それだけが、妙に印象に残ってます。
その着物姿が綺麗な感じがしてチョット自慢でした。
たぶん、男の子にとって、母親は特別な存在なのでしょう。
私は、親父の方が好きだと思っていましたし、親父っ子だと
周囲も思っていた筈ですが、
お袋が亡くなったのは、未だに、辛いです。
孝行もしてやれないまま、寂しく逝ってしまった!
そんな、思いがします。
■ 母が、電話局で勤めていた時に、良く局内に
遊びに行きました。
まさか、将来、自分がNTTの電話機を販売するとは
その時には、思いもしなかったです。
子供ながらに、親の同僚や、上司と会うのは親の
知らない側面が見えて良いことだと思います。
私は、お袋の仕事着や、上司の人に声をかかられて、
「いつもお母さんは頑張っているよ!」
と言われた一言が、結構、嬉しかった記憶があります。
たぶん、お袋も、本当は家で子育てをしたかったのでは
無いかと思いますが、まあ、家事が得意では無かったので、
仕事をしていて正解だったと思います。
それが、お袋には合っていたように思います。
■ 電電公社で33年働いて、NTTに成る前の年に、
退職しました。
その方が退職金が良かったらしいです。
私が、NTTが民営化した翌年から、電話機の
販売を開始してますので、2年の差です。
たぶん大学2年の時ぐらいに、退職した筈です。
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【2】多趣味
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■ 非常に多趣味な人でした。
お茶・お花・着物・人形・日本画・詩吟など
いろんなことをやっていました。
興味を持つとすぐにやり始めるタイプです。
手先が器用で、編み物や、人形を作ったりも
器用にこなしていました。
親父は、酒大好きで、酒でストレスを解消していた。
お袋は、多趣味で、趣味を通して、人との交流を
楽しんでストレスを解消したようです。
■ もう一つ、病気のような趣味が買い物です。
物を買うのが大好きです!
これは、死ぬまで治らなかった!!
亡くなってから、着物屋さんや、宝石店の請求の
多さに、義姉はビックリしていました。
自分の亡くなった時に着る着物まで、買い揃えて
ありました。
準備万端と言う感じもしますが、その着物の他に、
真新しい着物も一緒に購入していたようで、
それを、売る業者の気持ちが理解出来ません。
だって、明らかに、癌で見た目も弱っている人が
死に装束を買いに来ているのに、新しい高額な
着物を普通は売り付けないでしょう?
そう思いますが、薦められると、買ってしまう、
お袋だったようです。
■ 凄い巻物を買ったと、昔、見せてくれたことが有りました。
100万円したそうですが、どう見ても量販されている、
無価値の軸です。
セールスマンから買ったようです。
その他宝石類もたくさん買っていましたが、クレジットは
お袋の為に有る制度では無いかと、思えるぐらいに、
目一杯買っていました。
そうすることが、唯一のストレス解消だったのかも
しれません。
■ 親父が亡くなって以降は、相手も居なくて寂しかったようです。
テレビで映画を見るのが好きだったようですが、その他は
詩吟の友達と詩吟をするのにハマっていたようです。
親が一生懸命働いて、子供を育てても、
子供は親元を去って、都会で暮らす!
自分のことながら、やり切れない気持ちに成ります。
島根の方田舎では、働く場所もありませんし、
面白みが無い!
どうしても、都会で働く道を選んでいました。
親が、癌に成っても、付きっ切りと言う事は出来ずに、
死に目にも会えなかった。
役員会の最中に、危篤に成ったと言う連絡を受けましたが、
その時間では、移動手段も無かったです。
父、母、ともに死に目には会えない、
親不孝者です。
-----------------------------------------------
【3】ストレートな性格
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■ お袋の性格は、非常にストレートです。
嫌なものは嫌、
嫌いなものは嫌い、
好きなものは好き!
ハッキリし過ぎるぐらいにハッキリしてます。
ですから、感情の起伏をそのまま相手にぶつけるので、
酔っぱらった、親父とやり合えたのでしょう。
凄まじい、口喧嘩を毎晩のように繰り返していました。
■ まあ、我儘な性格なので、人に好かれない性格だった
かも知れません。特に、肉親には、そんな感じでした。
流石に、長く外で働いていたので、外面は良いようで、
それなりに友達も多かったようです。
■ 兄貴が、脳梗塞で倒れて、言葉を話せなくなった時に、
一緒に、脳梗塞に成ったお袋でした。
伯母が異変に気が付いて、すぐに病院に言ったお陰で、
大事には至らなくて良かったのですが、
お袋は、非常に心配していたようでした。
お袋は、兄貴を出産する時、非常に難産で最後は
帝王切開したようです。2人目は流産して、3番目が
私で、その時も帝王切開だったようです。
帝王切開で、輸血をした。
そのせいで、肝硬変に成って、それが癌に成ったようです。
一昨年の今頃の時に、病院に母と一緒に行って、
肝臓に有る癌の映像を見たのですが、10cm近さの大きさで、
薬で、小さくして、手術をすると言う方法が良いと、
先生に任せました。
私は、知り合いにいろいろ聞いて、薬を買って飲ませたり
しましたが、効果は無かったです。
結局、癌はドンドン大きくなって、どうしようも無いところまで
来てしまっていました。
最後は、緩和治療で痛みを取って、逝くのを待つ感じでした。
何もしてやれませんでした。
■ 最後にお袋と食べたのは、うどんでした。
山陰地方は、そばも有名ですが、お袋はうどんが好きでした。
一緒にお店に行って、うどんと加薬ご飯のセットを、
ゆっくり、ゆっくり食べていました。
「この加薬ご飯は不味い!」
と、お袋らしく、文句を言いながら食べていました。
最後は、亡くなる2週間前に、病院に私が泊まり込みで看病
した時です。病室に簡易ベットを置いて、看病しました。
デブだった体が、随分細く成っていました。
頭や、背中を撫ぜてやりました。
考えてみると、親の頭を撫ぜる事って、初めてのような
気がしました。お袋は、痛いのか、笑顔を出すことはもう
無かったです。
■ 「良い子が生まれると良いね!」
最後に、そう言ってくれました。
赤ん坊を見たかったようです。
丁度、妻が妊娠していました。
もうすぐ、初めての子供が生まれそうでした。
お袋は、子供好きだったので、子供が生まれるのを
非常に楽しみにしていました。
でも、余命は秒読み状態だと言われていました。
その状態での、この言葉は、忘れられない言葉に成りました。
■ お袋が亡くなって、4ヶ月後に、
無事に、長男が生まれました。
生まれたばかりの顔が、お袋の顔にそっくりでした!
思わず、「お袋が出ててしまった!」と
嫁と、話しをしたほどでした。
ありがたい事に今は、もう似てませんが、…。
お袋は、74歳の生涯を、忙しく生きた人でした。
悪口が大好きでしたが、そんなお袋が、
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