【 売れる営業 】実務営業コンサルタント 島田安浩 アクト株式会社代表

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『 親父に感謝! 』

2008年08月13日 14時07分07秒 | Weblog
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 No142) 『 親父に感謝! 』
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 ■ お盆休みですね!
   まあ、私には関係無いですが、…。
   相変わらず、夜中3時過ぎまで原稿を書いたり


   色々しています。
   まあ、好きでやっている事なので、楽しんでます。



 ■ さて、お盆と言う事で、亡き両親に関して、
   少しお話しをさせて頂きます。



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■目次

【1】酒が大好きだった

【2】仕事運は悪かった

【3】病気以降は、良いおじいさん!

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【1】酒が大好きだった
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 ■ 私の親父は、島根県の平田と言うところの出身です。
   田んぼばかりの田舎です!
   親父の里に、毎年、新年に行くのですが、


   無人駅から、歩いて1時間ほどかかりました。
   田んぼの間の細い道を、ドンドン上った先に、
   里の家が有ったのを思い出します。


   今では、道が整備され、車で行けば、そんなに遠くは
   無いのですが、親父は、車は持ってなかったし、
   無類の酒好きなので、車には乗りたがらなかった!



 ■ 親父の記憶は、“酒”です。
   休みの日は、朝から日本酒をコップに注いで飲んでいました。


   酒を飲まないと、静かで、温厚で、ユーモアがあって
   面白い親父でしたが、一旦酒が入ると、ダメでした!


   大騒ぎする!

   暴れる!

   怒鳴る!


   まあ、豪快で、迷惑な人に変わるのです。



 ■ 酒を飲むと、普段隠している性格が現れる。
   そんな感じでした。
   でも、そんな親父のことが、私は好きでした。


   私は、兄と2人兄弟です。
   親父は、製材所で働き、母は電話局で働いていました。
   昼間は、伯母夫婦の家に預けれれていました。


   毎日、親父が、私と兄貴を自転車で迎えに来ていました。
   伯母夫婦の家まで、7kmほど離れていました。
   兄貴は、親父が来る時間に成ると、良く隠れて逃げていました。


   仕方なく、私だけを自転車に乗せて、家に帰っていました。
   帰り道、お袋に内緒で、2件ほど飲み屋に立ち寄ったりして
   私はおでんをつまんで、親父は酒を飲んでいました。



 ■ ですから、親父はどうも兄貴と、衝突することが、
   多かったです。
   酒を飲んで、酔っ払って、兄貴を庭に放り出したり


   していました。
   お袋は兄をかばって、親父と口喧嘩を始めます!
   傍から見ると、凄い喧嘩なのでしょうが、


   私は慣れっこで、気にしないで、食事を食べて、
   テレビを見ていました。



 ■ 親父は、寝るのが非常に早い人でした。
   夜の9時過ぎから10時には絶対に、寝てしまいます。
   そして、朝は、5時には起きます。


   ですから、寝るまでの間我慢していれば、今度は静かな
   夜に成るのです。
   親父が寝てから、お袋と一緒にテレビを見ると言う感じでした。


   そんな親父ですが、昔の人間らしく、非常に信心深い人でした。
   朝、起きると自分で朝食を作って食べて、神棚と仏さんを拝むのです。
   毎朝、般若心経と別の何かをモゴモゴとやっているのです。


   そして、新聞を読んで、朝早く仕事に出て行きました。
   酒を飲まないと良い人なんだが…。


   そんな親父でした。




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【2】仕事運は悪かった
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 ■ 仕事面では、2度ほど羽ばたけるチャンスがあったようです。
   一度目は、まだ若い時、2度目は、私が幼稚園の時です。


   実は、親父は意外と頭が良かったようで、若い時に、
   県で2人しか、資格を取得していなかった、林業開発の
   資格を持っていたようです。


   そして、その資格を生かして、県の仕事に従事しようと、
   していたようです。


   まだ、子供の私に話してくれた事なので、詳しくは
   分かりませんが、そのチャンスは、2人に1人のチャンスだった
   ようです。


   そして、そのチャンスは、親父では無くもう一人の方に
   巡ったようでした。



 ■ 2回目は、ヤクルトに良く似た商品の販売店を、
   イキナリ始めた時でした。


   実は、親父はお袋が働いていることが、嫌だったようです。
   自分が働いて家族を食べさせたいと言う気持ちが
   強かったのでしょう。


   でも、給料は、お袋の方が良かった訳で、
   何とか稼ぎたかったのだと思います。


   そんな時に、そのチャンスが巡って来たのです。
   松江での販売ルートを自分で開拓して、配達すれば
   安定した利益が貰えると言う話だったのでしょう。


   業務用の冷蔵庫を購入して、加盟金を払って?(これは不明です)
   営業開始です!
   この時に、ヘビースモーカーだった親父はタバコを止めました。


   私は、事業が失敗して、止めたと思っていましたが、
   兄貴に聞いたら、営業をするのに、煙草の匂いが良くないと、
   自分から止めたようです。



 ■ 結構順調に、配達先を開拓していたようです。
   松江の総代理店のお店の人も良く家に来ていました。
   夜のTVコマーシャルでも、その商品を宣伝するように


   成っていました。
   子供ながらに、何か親父が輝いて見えた瞬間でした。
   でも、すぐに終焉を迎えました。


   大元の会社が倒産したようでした。
   松江の総代理店は、夜逃げをして姿を消しました。
   親父は、そこの借金も含めて背負ったようでした…。


   そして、昔、働いていた製材所に戻って行きました。
   肉体労働の日々に戻りました。



 ■ 私は、親父と釣りに行くのが好きでした。
   松江は、宍道湖と言う湖もありますし、
   日本海も近いので、釣りの場所は沢山あります。


   特に、海釣りに行くのは好きでした。
   親父のバイクの後ろに乗って、釣り竿に、クーラーを
   私が持って、途中で必ず、パンを買って、


   海の岩場に行くのです。
   岩場を、歩いて、釣りの出来るポイントまで行くのですが、
   結構デンジャラスで、危ない所を歩いたりします。


   そして、釣りの開始です。


   親父は、底物を狙うのが好きでした。
   錘だけで、底をつついて、魚を釣ります。
   そして、釣った魚は、全て夜のつまみに変身します。


   親父は、魚をさばくのは上手かったです。
   簡単に3枚におろして、刺身を作ったりしていました。


   その岩場で食べる、パンが旨かったです。




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【3】病気以降は、良いおじいさん!
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 ■ そんな親父も、病気には勝てませんでした。
   最初は、アル中です。


   まあ、毎日浴びるほど飲めば、アル中にも成ります。
   タバコはすぐに止めた親父も酒はなかなか苦戦したようです。
   でも、先生の一言で止めたようでした。


   「孫の結婚する姿が見たければ止めなさい!」


   兄の子供がもう生まれていました。
   孫は可愛くて仕方なかったようです。
   即、酒を止めてしまいました。



 ■ 私が大学生に成った頃です。
   ですから、私は親父と酒を酌み交わした記憶が有りません。


   「一度、2人でゆっくり飲んでみたかったな~!」
   そう思っています。
   まあ、今と成っては叶わぬ夢です。


   
 ■ 次の病気が襲ったのは、60歳を過ぎてからでした。
   パーキンソン病に成りました。
   当時聞いたことも無い病気でした。


   それから、親父が変わったのが印象的でした。


   それまでの親父は、“星一徹”のような親父像
   でした。
   頑固で、怖い感じです。


   酒を止めても、そのイメージは有りましたが、
   パーキンソン病に成ってから、本当に、
   「良いおじいさん」に成りました。



 ■ 足が言う事を利かなくなって、
   腰が曲がって来て、ユックリしか歩けません。


   人に頼らないと、思うように歩くことも出来ない中で、
   自我を捨てて、他人に頼って生きることを悟った。
   そんな感じでした。


   笑顔が、非常に似合うおじいさんに成って来ました。
   囲碁や将棋が楽しみに成ったようです。



 ■ 私は、もう社会人に成っていました。
   田舎に帰れるのは、年に1回程度でした。


   帰る度に、親が老けて行くのが、妙に物悲しく、
   思えていました。
   田舎で働けるようにしたいな~と考えた事もあります。


   でも、田舎では、東京でのように働ける訳では無く、
   先輩に誘われて、取締役で仕事をしていて、
   楽しんでいましたし、責任もあった。



 ■ そして、親父が急死しました。


   兄貴から電話があって、


   「ウソ?」

   『こんなこと嘘で言えないよ。』


   そんな会話をしたのを思い出します。


   心臓が弱っていて、気分が悪くてトイレに行って、
   そこで、亡くなったようです。


   72歳でした。


 ■ 通夜から葬儀にかけて、家の近所の方が、
   多く来られました。


   昔は、近所付き合いをするような人では
   無かったのですが、病気以降は、近所の人と
   交流をしていたようです。


   特に感心したのが、毎朝、家の近所の
   神社に向かう道の清掃を、一人でしていた事でした。


   立って歩くのも、フラフラするくせに、
   自分の足の為だと言って、誰に言われた訳でも無く、
   毎朝、掃除をしていたそうです。


   そして、近所の方とドンドン仲良く成ったようです。
   親父は、沢山写真を写してあげていたようです。


   「カメラが欲しい。」
   まだ、親父が病気に成る前に私に言って来ました。
   当時、キャノンさんのFAXやコピー機を販売していたので、


   社員価格で購入して親父に送ったカメラで、
   ズ~と、写真を取っては、現像して配っていたようです。



 ■ 親父との最後の食事は、5月のゴールデンウィークに帰った
   時に、食べに行った寿司でした。


   お猪口に一杯だけ、日本酒を飲んで、喜んで、
   安来節を歌っていました。
   妙に上機嫌だったのを思い出します。


   それから、三ヶ月後のことでした。
   もうあれから、七年が経ちました。



 ■ 親父のベストショットは、初めて東京に来た時の
   姿です。
   この姿は、忘れられません!


   背広に、長靴!

   斜めにカメラをかけて、反対斜めにカバンをかけ、

   頭には帽子をかぶって、

   手には、傘をしっかり握っていました!


   絵に描いたような、お上りさんの格好をしていました。
   いつの時かは覚えていませんが、その親父の姿は、
   忘れる事の出来ないショットとして頭の中に刻まれています。



 以上です。


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