---------------------------------------------------
No142) 『 親父に感謝! 』
---------------------------------------------------
■ お盆休みですね!
まあ、私には関係無いですが、…。
相変わらず、夜中3時過ぎまで原稿を書いたり
色々しています。
まあ、好きでやっている事なので、楽しんでます。
■ さて、お盆と言う事で、亡き両親に関して、
少しお話しをさせて頂きます。
___________________________________________________
■目次
【1】酒が大好きだった
【2】仕事運は悪かった
【3】病気以降は、良いおじいさん!
★ 今だけのキャンペーン
____________________________________________________
-----------------------------------------------
【1】酒が大好きだった
-----------------------------------------------
■ 私の親父は、島根県の平田と言うところの出身です。
田んぼばかりの田舎です!
親父の里に、毎年、新年に行くのですが、
無人駅から、歩いて1時間ほどかかりました。
田んぼの間の細い道を、ドンドン上った先に、
里の家が有ったのを思い出します。
今では、道が整備され、車で行けば、そんなに遠くは
無いのですが、親父は、車は持ってなかったし、
無類の酒好きなので、車には乗りたがらなかった!
■ 親父の記憶は、“酒”です。
休みの日は、朝から日本酒をコップに注いで飲んでいました。
酒を飲まないと、静かで、温厚で、ユーモアがあって
面白い親父でしたが、一旦酒が入ると、ダメでした!
大騒ぎする!
暴れる!
怒鳴る!
まあ、豪快で、迷惑な人に変わるのです。
■ 酒を飲むと、普段隠している性格が現れる。
そんな感じでした。
でも、そんな親父のことが、私は好きでした。
私は、兄と2人兄弟です。
親父は、製材所で働き、母は電話局で働いていました。
昼間は、伯母夫婦の家に預けれれていました。
毎日、親父が、私と兄貴を自転車で迎えに来ていました。
伯母夫婦の家まで、7kmほど離れていました。
兄貴は、親父が来る時間に成ると、良く隠れて逃げていました。
仕方なく、私だけを自転車に乗せて、家に帰っていました。
帰り道、お袋に内緒で、2件ほど飲み屋に立ち寄ったりして
私はおでんをつまんで、親父は酒を飲んでいました。
■ ですから、親父はどうも兄貴と、衝突することが、
多かったです。
酒を飲んで、酔っ払って、兄貴を庭に放り出したり
していました。
お袋は兄をかばって、親父と口喧嘩を始めます!
傍から見ると、凄い喧嘩なのでしょうが、
私は慣れっこで、気にしないで、食事を食べて、
テレビを見ていました。
■ 親父は、寝るのが非常に早い人でした。
夜の9時過ぎから10時には絶対に、寝てしまいます。
そして、朝は、5時には起きます。
ですから、寝るまでの間我慢していれば、今度は静かな
夜に成るのです。
親父が寝てから、お袋と一緒にテレビを見ると言う感じでした。
そんな親父ですが、昔の人間らしく、非常に信心深い人でした。
朝、起きると自分で朝食を作って食べて、神棚と仏さんを拝むのです。
毎朝、般若心経と別の何かをモゴモゴとやっているのです。
そして、新聞を読んで、朝早く仕事に出て行きました。
酒を飲まないと良い人なんだが…。
そんな親父でした。
-----------------------------------------------
【2】仕事運は悪かった
-----------------------------------------------
■ 仕事面では、2度ほど羽ばたけるチャンスがあったようです。
一度目は、まだ若い時、2度目は、私が幼稚園の時です。
実は、親父は意外と頭が良かったようで、若い時に、
県で2人しか、資格を取得していなかった、林業開発の
資格を持っていたようです。
そして、その資格を生かして、県の仕事に従事しようと、
していたようです。
まだ、子供の私に話してくれた事なので、詳しくは
分かりませんが、そのチャンスは、2人に1人のチャンスだった
ようです。
そして、そのチャンスは、親父では無くもう一人の方に
巡ったようでした。
■ 2回目は、ヤクルトに良く似た商品の販売店を、
イキナリ始めた時でした。
実は、親父はお袋が働いていることが、嫌だったようです。
自分が働いて家族を食べさせたいと言う気持ちが
強かったのでしょう。
でも、給料は、お袋の方が良かった訳で、
何とか稼ぎたかったのだと思います。
そんな時に、そのチャンスが巡って来たのです。
松江での販売ルートを自分で開拓して、配達すれば
安定した利益が貰えると言う話だったのでしょう。
業務用の冷蔵庫を購入して、加盟金を払って?(これは不明です)
営業開始です!
この時に、ヘビースモーカーだった親父はタバコを止めました。
私は、事業が失敗して、止めたと思っていましたが、
兄貴に聞いたら、営業をするのに、煙草の匂いが良くないと、
自分から止めたようです。
■ 結構順調に、配達先を開拓していたようです。
松江の総代理店のお店の人も良く家に来ていました。
夜のTVコマーシャルでも、その商品を宣伝するように
成っていました。
子供ながらに、何か親父が輝いて見えた瞬間でした。
でも、すぐに終焉を迎えました。
大元の会社が倒産したようでした。
松江の総代理店は、夜逃げをして姿を消しました。
親父は、そこの借金も含めて背負ったようでした…。
そして、昔、働いていた製材所に戻って行きました。
肉体労働の日々に戻りました。
■ 私は、親父と釣りに行くのが好きでした。
松江は、宍道湖と言う湖もありますし、
日本海も近いので、釣りの場所は沢山あります。
特に、海釣りに行くのは好きでした。
親父のバイクの後ろに乗って、釣り竿に、クーラーを
私が持って、途中で必ず、パンを買って、
海の岩場に行くのです。
岩場を、歩いて、釣りの出来るポイントまで行くのですが、
結構デンジャラスで、危ない所を歩いたりします。
そして、釣りの開始です。
親父は、底物を狙うのが好きでした。
錘だけで、底をつついて、魚を釣ります。
そして、釣った魚は、全て夜のつまみに変身します。
親父は、魚をさばくのは上手かったです。
簡単に3枚におろして、刺身を作ったりしていました。
その岩場で食べる、パンが旨かったです。
-----------------------------------------------
【3】病気以降は、良いおじいさん!
-----------------------------------------------
■ そんな親父も、病気には勝てませんでした。
最初は、アル中です。
まあ、毎日浴びるほど飲めば、アル中にも成ります。
タバコはすぐに止めた親父も酒はなかなか苦戦したようです。
でも、先生の一言で止めたようでした。
「孫の結婚する姿が見たければ止めなさい!」
兄の子供がもう生まれていました。
孫は可愛くて仕方なかったようです。
即、酒を止めてしまいました。
■ 私が大学生に成った頃です。
ですから、私は親父と酒を酌み交わした記憶が有りません。
「一度、2人でゆっくり飲んでみたかったな~!」
そう思っています。
まあ、今と成っては叶わぬ夢です。
■ 次の病気が襲ったのは、60歳を過ぎてからでした。
パーキンソン病に成りました。
当時聞いたことも無い病気でした。
それから、親父が変わったのが印象的でした。
それまでの親父は、“星一徹”のような親父像
でした。
頑固で、怖い感じです。
酒を止めても、そのイメージは有りましたが、
パーキンソン病に成ってから、本当に、
「良いおじいさん」に成りました。
■ 足が言う事を利かなくなって、
腰が曲がって来て、ユックリしか歩けません。
人に頼らないと、思うように歩くことも出来ない中で、
自我を捨てて、他人に頼って生きることを悟った。
そんな感じでした。
笑顔が、非常に似合うおじいさんに成って来ました。
囲碁や将棋が楽しみに成ったようです。
■ 私は、もう社会人に成っていました。
田舎に帰れるのは、年に1回程度でした。
帰る度に、親が老けて行くのが、妙に物悲しく、
思えていました。
田舎で働けるようにしたいな~と考えた事もあります。
でも、田舎では、東京でのように働ける訳では無く、
先輩に誘われて、取締役で仕事をしていて、
楽しんでいましたし、責任もあった。
■ そして、親父が急死しました。
兄貴から電話があって、
「ウソ?」
『こんなこと嘘で言えないよ。』
そんな会話をしたのを思い出します。
心臓が弱っていて、気分が悪くてトイレに行って、
そこで、亡くなったようです。
72歳でした。
■ 通夜から葬儀にかけて、家の近所の方が、
多く来られました。
昔は、近所付き合いをするような人では
無かったのですが、病気以降は、近所の人と
交流をしていたようです。
特に感心したのが、毎朝、家の近所の
神社に向かう道の清掃を、一人でしていた事でした。
立って歩くのも、フラフラするくせに、
自分の足の為だと言って、誰に言われた訳でも無く、
毎朝、掃除をしていたそうです。
そして、近所の方とドンドン仲良く成ったようです。
親父は、沢山写真を写してあげていたようです。
「カメラが欲しい。」
まだ、親父が病気に成る前に私に言って来ました。
当時、キャノンさんのFAXやコピー機を販売していたので、
社員価格で購入して親父に送ったカメラで、
ズ~と、写真を取っては、現像して配っていたようです。
■ 親父との最後の食事は、5月のゴールデンウィークに帰った
時に、食べに行った寿司でした。
お猪口に一杯だけ、日本酒を飲んで、喜んで、
安来節を歌っていました。
妙に上機嫌だったのを思い出します。
それから、三ヶ月後のことでした。
もうあれから、七年が経ちました。
■ 親父のベストショットは、初めて東京に来た時の
姿です。
この姿は、忘れられません!
背広に、長靴!
斜めにカメラをかけて、反対斜めにカバンをかけ、
頭には帽子をかぶって、
手には、傘をしっかり握っていました!
絵に描いたような、お上りさんの格好をしていました。
いつの時かは覚えていませんが、その親父の姿は、
忘れる事の出来ないショットとして頭の中に刻まれています。
以上です。
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【 営業編:売れる営業マンの常識非常識 】
メルマガ http://www.mag2.com/m/0000257207.html
【 経営編:こんな時代だから経営理念を 】
No142) 『 親父に感謝! 』
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■ お盆休みですね!
まあ、私には関係無いですが、…。
相変わらず、夜中3時過ぎまで原稿を書いたり
色々しています。
まあ、好きでやっている事なので、楽しんでます。
■ さて、お盆と言う事で、亡き両親に関して、
少しお話しをさせて頂きます。
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■目次
【1】酒が大好きだった
【2】仕事運は悪かった
【3】病気以降は、良いおじいさん!
★ 今だけのキャンペーン
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【1】酒が大好きだった
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■ 私の親父は、島根県の平田と言うところの出身です。
田んぼばかりの田舎です!
親父の里に、毎年、新年に行くのですが、
無人駅から、歩いて1時間ほどかかりました。
田んぼの間の細い道を、ドンドン上った先に、
里の家が有ったのを思い出します。
今では、道が整備され、車で行けば、そんなに遠くは
無いのですが、親父は、車は持ってなかったし、
無類の酒好きなので、車には乗りたがらなかった!
■ 親父の記憶は、“酒”です。
休みの日は、朝から日本酒をコップに注いで飲んでいました。
酒を飲まないと、静かで、温厚で、ユーモアがあって
面白い親父でしたが、一旦酒が入ると、ダメでした!
大騒ぎする!
暴れる!
怒鳴る!
まあ、豪快で、迷惑な人に変わるのです。
■ 酒を飲むと、普段隠している性格が現れる。
そんな感じでした。
でも、そんな親父のことが、私は好きでした。
私は、兄と2人兄弟です。
親父は、製材所で働き、母は電話局で働いていました。
昼間は、伯母夫婦の家に預けれれていました。
毎日、親父が、私と兄貴を自転車で迎えに来ていました。
伯母夫婦の家まで、7kmほど離れていました。
兄貴は、親父が来る時間に成ると、良く隠れて逃げていました。
仕方なく、私だけを自転車に乗せて、家に帰っていました。
帰り道、お袋に内緒で、2件ほど飲み屋に立ち寄ったりして
私はおでんをつまんで、親父は酒を飲んでいました。
■ ですから、親父はどうも兄貴と、衝突することが、
多かったです。
酒を飲んで、酔っ払って、兄貴を庭に放り出したり
していました。
お袋は兄をかばって、親父と口喧嘩を始めます!
傍から見ると、凄い喧嘩なのでしょうが、
私は慣れっこで、気にしないで、食事を食べて、
テレビを見ていました。
■ 親父は、寝るのが非常に早い人でした。
夜の9時過ぎから10時には絶対に、寝てしまいます。
そして、朝は、5時には起きます。
ですから、寝るまでの間我慢していれば、今度は静かな
夜に成るのです。
親父が寝てから、お袋と一緒にテレビを見ると言う感じでした。
そんな親父ですが、昔の人間らしく、非常に信心深い人でした。
朝、起きると自分で朝食を作って食べて、神棚と仏さんを拝むのです。
毎朝、般若心経と別の何かをモゴモゴとやっているのです。
そして、新聞を読んで、朝早く仕事に出て行きました。
酒を飲まないと良い人なんだが…。
そんな親父でした。
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【2】仕事運は悪かった
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■ 仕事面では、2度ほど羽ばたけるチャンスがあったようです。
一度目は、まだ若い時、2度目は、私が幼稚園の時です。
実は、親父は意外と頭が良かったようで、若い時に、
県で2人しか、資格を取得していなかった、林業開発の
資格を持っていたようです。
そして、その資格を生かして、県の仕事に従事しようと、
していたようです。
まだ、子供の私に話してくれた事なので、詳しくは
分かりませんが、そのチャンスは、2人に1人のチャンスだった
ようです。
そして、そのチャンスは、親父では無くもう一人の方に
巡ったようでした。
■ 2回目は、ヤクルトに良く似た商品の販売店を、
イキナリ始めた時でした。
実は、親父はお袋が働いていることが、嫌だったようです。
自分が働いて家族を食べさせたいと言う気持ちが
強かったのでしょう。
でも、給料は、お袋の方が良かった訳で、
何とか稼ぎたかったのだと思います。
そんな時に、そのチャンスが巡って来たのです。
松江での販売ルートを自分で開拓して、配達すれば
安定した利益が貰えると言う話だったのでしょう。
業務用の冷蔵庫を購入して、加盟金を払って?(これは不明です)
営業開始です!
この時に、ヘビースモーカーだった親父はタバコを止めました。
私は、事業が失敗して、止めたと思っていましたが、
兄貴に聞いたら、営業をするのに、煙草の匂いが良くないと、
自分から止めたようです。
■ 結構順調に、配達先を開拓していたようです。
松江の総代理店のお店の人も良く家に来ていました。
夜のTVコマーシャルでも、その商品を宣伝するように
成っていました。
子供ながらに、何か親父が輝いて見えた瞬間でした。
でも、すぐに終焉を迎えました。
大元の会社が倒産したようでした。
松江の総代理店は、夜逃げをして姿を消しました。
親父は、そこの借金も含めて背負ったようでした…。
そして、昔、働いていた製材所に戻って行きました。
肉体労働の日々に戻りました。
■ 私は、親父と釣りに行くのが好きでした。
松江は、宍道湖と言う湖もありますし、
日本海も近いので、釣りの場所は沢山あります。
特に、海釣りに行くのは好きでした。
親父のバイクの後ろに乗って、釣り竿に、クーラーを
私が持って、途中で必ず、パンを買って、
海の岩場に行くのです。
岩場を、歩いて、釣りの出来るポイントまで行くのですが、
結構デンジャラスで、危ない所を歩いたりします。
そして、釣りの開始です。
親父は、底物を狙うのが好きでした。
錘だけで、底をつついて、魚を釣ります。
そして、釣った魚は、全て夜のつまみに変身します。
親父は、魚をさばくのは上手かったです。
簡単に3枚におろして、刺身を作ったりしていました。
その岩場で食べる、パンが旨かったです。
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【3】病気以降は、良いおじいさん!
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■ そんな親父も、病気には勝てませんでした。
最初は、アル中です。
まあ、毎日浴びるほど飲めば、アル中にも成ります。
タバコはすぐに止めた親父も酒はなかなか苦戦したようです。
でも、先生の一言で止めたようでした。
「孫の結婚する姿が見たければ止めなさい!」
兄の子供がもう生まれていました。
孫は可愛くて仕方なかったようです。
即、酒を止めてしまいました。
■ 私が大学生に成った頃です。
ですから、私は親父と酒を酌み交わした記憶が有りません。
「一度、2人でゆっくり飲んでみたかったな~!」
そう思っています。
まあ、今と成っては叶わぬ夢です。
■ 次の病気が襲ったのは、60歳を過ぎてからでした。
パーキンソン病に成りました。
当時聞いたことも無い病気でした。
それから、親父が変わったのが印象的でした。
それまでの親父は、“星一徹”のような親父像
でした。
頑固で、怖い感じです。
酒を止めても、そのイメージは有りましたが、
パーキンソン病に成ってから、本当に、
「良いおじいさん」に成りました。
■ 足が言う事を利かなくなって、
腰が曲がって来て、ユックリしか歩けません。
人に頼らないと、思うように歩くことも出来ない中で、
自我を捨てて、他人に頼って生きることを悟った。
そんな感じでした。
笑顔が、非常に似合うおじいさんに成って来ました。
囲碁や将棋が楽しみに成ったようです。
■ 私は、もう社会人に成っていました。
田舎に帰れるのは、年に1回程度でした。
帰る度に、親が老けて行くのが、妙に物悲しく、
思えていました。
田舎で働けるようにしたいな~と考えた事もあります。
でも、田舎では、東京でのように働ける訳では無く、
先輩に誘われて、取締役で仕事をしていて、
楽しんでいましたし、責任もあった。
■ そして、親父が急死しました。
兄貴から電話があって、
「ウソ?」
『こんなこと嘘で言えないよ。』
そんな会話をしたのを思い出します。
心臓が弱っていて、気分が悪くてトイレに行って、
そこで、亡くなったようです。
72歳でした。
■ 通夜から葬儀にかけて、家の近所の方が、
多く来られました。
昔は、近所付き合いをするような人では
無かったのですが、病気以降は、近所の人と
交流をしていたようです。
特に感心したのが、毎朝、家の近所の
神社に向かう道の清掃を、一人でしていた事でした。
立って歩くのも、フラフラするくせに、
自分の足の為だと言って、誰に言われた訳でも無く、
毎朝、掃除をしていたそうです。
そして、近所の方とドンドン仲良く成ったようです。
親父は、沢山写真を写してあげていたようです。
「カメラが欲しい。」
まだ、親父が病気に成る前に私に言って来ました。
当時、キャノンさんのFAXやコピー機を販売していたので、
社員価格で購入して親父に送ったカメラで、
ズ~と、写真を取っては、現像して配っていたようです。
■ 親父との最後の食事は、5月のゴールデンウィークに帰った
時に、食べに行った寿司でした。
お猪口に一杯だけ、日本酒を飲んで、喜んで、
安来節を歌っていました。
妙に上機嫌だったのを思い出します。
それから、三ヶ月後のことでした。
もうあれから、七年が経ちました。
■ 親父のベストショットは、初めて東京に来た時の
姿です。
この姿は、忘れられません!
背広に、長靴!
斜めにカメラをかけて、反対斜めにカバンをかけ、
頭には帽子をかぶって、
手には、傘をしっかり握っていました!
絵に描いたような、お上りさんの格好をしていました。
いつの時かは覚えていませんが、その親父の姿は、
忘れる事の出来ないショットとして頭の中に刻まれています。
以上です。
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