04300 京都の世界遺産 True "名称(通称)
所在地
参照頁
賀茂別雷神社(上賀茂神社)
北区上賀茂本山
61頁
賀茂御祖神社(下鴨神社)
左京区下鴨泉川町
69頁
教王護国寺(東寺)
南区九条町
106頁
清水寺
東山区清水1丁目
177頁
延曆寺
滋賀県大津市坂本本町
97頁
醍醐寺
伏見区醍醐東大路町
113頁
仁和寺
右京区御室大内
111頁
平等院
宇治市宇治蓮華
179頁
宇治上神社
宇治市宇治山田
84頁
高山寺
右京区梅ヶ畑栂尾町
108頁
西芳寺
西京区松尾神ヶ谷町
141頁
天龍寺
右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町
138頁
鹿苑寺(金閣寺)
北区金閣寺町
121頁
「慈照寺(銀閣寺)
左京区銀閣寺町
129頁
龍安寺
右京区龍安寺御陵ノ下町
141頁
本願寺(西本願寺)
下京区堀川通花屋町下ル門前町
163頁
二条城
中京区二条通堀川西入二条城町
42頁
京都の世界遺産 古都京都の文化財(京都市・宇治市・大津市)
昭和47年(1972)、ユネスコ(国連教育科学文化機関)総会において世界遺産条約が採択され、同50年に発効された。世界遺産は過去から引き継がれてきた人類の宝物であり、今をともに生き、次世代に引き継ぐべきものが対象となるが、世界遺産保護条約委員会にて世界遺産登録が承認採択されねばならない。それは「文化遺産」 「自然遺産」その双方を兼ねた「複合遺産」に分類される。平安建都千二百年記念の年にあたる平成6年、「古都京都の文化財」として、京都文化圏(京都市・宇治市・大津市)の中から17件の社寺・ 城が世界遺産(文化遺産)として登録された。"
07400 都七福神一覧 True "社寺名
札所本尊
宗派
所在地
参照頁
恵美須神社
恵美須神
神道
東山区小松町
74頁
松ヶ崎大黒天
大黒天
日蓮宗
左京区松ヶ崎東町
171頁
東寺
毘沙門天
真言宗
南区九条町
106頁
六波羅蜜寺
弁財天
真言宗
東山区松原通大和大路東入2丁目轆轤町
104頁
赤山禅院
福禄寿
天台宗
左京区修学院開根坊町
88頁
革堂
寿老神
天台宗
中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町
90頁
萬福寺
布袋尊
黄檗宗
宇治市五ヶ庄三番割
147頁
都七福神 一覧
七福神の信仰は京都が発祥といわれ、いくつも七福神まいりのコースがある。中でも都七福神まいりは親しまれて おり、新春に巡る参拝者が多く、また毎月7日も縁日として巡られている。"
10300 洛陽三十三所観音札所一覧 True
106111 ★東寺 True "東寺(教王護国寺)(南区九条町)
◆本尊 薬師如来
東寺真言宗総本山。
山号は八幡山。
正式には教王護国寺。
世界遺産(文化遺産)。
延暦十三年(七九四)の平安遷都ののちに羅城門の東に開創して、西の西寺(現在は廃寺)(↓29頁)とともに平安京の二大官寺の一つとされた。
弘仁十四年(八二三)に嵯峨天皇が空海(弘法大師)に下賜し、真言密教の道場となった。
天長二年(八二五)には空海が講堂を築造した。
翌三年には五重塔の造営に着手した。
同五年、綜芸種智院(学校)を建立。
承和二年(八三五)に空海が宮中で後七日御修法を修し、王城鎮護の寺として朝野の信仰を集めた。
空海没後、一時荒廃したが、高雄の文覚が後白河法皇の意を得て再興に着手、源頼朝の援助などで復興、以後数々の盛衰を繰り返し現在に至る。
徳治三年(一三〇八)に後宇多法皇が伝法灌頂を受け、東寺の教学の充実を図り、併せて所領を寄進、後宇多法皇の伝法会、勧学会の確立はのちにすぐれた学僧を輩出することとなった。
境内の主要な建造物としては、金堂(国宝)が慶長八年(一六〇三)、豊臣秀頼の造営で、創建時の規模を踏襲した大型の仏堂である。
本尊の薬師三尊像(重要文化財)を祀っている。
室町時代に再建された講堂(重要文化財)には、立体曼茶羅と称される、密教の教えを視覚的に表わした 磨曼茶羅の世界が二十一体の仏像によって展開されている。
五智如来像五躯(いずれも重要文化財)、五大明王像五躯、五大菩薩像五躯、梵天・帝釈天像、四天王像四躯(いずれも国宝)で構成されている。
五重塔(国宝)は寛永二十一年(一六四四)の再建で徳川家光による造営。
焼亡再建を繰り返し、現在は五代目にあたる。
基壇礎石上から最高部の相輪頂まで総高約五十五メートルは現存する木造塔として最高の高さ。
御影堂(大師堂・国宝)は康暦二年(一三八O)から明徳元年(一三九〇)の建立である。
もとは弘法大師の住房とされ、弘法大師坐像(国宝)などを安置する前堂と秘仏の不動明王坐像(国宝)を安置する後堂および中門からなる。
寝殿造の面影を伝える数少ない遺構として知られる。他に平安時代の宝蔵(重要文化財)や、門では蓮花門(国宝)・慶賀門・東大門・北大門(いずれも重要文化財)が鎌倉時代前期、北総門(重要文化財)が鎌倉時代後期、南大門(重要文化財)が桃山時代の遺構として知られている。
また灌頂院(重要文化財)が江戸時代前期、その北門・東門(ともに重要文化財)
がともに鎌倉時代前期の建築である。
他に、もと平安京の羅城門楼上に安置されていたと伝える兜跋(トバツ)毘沙門天像(国宝)や、神像彫刻の最古の作例の一つとされる八幡三神像(国宝)などの寺宝がある。
絵画にも特筆すべきものが多く、西院曼茶羅の異名を持つ「両界曼茶羅図(伝新言院曼茶羅)」、「真言七祖像」、「五大尊像」をはじめ、十二天が屏風の一扇ごとに描かれた「十二天屏風」(いずれも国宝)など、まさに密教美術の宝庫といえる。
境内は国の史跡に指定されている。
境内の毘沙門堂は都七福神まいりの札所で、食堂に祀られている十一面観音は洛陽三十三所観音霊場第二十三番札所の本尊となっている。
↓世界遺産43頁、都七福神74頁、洛陽三十三所観音霊場103頁、国宝建築183頁、真言七祖像・伝真言院曼茶羅・五大尊像(京都の絵画)207頁、東寺講堂諸尊・兜跋(トバツ)毘沙門天像(京都の彫刻)218・220
頁、密教法具(京都の工芸)222頁、初弘法285頁、終い弘法285頁、どら焼319頁、弘法さんが晴れやったら天神さんは雨や333頁"
18200 京都府内の国宝建築 True
207051 ★■1京都の絵画 True
207101 ★仏教との関わり True "仏教との関わり
京都の絵画は仏教とともに開花した。
その遺品としては奈良時代の絵巻といえる釈尊の伝記を説いた「絵因果経」(過去現在因果経)が醍醐寺や上品蓮台寺に残る。
経巻の上部に釈尊の過去世から現世において悟りを得る物語を絵画として表現し、下部に経文が端正な写経体の書で説かれている。
だが絵画遺品としては平安京の建都以後のものが主となり、最澄より遅れて中国より帰国した空海が、それまでの仏教を超える真言密教の秘法を伝えたことにより、新しい密教美術が展開する。
空海は盛唐の画家李真に真言宗の祖師を描かせた「真言五祖図」を持ち帰り、東寺に残した(後に二祖が加えられて真言七祖像として国宝に指定される)。
また、宇宙が数多くの仏によって創られていることを表現する両界曼茶羅(胎蔵界・金剛界)図の中では、現存する日本最古の曼茶羅図を神護寺に「高雄曼茶羅」
として伝えた。
それは空海が請来した手本をもとに赤紫の綾に金銀泥で描き出されている。
正月の行事として国家の安寧を祈願する後七日御修法に用いられたと伝える「伝真言院曼茶羅」が東寺に、またこの行事の本尊である五大尊像(不動・降三世・軍茶利・大威徳・金剛夜叉明王)が東寺や醍醐寺にある。
醍醐寺五重塔の初重内部には彩色壁画が残されており、そこには両界曼茶羅の諸尊や真言八祖像が描き出されている。
東山の青蓮院には「青不動」として知られる不動明王の坐像を描いた不動明王二童子の姿が残される。"
2173011 ★密教彫像の創出 True "密教彫像の創出
平安時代初期、神護寺に薬師如来立像が造立された。
肉髪が高く、螺髪も大きく目鼻立ちが強く表現されたこの像は堂々としており、山に籠って仏教信仰を続けた民間の仏教信者の手により造立されたと考えられ
ている。
本格的な密教彫像を創り出したのは空海である。
空海は東寺講堂の須弥壇に大日如来を中心に金剛界の五仏(五智如來)、さらに不動明王を主尊とする五大明王像、五大菩薩像、梵天像、帝釈天像、四天王像を配置して、平面の曼茶羅図を立体的に表現した。
羅城門に安置されていたと伝える兜蹴毘沙門天像は西域風の容貌を帯った像である。
唐の玄宗皇帝の頃・安西城を守護する神将として出現したという伝承を持ち、平将門の乱に際して羅城門で平安京を守ったという。
鞍馬寺にもこの像を模した兜蹴毘沙門天像が残されている。"
222003 ★平安京を飾る工藝222 True "平安京を飾る工芸
京都には官営工房が設置され、遣唐使などが持ち帰ってきた先進技術が民間に伝えられ、さまざまな工芸が創り出された。
大極殿の蕾を飾る緑粕瓦の焼成、宮廷用の和紙を漉いた紙屋院、寺院建築の内部空間を飾った釘隠しの金工、仏を美しく飾る裁金細工は仏像や仏画に使われ、さまざまな工芸が京都から日本全土へ波及していった。
歴史を通じて、京都には常に工芸の先端技術が集積していた。
金工品では神護寺の梵鐘、東寺の密教法具などが残り、平等院の棟を飾った鳳鳳も優れた金工の技を示している。
阿弥陀堂の天井には鏡が付けられ、蟻燭の光が反射し阿弥陀浄土を荘厳している。
漆工では仁和寺に研出蒔絵の技法で極楽に住む鳥を表現した宝相華迦陵頻伽蒔絵𡑮冊子箱
が残されている。"
285012-8 初弘法 True "一月二十一日
初弘法
東寺
三月二十一日に入定した弘法大師空海の遺徳を偲び、毎月二十一日に御影供法要が営まれる。この日、境内一円に多数の露店が並び「弘法さん」として知られる弘法市が開かれる。その一年最初の縁日を「初弘法」と呼び、例月より多くの人出で賑わう。"
31910 ★どら焼 True "どら焼(東寺前)
毎月二十一日、東寺(↓106頁)の弘法さんの日の土産。
クレープのような薄い生地でこし餡を包み、竹の皮に包んだ棒状の菓子。
もともと東寺の修行僧のおやつとして考案されたという。
明治時代になって境内で開かれる市で売られ始めたもの。
一般のどら焼きは形状が銅鑼に似ていることから「どら焼」と呼ばれるが、これは熱した銅鑼の上で秘伝の皮を焼いたことから名付けられたという。
現在、笹屋伊織(下京区七条通大宮西入花畑町)で、毎月二十日~二十二日のみ販売されている。"
333101 ★弘法さんが True "弘法さんが晴れやったら天神さんは雨や
東寺 (→106頁)の「弘法さん」(弘法市) が毎月二十一日、北野天満宮 (→64頁)の 「天神さん」(天神市) が毎月二十五日に開かれることから、五日程度で天気が変わる縁日の晴雨のサイクルを指していう。"
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます