著作権法

著作権法についてしっかり考えてみませんか。

著作権教育のあり方

2006-08-13 05:05:07 | Weblog
 ■創作する者に対する「敬意」は現在の教育の場では培われることはない?

 小学校の社会科では、米作りについてしっかり教育が行われます。また他にも水産業、工業などの産業の状況も教育され、子どもたちはその過程で、モノづくりの大切さを学ぶことになります。

 しかし、芸術作品を創作することがいかに大変なのか、演じる人たちがどれがけ苦労して作品を作り上げていくのかを教育する場面はありません。国語は読解力の育成、音楽は演奏・歌唱、美術などは自ら創作することが中心で、鑑賞もないわけではありませんが、創作した人やそれをわれわれに伝達してくれる人の努力は、教えられることはありません。

 ■著作権教育は、「ルール」を教えるもの

 著作権教育については、ルールを教えるのか、モラルを教えるのかという議論があります。著作権制度は、著作権を保護して欲しいという権利者と利用したい者との間の政治的な力関係によって構築される人工的なものだという観念から議論を出発させれば、その結果決定される著作権制度は、人工的な「ルール」であるので、「ルール」を教える教育ということになります。 

 ■「学校」で教えられるべきことは・・・

 しかし、「ルール」はしばしば変更されます。また細かなルールを学校の場で教えることに、どれほどの意義があるのかも分かりません。
 私は、学校・・・特に小中学校のレベルでは、「モラル」の教育が重要だと思っています。著作権制度という「ルール」を教える際、その背景にあるはずの、人間の知的活動の所産への敬意が育まれるように配慮すべきではないでしょうか。
 多くの人がそのような気持ちを持たないと、日本で創作しようとする人は気持ちが腐ってしまうでしょうし、諸外国からも「文化を大切にしない国だ」と言われかねないような気がします。

 ■創作する側の態度

 創作する側は、自分の好きなことをやるる、自分のしたいように表現活動を行うという側面があります。それはそれで結構ですし、そうした中から優れたもの、独創的なものが出てくるのだと思います。

 しかし、「社会性」をもっと持つ必要があるでしょうね。
 世の中の人が「使わせてくれ」といったら、つまらないこだわりをすてて、つかわせるなどの配慮も必要なのではないでしょうか。