著作権法

著作権法についてしっかり考えてみませんか。

映画の著作物の保護期間

2006-07-27 23:35:18 | Weblog
 ■昔製作された「個人」が著作者の場合の保護期間は?

 「ローマの休日」の保護期間が話題になったとき、この映画は1953年公開で公開後50年か70年かが大きな争点となっていました。しかし、映画の著作物は、1970までの日本の著作権法では、法人が著作者の場合は公表後33年でしたが、実は個人が著作者の場合には、その個人の死後38年という規定になっていました。そして、1971年の現行の著作権法では、一律公表後50年となったのですが、個人が著作者であるものは38年という旧法の規定で計算したほうが長くなる場合には、保護期間はそちらによるということになっていました。2004年1月1日に公表後70年に延長された際にも、死後38年のほうが長ければ、そちらで計算することとなります。

 ■黒澤明監督「羅生門」は?

 そのようなことから、例えば、黒澤明監督の作品で「大映」が著作者ではないものは、監督がなくなったのは1998年9月ですから、なくなった年の38年後である2036年末まで保護が継続することとなります。
 「羅生門」は1950年公表ですが、大映が著作者であるなら2000年には保護は切れていますが、黒澤監督が著作者とされるのであれば2036年まで保護が継続されることとなります。

 小津安二郎監督作品のものはどうなるのでしょうか。1963年の12月になくなっているので、死後38年とすると2001年には切れています。したがって死後38年という算出方法は、意味をなしていません。

 「羅生門」は、大映を受け継いだ角川の許諾を得ずにDVD化がなされているものがあるようです。もしかするとまた裁判になるのかもしれませんね。

許諾された複製?

2006-07-27 01:48:52 | Weblog
 ■デジタル放送のコピー制御

 テレビのデジタル放送の場合、デジタルで録画するときには、「コピーワンス」という規制がかかっていて、2回コピーができないことになっています。例えば、ある番組をいったんハードディスクに録画した後、さらにDVDーRにコピーをしようとすると、DVDーRにコピーすることはできますが、もとのハードディスクにあったものは、消えてなくなってしまいます。で、そのDVD-Rから別のDVD-Rに番組をコピーしようとしても、それはできません。
 とにかく、この世の中に2つ以上コピーが存在することはないように、コピーガードが働いているのです。

 ■コピー制御下でのコピーをどう考える?

 そのような場合、ハードディスクにコピーしたり、DVD-Rにコピーする行為は、著作権法では、どのように解したらよいのでしょうか。

 30条が適用される「私的複製」のような気もしますが、コピーガードをかけた者(デジタル放送の場合には放送事業者)が、「一回はコピーしてもいいよ」という趣旨でこのコピーガードをかけているのですから、「許諾された複製」のような気もします。
 しかし、視聴者がコピーガードをはずず鍵を適法に入手してコピーガードをはずし、それによりコピーしたのであれば、30条の適用はありませんので「許諾されたコピー」になるのでしょうが、この場合には、「技術的保護手段を回避する」という行為はありません。そうだとすると、「許諾された複製」とはいえないような気がします。

 仮に何らかのコピーガードがかかっていれば、そのコピーガードの下でもコピーが可能な場合について「許諾された複製であり30条の適用がない」と考えると、30条が適用されない場合は、非常に広範囲に拡大されていきます。
 CDをMDに落とす場合にも、そのMDから別のMDに孫コピーができないという「コピーガード」が働いています。そういうコピーガードがあるから最初のMDに落とす行為が30条の私的複製ではなく、権利者が許諾した複製であるとはいえないでしょう。
 たとえば、MDの場合では、何千枚のMDに落とすことが可能ですが、そういうコピーを権利者が許諾しているとは到底思えません。

 ■「許諾された複製」論の本質は?

 「許諾された複製」理論は、DVDレコーダーなどを製造販売しているメーカーが主唱しているものです。メーカーからすれば、「コピーワンス」は緩めたいのですが、かといって「私的録音録画補償金」の対象にはなりたくないのです。だから、こうした理論を主唱して、「30条による複製ではないのだから、補償金制度の対象とすべきでない」といいたいのでしょう。

 「補償金制度をどうするのか」ですとか、「タイムシフト」について本当に補償金の対象とすべきなのか、など様々な議論はあるでしょうが、私は「許諾された複製」論は、維持するのが結構きついような気がしてなりません。


技術者からのアプローチ

2006-07-19 02:43:01 | Weblog
 著作権法は、近年のIT技術の進展もあり、IT技術者も関心を有するようになりました。技術者としての立場から、既存の法律について、改正の提案や、運用上の提案などが積極的になされています。

 著作権法については、法律を専攻する者は、これまでどちらかといえば著作物を創作する者と意見交換をしながら、あるべき著作権法秩序を作り上げてきたといってもよいのではないかと思います。しかし、今後は、著作物を利用する側の意見をよく聴いていかなければならないと思われます。

 その意味で、技術者からの著作権制度についての提案や、解釈論についてのアプローチは、もっと積極的に行われてもよいのではないかと思います。現状では、あまりおこなわれていませんし、行われているとしても、それは無視されることが多いような気がします。

 技術者の独善もないわけではないと思いますが、法律に詳しい者の独善のようなものも、あるような気がします。
 技術者・法律家がよく連携をとって、著作権法が、今後も技術の進展に即応できる法律であり続ける必要があるのではないでしょうか。
 

入試問題

2006-07-17 22:41:40 | Weblog
 ■著作物の入試問題への利用と著作権法

 国語や英語などの入試問題には、小説その他著作権の対象となる文章がしばしば利用されていますが、著作権法は、入試問題として利用するのであれば、権利者の許諾を得なくてもよいとしています。ただしそれはあくまでも入試問題としての利用に限られており、それを別の用途で利用しようとするときは、権利者の許諾が必要となります。
 したがって、学校が情報公開の一環として、入試問題を印刷して配布したりウェブサイトにアップロードしようとすると、その段階で権利者の許諾を得なければならないこととなります。

 ■「許諾不要」で入試に使えることは、本当に便利なことなのか?

 大学入試センターは、最近大岡信さんの文章をセンター試験として採用したとのことですが、それをウェブ上で公開しようとしたところ、権利者側から待ったをかけられたといいます。詳細は私も承知していませんが、法外な値段を吹っかけられたと言われており、結局現時点では公式にはどこも公開されていません。
 また、英語の問題などでは、一般に原文の大幅な改変が行われているようです。入試問題として利用するのだから仕方ない面はあるのですが、あまりにも大きな改変であり、もし権利者が同一性保持権を根拠に訴訟を提起したら、大学が負ける例が頻発するのではないかといわれています。

 このようなことが起きるのは、言うまでもなく著作権法が、入試問題としての利用に限って、権利者の許諾権を制限しているからです。だからこそ、当初の目的以外の利用に際し、当初免れていた契約という問題が表れてくるのです。

 このことは、放送番組の制作の場合とまったく同様です。放送番組の制作に当たっては、自由にレコードを利用できます。あとからお金を払えばいいだけなのです。したがって、ビートルズの音源なども利用できるのですが、そうした音源はきちんと許諾を得ようとすると大変な額の対価の支払いを要求されます。したがって、放送番組をビデオ化したりネットで配信するときにそのような契約問題が顕在化してしまうのです。
 入試問題として小説等を利用する場合には、放送番組におけるレコード利用の場合と同様、当初権利者の許諾は必要ありませんが、それを情報公開の観点から複製したりネットでアップロードしようとすると、その段階で、当初免れていた権利者の許諾権が働いてきて、手続きが大変になるのです。

 入試問題の場合は、問題が公開されなくなると困るのは受験生だと思います。少なくとも、出題した大学が情報公開の一環として利用しようとするときには、権利者の権利は制限されてNoとはいえないようにすべきではないかとおもいますが、いかがでしょうか・・・

ミネラルウォーター税

2006-07-16 02:50:50 | Weblog
 ■山梨県「ミネラルウォーター税」構想

 先日NHKの「特報首都圏」で、山梨県の「ミネラルウォーター税」構想を取り上げていました。県の森林保護のための予算が国の三位一体改革もあり削られているのですが、森林が痛んでくると雨水等は地表を流れ地下に浸透しなくなり、ミネラルウォーターの源泉とも言える地下水が少なくなってしまうようで、ミネラルウォーターを製造する事業者に税をかけて、少なくなった予算を確保しようとするのだそうです。

 なぜ、「ミネラルウォーター」なのか・・・原材料がただ同然で利益率も高いということに目をつけられたようで、たしかに1ℓあたり、1円もあったかどうか位の税率を予定していたようで、小売価格が200円程度(?)なら十分吸収可能のように思われます。

 ■関係者の反発で頓挫

 これに対してミネラルウォーター製造業者が反発しました。県内の事業者は零細な事業者ばかりで、大手の飲料水メーカーの下請けとして製造しているようですが、製造段階では、品質管理などに非常に大きなコストがかかり利益率は非常に小さく、番組では、予定される税率だと利益のほとんどが飛んでしまうという事業者の証言も紹介されていました。
 で、議論は、ミネラルウォーター製造業者の20倍も地下水を使用する県内の半導体製造事業者にも課税すべきだという方向に行くのですが、そうした事業者は、使用した水をきれいにしてまた川に返しているのだとか・・・
 さらに、実は地下水の利用の多くは県内の住民であるということでそちらへの課税も検討されたようですが、逆に、地下水は河川の水の源流となり東京都や神奈川県、静岡県の住民の水道用水として利用されるから、下流の住民等から負担を求めるべきだとの声も上がったようです。
 そんなこんなで、結局課税はできないこととなったようでした。

 ■「一部の者のみ負担」は、不公平感を生む?

 いきなり課税をもちかけられる事業者にとっては、「なぜ?」と思う気持ちはよくわかります。
 しかし、一部の事業者のみ課税される税制は不公平でダメというのはよくわかりません。そもそも特定の産業を育成するための税制上の優遇措置は様々な分野でみられますが、特定の人に対して税をまけてやるのがよいのなら、負担を求めるのが悪いのはなぜなのでしょうか?登録免許税という税制がありますが、あれはどんな登録でもそれを行うことで登録した者は利益をえることとなり税を負担する能力をえるから課税するといいいます。いまはなくなりましたが、ぜいたく品に物品税が課せられていましたが、それはぜいたく品を購入する人に負担の能力があるからです。タバコや酒を製造する事業者のみが税金を納めるのだって、コーヒーなどがかかっていなことを考えると不思議ではあります。

 山梨県民からしたら、山梨県の豊富な水がただでミネラルウォーターとして全国で販売されているわけだし、利益率も高いだろうからわずかな税は納めてくれたっていいじゃないかという気持ちなのでしょうね。大手飲料水メーカーが水源維持のための社会的責任を負うということで、負担してやればいいのに・・と思います。
 また、電力の場合には、原発立地自治体には、電力消費地域の消費者の電力料金に上乗せされたお金が集められて、一定の交付金が支給されていますが、そうした制度は「水」についてはないのだろうか、と思ってしまいます。水道水に関する事務は国土交通省、森林保護は農林水産省や環境省と役所が別れているので、きっとできないのでしょうね。農林水産省や環境省が制度を立案しても国土交通省が了解しなくてそれはできないのでしょう・・・・

 いずれにしても、一部の関係者のみが負担するとなると、公平の観点からおおごとになるということを如実にしていたのが、このミネラルウォーター税の問題であり、この点改めて私も認識したしだいです。

 ■「私的録音録画補償金」をだれが負担するのか?

 なぜ、こんなことを「著作権法」ブログに書いたかというと、この議論は、私的録音録画補償金の議論と似通ったところがあると感じたからです。
 森林の保護のための支出といっても、結局のところは山林を保有する人に山林維持のための必要なお金を出すということに他なりません。

 私的録音録画の場合は、コピーされた作品にかかわる権利者の利益が失われているのでそれを誰が補填するかという問題です。補填されるお金が直接次の創作につながるわけではない点が、ミネラルウォーターと森林の場合と微妙に違っていますが、誰に負担を求めるのかという場面は、けっこう似ていると思わずにはいられませんでした。

 補償金制度は、いまは消費者が負担するということになっていますが、負担者としては「公平」なのでしょうか。著作権法30条があることで利益を得ているのは消費者だけではないはずです。機器や記録媒体のメーカーも30条があるからこそ一定の製品を売り出して利益を得ているのですから、直接負担してもいいと思いますし、販売する者も同様でしょう。レコードレンタル店も同様です。
 不公平感を解消するためにも、以上のような人達の負担はあってもよいのではないでしょうか。いまは、消費者やメーカーが大きな不公平感を持っているのは事実ですし、事実「量販店に協力義務を課すべきだ」という議論もおきているのですから・・・

 しかし、ここで問題となるのは「二重取り」の問題です。例えば「レンタル」には実質的に複製の対価が入っているので、補償金をかけるのは二重取りではないかという指摘がそれです。
 しかし、それは、私は「二重に取る」のではなく、「便益を享受している関係者が分担して負担している」と捉えるべきだとおもいます。逆に言うと、今のように消費者のみ負担し、メーカーのみが協力義務を負うという仕組みより、30条のおかげで利益を得たり便利さを享受する者全員がわけ隔てなく少しずつ負担するほうが、公平なのではないでしょうか。
 私は、ミネラルウォーターの議論をみながら、そんなことを思ったりしました。そういう考え方は、国の政策として取り上げてもらえないのでしょうか・・・

 なお、以上を理由に多くの関係者から金銭を徴収することとなったとした場合、その金銭はきちんとCD売り上げが減少していると思われる者に配分されなければなりません。新人アーティストはただでもいいから録音されて消費者に聴いてもらえればありがたいと思っているでしょうから、録音されても被害はなく、配分を受けるのは適切ではないと考えられる場合が多いでしょう。細かく正確に配分するのは困難だからといって、もし権利者団体自身が金銭をもらうようなことがあれば、それはけしからんということとなります。
 本当に新たなアーティスト育成だとか、楽曲の創造等に使われるのであれば、それは負担者すべてが便益を受けることとなるので、世間的にも理解を得られるでしょう。権利者は、補償金制度を維持したいと思うなら、まずは補償金の分配の全容を世の中にきちんと公開して、それが有益な使い方であるということをしっかり説明しなければいけないのではないでしょうか。

無題

2006-07-13 01:36:04 | Weblog
 「国民年金の不払い」や「NHK受信料の不払い」と「公共的な心」を結びつけて記事を書いたところ、批判を頂戴しました。確かに、どちらも徴収する側に大きな問題があり、消費者は安んじてお金を支払うことはできない状況にあります。絶対にもとが取れる気がしない巨大「ねずみ講」の年金と、いい加減な使われ方をしている受信料・・・NHK職員の給与水準は聞くところによると民放キー局トップを上回る水準だそうですし・・払わないのは国民の「抵抗権」の行使という側面もあるでしょうね。

 昨晩のNHKニュースでも「ローマの休日」を取り上げていましたが、正規のDVDは4000円以上もするのに対して、廉価版はわずかに500円だとか・・率直に言うと、4000円は高すぎるのではないかという気がしてなりません。この値段でしか正規品を得ることができないのなら、人々は廉価版の購入や違法サイトからのダウンロード等に頼るのは無理もないような気がします。

 しかし、私がどうしても思わざるを得ないのは、500円という価格設定です。批判はあるでしょうが、ラーメン一杯分よりも安いような価格ですよね。ダイソーで昔のコミックスが一冊100円で売られていますが、昔読んだことのある作品のタイトルがそこにあるのを見て、正直言って悲しい気持ちになりましたが、廉価版DVDについても同様の気持ちを抱いてしまいます。

 コミックスも映画も「商品」でありますし、供給する側が低価格でそれを行うことは、非難されるどころか、逆に賞賛されるべきことなのだと思います。しかし、「価格」は、その価値を示す指標のような面もあります。スポーツ選手も、経済的に豊かになりたいから年俸の引き上げを要求するというよりも、自分自身の価値が年俸に表されるので、それを引き上げたいという気持ちが強いように思えますが、それと同じような面が、コミックスや映画などの分野にはあるように思います。

 他方、こんな気持ちもあります。それは、私が高校生のころは、岩波文庫は☆ひとつで50円という価格設定でしたし、岩波新書は、170円だとか230円といった値がつけられていましたが、よいものが安く売られることは大変結構なことではないか、という気持ちであります。そう考えると、DVDで名画を手にするのに500円でもいいじゃないかという気持ちになります。

 いろんな思いが頭の中を駆け巡って来ます。深夜酔っ払ってこんな投稿をしながら考えても、考えはまとまらないですね・・・
 
 

YouTube

2006-07-12 02:49:31 | Weblog
英語のサイトながら、日本からのアクセスが非常に多いといわれているのが、このYouTubeです。様々な映像が投稿されて、それを誰もが視聴することができます。
 著作権法の観点からは、放送番組が投稿されたとしたら、それは権利侵害になります。日本の放送番組もたくさん投稿されているようで、日本の放送事業者は削除要請をし、削除されているようですが、投稿は次々と行われ「いたちごっこ」の情況を呈しているとも言われています。

 あの時見逃した番組、映像をみることができるというこのサイトの趣旨は、大いに歓迎されるべきものであると思います。しかし、投稿は国際的に見ても権利侵害であるという現実・・・これをわれわれはどう捉えればよいのでしょうか。

 ドラマやショウなどが丸ごと投稿されている場合には、権利者の経済的な利益を大いに害しているということができると思います。しかし、そうでない場合には、はたして権利者の経済的な利益を害しているといえるのでしょうか。
 米国では見逃した番組をネットであとから見ることができるようなサービスが提供されているといいます。そうしたサービスが行われている分野においては、YouTubeの存在は、利益を害するものとして問題視されるものと思えますが、そうしたサービスが提供されていない場合には、問題はないのではないかという気がしてなりません。
 著作権法上違法なのかもしれませんが、一般消費者にアクセスする機会を提供していない権利者は、YouTubeに対して文句を言うことはできないのではないかと思います。「権利」は守られなければなりませんが、「権利行使」は世の中の人々から支持されるものでなければならないと思います。

 

ローマの休日(その2)

2006-07-11 23:54:44 | Weblog
 ■東京地裁は「著作権は切れている」との判断

 東京地裁の決定が本日出ましたが、1953年に公開された「ローマの休日」は、日本では2003年末に保護期間が切れて、自由利用になるという判断が示されました。
 文化庁の判断とはまったく正反対だとのことです。
 文化庁の判断は、立法者意思とでも言うのでしょうか、1953年に公開された映画は保護期間が70年に延長されるというものでした。そのつもりで内閣としての法案を決定し、国会にそれが提出されたというのです。しかし、裁判所はその解釈を否定したわけです。

 法律をどう解釈するのか、立法者の意思は、考慮すべき要素ではありますが絶対的なものではないようです。そのようなことから今回の裁判所の裁判官は、それにとらわれることなく判断を下したのでしょう。

 権利者側は、抗告するようですので、知的財産高等裁判所がどのような判断を下すかが注目されるところです。
 行政に対して厳しい姿勢をしめす裁判所の判断は痛快ではあります。今回の決定は、行政が当事者ではありませんが、行政の立法の意思を覆して、消費者の利益にたった判断ということができ、痛快なものでしょう。

 ■ただで利用できること

 しかし、私は、心に寒々しさを覚えずにはいられないのです。
 国民年金の不払い、NHK受信料の不払い、ファイル交換ソフトによる音楽や映像ファイルの取得などをみると、公共的な心を日本人は失っているのではないかとさえ思います。ただで便利ならそれでいいじゃないか・・・だけでは、日本の文化は滅びてしまいます。
 私は今回の裁判所の決定を聞いて、なんともいえない悲しい気持ちになりました。

自由利用の表示

2006-07-11 02:05:39 | Weblog
 一定の範囲で著作物を自由してもらうことを許諾する表示といったら、クリエイティブ・コモンズが有名です。

 http://www.creativecommons.jp/

 「柔軟な著作権を定義する」という言い方は、既存の著作権法の秩序への挑戦というか、異議申し立てのようなイメージがありますが、別に著作権法の秩序を尊重していないわけではなく、それを前提としたものとなっています。そうでなければ、社会的な通用性はなく普及しませんし・・・

 これに対して、政府が作ったものが「自由利用マーク」です。

 http://www.bunka.go.jp/1tyosaku/frame.asp{0fl=list&id=1000002923&clc=1000000081{9.html

 わかりやすいのですが、ネット上で公開する場合の仕組みがなく、その点が致命的なような気がします。

 他にも個人の取り組みもあります。

 http://lab.iisec.ac.jp/~hayashi/991018.pdf

 何でもいいですから、以上のような表示はもっと普及されるべきでしょう。既存のものが不十分であれば、だれかが新たな仕組みを作ればいいし、使い勝手が良いものが生き残っていくのではないでしょうか。

 

北朝鮮

2006-07-10 00:22:43 | Weblog
 北朝鮮はベルヌ条約に加盟しているそうです。加盟国は他の加盟国の著作物について、自国の国民の著作物と同様に保護する義務を負うので、日本も北朝鮮の著作物を保護する義務を負うのが当然のように考えられます。
 しかし、日本は北朝鮮を承認していません。承認していないということは、どうも日本との関係では存在していないと考えてよいようで、日本は北朝鮮の著作物について保護しなくても良いというのが日本政府の考え方であるようです。
 しかし、韓国との間ではお互いに保護しあう義務があるわけですし、本当にそのような解釈でよいのでしょうか。
 条約は国内法の効力よりも上位にあります。条約の効力を否定するのは「国際法」でないといけませんが、日本政府の考え方は、「国際法」のレベルのものなのでしょうか。「国際法」の法源は、条約に限られるものではないので、大丈夫なのでしょうか。
 北朝鮮の政府は存在しないということで良いのかもしれませんが、国民は存在します。日本としてはその著作権は保護してやるのは当然のような気がするのですが、どうなのでしょうか。もうちょっと国際法を勉強しないといけませんねぇ。

侵害品の輸出

2006-07-04 02:12:33 | Weblog
 先の国会で、意匠法等の一部を改正する法律案が可決成立しました。様々な内容を包含する法律ですが、注目すべき内容のひとつに、模倣品の輸出を侵害行為とし、税関でチェックできるようにすることが挙げられています。

 「世界の侵害品工場」という不名誉ないいかたが中国に対してなされていますが、実は日本も侵害品が通過したり、侵害品のパーツの組み立てが日本国内においてなされてその完成品が輸出されるなど、侵害品の国境を越えた流通に一役買っているといわれています。知財立国を標榜する我が国としては、これに厳しく対処しなければなりません。
 また日本は、模倣品・海賊版対策のための国際条約を提唱しています。この国際条約の内容として考えられる点の一つに、模倣品・海賊版を世界中にばらまかないということが挙げられています。それを提案する日本としては、まず自らが率先して侵害品の輸出をストップできる措置を取る必要があります。
 以上のような趣旨で法案が作成され、このたび可決成立したのです。

 そのようなことから著作権の分野でも侵害品の輸出について税関でストップできるような措置がもとめられているのです。
 そうした措置は、確かに大変結構といえるものでしょう。しかしながら運用を誤るととんでもないことになることを多くの人が知っておく必要があります。
 
 例えば、自動車その他の工業製品には、状況を分析したり動作を制御するためのプロセッサーが内蔵されているものが少なくないのですが、そこにインプットされているソフトウエアが仮に他人の権利を侵害していると認定されれば、その製品の輸出は、税関においてストップされることとなります。つまり、運用如何では、ライバル社が特定の製品を輸出することを、言いがかりをつけてストップすることができるかもしれないのです。さらにいったんストップが認められれば当該製品の輸出は全世界規模でストップされることになってしまうのです。

 税関は、著作権侵害品についても、ただ申し立てがありさえすればストップさせるというようなことは控えるべきで、侵害事実に関する確実な証拠の提示をもとめるなどの措置を講じるべきです。また裁判等で係争中のものについては、基本的には税関への申し立てにより輸出を止めるということは行うべきではなく、権利者の救済については仮処分といった司法手続きにゆだねるべきではないでしょか。

 意匠法等の運用を、われわれはまずは十分注意して見ておく必要があります。
 

デジタル・コンテンツ法

2006-07-03 03:18:10 | Weblog
 ■「デジタル・コンテンツ」新法の提案

 日本経済新聞の「経済教室(6月30日)」や「試される司法(7月2日)」に、デジタルコンテンツ法についての提案が掲載されています。コンテンツ流通の円滑化や昨今のデジタル化への対応ということで、任意の登録制度を新設し、一定の権利制限等を行うことによりデジタルコンテンツの利用の促進を図ること等をその骨子としているようです。
 確かに、デジタル化・ネットワーク化が急速に進展するなか、社会が求める著作権の秩序と、実際の著作権制度との間には乖離が生じており、そうした乖離は解消されなければならないものだと思います。そのための方策として提案されているのが、このデジタル・コンテンツ法なのでしょう。そのような法律を作るべきだとするその動機には私は大いに共感するところですが、具体的なその法律の中身となると、もっと十分な検討が必要ではないかと思わずにはいられません。

 ■コンテンツホルダーのみの意向で他の権利者の権利が制限されることは、問題

 法律は、登録を任意として、登録されたコンテンツについて一定の条件の下で自由に利用できるようにすることを狙っているようです。しかし、コンテンツには映画や放送番組の場合には非常に多くの権利者の権利が絡んできますので、コンテンツホルダーのみの意向でコンテンツが登録され、その利用に関し権利者の権利が制限されて利用が促進されるとなると、それは著作権の国際条約に違反することは間違いないと思います。したがって、登録の際にすべての権利者の権利がクリアされていることを要件とすべきであり、そうした権利者の同意がないと登録できないようにしなければならないと考えます。

 ■「登録制度」は魅力的か?

 もちろんこのような登録制度は、意義はないわけではないでしょう。しかし、どれほどのコンテンツが登録されることとなるのでしょうか。
 あちこちで使ってもらいたいと考える素材の創作者は、登録するかもしれません。しかし、放送番組など幅広い2次利用がもとめられているコンテンツは、登録されないでしょう。放送番組の権利を持つ放送事業者にとって登録するメリットはまったくないのですから。登録のコストもありますし、そもそも放送番組を利用しようという気がないのですから・・・・

 ■重要なのは、最初にしっかり取り決めておくこと

 放送番組の円滑な利用を考える場合には、結局のところ、番組にかかる権利者の権利をクリアしておくことと、コンテンツホルダーがコンテンツの2次利用をしようとする意思があるかどうかがポイントとなります。新たな登録制度が、これらのポイントを解決する手段になるとは思いません。結局のところ、番組制作の際にどれだけの番組利用を想定するのか権利者との間で決めておくのかということと、コンテンツホルダーが2次利用したいという環境を整えることが最も重要であると考えます。前者の問題の解決のためには、私は番組制作と放送にかかる特権を有する放送事業者のその特権をなくして、番組制作時にしっかり番組の利用について関係権利者との間に契約が取り交わされるようにすることと、番組の権利を放送事業者が保持している状況を改め、外部委託して制作された番組については、実際に製作した者が権利をしっかり保持できるようにすることが重要と考えます。
 登録制度があることで問題の根本的な解決になるというわけにはいかないように思います。国際条約に反しない形で、そこにどのような効果を付与するかが、重要であると思えます。