著作権法

著作権法についてしっかり考えてみませんか。

ローマの休日

2006-05-31 23:13:22 | Weblog
 ■映画の著作物の保護期間

 著作権法の改正により、2004年1月1日から、映画の著作物の保護期間は、公表後50年から70年に延長されました。ただし、法律が施行の際に保護が切れているものは、対象とならないとされています。

 ■2003年12月31日で保護期間が切れるものは?

 では、2003年12月31日で従来の法律の規定による保護期間が切れるものはどうなるでしょうか?「ローマの休日」は、1953年に公開された作品で、著作権法の改正法が施行される前なので保護期間は50年、まさにこれに該当します。
 保護期間が切れるのは、12月31日の最後の瞬間です、12月31日の午後11時59分59秒の時点でしょうか・・・いえ、それよりも1秒先の時間で、23月31日午後11時59分60秒とでも言うべき時刻まで存続し、保護が満了するのです。
 満了する時点は、2004年1月1日午前0時0分で著作権法改正法が施行される時でもあります。
 したがって、このような作品は、法律施行の際に保護が切れていない作品です。だから、保護期間が70年に延長されることとなります。
 著作権の世界では、いったん保護期間が切れてパブリックドメインとなったものが、再び保護されるようなことになると、法律関係が極めて不安定になるので、そのようなことが起こらないようにするのが、法律の趣旨です。「ローマの休日」は、その趣旨からいっても、保護されるべきものです。
 また、このように解釈するのは、従来からの立法の趣旨に合致しているといいます。現行の著作権法が制定されたときも、保護期間は38年から50年に延長されましたが、同様の考え方で条文が作られました。著作者隣接権も、20年から30年、50年と延長されましたが、そのときも同様であるといいます(加戸逐条講義による)。

 ■「ローマの休日」裁判の行方は?

 「ローマの休日」に関しては、裁判となっていますが、保護期間が70年に延長されていると判断されるのは間違いのないことでしょう。

著作権法の問題点⑩保護期間

2006-05-07 23:55:50 | Weblog
 著作者の死後50年まで存続するというのが、著作権の保護期間です。
 これを70年に延長すべきかどうかが、今後著作権をめぐる立法の大きな争点となるのかもしれません。

 国際条約は最短「死後50年までの保護」を求めているので、日本の法律は国際的にはきちんと義務を果たしています。しかし、EU諸国と米国はこれより長い期間、具体的には「70年」を規定しており、さらに米国では、「公表後95年」という規定もあります。

 ちなみに米国の法律は、「公表後95年」という基準も掲げられています。米国法によるとどうも「ミッキーマウス」にかかる著作権の存続期間について「公表後」という算定方式がとられているようで、「公表後95年」となったのは、それまで「75年」だった保護期間が切れそうになったころのことだそうです。
 したがって、その米国著作権法の改正法は、ミッキーマウス保護法などと呼ばれていたようです。

 いずれにしても、米国はちょっと特殊な規定もありますが、基本は「死後70年まで」という線では異なるところはありません。そういえば、ロシアも死後70年だそうで、G8諸国の中で死後50年としているのは、日本とカナダだけだそうです。

 「日本は、こうした国際的な流れの中で70年にしなくてよいのか」という主張はあります。日本の権利者団体がそれを主張しています。

 他方、「死後50年を70年に延長することによって、創作のインセンティブは増すのだろうか、かえって早く公有にしたほうが新たな創作を生みやすくなるのだから、70年延長はすべきでない」という主張もあります。
 ネット上でのこの問題についての発言は、70年反対論が圧倒的に多数です・・・というか、賛成論を見たことがありません。
 新聞などに識者がのせる論文なども、反対論ばかりのような気がします。

 しかし、文化庁の文化審議会著作権分科会では、この問題を今後の検討課題のひとつとあげています。まだ具体的な検討には着手していないようですが、今後着手するのかもしれません。

 文化庁での議論は、ネット上での圧倒的多数の反対論の流れに沿うものとなるのでしょうか。あるいは、権利者団体や米国業界・政府の圧力に屈したものとなるのでしょうか。

 私は、死後50年でも長いし、70年は長すぎるという感じがします。しかし、70年が絶対に悪いのかというと、そうとも思えません。
 音楽にしても映像にしても、インターネットにより、瞬時に国境を越えてやり取りがされる時代ですから、著作権法からは「国境」の概念をなくするべきだと思います。
 そうした考えを前提とすれば日本の著作権法も、保護期間を欧米先進国並みに70年にすべきではないかと考えます。

 他方、70年に延長することによるインセンティブの問題を考えると、延長する必要はないということになります。・・・というか、インセンティブがないにもかかわらず、権利者(著作者の相続人等)を過剰に保護し、著作物の利用者に負担を求めることは適切ではなく、そうした立法はすべきでないということになります。

 私は、「立法」は、きわめて現実的な利害関係の調整の結果導き出されるものであって、ひとつの概念から演繹的に導かれる結論に沿っておこなうモノであるとは考えません。仮に後者の立場に立つと、あらゆる分野における立法政策の議論は、「神々の対立」となってしまい、議論は決して交わることはなくなってしまいます。

 これまでの著作権の保護期間の延長問題については、賛成論と反対論の議論ははっきりいってかみ合っていないような印象をうけます。
 権利者は、とにかくやみくもに権利拡大を求めており、利用者は、権利者の横暴を阻止したい(レコード還流防止措置やJASRACの苛酷な取立てなど、権利者側の横暴はゆるさないぞっ)という状況にあり、お互いの主張をきちんと聞いて議論するという状況になっていないように思えます。

 「どちらの議論も間違ってはいない。それを前提に、日本の立法はどうあるべきか。」という観点から、議論をすることが必要ではないでしょうか。

著作権法の問題点⑨放送事業者と有線放送事業者の地位

2006-05-04 23:14:31 | Weblog
 著作権法は、放送事業者と有線放送事業者に多くの「特権」を与え、円滑に番組を制作し放送できるようにするとともに、番組の不正な利用を阻止することができるようにしています。

 なぜそのような「特権」を与えるかといいますと、放送事業者にしても有線放送事業者にしても、どこの国でも一定の参入制限が設けられるとともに、社会的な影響の大きさから番組編成内容についても公正中立さをもとめたり、災害の際の各種情報の報道や、あまねく受信できるようにするための各種の義務が課せられており、その義務を果たすことができるようにするため、著作物等を簡潔な手続きで利用できたり、番組内容の不正な利用を阻止できるようにしているのです。

 具体的な特権内容は、以下のようなものです。

1 他人が番組を勝手に複製したり、再送信することができないようにするための排他的権利が与えられる(=著作隣接権者)。
2 放送や有線放送のため、著作者の許諾なく著作物を一時的に録音録画できる。3 商業用レコードの利用は、使用料を払えば済み、レコード製作者の許諾は不要。
4 いったん実演家から放送について了解してもらえると、その後の放送や有線放送は了解不要。
5 放送を受信して同時に有線放送する行為に対して、実演家とレコード製作者の権利はまったくない。
6 非営利かつ無料で放送を受信して同時に再有線放送する場合には、その有線放送を行う者は、著作者や著作隣接権者の許諾を得なくてもよい。

 しかし、こうした「特権」はブロードバンド事業者には与えられていません。それは、ブロードバンドによる配信は、ほとんどの場合「有線放送」ではなく、「自動公衆送信」という利用形態となってしまい、これら事業者は「有線放送事業者」とはいえないからです。

 ブロードバンド事業者も、電気通信役務利用放送事業者として、放送内容等に一定の公的な規制がかけられており、有線放送並みの特権を与えてもよいのではないかとの議論があります。特に「通信・放送の融合」の観点からそれが強く言われています。

 放送事業者や有線放送事業者に課せられている規制は、しばしばその根拠は通達や総務大臣の告示であると言われています。そうした部分も含め、ブロードバンド事業者の地位が、有線放送事業者と同一になるのであれば、著作権法上も同様の特権が与えられなければならないでしょう。

 しかし、ポッドキャスティングなどをおこなうあらゆる者に、そうした特権を与えることはどうでしょうか。
 仮に、1から7のような特権が与えられると、誰もが、以下のようなことをすることが可能となります。

 まず、CD音源をサーバーに蓄積することができます(一時的固定)。
 そして、次々に楽曲をネット上にながし、聴取者はこれをストリーミングして聴いたり、場合によってはダウンロードも可能となります。
 以上をおこなうには、JASRACに料金を払うとともに、実演家やレコード製作者には二次使用料を払えばすみますので、誰もとめることはできません。

 また、テレビ放送を受信してそれをネット上に流すこともできます。
 ただ、サーバーを提供する者に使用料を払ったり、サイト上に広告を入れる場合がありますから、そうした場合には「非営利無料」なのかどうかは議論の余地はありますが、自分自身でサーバーを保有し広告なしとすれば、基本的には問題はないのではないかと思われます。

 以上のようなことができるようになれば、権利者にとっては重大な影響が出るでしょう。

 放送並みにするといっても、そうしたことが起こらないようにすることが大切だと思えます。

著作権法の問題点⑧同一性保持権

2006-05-03 23:33:23 | Weblog
 著作権には、財産権である「狭義の著作権」と、著作者のみが保有することができて譲渡不能の「著作者人格権」があります。「同一性保持権」とは、著作者人格権に属する権利であり、「著作物を意に反して勝手に改変されない権利」です。
 著作権法では、やむをえない場合にはこの同一性保持権は制限されるという規定はありますが、「意に反しない」なので、この権利は非常に強力です。映画監督は映画の著作物について著作者ですが、映画の公開に当たってプロデューサーが勝手に中身を削ったりすると、この権利の侵害に当たることも考えられます。また、同様の権利は著作隣接権者にもあるので、例えば放送事業者は、この権利をしっかり行使して、CATVや近い将来のブロードバンド配信においては、送信内容が変わらないことを関係事業者に求めています。
 しかしながら、メディアにはそれぞれの特性があり、それを生かした形でコンテンツがそのメディアを介して人々に伝えられることが重要です。その意味で、「意に反しない」という要件は、いささかきつ過ぎで、せめて「名誉声望を害しない範囲で」程度に日本法の規定はされているべきでした。
 純粋の芸術作品の場合には、他人が勝手に表現を変えるなどということがあった場合には、大きな問題となります。しかし、映画や出版物の場合には、経済的理由その他事情からやむを得ず改変することはありえると思います。

 日本法も改正の時期に来ているのではないでしょうか。

著作権法の問題点⑦権利制限

2006-05-02 00:07:28 | Weblog
 著作権法には第30条以下、様々な「権利制限」の規定がおかれています。
 「権利制限」とは、著作者の権利の制限という意味で、一定の要件を満たした場合には、著作者の権利が制限を受けるということです。具体的には、まったく権利がなくなったり、あるいは、許諾権はなくなるが、報酬を受け取る権利のみ残る、というようなものを言います。

 「権利制限」は、ベルヌ条約により保護が義務付けられている権利については、むやみに可能とされるものではありません。条約は、加盟国に対して一定の要件を満たす場合に限り、権利を制限することを認めています。
 その要件とは、
 ①特別の場合であること
 ②著作者の権利を不当に害するものでないこと
 ③著作物の通常の利用を妨げるものではないこと
の3つです。
 「権利制限」は、立法政策上しばしば問題となりますが、その際条約上のこの3つの要件を「3 step test」と呼んで、立法を縛る要件となっています。

 日本の法律は、実に様々な「権利制限」規定を置いています。それらはすべて「3 step test」を経た上で条文化されたものですが、今後も様々な「権利制限」が要望され実現していくことでしょう。
 しかし、そうやって、「権利制限」事項が増えていくことは、著作権法を益々わかりにくいものとしています。また、いちいち要件を「3 step test」に照らし厳格に考えた上で立法にいたるものであり、手続きも煩瑣であると言われています。

 また、厳格に要件を規定するあまり、妙なことが起こってしまいます。
 いい例が著作権法35条の「教育目的の複製」です。
 35条は、授業に利用する場合に、必要な範囲で著作物の複製を認めています。で、必要な範囲とは、立法者の意図としては、授業を受ける者にいきわたる範囲ということにしているようです。
 そのようなことから、例えば、保護者参観日において、子どもたちに配ったものを保護者には配ることができないとか、研究授業の際に、来校者に対して、必要な資料を配布できないという問題が生じたりします。

 米国のように「フェアユース」という規定を置いて、要件を柔軟に解釈できるようにすべきときが来ているのではないでしょうか。精緻に「権利制限」の規定を作って立法するという手法は、もはや限界に来ているように思います。

著作権法の問題点⑥入力型自動公衆送信

2006-05-02 00:06:34 | Weblog
 著作権法は著作物などをアップロードする行為については、著作者のみならず、実演家やレコード製作者にも、許諾権を与えています。
 アップロードについては、サーバーに音源を蓄積しておいてダウンロードを可能にするようなやり方だけではなく、「放送」のような方式での配信も含みます。つまり、例えばBBTVは様々なチャンネルを準備して、視聴者がそれを視聴することができますが、そうした行為も含むのです。

 「放送」のような方式のネット配信行為を、「入力型自動公衆送信」といいます。日本の著作権法は、こうした行為について、著作者のみならず、実演家やレコード製作者にも許諾権を与えているわけです。

 最近しばしば議論されている「通信・放送の融合と著作権問題」は、まさにこの部分が論点となっているものです。
 つまり、「入力型公衆送信」は著作権法では「自動公衆送信」とされているので、送信されているコンテンツにかかる権利者は「許諾権」を有することになるのですが、これが「有線放送」だと、コンテンツにかかる権利者の権利は非常に小さくなってきます。つまり、ほとんど有線放送と同じであるにもかかわらず、事業を行おうとする者は、不利な立場におかれるのです。

 権利が及ぶ範囲の違いは、大きなもののみいうと、次の3点です。

 まずは、いわゆ商業用レコードを利用する際の権利関係です、市販されているCDの音を利用しようとする場合、「有線放送」なら、実演家とレコード製作者に対しては二次使用料の支払いですむのに、「自動公衆送信」だと、これらの者には許諾権が働くので、事業者にとっては「No」といわれるリスクを背負いながら許諾を得るための交渉に望まなくてはなりません。

 2番目には、「有線放送」なら、事業者は著作隣接権によって送信内容に関して保護を受けることになりますが、自動公衆送信では保護は受けられません。

 3番目には、放送を受信して同時に再送信する場合には、どちらの場合でも、その放送事業者の許諾や、番組で使用されている著作物についての権利者の許諾は必要ですが、実演家とレコード製作者の権利について、扱いが大きく異なってしまいます。
 つまり、「有線放送」なら、この場合には実演家とレコード製作者の権利はまったくなくなってしまうのですが、「自動公衆送信」なら、実演家・レコード製作者ともに、「許諾権」を得ることとなるのです。

 視聴者の側からすれば差異はないので、事業者の地位も同じであってよいと思います。
 行政的には、CATVは有線テレビジョン放送法の規制がかかり、ブロードバンド事業者には、電気通信役務利用放送法の規制がかかりますが、物理的に線が敷設されることに伴う規制を除いてはほとんど規制内容に違いはありません。大きな取り扱いの違いは、「著作権法」にあります。

 そのようなことから政府は、著作権法上の取り使いを同じにすべきであるとして、著作権法の改正の方向を打ち出しています。つまり、著作権法に言う「自動公衆送信」のうち、「入力型」については、一定の要件は付されるのかもしれませんが、「自動公衆送信」の概念からはずして、「有線放送」にするという方向が出されているのです。

 この「入力型自動公衆送信」は、1997年の法改正で、導入されたわけですが、いま、これが「通信と放送の融合」の観点から見直しが進められているわけです。

 97年当時は、国際条約上「入力型自動公衆送信」は、実演家やレコード製作者にも「許諾権」を与えなければならないと考えられていたようです。
 しかし、どうも実情は違うようです。世界中の国々では、国際条約上実演家とレコード製作者に許諾権を与えなければいけないのは、「蓄積型」であって、「放送」のようなアップロードの仕方の場合には、許諾件である必要はないと考えているようですし、条約を所管するWIPOという国際機関の関係者も、そのような解釈を支持しているようです。

 ようするに、日本が実演家とレコード製作者に権利を与えすぎているのです。

 世界中が日本と同じような保護を与える方向になるのなら、著作権法は今のままでよいでしょう。
 しかし、実際にはそうではありません。
 日本も、この点の見直しが必要ではないでしょうか。

著作権法の問題点⑤戦時加算

2006-05-02 00:05:42 | Weblog
 「戦時加算」とだけ言っても、何のことかわかる人は多くないと思います。
 「戦時加算」とは、著作権の保護期間についての特例措置のことであり、簡単にいうと、その昔日本がサンフランシスコ講和条約によって講和をした相手国の著作物については、開戦から条約が効力を有するまでの期間、保護期間を加算するというものです。

 大半の国については、1941年12月の開戦から1952年4月の条約発効までの10年少々の期間が加算されることとなります。「サンフランシスコ講和条約」なので、中国やロシアは該当しません。

 どうしてこのような「加算」が行われるかというと、戦争状態にあった期間は、敵国の著作権は保護されていないので、その分加算すべきだということです。
 しかし、戦争の終結は日本がポツダム宣言を受け入れそれを表明した時点で実質的に終わっていますし、ミズーリ号艦上で降伏文書に調印した時点で法的にも交戦状態は終わっています。なんでその後正式な講和条約が締結されるまでの年月まで加算されるのかは、理解しがたいところです。

 が、戦時加算の制度において最もおかしな点は、相手国の著作物を保護する期間を加算するのは、日本だけで、戦勝国は、日本の著作物について加算する義務はないということです。戦争状態にあって敵国国民の著作物を保護しなかったという事情が本当にあるとしたら、それは戦勝国においても同じはずで、戦争に負けた日本だけがその義務を負う事は非常におかしなことと思いませんか?

 ちなみに、他の敗戦国について言うと、ドイツはこうした加算はしていません。
 また、イタリアは、戦勝国の側でイタリア国民の著作物について加算している場合に限り、その国の著作物について加算するという措置をとっています。
 ドイツ、イタリアがどうしてそのような対応ができるのか、私にはわかりません。しかし日本はしっかりそうした義務を履行しています。

 今米国は、日本に対して著作権の保護期間を70年に延長すべきだという要求を突きつけているようです。しかし、この戦時加算があるまま日本は米国をはじめとする諸外国の著作物の保護を70年にするいわれはないと思います。

著作権法の問題点④版面

2006-05-02 00:04:57 | Weblog
 CDを製作するレコード会社は、そのCDの違法複製物が出回ったら、告訴したり民事上差止請求や賠償請求ができます。それはいうまでもなく、そのレコード会社は、レコード製作者として、著作権法上の保護が与えられているからです。

 同様に、TV局が製作した音楽番組やドラマを勝手に録画・販売されたりしたときには、TV局は告訴したり民事上の請求をすることができます。これも、TV局が著作権法上保護されているからです。

 レコード製作者や放送事業者は、実際に曲を作ったりしていませんし、ドラマの台本を書いているわけではありません。しかし、それら著作物を伝達するという役割を負っています。その点に着目して著作権法はこれらの者に「著作隣接権」という権利を与えているのです。

 著作隣接権は、それ以外にも、有線放送事業者や歌手・俳優等の実演家にも与えられています。いずれも著作物の伝達に重要な役割を果たしているからです。

 では、書籍出版社はどうでしょうか。
 書籍出版社は、小説その他の著作物を伝達する重要な役割を担っていますし、活字の配置フォントの指定等様々な工夫を凝らして、書籍や雑誌を編集発行しています。楽譜出版の場合には、演奏しやすいような音符の配置をするなど大変な労力をかけて、出版物を編集しています。
 しかし、出版社には、レコード製作者や放送事業者などのような「著作隣接権」は与えられていません。したがって、勝手に書物をコピーされたとしても、出版社は本来的にはコピーする者に対して差止請求などはできないこととなっています。

 出版者には、その版面の利用に関して何らかの権利を持たせるべきなのでしょうか・・
 子どもがさらさらと描いた絵が保護されるのに、このような版面が保護の対象外となっているのは、いささかバランスを失しているように見えます

著作権法の問題点③応用美術

2006-05-02 00:03:50 | Weblog
 著作権法は、実用に供するものは保護の対象としていません。家具のデザインなどがそれに当たります。
 しかし、一品製作のものは保護しています。陶芸作品などがそれに当たります。

 どうして以上のような仕分けがされているかというと、それは意匠法との役割分担があるためなのです。意匠法はデザインを保護するものですので、そのような分野は著作権の対象外としているのです。

 そのような仕分けは、時として非常に厄介な問題を提起します。
 その問題とは、人形やぬいぐるみの「デザイン」についてです。
 基本的には、人形やぬいぐるみについて、他人が創作したものを真似ても著作権侵害にはなりません。しかし、非常におかしいことに、一定の要件があれば保護されることになります。
 その要件とは、「原画」があることです。原画は「美術の著作物」で著作権法で保護されますが、原画に基づいて作成される人形やぬいぐるみは、その原画を立体的に翻案して複製したものですから、真似をすれば、翻案権や二次的著作物の利用に関する権利の侵害となるのです。

 「原画」の有無で著作権法による保護の有無が決まるというのは、非常におかしいと思いませんか。意匠法に対して著作権法は遠慮しすぎのような気がしてなりません。著作権法でも意匠法でも保護されるということがあったとしてもいいじゃないですか・・・といいたいところです。
 

著作権法の問題点②私的録音録画補償金制度

2006-05-02 00:02:41 | Weblog
 音楽を聴く手段は、昔は演奏会などに足を運び生演奏を聴くしかありませんでした。その後レコードを再生装置で聴いたり、テレビやラジオ放送の音楽番組に耳を傾けるという手段が追加されました。

 その後2つの事件を契機に、様相は一変します。

 第一がカセットテープレコーダーの普及でした。人々はレコードや放送などの音源を録音して、それを楽しむようになったのです。
 その後その「音源」の獲得手段も多様化していきます。レンタルレコードや近年では音楽配信も登場してきました。いずれも、音源を獲得してそれを消費者が自分の手元でコピーするという形が基本になっています。
 そして、録音手段もデジタル方式に移行し、人々はアナログ時代とくらべ格段に優れた音質で音楽を楽しむことができるようになりました。今ではパソコンにCD-Rドライブが装着されるなど、獲得した音源を自分で編集することも当たり前になってきています。

 第二がウォークマンの登場です。家の中で音楽を聴くという楽しみ方以外の楽しみ方を人々に教えてくれました。現在では携帯電話、カーナビなどにも音楽を蓄積して楽しむことができますし、そもそもウォークマンはiPodにとってかわられ、非常に多くの曲の携行が可能となりました。

 このような音楽の楽しみ方が可能となったのは、いうまでもなく、著作権法30条があるからです。
 音楽に関しては、作曲家や作詞家は著作権者として、歌手や演奏家、レコード会社などは著作隣接権者として「複製権」を与えられていますが、著作権法30条は、私的に楽しむなどの目的であれば誰でもこうした権利者の許諾なく複製ができることを規定しているのです。
 見方を変えれば、著作権や著作隣接権が制限されていることから人々は音楽を多様な形で楽しむことができますし、そうした楽しみを可能とする電子機器という市場が形成され、機器メーカーなどは利益を上げることができるのです。

 著作権の制度は、著作物の公正な利用に配慮しつつ著作権等の権利を保護して権利者の利益を守り、著作物の再創造さらには文化が発展していくことを目指すものです。そうした制度の趣旨や、著作権が制限され複製がおこなわれることにより、人々が音楽を楽しんだり、電子機器産業が発展して機器メーカーが利益を上げているのであれば、何らかの対価が創作に携わる者に回ってもよいのではないかという気がします。

 もっとも、CDの販売やレンタル、音楽配信いずれの局面でも、創作に携わる者=権利者は、対価を得ていますから、それで十分なのではないかという考え方もあるし、制度としてそういう形をとるという政策はありえます。しかし、「文化振興」や「コンテンツ再創造・コンテンツ産業の振興」という観点からは、私はやはり、多様な楽しみ方を享受している消費者、機器を販売している企業などは、利益を多少なりとも創作者に配分してもいいのではないかと思います。

 日本の著作権制度も、私的録音録画補償金制度が導入されていますが、私は、私的複製により著作権者が被害をこうむるというより、以上のような考え方に基づいてこの制度が取り入れられていると理解すべきではないかと考えています。

 しかし、この補償金制度は、制度そのものや運用におかしな点がたくさんあります。政府もその見直しに着手するようですから、この制度をよりよい制度として、消費者・機器メーカーが、十分納得いく形で支払いができる制度としてほしいと思います。

著作権法の問題点①無方式主義

2006-05-02 00:01:17 | Weblog
 著作権法の問題点は、いろいろありますが、権利の発生に関する「無方式主義」もそのひとつでしょう。
 無方式主義をとることは、昔からベルヌ条約が加盟国に求める義務でしたが、これをとることによって、世の中には権利の対象となる著作物があふれかえってしまっています。
 つまり、権利主張をおそらくしないであろう人の著作物にも、権利が与えられるのです。
 その結果、
  ①権利行使されるリスクをおって他人の著作物を利用する
  ②そのリスクを恐れて著作物を利用しない
  ③きちんと許諾をえるため、想像を絶する手間をかけ、権利者と連絡をつける
のいずれかを利用者に強いてしまうことが、非常に多いのが実情です。
 この問題点を解決するため、
  ①自由に利用しても良いことを明らかにする表示をすること
  ②デジタルコンテンツという形で存在する著作物等に関しては、コンテンツIDを付与する試みの中   で、複製許諾の信号を入れる
といった試みもなされていますが、どちらも採用されるには至っていません。

 では、この問題に対しては、どのような制度的対応をとったらよいのでしょうか。
 無方式主義はベルヌ条約上の義務なので、実際問題として特許制度における登録のような制度を導入することはできません。
 そこで、私は簡易な登録制度を創設を提案したいと思います。
 著作物を利用しようとする人は、その著作物の権利者へのアクセスが困難な場合には、その著作物が登録されているかどうかの確認をおこなうこととし、登録されていない場合には、当該著作物を利用したとしても違法性を追求されることはなく、権利者に対し通常想定される利用料の支払い義務を負うだけとするというものです。
 その程度の登録制度であれば、条約との関連でも問題はないのではないでしょうか。
 

著作権制度が目指すもの

2006-05-02 00:00:17 | Weblog
著作権制度は、創作をする者に一定の権利を与えてその利益を確保するもので、それがインセンティブとなって再創造が奨励され、いわゆる「知的創造サイクル」が拡大することを目指すものでしょう。
 創作に携わっている人にどこまで権利を与えるかは、「権利の確保」と「公正な利用」、「円滑な流通」などといた価値観の間にどのような線引きをするかという問題だと思います。
 私は著作権の問題については、冷静な議論がなされていないような気がしてなりません。権利を持っている人は「著作権原理主義」のような感じになっていますし、ユーザーの立場にたつ人は自分たちの利便性のみを求め、制度としてどうあるべきかを冷静に論じる人が多くないような気がします。
 このブログが求めるものは、地に足が着いた議論をして、日本にとってどのような制度が望ましいのかの論議が交わされることです。「通説」についても大胆に異論を唱えることも含め、冷静かつ自由な意見交換ができればと思っています。