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ごろにゃん御殿からの便り。

猫と写真と映画と読書とハンドメイドのある暮らし。

ちくちく針仕事

2009-01-03 | 作品
久しぶりに、ちくちく手縫いで、携帯ポーチを製作。
裏はみえないけど、ちりめん(人造もん。)をはる。
表は、ドット柄のベルベット。
かわいくできたので、ごきげん。

写した時は、つけてないが、あとで自作の造花のバラもつける。

父のとこ、先日、しめだしにあってから、行ってないので゛きにはなるが、火曜日、通院予約があるので、月曜にいく予定。
日曜にいってもよいが、何日も滞在するのは苦痛なので、やはり月曜。

年末年始にかけて、テレビで、古い画像、放映されるが、なくなった人も、元気な姿で歌ったり、行動したりしてでてくる。

そのときには、余命宣告されているひとは、別として、まさか2009年の1月には、もう存在していないとは、予測もしてなかっただろうなと、しみじみ思う。

母も去年の今ごろ、いや死の数日前までは、まさか新しい正月をむかえることができないとは、思ってもいなかっただろう。

死で、そのひとの人生が、空中分解(?)、すべて消え去る。
母から聞きそびれていたことも、沢山あったのに、もう決して聴くことはできない。

わたしが、記憶してない自分の幼いころ、子供のころの姿も、母とともに消えた。

母が、うちにかけてきた留守電の声、ずっと保管していたのだが、いつのまにか間違って消してしまったようだ。

父も母も、幼いころに、母親をなくしている。
母の愛を、そんなには知らなかった二人かもしれない。

父は、自分史というのを、以前元気なころ、ワープロでかいていて、自分の母の葬式の記憶をかいている。

父が小学生(2年か3年か1年。よく知らない。きいたが、忘れた。)で、学校からかえってくると、沢山ひとが集まり、にぎやかだった。
「おっかさん、ただいま。」と父は、いったが、誰も返事しないし、母親もいない。
母親は、ふとんにねていて白い布が顔にかかっていた。
父は、布をとって顔をみて、なんでねているのか?、おきないのかと不思議で、呼びかけながら、何回も、白い布をとったりかぶせたりした。

すると父の兄が、やってきて、いきなりホホにピンタをくらわせ、父はふっとんだ。
「遊んでるんじゃない。おもちゃじゃない!!」といったという。

それから親族が集まり、父をどうするか相談していたそうだ。

そんなことを父は、自分史に記録していたが、文をかかない、母は、語ることはあっても、何も記録はない。
わたしも、きいても、はっきり記憶してない。
何歳のころ、母の母親がなくなったのか?とか、おぼえていない。

母の母親は、雪国で、ある朝、雪道で転んで、そのまま、ねたきりになって、長いこと病んでいたが、やがて、なくなったというのはきいていた。
今だったら、なくならない事故だ。

でもまあ、思い出なんか、死んでしまえば、すべて「無」だ。
わたしも、身辺整理すこしずつしていこうと思う。

写真。
当人が死んでしまえば゛あまり意味がないきがする。
せめて当人を知っているひとがいる間くらいは、思い出に残るけど。

でも、たとえば、どこの誰かわからない古い写真も、なんだか存在する値打ちあるきもする。
生きているひとが、それをみて、いろんろ想像の世界に、運ばれる。
変わっていった街、消滅した街の姿なども、写真や画像でしか、あうことはできない。









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