COCCOLITH EARTH WATCH REPORT

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世界人権宣言起草に携わったステファヌ・エセル著「憤れ!」の英語版”を読んで

2011-11-27 11:41:19 | Weblog

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目 次
はしがき
エセル氏の略歴
第1章 Time for Outrage(憤りの時代)
第2章 Indignation Fuels Resistance(憤りが抵抗を巻き起こす)
第3章 Two Visions of History(二つの歴史の見方)
第4章 The Worst Attitude is Indifference(無関心は最悪の態度である)
第5章 Palestine My own Outrage(パレスチナ 私自身の激怒)
第6章 Nonviolence The Path We Must Learn to Follow(非暴力 我々が辿ることを学ばねばならない道程)
第7章 For a Peaceful Insurrection(平和的な反乱のために)
あとがき


はしがき
  先日、不公平が蔓延する社会に怒れるフランスの若者たちの間で、本文わずか14ページの小冊子が人気を集めているという記事を掲載しました。この小冊子の著者は、元抗ナチスドイツの闘士ステファヌ・エセル(Stéphane Hessel)氏(93)、原題は”INDIGNEZ VOUS!(憤れ!)”です。去年10月の出版以来、幅広い年齢層に支持されてフランス国内でベストセラーとなり、既に34ヶ国語に翻訳され、日本でも早ければ年末に翻訳物が発売になる予定とのことでした。最近、その英語版“Time for Outrage”(Marion Duvert訳、Twelve社、New York, London)を入手できました。英語版はA6版程度のハードカバーの本で、本文6章、29頁、出版社による注釈5頁、及び著者紹介7頁で構成されています。閉塞感の漂う現代に、強いインパクトのあるメッセージを発信している著作ですので、理解できた範囲で内容を紹介したいと思います。

エセル氏の略歴
  上記の著者紹介によると、エセル氏は1917年、ドイツ系ユダヤ人で作家の父と画家の母の子としてベルリンで生れ、1924年に一家でパリに移住、1937年にフランスに帰化、1941年にロンドンの自由フランス亡命政府に加わり、1944年にドイツ占領下のパリに潜入して諜報活動に従事しました。しかしナチスドイツの秘密警察ゲシュタポに密告されて囚われの身となり、パリ解放数日前の8月8日、ドイツの強制収容所に移送されて絞首刑を判決されました。その執行の前夜、エセル氏は収容所内でチフスで死んだフランスの粉屋に成りすまして別の収容所に移送され、最終的には脱走に成功しました。戦後は国連世界人権宣言の起草に携わり、その後もフランスの外交官として活躍しました。

第1章 Time for Outrage(憤りの時代)
  93歳になったエセル氏は、この章でまず生涯にわたる政治への深い関わりの礎を振り返っている。それはレジスタンス(ドイツによるフランスの占領に反対する抵抗運動)と、66年前にフランスで全国レジスタンス評議会(National Council of Resistance)が立案したプログラムである。レジスタンスはジャン・ムーラン(Jean Moulin)の尽力で、占領に反対するさまざま抵抗運動、政党、労働組合などが、シャルル・ドゴール(Charles de Gaulle)将軍のもとに結集されたものである。レジスタンス評議会は1944年3月15日ロンドンで、フランスが占領から解放の暁に、近代民主主義の基礎となるべき価値と道義感を提唱する政策宣言を創案し、採択を行った。
  1945年、それまでの恐ろしい悲劇に終止符が打たれ、レジスタンス評議会によって社会再生のための意欲的な計画が開始された。この時、なにびとも働けなくても、生きて行くための基礎的な手段を失うことがなく、労働者たちが尊厳を持って一生を終えられるような年金が得られることを保証する、広範な社会保障制度が発足した。従来は独占化されていた全ての主要な生産手段、労働の成果、全てのエネルギー源、天然資源由来の富、保険会社、大銀行は国有化され、経済的にも社会的にも真の民主主義の樹立が推奨された。それは旧来の経済・財政を支配してきた、ファシスト国家のレプリカのような重役達の独裁による封建主義を撲滅し、労働者達の公正な収益分配が金の力より優先される合理的経済再編の提案であった。フランス共和国の暫定政権(1944~1946)は、これら提案の実行に取り組んだ。
  続いてエセル氏は、今や、かつてないほどに上述の価値や道義感が必要とされていると論じている。社会が誇れるものであり続けるために、移民を警戒して排斥を意図したり、福祉国家に異議を唱えたり、メディアが富裕層にコントロールされたりするような動きに、レジスタンスの真の継承者として反対している。エセル氏はまた、暫定政権により1944年に制定された報道の自由と名誉、及びその国家、資本、国外からの影響からの独立を確保する法律が危機的状況にあることに警鐘を鳴らしている。更にエセル氏は、レジスタンスが標榜した全てのフランスの子供達への差別のない十分な教育が、2008年に提起された改訂によって危うくされていることにも言及している。この改訂が共和国の理想にそぐわないばかりか、創造性と熟慮の精神の発展を妨げる金儲け主義の社会に仕えるものとして、その実施を拒否した多くの若い教師達が罰として報酬をカットされ、憤りをたぎらせている。エセル氏は今日、レジスタンスが達成した社会の基盤そのものが攻撃の的になっているとこの章を結んでいる。

第2章 Indignation Fuels Resistance(憤りが抵抗を巻き起こす)
  エセル氏はこの章で、世界の金融市場の圧制を取り上げている。ヨーロッパ解放後の如何なる時より多くの富を享受しているのに、国が公的施策のためのコストを負担できないと聞かされるのは、かつてないほど強大で、横柄で、利己的になったカネの力の堕落以外の何で説明できようと言うのである。富裕層は銀行の私有化など自分達の利益のことばかり考えて、公益には関心がないため、貧富の格差はかつてなく拡大し、富の追及と競争心が奨励され、賞賛されていると厳しく批判している。
  そして若い世代がレジスタンスの伝統と理想を生き返らせ、かつてエセル氏がナチズムに憤ったように、憤る理由を見つけて闘争的に強くなり、政治家や経済学者や知識人達とともに、平和と民主主義に脅威を与えている世界の金融市場の圧制に立ち向かうよう呼びかけている。その根底には、1948年の国連総会で採択された、世界人権宣言にある正義と自由を標榜した偉大な歴史の流れがある。誰か権利を奪われている者を見かけたら、その人を気の毒に思い、権利を要求するのを援助してやるようにとも呼びかけている。

第3章 Two Visions of History(二つの歴史の見方)
  この章の前半はタイトルに特化されたこと以外の記述に当てられている。冒頭部分は、フランスをヴィシー政権(ナチスドイツに敗北後のフランスに誕生した親独政権)の支配下におとしめたファシズムの原点に関するもので、エセル氏は富裕層が身勝手さから、暴力による革命を主張したロシアのボルシェビキを恐れたためとみなしている。そして今日に必要とされているのは、その当時と同様に、パン種の中のイーストのように、住民の一部が抗議に立ち上がることだと述べている。当時のレジスタンスにとって抵抗とは敗北を断固否定してドイツによる占領を拒否することであったが、今日の若者達が政治に関わりをもつ理由は、当時ほど明白でないことをエセル氏は認めている。スターリンに関しては、彼が率いる赤軍が1943年にナチスドイツを打ち破った時、エセル氏等は歓声をあげた。しかし、見せしめ裁判と大粛清(註:1930年代にスターリンが党内の対抗勢力に対して行った大規模な政治弾圧)から、アメリカ資本主義と釣り合いを保つ意味で共産主義に好意的に耳を傾けても、彼の全体主義に反対する必要性は自明のことであったという。
  続いてエセル氏は、人生で学んだ憤りを感じる理由について語っている。その多くは感情からより、物事に従事することへの深い願望から生れたものの方が多いという。フランス高等師範学校(École Normale Supérieure)時代、エセル氏はジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Charles Sartre)に強く影響された。サルトルの小説 嘔吐(Nausea)と壁(The Wall)は、信条形成に決定的に重要であったという。サルトルは個々人には権力と神の何れにも依存しない責任があり、物事に関わりを持たねばならないこと、そして個々人の人間性がそれを要求していることを教えた。エセル氏は哲学者ヘーゲルの熱烈な信奉者でもあった。ヘーゲルの説によれば、人間性の歴史には一つのパターンがあり、歴史は衝撃の連鎖で形成されるという。その衝撃とは、自由の拡大を達成するために人間性が立ち向かい、修正せねばならない重大な社会の混乱である。人が完全な自由を継承して初めて、理想的な形態の民主国家を持つことができるとしている。
  また、エセル氏は別の歴史の見方も可能なことを述べている。自由の進捗、競争、たゆまざるより多く、より良いものへの追求などを包含する進歩とは、破壊の嵐と見ることができるというのである。エセル氏の父の友人で、1940年9月にナチスから逃れるために自殺した哲学者ウォルター・ベンジャミンにとって、歴史とはそのような、カタストローフから次のカタストローフへの、容赦のない破壊的な前進であったという。
  この章でエセル氏は、モーリス・メルロー=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty)、マルセル・プルースト(Marcel Proustの「失われた時を求めて(In Search of Lost time)」、スイスの画家パウル・クレー(Paul Klee)の天使を描いた作品にも言及しているが、その含蓄するところは筆者の理解力を超えるものなので、関連する記述を省いた。

第4章 The Worst Attitude is Indifference(無関心は最悪の態度である
  エセル氏の主張が最もハイライトされた章である。冒頭で、「今日では、怒るべき理由が以前より明らかでなく、世界もより複雑に見えるかも知れない。誰が責任者で、誰が決定権者なのか、何時でも容易に見定めることができるとは限らない。我々が相手にしているのは、誰の行いによるかを簡単に同定できる少数のエリート集団ではなく、前例のないやり方で相互に関連しあっている巨大な相互依存的世界である」と認めたうえで、次のように主張を集約している。
  「我々の周囲には耐え難いことが幾つもある。あなた方はそのような問題を注意深く探さねばならない。目を大きく見開けば見えてくるであろう。私は若者達に言いたい。探すことに少々の時間をかけてみれば、あなた達は何かに関りあいを持つ理由を見つけるだろう。最悪の態度は無関心である」。更に続けて、「『私にできることは何もなく、何とかやってゆける』というような考え方を採ることは、あなたから人間として根本的な特質の一つである“憤り”を失わせるであろう。我々の抗議する力は、関わりを持つ自由と同様に、無くてならないものなのだ」と述べて、二つの重要な課題をあげている。

1.まともな生活を送るのに不可欠なものを奪われている人々に負わされた痛ましいほどの不正義
  アフリカ、アジア、ハイチなどの第三世界ばかりでなく、西側世界の大都市郊外でも隔絶や貧困が憎しみや反抗を生んでいる。非常に貧しい人々と、非常に豊かな人々の間で拡大しつつある格差は、貧しい人々がインターネットその他のマスコミュニケーションにアクセスできるようになったことで、一層屈辱的になっている。

2.基本的自由と権利の侵害(この稿についての説明は、以下のように延々と続いて何処が切れ目か明らかでない)
  ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt)元アメリカ大統領は、1941年の一般教書演説で、世界中の人々が享受する権利がある四つの自由を明言した。すなわち、言論の自由、信教の自由、貧困からの解放、恐怖からの解放である。ルーズベルトが第二次世界大戦への参戦を決断したのは、まさにこれらの原則に則ったものであった。これら四つの自由は、後の国連憲章の土台となって1945年6月24日に採択され、ルーズベルト未亡人エリノア・ルーズベルト議長のもとで練られた国連の世界人権宣言草案に反映された。この草案は1948年12月10日にパリのシャイヨ宮で採択された。エセル氏は、国連事務次長補で国連人権委員会の書記官だったアンリ・ロージェ(Henri Laugier)のチーフスタッフとして、他のメンバーと草案の作成に参画し、その過程を以下のように述懐している。
  「エリノア・ルーズベルトの卓越した優しさと生来の説得力が、委員会を構成した異質の人々をまとめる上で驚くほど役立った。彼女は活気に溢れた男女同権論者で、初めて世界規模で公的文書(宣言第二条)に男女平等が刻み込まれたのは、彼女によるところ大であった。1941年にロンドンの自由フランス亡命政府の司法省と教育省の責任者であり、1968年にノーベル平和賞を受賞したルネ・カサン(René Cassin)や、経済社会理事会のメンバーだったマンデス・フランス(Pierre Mandès-France)も同様に重要な役割を演じた。草案はまず承認を得るため経済社会理事会に送られ、更に社会的、人道的事柄や人権の論点に特化した第三の委員会で審査された。この委員会はその当時の国連加盟国54の全てが含まれ、私は書記官代行であった。
  ”rights”の前に置く用語として、最初に英語圏のメンバーから”international”が提案されたが、ルネ・カサンが強く推した”universal”になった。それには重大な利害関係があった。第二次大戦直後の状況下で、人間性が全体主義の脅威を撲滅せねばならなかった。それは国連加盟国が、普遍的権利の尊重を確約することによってのみ可能であった。それは自国領土内で国家の統治権を盾に、人間性に反する犯罪行為を行う論拠を失墜させた。ヒットラーは国内での自己の至高の権威が、ユダヤ人集団虐殺の実行免許になると信じていた。普遍的人権宣言は、ナチズム、ファシズム、全体主義に対する世界的嫌悪感に負うところ大である。またそれは、我々のレジスタンス精神に負うところ大である。私は迅速に行動すべきと感じていた。そして我々が重視している価値観にうわべは忠誠を誓いながら、その推進に熱心とは限らない戦勝者達の偽善にだまされてはならないと感じていた」。
  ここでエセル氏は、普遍的人権宣言第15条、「すべて人は、国籍をもつ権利を有する」と、第22条、「すべて人は、社会の一員として、社会保障を受ける権利を有し、かつ、国家的努力及び国際的協力により、また、各国の組織及び資源に応じて、自己の尊厳と自己の人格の自由な発展とに欠くことのできない経済的、社会的及び文化的権利を実現する権利を有する」に言及している。そして法的拘束力は無いにも拘らず、植民地の人々がこの宣言に訴えて独立を要求するなど、発足以来強い影響を及ぼしてきたことを述べて。自由を求めて闘う抑圧された人々の心に種を植え付けたと、人権宣言を高く評価している。
  エセル氏は過去20~30年の間に、ATTAC(Association for the Taxation of Financial Transactions for the Aid of Citizens)、FIDH(International Federation for Human Rights)、Amnesty Internationalのような非政府組織や社会的運動が増加傾向にあることを喜ばしく眺めており、それらが目的達成のために、今日の最も大規模なコミュニケーション手段である、ネットワークとして機能せねばならないと論じている。
  章の終わりにエセル氏は若者達にもう一度呼びかけている。「周囲を見渡しなさい。あなたの憤りを正当化するテーマが見つかるだろう。移民達の処遇、不法労働者の排除、幾つかの欧州諸国でのロマの人々のキャンプの撤去などある。あなたはとても嘆かわしい状況に気付くだろう。彼らはただ民事訴訟を要求しているのである。探せばあなたはテーマを見つけるだろう」。

第5章 Palestine My own Outrage(パレスチナ 私自身の激怒)
  この章でドイツ系ユダヤ人であるエセル氏は、パレスチナ、ガザ、ヨルダン川西岸の現状への強い関心と、イスラエル当局への強い憤りを語っている。それは国内在住の勇敢なイスラエル人達からの、「イスラエルの指導者達が、ユダヤ主義の根本をなす人道的価値をないがしろにして手に入れた国を見に来て欲しい」という呼びかけに触発されたものであった。エセル氏は2002年の初訪問を皮切りに、次の7年間に5回ガザを訪れている。
  まず取り上げられたのは、2008年末から3週間にわたりイスラエル軍がガザ地区で展開したキャスト・レッド作戦である。国連の委託を受けて調査を行ったユダヤ人でシオニストでもあるリチャード・ゴールドストーン判事(南ア)は、イスラエル軍による戦争犯罪ならびに人道主義に対する犯罪に等しいともみなし得る行動を非難した。エセル氏はその報告書を必読の書と推奨している。エセル氏夫妻は報告内容を我が目で確かめるため、2009年にガザに戻った。二人は外交官用パスポートを所持していたので、一般旅行者が立ち入りを禁止されているガザ地区やヨルダン川西岸へ旅行できた。二人は幾つかの難民キャンプを訪れた。それらは、1948年にパレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)によって設立されたもので、300万人以上のパレスチナ人達が、イスラエルによって強制的に放棄させられた土地を取り戻そうと、待機していた。しかし、彼らの帰還は益々おぼつかなくなりつつある。ガザ自体が、150万パレスチナ人達の屋外監獄になっていた。二人はアル・クズ(Al-Quds)病院の残骸をはじめとした、作戦による破壊の後を目撃したが、ガザの住民達の態度、愛国心、海や海岸への愛、子供達の安寧のための不断の心遣い、大勢の子供達の楽しげに笑い、そして余儀なくされた欠乏に巧みに対処している様子に強く感銘を受けた。彼等はイスラエルの戦車で破壊された何千もの家を建て直すため、セメントが無い中で煉瓦を作っていた。キャスト・レッド作戦で婦人、子供、老人を含む1400人のパレスチナ人が亡くなったとの確認情報も得られた。イスラエル側では5人が怪我をしただけであった。夫妻にとって、ユダヤ人自身が戦争犯罪を行った可能性は、耐え難いことであった。エセル氏は、歴史上で過去から教訓を得た集団は、たとえ有っても僅かであろうと慨嘆している。
  オバマ大統領はカイロ宣言で多くの希望を呼び起こしたが、そのパレスチナ問題への対応はエセル氏に大きな失望感を与えた。エセル氏は最近の選挙の勝者であるハマスがイスラエルの町へのロケット攻撃を止められないことを承知している。それはガザの隔離とイスラエルによる封鎖への対抗措置として行われているものである。勿論、エセル氏にとってテロリズムを容認しがたいものであるが、ある集団がはるかに強大な軍事力で占領されている場合は、その集団の反応は厳密に非暴力的では有り得ないと考えているのである。イスラエル南部の町スデロット(Sderot)へのロケット攻撃は、ハマスの大義に沿うものではないが、ガザ地区住民の憤怒の結果であると見なしている。憤怒に触発された暴力は、しばしば容認しがたい状況によって引き起こされるので、その観点からするとテロリズムそのものは、憤怒の一つの形として見ることができるというのである。しかしエセル氏は、そのような「憤怒」は後ろ向きの言葉であり、「憤怒」の代わりに、強い「希望」があるべきと論じている。感情的には理解し得ても、「憤怒」は「希望」がなし得ることを決して達成できないからである。
  最後の段落では、ユダヤ系市民としてのあるべき立場が語られている。エセル氏は、艱難の後に彼等自身の国を持つ権利があるというユダヤ人の考えを明白に支持しており、イスラエル建国の時には喜びの叫び声をあげたという。エセル氏はイスラエル当局の占領政策を批判しているが、イスラエルや全世界のユダヤ人と連帯の立場にあり、イスラエルに対する愛は、自分に批判的な人達より強いと述べている。エセル氏は人権の普遍性に信を置いている。イスラエルは、1967年に国連が提唱した原則に違反してパレスチナ領土を占領している。そういう行為を行ったどの国も批判されるべきであり、イスラエルといえども、国際法に従わねばならないからである。

第6章 Nonviolence The Path We Must Learn to Follow(非暴力 我々が辿ることを学ばねばならない道程)
  エセル氏は前章に続き、憤怒に触発された暴力について、フランス高等師範学校時代に師事した、サルトルの見解の推移を引用しながら語っている。1947年、サルトルは次のように記述している。「どのような形で現れた暴力も失敗である。しかし、それは避けようの無い失敗である。何故なら、我々は暴力の世界に住んでいるからだ。そして、暴力に対して暴力に頼るリスクは、暴力を永続させるに過ぎないことは確かであるが、それが暴力を終わらせるための唯一の方法であることも確かである」。サルトルはアルジェリアの独立戦争やミュンヘンオリンピック事件(註:会期中にパレスチナ武装勢力によるイスラエル選手11名の虐殺)で行使された暴力に擁護的であった。しかしエセル氏はそのような見解には同調せず、「暴力は効果が無いと自分自身に言い聞かせることの方が、暴力を振るった人たちを非難すべきかどうか考えるよりずっと重要である」と述べている。サルトルも死の3週間前、「恐怖の中の現代世界は、遠大な歴史の展開の中の一瞬に過ぎない。希望は革命や暴動の中で常に有力な力であった。私は将来の構想として希望を持ち続ける」と譲歩的に見解を改めている。
  エセル氏は語る。「暴力は希望に背を向けるものであることを理解せねばならない。希望に満ちていることと、非暴力への希望は、暴力より優先されねばならない。これは我々が辿ることを学ばねばならない道程である。抑圧者達と被抑圧者達は互いに手を取り合って、抑圧を撲滅せねばならない。これによってのみ、テロリスト達の暴力に終止符が打たれるであろう。我々は憎しみが高まるままにさせてはならない」。
  この章を締めくくりに、エセル氏は次のよう述べている。「ガンジー、マーチン・ルーサー・キング ジュニアやネルソン・マンデラのメッセージは、イデオロギーの対立や侵略的全体主義が克服された世界でも、意味を帯びている。彼らのメッセージは希望のメッセージであり、相互理解と注意深い忍耐によって対立を克服してゆく社会の力への信頼のメッセージでもある。これを達成するために、我々は人権に対する信念を拠り所にせねばならない。誰が違反者であろうと、人権侵害は我々の憤りを誘発するに違いない。我々は決してこのような権利を捨ててはならない」。

第7章 For a Peaceful Insurrection(平和的な反乱のために)
  この章の最初の構文では、パレスチナ人達の非暴力的示威行動に対するイスラエル当局の反応へのエセル氏の苛立ちが語られている。ヨルダン川西岸の小さな町ビリン(Bil’in)では、毎週金曜日に市民達が壁の所までデモ行進し、石も投げず、暴力にもうったえずに、彼らの土地のイスラエルへの併合に抗議の意思表示をしている。イスラエル当局はこの行進を非暴力的テロリズムと見なしている。イスラエル人は非暴力をテロリズム扱いするが、抑圧に反対する世界中から、非暴力に支持や理解や激励が寄せられることに当惑するであろうとエセル氏はみている。
  次にエセル氏は、世界を危機におとしめた西欧の生産性と富の蓄積への執着への反省を語っている。それから抜け出すには、財界・金融界ばかりでなく、科学や技術の分野でも進めてきた、常なる前進、より多く、より良いものへの追求から根本的に決別し、誠実、正義、持続可能な発展優先へと舵を切るべき潮時にある。若し人々が地球を住めないようにする生き方を続ければ、地球は終わりを迎えてしまうであろうと警鐘を鳴らしている。
  次にエセル氏は、1948年以来、非植民地化、アパルトヘイトの撤廃、ソビエト帝国の崩壊、ベルリンの壁崩壊など実質的な進歩があったこと;しかし21世紀初頭は後退の10年間であり、それにはブッシュ政権誕生や9月11日の奇襲攻撃に対するイラク派兵などアメリカの破滅的対応が影響したこと;我々は経済危機を耐えたが、その再来を妨げる政策を持ち合わせていないこと;、コペンハーゲンでの気候サミットが、環境を保全する具体的な方策を立てるに至らなかったことを列挙し、今、我々が今世紀初頭の恐怖の10年と、次の10年への期待の狭間にいることに注意を喚起している。
  しかしエセル氏は次のような事例をあげて、希望的になろうと呼びかけている。1990年代は国連が召集した会議で多大な進歩があった。1992年リオでの第一回国際地球サミット、1995年、北京での世界女性会議があった。2000年9月には、191カ国がコフィ・アナン国連事務総長のイニシアチブで、八つのミレニアム開発目標(Millennium Development Goals)を採択した。これらの国々は2015年までに世界の貧困を半減させると約束している。残念なことに、オバマ大統領とEUのいずれもが、我々の根本的価値がさらに銘記されるような新たな段階に進むために、彼等が成し得ることを申し出るに至っていない。しかし、世界中が熱烈に民主的変化に声援を送っているアラブの春で、再び希望が湧いてきている。
  エセル氏は憤りへの呼びかけを以下のように結んでいる。「1940年から1945年にかけて自由フランスのために戦ったレジスタンスの古強者達は、2004年3月8日の全国抵抗評議会プログラム発効60年記念でこう言った。『そうだ、ナチズムは打ち負かされた。命を犠牲にしたレジスタンスの兄弟、姉妹のお蔭で、そしてファシストの野蛮さに反対して団結した国のお蔭で。しかし脅威は続いている。未だそれは一掃されていない。そして不公平に対して、我々の怒りは損なわれていない』。本当に脅威はまだ続いている。それゆえ、我々は平和的で毅然とした抵抗の呼びかけを持続する。大量消費への誘惑、弱者の蔑視、文化の軽視、歴史の健忘症(註:歴史的な過ちを繰り返すことを表す比喩表現)、全てに対する容赦の無い競争などで特徴付けられた世界観を若者達に提供するマスメディアの道具(instruments of mass media)に対して」。
  エセル氏は21世紀を創る男女達に、我々は愛情を込めて呼びかける。

創造することは抵抗することである。
抵抗することは創造することである。


あとがき
  対ナチスドイツレジスタンス運動での体験もさることながら、全編を通じてエセル氏の普遍的人権に寄せる強固な信念が脈々と流れていました。これはエリノア・ルーズベルト等の要人と共に、世界人権宣言起草という類稀な作業に携わったことが大いに関係するでしょう。ユダヤ人でありながら、イスラエル政権がパレスチナ人に行ってきた宣言にもとる行為を厳しく批判し、移民排斥、ロマの人々の差別、発展途上国のみならず西側世界大都市近郊で人としての尊厳を損ねられている人々の存在にも思いが及んでいることから、エセル氏の信念がうわべでなく、本心からであることが明らかです。
  「憤れ」の呼びかけも、暴力に訴えることを厳しく諌め、あくまで非暴力に徹して、相互信頼を醸成するように勧めているのも重要なポイントです。
  世界を危機におとしめた西欧の生産性と富の蓄積への執着から根本的に決別し、誠実、正義、持続可能な発展優先へと舵を切らなければ、地球は終わりを迎えてしまう警鐘を鳴らしていることも重要なポイントです。
  若い世代が憤る理由を見つけて、平和と民主主義に脅威を与えている世界の金融市場の圧制に立ち向かうよう呼びかけているのも重要なポイントです。
  我が国では、憲法に基本的人権の尊重が盛り込まれていますが、本当に尊重されているでしょうか。報道の自由が守られて、知るべき情報が正確に伝えられているでしょうか。探せばいろいろ見つかることでしょう。
  今、世界は実態経済を無視した金融資本主義に撹乱されています。エセル氏の著作から離れますが、経済活動で得られた利益が公益のために還元される公益資本主義を標榜した、「だれかを犠牲にする経済は、もういらない」という本が出ています(原 丈人・金児 昭著、株式会社ウェジ、2010、¥900)。本文190頁の読みやすい単行本ですので眺めてみてください。

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