映画『Fukushima 50』(フクシマフィフティ)予告編
明日は東北大震災によって福島原発が爆発、放射能汚染が起きた日です。この日がきっかけで日本がだめになった日でもあります。安倍政権を首相再任することにもなってしまった引き金でもあります。その事実を知りましょう。
おまけ。Fukusima50はくそ映画????
映画『Fukushima 50』はなぜこんな「事実の加工」をしたのか?
観客をミスリードする作りhttps://gendai.ismedia.jp/articles/-/70707
福島第一原子力発電所の事故を描いた映画『Fukushima 50』(若松節朗監督)が3月6日公開される。
これは、一種の「戦争映画」だ。福島第一原発を戦場として描き、吉田所長以下の職員たちを兵士として英雄的に描く。
娯楽映画として、よくできている。
原発のプラント内の再現度が高い。「中略」どこまで再現されているかは確証できないが、リアルに感じた。
凄まじい事故だということ、原発内部の構造がよく分かる。そして、現場の職員たちの危機感もよく伝わってきた。よくぞ、日本は無事だったと思う。
しかし、大きな問題のある映画だ。
混乱の元凶は「総理」だったのか?
娯楽映画なので、作劇上、主人公であるヒーローに対し、悪役が必要なのは分かる。
この映画が扱う戦争では、倒すべき相手は「どこかの国」でもテロ組織でもなく、暴走している原発だ。
そして原発そのものは敵ではない。むしろ、職員たちは原発を愛しており、傷ついて苦しんでいるのをどうにかしてやりたいという感情を抱いている。原発を救おう、という感覚だ。
この映画での悪役は、自分は安全なところにいて、無理なことばかり言う東電本店の役員たちであり、分かりもしないのに口を出してくる首相官邸なのだ。
といって、それは「敵」というほど大きな存在ではなく、「障害」程度だ。
その障害である「総理」を、佐野史郎が演じている。
佐野が脚本を読んで考えた演技で監督が認めたのか、監督の指示による演技なのかは分からないが、「中略」彼だけが熱くなり、ヒステリックにわめきちらしている。
「総理」は混乱の元凶のように、描かれている。「中略」
映画での、「総理」の発言は、もっと短く、「逃げられない」と絶叫しているだけだ。
省略はいいとして、全体の主旨まで歪めているのは、どういう意図だろう。
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この映画は門田氏の原作をもとにし、東電側には改めて取材しているようだが、菅首相サイドには取材していない。
どの段階で誰が、「総理大臣を悪役にする」と決めたのかは知らないが、出発点がそこにあるので、演技も演出も、「総理」登場シーンだけは、事実とはかけはなれてしまっている。
当時の民主党、菅直人政権を批判するためのプロパガンダ映画として作られたのなら、その目的は達成されるだろう。
しかし、そんなことが目的の映画だったのか。
俳優もみな熱演しているし、事故のシーンの迫力はものすごく、どんな事故だったのを知るために多くの人に見てもらいたいとも思うだけに、政治的な「事実の加工」が残念でならない。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70707?page=5