〈名字の言〉
2018年1月18日 聖教新聞
「魚の絵を描いてみて」。ゲームのデザイナーとして働く男子部員が“将来、ゲームを作る仕事がしたい”という未来部員に出会うたび、やってもらう“課題”だという。多くは、図鑑にあるような、頭が左向きで尾が右にある“側面から見た絵”を描くらしい▼そこで男子部員が問う。「魚を正面から見たことはある?」「尾っぽの方から見たことは?」。目を丸くして、ペンを動かす手を止める子どもたちに、笑顔で一言。「僕らはつい、一部を見ただけで全部が分かったつもりになりがち。でも、いろいろな角度から見ようとしなければ、全体を正しく描くことはできないんだよ」▼関わる対象が「人間」であれば、なおさらだろう。皆の前では常に元気な人がいる。だが場面を変えて、一対一で話してみるとどうか。病や経済苦と闘う一家の悩みを打ち明けてくれたり、将来への不安を口にしたりと、知らずにいた一面を垣間見ることが少なくない▼真実を見る仏の智慧を「如実知見」という。それは「千差万別の衆生を一人一人、温かく見守る“慈愛の眼”なのです」と池田先生は語った▼ありのままの友の姿を知ればこそ、真に必要な励ましを送ることもできる。慈愛とは、一人の人間を深く知ろうとする行動の中に表れる。(之)
簡単なようで難しい。