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おフランス(aux France) その1

2008年05月13日 16時29分41秒 | インポート

4月19日、支那、武漢での反仏デモで見られたフランス国旗。同じ文言をプラカードなどでも使用。

Jeanne d'arc= prostitute ジャンヌ・ダルク=売春婦
Napoléon= pervert(綴りが間違い、正しくはpervers)
ナポレオン=性的異常者(変態)
France=Nazi フランス=ナチ
Free Corsica!!! コルシカに自由を(Corsicaはイタリア語、英語。コルシカ語としてなら、コルシガ)、フランス語で書くべきで、La Corse Libre!!!
 フランスに名を残した、ジャンヌ・ダルクとナポレオンを侮辱し、それも全く謂われもなく「お前の母ちゃんデベソ」という児戯にも劣る暴言を連ね、共産ファシズム支那が、フランスをナチ呼ばわりし、前に侮辱したナポレオンはコルシカ島出身なのに、コルシカに自由をと書き、チベットの自由を否定する2重基準。下劣にして愚劣すぎる。


 エアフランスの接客に腹を立て、フランス批判を始めたが、支那五輪の暴虐支那人の逆恨みの反仏デモが始まり、あまりの下劣さに、こんな輩と同類に見られるのは避けたいと、今まで順延してきた。
 ところが、9日、国連人権委員会に、南鮮、北鮮、オランダという悪名高いヤクザの国と並んで、フランスが、旧日本軍による戦時中の従軍慰安婦の問題(ただの売春婦)を提起するに及んで、西欧の中華主義国、フランスに対し、正当な批判を再開する。

 植民地(フランスは海外県と称している。)からの移民の暴動が絶えず、公務員が威張りストが頻発する社会主義国、ハンガリーからの移民2世がフランス第5共和政第6代大統領になれ、戦争に負けながら、他人の褌(米英)で、戦勝国になり、国連分担金が日本の3分の1~4分の1で、安保理常任理事国としてデカイ面をして南太平洋の海外県で現地人を弾圧し核実験を行う、文化も歴史もない国がフランスである。

 TGVに乗ればよくわかる。地平線まで畑の中の一本道を走る。山あり谷あり、トンネルに海岸線、地震対策、季節によっては積雪対策を施している新幹線とは出来が違う。切符を買うとき、英語を使ったら、「un billet」、「テージェヴェ」とフランス語に直してくれた。コンポステを忘れて、車掌に見つかって「パーハドン」とフランス語訛りで言ったら許してくれた。フランス語を喋るかどうかで文化水準を決める、西欧の中華主義国、それがフランス。

 パリというのは、路上の敷石の上に土民が糞尿を捨て、近くの農民が拾いに来るという凄まじい臭気がする都市で、糞を踏まないためハイヒールが、臭いを誤魔化すため香水が発明された。不衛生なため、ペストが蔓延。人口が何と3分の1に大激減。これを教訓にして、下水道が整備された。近代17世紀には、魔女狩り。ギロチンの公開処刑で有名なコンコルド広場には、エジプトから持ってきた(一応、贈られたことになっている)オベリスクが建っている。

<つい最近できたばかりのフランス(その2)>(2008.3.17公開)によれば、
 実は、フランスの風景の多くはエッフェル塔(1889年建立)より新しい。マラリア蚊だらけの沼が干拓されヒースが生い茂る土地や裸の山に木が植えられた。ピレネー山脈のスペイン側の風景こそ、かつてのフランスの風景で、フランスの絵のように美しい地名の多くは観光業者や地図制作者によって偽装されたものだ。

 カゴ(cagot)という、中世の癩病患者、サラセン侵略者の子孫とも言われる「呪われた人種」は、何世紀にもわたって南部フランス全域で迫害されてきた。20世紀になってからでさえ、その迫害は一部の地方で続いた。

 それはフランスが変わったということであって、フランスそのものは昔から存在していたのではないか、と思う者がいるかもしれないが、それはとんだ心得違いだ。ドゴール(Charles de Gaulle)は、246種類ものチーズがあるフランスを統治することの困難さを嘆いたが、これは大昔からのフランスの役人共通の嘆きなのだ。フランスはその歴史の大部分の間、各地方の寄せ木細工でしかなかった。19世紀の中頃までフランス全体を網羅するまともな地図は存在しなかったし、共通語に至っては全く存在しなかった。

 自転車が普及するまでは、フランスの大部分の人々にとって、半径15マイル以内の地域における、小さい納屋に収容できるくらいの数の人、が世界のすべて。ピレネー地方へ旅行した人が1837年に、「金星と土星が異なるように、一つ一つの谷が、隣の世界とは異なる小世界を形作っている。一つ一つの村が、一つの氏族(clan)、独自の形態の郷土愛を持つ一種の国家、の趣がある。それぞれが異なった様相を呈し、異なった意見、偏見、慣習を持っている。」と記している。

 フランス全土が、地図、道路、鉄道、電信によって結びつけられたのは、20世紀になってからだ。フランス人全体が同じ日に同じ出来事が起こったことを知るという経験をしたのは、1914年8月の第1次世界大戦勃発の時が初めて。19世紀にフランスで55の主要方言と数百の準方言が確認された。19世紀には兵士や役人は地方に行くとガイドや通訳が必要だった。1880年の段階で、標準フランス語が使えたのは全人口の約5分の1に過ぎなかった。この標準フランス語なるものは、昔パリのフランス語と呼ばれていた代物。1789年のフランス革命の頃は、全人口の11%にあたる300万人しか、このフランス語が喋れなかった。1863年に至っても、フランス軍の兵士の4分の1は地方語しかできなかった。第1次世界大戦の時、ブルターニュ人(Bretons= Brittany人。ケルト系の言語を用いていた)はフランス語ができなかったため、ドイツ兵と間違われてフランス兵によって射殺された。

 フランスなる国民国家が成立したのは、19世紀末の都市への人口流入、自転車の普及、第1次世界大戦の結果であって、それまでは、フランスという国家はあったが、内実は各地方の寄せ木細工でしかなかった。

 ドイツやイタリアは19世紀末に初めて統一国民国家になったが、この両国に比べてはるかに先行していたという印象のあるフランスは実質的に統一国民国家になったのは19世紀末から20世紀初頭。イギリスや日本にはるかに遅れている。


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