チャイナMBAマネジメント協会

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第1回 Eason
 カナダの永住権取得もチャンス求め帰国、母国滞在にビザ取得

2014-11-09 | 北京大学MBA

(MBAトーナメントの試合前練習。長身で圧倒する背番号0がチームキャプテンEason)

<プロフィール>
1986年、四川省・成都生まれ。5歳の時、父親の仕事の都合で経済特区に指定された広東省・深圳に家族で移動。その後16歳(高校1年)までを過ごす。高校2年から英国に留学、大学までを英国で過ごした後通信関連の中国企業のカナダ子会社にて5年間働き、2013年9月より北京大学・光華管理学院のインターナショナルクラスに入学。クラスのスポーツ関連活動のリーダーとしても活躍。


坪井(以下(坪)): 成都に生まれた後、香港に隣接する深圳に移動。どんな幼少時代を過ごした?

Eason(以下(E)) : 父は成都では国営企業で董事長の秘書的な仕事をしていて、母は国営企業とフランス企業の合弁会社であるエアコンを作る会社で働いていた。
その後、父は開放政策に伴い深圳にて起業。最初はカメラなど精密機器を扱う貿易会社を経営し、事業が軌道に乗ったあとは多方面に拡大した。現在は道路、住宅などの景観をデザインする事業を手がけている。
そのため、父は多忙を極めていてほとんど家にいた記憶はない。その代わり母はよく色々な所に旅行に連れて行ってくれた。中国国内だけでなく、シンガポール、マレーシア、韓国あたりに行った。当時の深圳も他の中国の都市と比較すれば洗練されていたけど、シンガポールは比較にならなかった。14,5年前の時点で既にかなり発展していて、街はとてもきれいだった。マレーシアは別の意味で印象的で、とても多様性に富んでいた。ある部分はシンガポール同様とても洗練されているのに、他方ですぐ近くにとても貧しい人たちもいる。人種の多様性も含めて印象に残る国だった。



(坪): そして16歳で2度目の転機を迎える。

(E): 両親は最初北米、アメリカかカナダに留学させたかったらしい。でも移民させることが目的ではなく、「海外で教育を受けさせたい」っていうのが目的だった。ただ、ちょうど留学を考えていた時期が2001年で、その年の9月に同時多発テロがアメリカで発生したから、この時期の北米への留学は危険だと感じて断念せざるを得なかった。
次の年の夏に、中国(場所は忘れてしまった)でイギリスの寄宿制高校によるサマーキャンプが開催され、それに参加したことでイギリスへの留学に対する関心を持つようになり、渡英する決心をした。サマーキャンプ参加から渡英までは2ヶ月位しかなく、非常に慌ただしい決断だった。
当時は英語をあまり話せなくて、それが一番の障壁だった。本来であればノンネイティブは最低2ヶ月語学学校に通ってから一般の高校に入学するのが普通だけど、決めたのが遅かったから行けなかった。だから最初の3ヶ月は授業についていくことが精一杯でとても辛かった。。。でも幸い言語や人種のせいでのいじめにはあわなかった。もう高校生だったし、その当時既に体が大きかったせいだろう(現在190cmオーバー)。クラブ活動(バスケットボール)を通じて多くの友達を作ることができた。大学時代にはイングランド南部で2位にもなった(大学はバーミンガム大学)。



(坪): 高校・大学を英国で過ごした後はカナダで就職。

(E): これには永住権が関係している。実は大学1年の時にカナダから認可がおりた。だけど、カナダの法律で「5年間のうち2年間をカナダで過ごさなければ、永住権は失効する」と定められている。大学を英国で過ごしたから残りの2年を全てカナダで働く必要があった。そこで、中国系企業のカナダ子会社に就職した。
だから逆に今は自分の生まれた国に住むためにVISA等の手続きをしなければならないけれど、多少面倒なだけでそのことはあまり気になっていない。中国にいる時にはやはり自分は中国人だと思っている。両親は今も深圳に住んでいるし。



(坪): でも中国にチャンスを求めて、北京大学でMBAを取ることにした。

(E): その通信系企業では5年間、Pre-Sales Engineerとして顧客と社内のエンジニアをつなぐ役割を担っていた。MBAに来る直前には技術関連の打ち合わせだけでなく営業担当と一緒に顧客を回るなどして契約や価格の話にも参加するようになった。人生の中で最も尊敬できる人物に値する上司にも出会った。でも、エンジニアという職業は持って生まれた才能がものをいう世界でもあると思う。そういう才能を持っている人を多く見てきたことも多分に影響して、キャリアチェンジを志向しはじめた。
また、カナダは既に成熟した市場で、完成されたビジネスサイクルを壊すことはなかなか難しいと感じたし、アメリカほど人の競争意識が激しくない。アメリカにはカナダよりも多くのチャンスがあるとは思うけれど、それよりもイギリスで教育を受けた経験、カナダでの就業経験を中国で活かす方が多くのアドバンテージを得ることができると考えている。



(坪): 卒業後はどうする?

(E): もちろん中国に残りたい。パスポートの問題はあるけれど……。
父という身近なロールモデルがあるから、将来的には中国で起業をして、社会の何かを変えられるような仕事に貢献していきたいと思う。だから直近でいうとインターンシップはITと教育を融合させたスタートアップで働いて学びたいと思っている。さっきも言った通り、中国は北米と比べるとまだ未熟な部分が多く残っていると思っているし、チャンスは大きいと感じている。これからインターンをする教育関連事業はその1つの分野だ。
もし起業ができない、もしくは成功しなくても、大きな企業でエグゼクティブとして活躍できれば、それはまた一つの成功として考えられる。



(坪): 幼少の頃から海外の様々な文化に触れてきた。そのことは自身の日本に対する見方にも影響を与えているか?

(E): 与えていると思う。少なくとも自分は日本に対して一般的にいわれているような「反日感情」は持っていないし、中・日の政府同士が何をしようとそれほど関心は払っていない。
それは子供のころから海外の国を多く見てきて多様な文化があることを知っていたということもあるし、何より英国の高校・大学でも日本人の友達もいた。彼らは本当にいい人たちだったから、中国政府が報道する日本人像が正しくないことはわかっているつもり。
また、多感な時期に海外に出たことで、一般的な中国で育った「80后」とは違う感覚を身につけていると思う。情報について一方向から見るのではなく、多面的に見ることの大切さ、人を敬うことの大切さを学んだ。このようなチャンスをくれた両親には感謝をしている。


この記事はソーシャルウェブサイト「Billion Beats(10億の鼓動)‐日本人が見つけた13億分の1の中国人ストーリー‐」でも掲載しています。

中国を出る若者、戻る若者 -大陸で交差する夢-

北京大学MBAの他に、長江商学院MBA、清華大学MBAに在籍した日本人留学生による中国人クラスメイトインタビューもありますので、ぜひご覧になってください。

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