チャイナMBAマネジメント協会

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第4回 Daisy 海外未経験も完璧な英語力!! 満を持して米国へ!!

2014-11-09 | 北京大学MBA

(2013年12月、インターナショナルMBAクラスのイベント、”China Night”にてパーティ開始前の記念撮影)

前回までは「中国で生まれ、海外で育ち、再び中国に戻ってきた」人たちにフォーカスを当ててきました。今回からは「中国で生まれ育ち、これから海外にチャンスを見出そうとする人」、つまり「出て行く人」のストーリーを紹介します。

<プロフィール>
1989年、内モンゴル自治区赤嶺生まれの蒙古族。中央財経大学卒業後、不動産系会社に入社。2013年9月北京大学・光華管理学院MBAに入学。2014年9月からはデュアルディグリープログラムで米国テキサス大学オースティン校McCombs School of Businessへ留学。運動神経抜群で、MBA対抗バドミントンでは優勝を飾った、クラス最年少の才女。


坪井(以下(坪)): どんな家庭で育った? そしてその完璧な英語はどうやったら身についたの?

Daisy(以下(D)) : 家族は父と母。共に学校の先生をしていて、父は中学校、母は小学校の先生。完璧かどうかはわからないけど(笑)、英語は8歳のときから勉強し始めた。そのきっかけは母が勝手に英語の塾に入れたから。当時から海外に行ってみたいというあこがれはあったけれど、留学したいとか住みたいとかは特別な思いはなかった。使っていた教材がアメリカのものだったから、必然的に海外=アメリカと思っていたかな。
それ以外にも教育方針という意味では、高校受験のときの印象深いエピソードがある。中国の高校には、入学のための2段階の得点基準があって、高い方の得点基準を満たせば無条件で入学許可がおりるけれど、低い方の得点基準で入学するためには追加で入学金を支払わなければならない。高校受験を意識したころには低い方の得点基準を満たしていたので、両親に頼めば入学金を支払ってくれるだろう、と思って相談したところ、「そのようなお金は一切払わない。どうしてもその学校に入りたければ自分の力で入学しなさい」と言われてしまった。そこであわてて必死になって勉強した。毎日午前2時くらいまで勉強していたと思う。多分人生で一番勉強した時期だった。その甲斐あって学年で1番の成績をとれて、高い方の得点基準にも届き志望校に入学できた。あとから母親に聞いたところ、「努力をしないでも誰かがなんとかしてくれる、と考えるようになって欲しくなかった」とのことで、仮に自力で入学できなかったとしても、一生懸命勉強していたのを見ていたから母は入学金をだしてくれたのだと思う。努力するくせをつけてくれた両親には感謝をしている。



(坪): 学校では勉強以外に何をしていた?

(D): 知っていると思うけど、中国の学生は皆「勉強第一」だから…特に地方の子どもはその傾向が強いと思う。理由は、地方では教育に関する情報が少ないから。試験対策をどうしたらいいとか、どうやって勉強したら効率がいいとか、どの大学がいいとか、そういった情報はどうしても大都市の方が手に入りやすいし。
そんな中でも運動が好きで、中でもバドミントンをやっていた。ちょうど中学生の頃SARSが流行したせいで外出がままならなかったこともあって、室内でできる運動、バドミントンや卓球、バレーボールなどがメインだった。
それから英語のスピーチコンテストにも積極的に参加していた。いくつかコンテストに参加したけれど一度優勝したことがあって。その頃もう英語の塾には通っていなかったけれど、母が英語の教材をたくさん買ってきてくれたので自分で勉強していた。この頃が一番英語の勉強にはまっていた時期だった。



(坪): 大学を選ぶ際には何か基準はあった?

(D): まず大学を選ぶ際には、最初に地域、2番目に大学、3番目に専攻を選んだ。まず大都市の大学を選ぶのが卒業後のキャリアを考える上で当然の選択だと思っていたので、実家のある内モンゴルから近い北京を選択。次に大学だけど、結果として大学を先に選んだけれど本当は北京大学医学部に入りたかった。でも成績が全然届かなかったので諦めて、友人や先生のアドバイスと、有名人を多く輩出している中央財経大学を選んだ。中国では「何をしたいか」よりも「どの大学を出たか」の方が優先されるのでそれが当然と思っていたけれど、日本では違うのかな?
大学では勉強はそこそこで一番熱心にやったのはボランティア活動。中でも北京オリンピックのボランティア活動は印象的だった。国内外のマスメディアが常駐するエリアで主に彼らの通信環境のサポートをしていた。ボランティア活動を通じて学んだことは、献身の精神とチームワーク。私たちが本当にサポートしたいと思う限り、みんなで力を合わせればたいていのことはできるんだって、思えた。
英語のほうも引き続きスピーチコンテストにいくつか参加し続けた。人前で話すことを繰り返すことで、日常会話とは違う「大衆にどうやってみせるか」というプレゼンテーションスキルを意識するようになったことが一番の収穫だったと思う。



(坪): 就職先には不動産会社を選択した。

(D): この会社を選んだ理由は、1つは大学で専攻した知識を活かすことができると考えていたこと、もう1つは内定後に現在の上司がキャリアプランについて細かく説明してくれた上で「今の君にとってはチャレンジングな仕事だと思う」とはっきり言ってくれたこと。担当していたのは、主にIR(Investor Relation)で、取締役会議のアレンジ、投資家とのミーティングで、それ以外では子会社の管理をしていた。社外の取締役にはCEOやディレクタークラスの人が名を連ねていて、入社して間もない頃からエグゼクティブと会う機会があって刺激的な仕事を経験できたので、上司の言葉を信じて入ってよかったと思っている。
でも仕事は当然ハードで、 土日関係なく午前1時2時まで働かなければならないことも多かった。国内や香港の出張も多くて、取締役とのミーティングのために出張した際にせっかく5つ星のホテルに泊まれても十分エンジョイできなかったりとか…。



(坪): その後MBAへ。直接アメリカへ行かなかったのはなぜ?

(D): まずMBAを取得しようと思った理由は、3年間の就業経験を経て体系的なビジネスに関する知識が欲しいと思ったから。実践で得られる知識は深いものだけれど、1つ1つの関連性を見出すことがなかなか難しく、ビジネス全体を捉えて考えることができていないかな、と感じていたから。
当然最初からアメリカに行くという選択肢もあったけれど、将来的に中国に戻るという選択肢を持っておきたくて、そのときのために中国ビジネスについて学びたかったこと、その上でアメリカでグローバルスタンダードのビジネスについて勉強したほうが比較から得られる学びが多いと思っていたことが大きな理由。
北京大学と清華大学、両方出願したけれど、先にオファーが出たのが北京大学だったからこちらを選択した。インターナショナルクラスを選んだのは、中国人だけでなく色々な視点からの意見を吸収する必要があると思っていたから。これもアメリカで勉強するための準備のひとつとして考えていたし、さっきも言ったとおり、私の仕事は多くの投資者とコミュニケーションを取る必要があって、その中には日本人などの中国人以外も含まれていたので、様々な考え方を理解しておく必要性はそのころから感じていたから。
数あるデュアルディグリープログラムの中からテキサス大学オースティン校を選んだのは、昔から「海外=アメリカ」だったこと、アメリカの教育が世界で最も進んでいると思うこと、北京大学のデュアルディグリープログラムの中ではオースティンがMIT(マサチューセッツ工科大学) Sloan Schoolの次に有名であること(テキサス大学はアメリカの「パブリック・アイビーリーグ」の1つとして数えられる程の名門校)。MITは自分には少しハードルが高いかな、って…。



(坪): 卒業後は何をしたい?

(D): もちろん、せっかくアメリカで学ぶ機会を得たのだからなんとかアメリカで仕事を探したいし、ここに残って勝負してみたいと考えている。でも将来的には、中国に戻ってきて働くのだと思う。それが何年後になるのかはわからないけれど…。
例えば今ぼんやりと描いているのは、中国の貧しい地域での教育事業。中でも英語の教育には関心がある。私は英語が得意だから、ビジネスを学んだ上で母国に帰ってきて貢献していきたい想いは強い。



(坪): 日本の印象について何かある? 仕事を通じて少なからず接点があった訳だし。

(D): 私自身日本に行ったことはないけれど、友人に交換留学で日本に行った子がいて、その子が言うには日本は本当にきれいで素晴らしいところ。
人の印象は、一緒に働いたことがある人たちは皆紳士で賢い。取締役の1人でハーバード大学を卒業した人でも、入社したての私にすごくフレンドリーに接してくれた。
「日本人って紳士だな」と強く思ったエピソードがあって、香港のホテルで行われた取締役会議で取締役の1人がジャケットをホテルに忘れてきてしまったことがあって、私が気付いたときにはその取締役は既に香港から北京に移動してしまっていた。私はそれを届けるために急いで香港から北京に戻ったら、その人は空港で待っていてくれた上に、届けてくれたお礼としてプレゼントまで用意してくれていた。10人程度しか会ったことはないけれど、日本人の細やかな気配りには感動したし見習いたいと思う。



(坪): クラスの中国系アメリカ人、カナダ人について、自分たち大陸育ちの中国人との違いを感じる時はある?

(D): 普段の生活で違いを感じることはまず無いけれど、彼らは私が持っていない価値観、より成熟した考えを持っているな、と感じたことはある。例えば、デュアルディグリーの学校選びについて相談した際も、私は「一番有名なところ」を選ぶものだと思っていたけれど、彼らに相談した際には、「何をしたいか」を基準によって選ぶ大学は違う、と言われた…。考え方の違いはそれ以外にもたくさんあると思うけど、私はまず彼らとの「共通点」を探そうとする。それは例えば言葉だったり生活習慣だったり。中国語で話もできるので、彼らがどこの国の人かについてはほとんど意識した記憶がないよ。


この記事はソーシャルウェブサイト「Billion Beats(10億の鼓動)‐日本人が見つけた13億分の1の中国人ストーリー‐」でも掲載しています。

中国を出る若者、戻る若者 -大陸で交差する夢-

北京大学MBAの他に、長江商学院MBA、清華大学MBAに在籍した日本人留学生による中国人クラスメイトインタビューもありますので、ぜひご覧になってください。

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